23 対等な友達

「氷室さん、教えて。その時の私たちのことを」


 しばらくしてから私の方から切り出した。

 抱きしめていた腕を解いて、肩を支えて上体を起こしてあげる。

 氷室さんは少し恥ずかしいのか俯き気味になって、前髪で僅かに目元を隠した。

 けれどその隙間から私のことを伺い見て、静かに頷いた。


「花園さんがあちらに行ってしまったのは、七年前の冬。ちょうど今くらいの頃」

「七年前……」


 帰ってきたのが五年前の夏だから、ざっくり見ても一年半くらい私は向こうにいたんだ。

 つまりその間、こっちの世界にはいなかった。

 それこそが空白の期間。けれどその周囲のことを思い起こしても、やっぱり別段違和感を覚えない。


「その少し前に、私たちは出会った。雪が降る日の夜、あなたが私を見つけてくれた」

「見つけた……?」


 氷室さんは穏やかに頷いた。

 クールに固められたポーカーフェイスで。

 そんな氷室さんを見た瞬間だった。


「あれ?」


 さっき治ったはずの涙が突然溢れてきた。

 ざわざわと心が波立って、込み上げてくる寂しさと悲しみが私を埋め尽くす。

 その話を聞いてはいけないと、聞きたくないという気持ちが何故だか溢れてくる。


「花園さん……?」

「あれ? なんでだろ……おかしいなぁ。ごめん、大丈夫だから」


 私は慌てて袖で涙を拭って誤魔化すように微笑んだ。

 それでも涙が溢れてきて、私はそれを流すまいと必死に堪えた。

 手が震える。ダメだと、嫌だと、震えている。


 僅かに眉を寄せて心配そうに私を見つめる氷室さん。

 私は大丈夫だよ笑顔を向けて、その先を促す。

 氷室さんはおずおずと頷いて、私の手をそっと握ってくれた。

 ひんやりとした優しい手。でも今はそれが、少しだけ嫌だった。


「……その時から、花園さんは私を友達と呼んでくれた。そこには、雨宮さんや守谷くんもいた」

「晴香も……創までその頃から氷室さんのことを知っていたの?」

「ええ。けれど彼は、花園さんが帰ってきた時に周囲に行われた記憶の改竄を受けて、覚えていないと思うけれど」


 この世界にいなかった約一年半のことを私自身が知らないのと同時に、お母さんを始めとする周囲の人たちもそれを知らない。

 私の空白の期間に差し込まれた偽物の記憶と共通する改竄を、周囲の人たちもまた受けていたんだ。


 あの一年半の記憶が偽物だったなんて、そう考えると身の毛がよだつ。

 あの思い出が、人に作られた存在しないものだったなんて。

 それはとんでもなく悲しいことだけれど、今は本当にあったことに目を向けないと。


「……花園さんたちは、私と一緒にいてくれた。一緒、に遊んでくれた。私は嬉しかった。けれど、私があなたと出会ってしまったことで、結果としてあなたをこの運命に、引きずり込んでしまった…………」

「どういうこと……?」

「私はその時、既に魔女だった。これまでこちらの世界で平穏な生活を送っていたあなたに、私の持つ魔力が呼応して、眠っていた力が頭を見せた」


 こちらの世界で普通に過ごしていれば、魔法とは無縁の生活だ。

 だから私の中に生まれた頃からいたというドルミーレによる力も、何も起こらなかった。

 でも魔女である氷室さんと出会ったことで、魔法の存在を近くに感じて、何かが花開いてしまったってこと……?


「今まで静かに眠っていた力がその存在の気配を見せたことで、あちらの魔女が、ワルプルギスの魔女がそれに気付いて、あなたを迎えにきた」

「ワルプルギスの魔女が……」


 以前レイくんが言っていた、はじめは魔女の姫君だったというのは、そういうことなのかな。

 七年前の時点で迎えにきたのは、ワルプルギスの魔女だった。

 私は最初、魔女サイドによって向こうの世界に誘われたんだ。


「けれどあなたは、はじめ付いて行こうとはしなかった。だから彼女たちは……私を人質にして、あなたをいざなった」

「え……」

「あなたは、私を助けるためにワルプルギスと共にあちらの世界へと足を踏み入れた」


 氷室さんは申し訳なさそうに俯いた。

 別に氷室さんが悪いことではないのに。でも原因を作ってしまったことを悔やんでいるように見えた。


「ワルプルギスの望み通り花園さんがあちらへと渡ったことで、私は一人こちらに送り戻された。だから、花園さんが向こうでどう過ごしていたのかは、わからない。けれど、一人戻ってきた私のことを、雨宮さんはきっと快く思っては、いなかった……」

「そんなこと……」


 私が否定しようとしたけれど、氷室さんは首を横に振った。

 弱々しく縮こまるその肩に手を伸ばそうとして、けれどその時また心が大きくうねってそれができなかった。


 これは一体何? 私の気持ち?

 私自身の心が感じているようで、でもそれとは違う、内側のどこか違う場所からくる気持ち。

 もしかしてこれは、私の心の中にいる別の心の気持ち……?

 もしかして晴香が、何かを嫌がっているの?


「それから私たちは疎遠になった。高校で再会するまでは、全く会わなかった。あなたがその一年半後に戻ってきたのは知っていたけれど、私にはあなたに会う勇気がなかった……」

「そう、だったんだ……」


 氷室さんにはどうしようもない罪の意識があったんだ。

 私を運命に引きずり込んでしまったと。あちらの世界に行かせてしまったと。

 だから自分から距離をとっていた。私が忘れていることも、都合がいいとすら思ってしまったんだ。

 でもそれでも、私のことを想ってくれているからこそ、私たちはこうして再会して、守ってくれているわけで。

 その気持ちこそが嬉しいから、私は氷室さんを責める気には全くならなかった。


「自分を責めないで、氷室さん。氷室さんは何も悪くないよ。全部私の中にいるドルミーレが原因で、それを求めてるあっちの人たちのせいなんだから」

「でも、私が、いなければ……」

「氷室さんがいなかったら、今の私はここにいないよ。氷室さんは昔も今も私の大切な友達。いないなんて、考えられないよ」


 溢れ返る感情で心が掻き乱されながらも、私は氷室さんに笑いかけた。

 忘れていた過去を聞かされた衝撃と、それとは違う別の所から湧き上がってくる悲鳴のような感情。

 それを強い意志で飲み込んで、私は笑いかけた。


「話してくれてありがとう。氷室さんにとっても、辛いことだったよね」

「私は……そんなこと……」

「その話を聞いても、私は氷室さんを責める気にはならないし、多分その時の私も同じだったと思う。晴香たちとは……行き違いや思い違いがあったと思うけれど、でも氷室さんのことを憎んだりはしてなかったはずだよ」


 それはやっぱり、私の都合のいい解釈に過ぎないのかもしれない。

 晴香のあの最期の言葉を思い出せば、何か思うところはあったのかもしれない。

 でも再会してから一緒に守ることを約束し合っていたんだから、嫌いだったわけじゃないはずだ。


「辛かったよね、ずっと。自分のせいだって思って、でも当の私は忘れてて。どうしていいかわからなかったよね」

「私は、あなたといられれば、それでよかった。あなたを支えることができれば、それで。私の罪は、あなたに尽くすことで償おうと、そう思ってたから……」


 氷室さんは弱々しく唇を噛んで言う。

 私はそんな氷室さんの手を強く握った。


「罪なんてない。だからそれを償う必要だってないんだよ。だから氷室さんは、それを理由に無理をしないでほしい」

「無理では、ない。それがなくても、私はあなたと一緒にいたい。あなたを守りたい。だって、友達だから……」

「ありがとう。だったらこれはもうおしまいにしよう。私たちは対等な友達だよ」


 握った手を胸の高さまで持ち上げて、私はにっこりと笑いかけた。

 それを受けて氷室さんも、控えめに、けれど確かに頷いた。


 未だ心の中の悲鳴のようなざわつきは治らない。

 この気持ちが何なのかはわからないけれど、きっと良くないことがあるんだろうということはわかる。

 けれど、今はこの氷室さんの気持ちが一番大事だから。


 罪の意識を感じて、またそれを打ち明けられなかった苦しみを抱えていた氷室さんの気持ちが。

 だから今は、はいい。


 氷室さんは弱々しく控えめに口元を緩めて微笑んだ。

 滅多に見せないその優しくほんのりとした笑みが、氷室さんの心で凍り付いていたものが溶けたことを示しているように思えた。


「もし他にも何か言いたいけど言えなかったことがあったら聞くよ? 無理して溜め込んだりしないでほしいな」

「…………」


 私が促すと、氷室さんは控えめな笑みのまま少し考えるように視線を僅かに彷徨わせた。

 そして意を決したようにその瞳を私にまっすぐ向けてきた。


「花園さん……実は、私────────」

「何か楽しそうな話してんじゃねぇか。俺も混ぜてくれよ」


 ゆっくりと静かに氷室さんが口を開いた時だった。

 重く棘のあるドスの効いた声がそれを遮った。

 私たちが慌ててその声がした方を見てみれば、そこには見覚えのある男の人が一人。


「久しぶりっつーかまぁ、この間ぶりだなアリス。今度はちゃんと俺のこと、覚えてたか?」


 黒いコートに身を包み、燃えるような赤毛の長髪をダルそうに垂らす長身の男。

 無気力そうな風体ながらも、その内側には猛々しい獅子の如き威圧を持っていた。


Dディー8エイト…………」


 魔女狩りである彼は、ふぅーとタバコの煙を吐き出しながら、私を見つめてニヤリと笑った。

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