21 痛い
晴香の手のひらは、何だかとても熱かった。
お風呂に入ったばかりで熱を持っているのとは少し違う。
高熱にうなされているのとも少し違う。
なんだが、内側から込み上げてくるような熱さが、そこにはあった。
晴香は笑う。笑えないはずなのに、笑う。
きっと私が酷い顔をしているからだ。
本当は、自分がもう時期死んでしまうという恐怖に駆られているはずなのに。
嫌だと、泣き叫びたかった。
死んでほしくない。晴香にいなくなってほしくない。
どうしてそんなことをしたのって責め立てたかった。
私を守るために晴香が命をかける必要なんてなかったのにって。
でもそれは、全部私の心をすっきりさせるための言葉に過ぎないんだ。
私が言いたいだけ。私の感情で、私の苦しみを喚き散らすだけ。
晴香はそんなこと、全部わかった上でやったんだから。
私がそんなわがままをぶつけるのは、晴香の気持ちを踏みにじる行為だ。
「魔女になったら、『魔女ウィルス』に感染したら、いつか死んでしまうってことはわかってた。それが怖くなかったわけじゃないし、今だって怖いよ。けどね、アリス。それよりも私は、アリスが傷つく方がよっぽど怖かった」
「でも、晴香じゃなくても、他の誰かだって良かったかもしれない……」
「そんなことないよ。いつだって一緒で、誰よりもアリスの側に居られる人は、幼馴染で大親友の私くらいでしょ? まぁ、創は別としてね」
ニッと歯を出して、わざとおどけて笑う晴香。
ロード・ホーリーが提示した条件に合う人は、晴香しかいなかった。
晴香しか、その役目を担う人がいなかった。
例えそうだったとしても、私は……
「じゃあ、鍵は晴香が持っているの……?」
泣き喚きたい気持ちを必死で堪えて、私は話題を変えた。
このままだと話が先に進まないから。
堂々巡りになってしまう。覆らない現実に私が文句を言い連ねても何も起こらない。
今は、晴香の話を聞いてあげることが先決だから。
「うん、持ってる。けどね、私の意思ではいって渡してあげられる状態じゃないんだ」
「どういうこと?」
「アリスの魔法を解くための鍵っていうのは普通のキーみたいな『物』じゃなくて、それそのものもまた一つの魔法なの。だから鍵はその形を崩して、私の身体の中に封じ込まれているの」
「…………!」
鍵が、晴香の身体の中に?
どんな理屈なのかはいまいち理解できなかったけれど、とにかく物として持っているわけじゃなくて、晴香の中に魔法として溶け込んでいる、ということなのかな?
「その取り出し方はわからないの?」
「わかってるよ。鍵を私の身体から解き放つ方法は一つだけある。それは、私が死ぬこと」
「……! まさか、私に鍵を渡すために死ぬつもりなんじゃ……!」
「違うよ。違う。確かに鍵を解き放つためには私は死ななくちゃいけないけれど、そのために死のうとしてるわけじゃないよ」
思わず顔を近づけて問い詰めてしまった私を、晴香は困った顔で微笑んで制した。
私に覆い被さられたまま、下から優しく見上げてくる。
「私がもう直ぐ死ぬのは、単純に『魔女ウィルス』の侵食っていう自然な理由。でも、私の身体に鍵を封じ込めておくってことは、そういうことだった」
「どういうこと?」
「『魔女ウィルス』に蝕まれて私はいつか死ぬ。その時まで鍵を守り、その時こそアリスに鍵を渡す。そこまでが私の役目だった」
「それじゃあ……」
私は上体を起こして、晴香を跨いだまま見下ろした。
「それじゃあ、晴香は最初から直ぐ死んじゃうってわかってたみたいじゃん……」
「そうだね。『魔女ウィルス』の侵攻速度は人によって違うから、何十年も生きる人もいれば数日で死んでしまう人もいるみたい。私は自然に感染したわけじゃなくて、強引な感染だった。元々の適合率は低いかもしれないから早く死ぬかもとは、言われたよ」
「────────!!!」
頭が真っ白になって、気がつけば私は晴香の頰を手のひらで思いっきり打っていた。
パンと軽い音が響いて、晴香の白い頰に赤い跡がついた。
「痛い……痛い、よ」
頰を打たれて横を向いたまま、晴香は捻り出すように言った。
髪で隠れた目元から溢れた涙が頰を伝っているのが見えた。
堪え切れていない嗚咽が、涙と一緒に溢れた。
「────ごめん、あの、私……!」
その姿を見て私は我に帰った。
慌てて上体を倒して晴香に顔を近づける。
今私自身が打って赤くなった頰に手を触れると、晴香は手を握るように重ねてきた。
「痛いの。身体中が、ずっと。内側から食い荒らされるみたいに……痛くて、仕方ないの。何日か前からずっとこうで。魔力を駆け巡らせて何とか痛みを抑え込もうとしても、どうしても我慢できない時が、ある。アリス……痛いよ……苦しい、よぉ……」
それは私が見た初めての泣き顔だった。
私が聞いた初めての泣き言だった。
いつもニコニコと明るく笑っていて、どんな時も気丈に振る舞ってきた晴香。
そんな晴香が堪え切れないほど、『魔女ウィルス』に食い潰されるということは苦しいことなんだ。
その痛みにずっと耐えていたんだ。
ギリギリまで私に気づかれないように。
一人でずっと、耐えてきたんだ。
「ごめんね。ごめんね晴香。本当にごめんね」
私は、そんな晴香をただ力強く抱きしめてあげることしかできなかった。
晴香は、私の腕の中で声を上げて泣いた。
その声は、晴香が泣いているという現実は私の心を引き裂かんばかりだった。
けれど、それは私が受け止めてあげなきゃいけないことだから。
だから私は強く、強く強く、抱きしめた。
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