71 幻想の掌握

 相変わらずどこか気怠そうにしているレオ。

 けれど戦う意志、私を殺そうとしている意志は、明確にその瞳に灯っている。


 緩やかに佇むその足元から火の手が上がった。

 その炎はレオの身体を舐めるように燃え上がり、やがてはレオの長身をも越える高さまで伸び上がる。

 メラメラとレオを包むように燃える炎。揺らめく火の手の隙間から、涼やかな視線がチラついた。


 レオが両腕を真横に伸ばすと、炎もそれに伴って真横へ火の柱を立てた。

 まるで炎の十字架のようになったかと思うと、横に伸びた炎が私めがけて押し寄せてきた。


 両脇から迫る二本の炎の奔流。けれど単調な攻撃はいとも簡単に『真理のつるぎ』で払える。

 落ち着いて冷静に剣を振るえば、その炎の進撃は何の問題もなく振り払えた。


「もうあんまり時間かけちゃいられねぇ。さっさと終わらせるぞ、アリス」


 炎を打ち消した私を見て、レオは淡々と言った。

 取り敢えず傷は治したけれど、まだ身体にダメージは残っているだろうし、体力だって大分削られているはずだ。

 もうあまり余裕があるようには見えない。


 レオを舐めていた炎が高く昇った。

 そう思った時、炎の先が二手に分かれてレオの両脇へと落ちた。

 レオから独立して一個の塊となった炎が二つ。それはむくむくと個々で燃え上がり、やがて人の形を型取り出した。


 炎の塊が腕を生やし脚を伸ばして立ち上がる。

 その背丈はレオの倍ほどあり、燃え上がる炎の巨人が二人出来上がった。


「…………!」


 三メートルは優に越えるであろう、私を見下ろす炎の巨人。

 それは先日の晴香の成れの果て、肉の巨人を彷彿とさせて、私は身がすくむのを感じた。

 けれど落ち着けと自分に言い聞かせる。どれほど大きくても、強力でも、単一の魔法ならば『真理のつるぎ』の敵ではないのだから。


「ほら、油断してるとあっという間に消し炭だぜ」


 口元を不敵に歪めたレオが言った瞬間、二人の巨人が私に飛びかかってきた。

 大柄な炎の巨人が一斉に飛びかかってくると、まるで炎の津波が眼前に迫ってくる錯覚に襲われた。

 その巨体もさることながら、全身を燃え上がらせる灼熱の熱波が肌を焼くようにジリジリと包み込んできた。


 迫る炎を目にして、生物としての本能で恐怖を感じる。

 震える手を、剣を握りしめる事で押し殺して、私は努めて冷静に剣を振るった。

 一体目の巨人は、剣が触れた瞬間に形を保てなくなりあっという間に掻き消えた。

 けれどつい今しがたまで轟々と燃えていた炎の勢いは残って、衝撃に近い熱の波が私を体を揺らした。


 その隙を突くように二体目の巨人の手が伸びてきた。

 目は何とか追いついたけれど、剣を振るうには間に合わない。

 爆発のように炎に満ちた腕が、私を飲み込まんと伸びてくる。


 剣が間に合わないのなら、迫る魔法を打ち消すことができないのならば、どうするべきなのか。

 魔法で対抗する? 論外だ。防御を張る? 最早意味がない。

 私が使える魔法は魔女由来。魔法使いに対しては発揮できる効果は乏しい。

 反撃は飲み込まれ、防御も力及ばない。


 ならばすることは一つだ。私はもうどうすればいいか知っている。

 迫り来る危機を、脅威を、そうでないものにしてしまえばいい。

 襲いかかってくる敵の魔法げんそうを、私のイメージげんそうで掌握する。

 魔法げんそうを、私の思うままに……!


「……!? どういうことだ!」


 レオが動揺の声を上げた。

 私に手を伸ばした炎の巨人が、彼の意思を無視して動きを止めたからだ。

 高密度の熱エネルギーに満ちた炎の巨人は、轟々と唸りを上げるもピクリとも動かない。


 私はイメージする。炎の巨人が私に手を出さないこと。

 そしてまるで気心知れた友達のように、私を守ってくれることを。

 炎にはもう大分慣れた。透子ちゃんはよく炎の魔法を使っていたし、私を助けてくれた時のあの温もりを、私はよく覚えている。

 炎は、もう私の友達だ。


 炎の巨人の形がぐらりと揺らめいて、無形の炎となって私の周りをぐるぐると渦巻いた。

 それは私を取り囲んでいるのではなく、まるでじゃれついているかのような親しみのある動きだった。

 そして炎は私の目の前でまとまり、先程のように人の形を作った。

 まるで私を庇うかのように、レオの前に立ちはだかるように。


「まさか……お前、それは…………の……!」


 レオは驚きを隠しきれず、目を見開いて喚くように叫んだ。

 目の前に立ちはだかる炎の巨人を見上げ、ギリッと歯ぎしりする。

 けれどすぐに目付きを強め、挑むように眉を寄せた。


「上等だ……! 真っ向からやりやってやるよ!」


 レオが声高々に雄叫びを上げて、新たな炎の巨人を作り上げる。

 真正面から飛び込んでくるそれに、私の炎の巨人が対抗する。

 二体の巨人がぶつかり合って、まるで爆発同士のぶつかり合いのように熱い衝撃が広がった。


 その足元を潜り抜けてレオが飛び込んできた。

 同時に放たれる炎を『真理のつるぎ』で打ち消して、消し漏らした炎は掌握する。

 私に主導権を奪われたレオの炎は、彼の意思を離れて私を守るように周囲に渦巻いていく。


「ちっ……!」

「レオ。もう炎は、あなたの魔法は、全部私の味方だよ!」


 レオが新たに作った炎の巨人すらも、私は取り込んだ。

 今ここにある全ての魔法ほのおは、私の思い描く通りに。

 三メートル越えの巨人を形成していた炎が二体分。それが形を崩し、圧倒的な物量の炎の波となってレオを飲み込まんと押し寄せる。


「クソったれがぁああああ!!!」


 自分自身で生み出した炎に周囲を埋め尽くされ、そして迫り来る現状に怒りを剥き出しにして叫ぶレオ。

 同質量の炎で対抗しようとしたのか腕を振り上げて、けれど炎を出しても奪われると悟ったかのように苦い顔をした。


 レオから奪い取った炎を、全て差しむける。

 濁流のごとき炎が、轟々と音を立てながらレオを飲み込まんと押し寄せた。

 爆発が起きたほどの轟音が響いて、エネルギーが炸裂した。

 炎の奔流の中で何が起きているのかは窺えない。

 けれど炎に満ち満ちたその一帯は、何一つ残さず灰燼に帰すとばかりに灼熱を放っていた。


 しばらくして炎が晴れると、一帯には静寂が訪れた。

 業火の熱気と煙で視界は揺らいで、ようやくそれが収まった頃、両膝をついてしゃがみこむレオの姿が見て取れた。


 防御を張ったのか重傷ではないものの、防ぎきれなかった炎は確実に彼にダメージを与えていた。

 至る所が焼けたコート。煤汚れ赤く腫れた肌。息も絶え絶えで。

 それでも必死に私から離さないその瞳は、未だ強い意志を感じさせた。


「……アリス、お前……その力は……」

「完全ではないけど、今の私でも少しくらいは、ね。当時の記憶はまだないけれど、昔の私がどんな子だったかってことは、思い出したから」


 レオは地面に手をついて体を支えながら、歯を食いしばって私を見上げてきた。

 元々負っていたダメージに、今の攻撃を受けてレオは大分弱っていた。

 それでも強い意志の炎が灯る瞳は、まだ戦おうとする意地のようなものを感じた。


「……余計なこと、気付きやがって。でも、まぁいいさ。俺はまだ負けちゃいねぇ」

「もうやめなよ、レオ」


 息も絶え絶えに、けれど懸命に強がって立ち上がろうとするレオ。

 脚は力が入らないのか震えていて、その姿はとても弱々しく見えてしまう。

 そんなレオに、堪らずアリアが声を上げた。


「もう勝負はついたよ、レオ。あなたではアリスには勝てない。他者の魔法を掌握する力を使われたら、あなたじゃもうどうにもならないよ……!」

「知ったことか。魔法がダメなら剣でぶった斬る。それがダメなら、また別の方法だ……」

「何言ってるの! そんなよろよろで、できるわけないでしょ! もう、やめてよ……!」


 強がって鼻を鳴らし、何とか足を踏ん張るレオ。

 けれど立っているのが精一杯で、戦うことなんて到底できそうにないのは見え見えだった。


「ねぇレオ。お願いだから、もうやめて。これ以上やったら、あなたが死んじゃう……!」

「構わねぇよ。それで、目的が果たせるならな……」

「なにそれ……そこまでして、そんなにアリスを殺したいの!? 私たちの大切なアリスを、そんなに殺したいの!? ねぇレオ、あなたは一体────」

「うるせぇ!!! お前は黙ってろ!!!」


 まるで獣の雄叫びのように、レオが力任せに怒鳴り声を上げた。

 傷付き弱っている身体から出たとは思えない、腹の底から湧き上がった怒号だった。

 そのあまりの威圧に、直接放たれたアリアはもちろんのこと、私も身がすくみそうになった。


「うるせぇんだよ人の気もしらねぇで! お前らが何と言おうが俺は止まらねぇ! 俺は、俺の大切なもののためにこの魂を燃やす!!!」


 私の言葉も、アリアの言葉も、今はきっと何の意味も持たない。

 届かないことは、きっとないんだろけれど。でも今は、レオにとって意味のある言葉にはならない。

 レオは何かを胸に抱いて、もう既に苦渋の決断を終えている。

 だから話すためには、聞き出すためには、倒すしかない。


 最後の力を振り絞るように、雄叫びと共にレオが両手に双剣を構えた。

 炎の魔法は使わない。きっと持てる魔力を体を動かすことに使うつもりだ。

 動けない体を無理に動かして、私に最後の特攻を仕掛けるために。


 止めたい気持ちはアリアと同じ。

 でも言葉では止まらないから。止めるなら、力任せに止めるしかない。

 それはつまり、倒してあげるしかないということだ。


「受けて立つよ、レオ!」


 私もまた覚悟を決める。

 この戦いを終わらせるために、レオを止めるために必要なことを考える。

 彼がどうしてこんな強行に及ぼうとしたのか。

 必ずそれには訳があって、それこそがレオを縛っていることだ。

 それから彼を解き放つために、私ができることは────


「アリス……!!!」

「レオ!!!」


 同時に飛び込んだ。

 お互いに、持てる力全てを突き進むことにつぎ込んで。

 だからきっと、仕掛けるのはたった一撃のみ。

 一瞬でも早く、自らの刃を届けた方が勝つ。


 私にできること。私にだからできること。私にしかできないこと。

 大丈夫。きっとできる。私になら、レオを解き放つことが。

 ただ心のままに、思うままに、私がすべきと思ったことを……!


 勝負は、一瞬でついた。

 ただひたすらに一直線に飛び込んだ私たち。

 一撃、どちらかが相手に打ち込めばそれで終わり。

 それ以上の力なんて、お互いに残さず飛び込んだのだから。

 一撃に、全身全霊を込めたのだから。


「…………アリス、俺にはやっぱり────」


 勝負を決した静寂の中、レオの声だけが静かに響いた。


「お前のこと、殺せねぇわ…………」


 その胸に『真理のつるぎ』を受け止めて、レオは膝から崩れ落ちた。

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