53 魔女の甘言

「ご機嫌麗しゅう。こうして直接お目にかかるのは初めてでしょうか。クロアと申します。どうぞお見知り置きを」

「ワルプルギスの魔女か……! 何の用だ! わざわざ自分から殺されに来たってか!?」


 ドレスのスカートを持ち上げ優雅なお辞儀をするクロアに対し、レオはその手に赤い双剣を握って吠えた。

 傍に立つアリアもまた、緊迫した面持ちで身構える。

 しかしクロアはそれを物ともせず和やかに微笑んだ。


「私は争いに来たのではございません。お話ができればと」

「話? レジスタンスのあなたが、魔女狩りの私たちに何の話があるって言うの?」


 忌々しいと言わんばかりの吐き捨てるようなアリアの言葉にもクロアは動じない。

 ニッコリと笑みを向けてから、レオに向けてまっすぐ目を向けた。


「姫様のことについて、あなた様にお願いに上がりました」

「頼みだと? 何を企んでいやがる」

「企むなど何も。わたくしはただ、純粋に姫様のことを思えばこそ、あなた様に委ねたいと申しているのです」


 レオはクロアに向けて剣の鋒を向けたまま、訝しげに眉をひそめた。

 ワルプルギスは姫君アリスの身柄を欲しているはず。そんな彼女が、どうして敵対している自分たちにアリスの行く末を委ねようとしているのか。それが全く理解できなかった。


「何のつもりかしらねぇが、俺は今アイツのことを殺そうと思ってるとこだ。それでもそんな訳のわかんねぇことを言いやがるのか?」

「ええ。先ほどのやり取りは拝見させて頂きましたので、存じております。それを踏まえた上でのお願いでございます」

「あなた、一体なんのつもり……!?」


 アリアが一歩踏み出して声をあげた。

 レオがアリスを殺そうとしていることすら受け入れられない状況下で、対立しているはずのワルプルギスまでもがそれを促してくる。

 理解の追いつかない状況に、アリアは戸惑いを隠し切れなかった。


 しかしクロアはアリアに対し緩やかな笑みを向けるだけで、問いかけに返答することはなかった。

 飽くまで用があるのはレオに対してとでも言うように、彼の目を見据える。


「わたくしは、かつて姫様と親交の深くていらしゃったあなた様に戦って頂きたいのです。そのための状況はわたくしが整えさせて頂きますので、どうかお力添えを」

「ふざけてんのか。何で魔女狩りの俺がお前の手助けしなきゃなんねぇんだよ」

「ですが、あなた様にとっては良い条件をご提供できるかと」

「なんだと?」

「ロード・スクルド様はわたくしが足をお止め致します。あなた様はその間に、気兼ねなく姫様と対峙して頂ければと思います」

「なっ…………!」


 クロアの思わぬ言葉に、レオは目を見開いた。

 ロード・スクルドの名がこの場で出てくるとは思いもしなかったからだ。

 レオにとって一番の懸念事項であるロード・スクルドの介入を本当に阻めるのだとしたら、確かにそれは好条件だ。


「……お前に、本当にそんなことができるってのか」

「ちょっとレオ……!」


 おずおずと尋ねるレオに、アリアが詰め寄った。

 魔法使いとして、魔女狩りとして魔女の甘言に惑わされるなどあってはいけない。

 しかしレオはアリアには目もくれず、クロアをまじまじと見つめた。


「はい。既にロード・スクルド様とは別のお約束をしておりますので、あの方はそちらに気が向いておられるかと。あの方の目がなければ、あなた様も思う存分目的を果たせることでしょう。いかかです? とても良いお話かと思いますが……」


 にっこりと、しかしねっとりとした絡みつくような笑みを浮かべるクロアに、レオは思案を巡らせた。

 この魔女の思惑は計り知れないが、現状最も目的を果たしやすいのは、クロアの提案に乗ることだ。

 今は手段よりも目的を優先するべきだと、レオは静かに頷いた。


「わかったよ。その話に乗ってやる」

「レオ!? あなた何を言って────」

「俺はアリスをぶっ殺すぜ? それでも良いんだな?」

「ええ。あなた様のお好きなように……」


 にっこりと優しい笑みを浮かべて頷くクロア。その後に、できるのならば、と続く呟きは誰にも届かなかった。

 穏和な態度で余裕を構えるクロアに、レオは小さく舌打ちをした。気にくわないが、今は策に乗る他ないと。


「話は終いだな。俺は行く」

「待ちなさいレオ! あなた自分が何をしているのかわかってるの!? 私は────」

「黙ってろ!!!」


 背を向けるレオにアリアが縋り付くように食らいついた。

 その腕を固く握り、怒りと不安を織り交ぜながら叫ぶ。

 しかし腹の底から唸りを上げたレオの怒声に、思わずその手を放して一歩足を引いてしまった。


「言っただろ。俺はアリスとの約束を果たすんだ。お前の出る幕はねぇ。すっこんでろ!」

「いやだ……嫌だよ私そんなの……! ねぇレオ、私は────」


 アリアは泣きそうになるのを必死で堪えながら手を伸ばす。

 しかしその手も言葉も届くことなく、レオはアリアに視線を向けずに足を踏み出した。

 止めないといけないとわかっているのに、その背中を追うことが怖くなってしまった。

 レオがあそこまで頑なに意思を貫くのには必ず訳がある。その気持ちを汲んでやりたい自分と、彼の行動を許せない自分がぶつかり合って、足を止めてしまった。


「姫様はわたくしがお連れいたしますので、どうかその時までお待ちを。あの公園がよろしいでしょうかね」

「………………」


 丁寧な物言いのクロアに言葉を返すことなく、レオは路地の夜闇に紛れてしまった。

 アリアにはもう一瞥もくれることなく、その背中にどこか寂しさを背負いながら、レオは姿を消してしまった。

 アリアは手を伸ばすことも、背を追うこともできず、ただ呆然と見送ることしかできなかった。


「レオ、どうして……」


 何故アリスを殺さなければならないのか。

 アリスと交わした約束とは、一体なんなのか。

 それは果たして本当に、魔女に手を貸してまで果たさなければいけないことなのか。


 答えは得られないまま、レオの姿は手からこぼれてしまった。

 アリスにレオを頼まれたのに、結局その気持ちに寄り添うことも、わかり合うこともできなかった。

 自分の非力さと、どうしようもない無念さに、アリアは力なくその場に崩折れた。

 そんな彼女をまるで労わるかのように、クロアが正面に回り込み、視線を合わせるかのように屈んだ。


「そう気を落とさないでくださいな。あなた様にとっても、これは悪いことではございませんよ」

「……なんの、つもり……!? あなたが余計なことを持ち込まなければ……!」

「まぁまぁそれは言いがかりでございます。彼はわたくしの提案がなくとも、目的のために行動を起こしたでしょう。寧ろわたくしは、無益なことが起こらぬようにしたのです」


 項垂れつつも振り絞るように声を上げるアリアに、クロアは宥めるように言った。

 今にも飛びかかりそうなアリアに、クロアはまるで子供をあやすような笑みを向ける。


「どういう意味……?」

「無闇に暴れたところで、誰も得など致しません。ですのでわたくしが場を整えると申したのです。心配せずとも、彼では姫様を殺めることはできないでしょう。しかしそれでいいのです。わたくしが求めるのは、姫様の成長なのですから」

「アリスの、成長……? 二人が戦うことが、どうしてそんな……」

「姫様の封印を解く鍵は、今我らの手の内にございます。しかしただ徒らに解いてしまっては、姫様の御心に負荷がかかってしまいます。ですので、旧友と相対すことで自身が何者であるかを知り、そしてその覚悟を持って頂こうと思っているのですよ。そうすれば、覚醒はもう目の前でございます」

「…………!」


 アリアは言葉にならない驚きを上げ、目を見開いた。

 まじまじとクロアの顔を見つめれば、愉快そうに微笑みを返してくる。

 それはつまり、アリスがかつてを取り戻す準備が、着々と進められているということだ。

 それが例え魔女の手によるものだとしても、アリスが彼女のよく知るアリスに戻るということに変わりはない。

 ずっと追い求めてきた、夢見てきたものだ。


「姫様の覚醒はあなたも望まれるところでしょう。これはそのための準備なのです。ですので、どうかわたくしと一緒にお二人を見守ろうではありませんか」

「……本当に、アリスが帰ってくるの……?」

「ええ、決して遠くない未来に。誰も損は致しません。わたくしも、あなた様方も、そして姫様も」


 クロアはそっと手を伸ばし、優しく包み込むようにアリアの手を握った。

 普段のアリアならば嫌悪感で払いのけるだろうが、彼女は今アリスのことで頭がいっぱいになっていた。

 親友同士が剣を交え争うことは、身が引き裂かれそうになるほど苦しいこと。

 しかしそれが意味のある結果を生むのであれば。どちらを失うこともなく、全てが丸く収まるとしたら。


 そんなうまい話があるのかと、疑う気持ちがないわけではなかった。

 二人が争い傷つけ合い、万が一にもどちらかを失うことになったらという恐れもあった。

 しかし、ずっと焦がれてきたアリスの覚醒が目の前にあると言われると、どうしてもそこに意識がいってしまう。


 あの愛おしい当時のアリス。その記憶を取り戻してくれるのならと、思ってしまう自分がいた。

 正しいことではないと思いつつも、魔女に加担することに抵抗を感じつつも、それでもアリスが帰ってくるならと。


「…………わかった。手順は任せる。けれど、二人の戦いの場には、私も必ず……」

「承知しておりますとも。どうぞ、お見守りくださいな」


 何に変えても、あの頃のアリスを取り戻したい。

 アリアの強い思いが、一つの決心を生んだ。

 魔法使いとして、魔女狩りとして正しい判断とは決して言えない。

 しかしこの場においては、彼女はその立場など関係なく、一人のアリスの友人だった。


 夜の暗がりに紛れ、闇を抱く魔女の手によって舞台は整えられてゆく。




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