幕間 交差する思惑
1 封印の魔法使い
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「なんとまぁ。こいつはどうしたもんかね」
アリスたちが戦いを終えた空き地から少し距離を置いた空の上に、一人の男が寝転んでいた。
何もないはずの空中で、まるでそこに見えない足場でもあるかのように肘をついて寝転んでいる男。
ロード・ケイン。
魔女狩りを統べる四人の
白いローブを緩やかに着崩し、長めの小洒落た髪と悪戯っぽく伸ばしている髭は壮年の色気を匂わせている。
普段からニヤニヤと、人が良さそうな緩やかな笑みを浮かべているケイン。
しかし笑みの中でもその目だけは鋭く、その場を立ち去っていくアリスの背中を追っていた。
「報告と大分違うじゃないか。以前のお姫様ですらあそこまでの力を出しちゃいなかった。これは、やっぱり事情が変わってくるなぁ」
面倒臭そう頭を掻きながら一人で呟くケイン。
ロード・ケインという男は、
しかし生来のその不真面目さ、遊び人気質は中年と呼ばれる歳になっても変わることはない。
彼は人当たりがよくお調子者で、人の懐に入ることは得意だが、他人から尊敬を集める人物かというと難しい。
人の上に立ちながら、ロード・ケインという男はあまりにもしっかりしていないように見える。
だが彼は歴とした
そしてそれを疑う者は誰一人としていはしない。
「これは待ったをかけておいて正解だったかな。デュークスのやりたいようにやらせていたら、困ったことになっていたかもわからないしね。だからといって、スクルドくんに出ばられても困ってたけどさ」
誰に言うでもなく、一人で何の気なしに呟くケイン。
そしてよっこらしょと重い腰を上げて立ち上がった。
「これはオジサン、頑張らなくっちゃかなぁ」
ケインの目は真っ直ぐにアリスを捉えている。
『まほうつかいの国』の姫君。『始まりの力』を抱く全ての祖。
魔女になったからといって討ち果たすには、あまりにもその存在は尊い。
魔女狩りとして全ての魔女は等しく打ち滅ぼすべきではあるが、
例え魔女の掃討にその力を使わないにしても、花園 アリスがその内に秘めている『始まりの力』は、魔法使いにとってあまりにも掛け替えのないものだ。
ロード・デュークスがケインに語った『ジャバウォック計画』。
確かにそれが成就すれば、姫君の力なくしてもことを成すことはできるだろう。
しかしだからといって、姫君をみすみす殺してしまうわけにはいかない。
既に事態はその先へ進んでいる。
かつてアリスが『まほうつかいの国』でその力を振るった時よりも、更に深いものをケインは目にしてしまった。
あれは始祖の力の一端だ。それが偶発的なものであったとしても、あれがただの零れ落ちた力のカケラだったとしても、それが現れたということに意味がある。
今すぐ国に連れ帰ることが得策かはケインにもまだ判断がつかなかった。
あれほどの力を扱える可能性があり、しかしそれを彼女自身が制御できていないとなれば、場合によっては最悪の事態に繋がる可能性もある。
しかしだからといって野放しにしていくことが良いとも言い難い。
既にワルプルギスはアリスに接触し、手中に収めようと画策している。
魔女にその身が渡ることは避けなければならない。
「僕、荒事には向いてないんだけどなぁ。でもまぁ、文句言っても仕方ないか」
仮にも
並みの魔法使い、魔女狩りとは一線を画する実力の持ち主だ。
引いてはならない時はある。言い訳をしてはならない時がある。
やれやれと重い溜息をついてから、遠く夜の道を歩くアリスに向けて手を伸ばした、その時だった。
「────おっと」
一瞬鋭い眼光が彼の目を射抜いた。そう、感じた。
遠い空の上からかけようとしていた魔法は、その刹那の眼光に阻まれた。
それが一体何者なのか。ケインが身を乗り出した、その時。
「させるかよ!」
目の前を覆い尽くす程の業火と共に、二つの剣が煌めいた。
ケインは少し頭を引いてその二振りをかわした。
容赦なく頭を狙って振るわれた二つの剣が
身を焦がすような業火と躊躇いのない太刀筋にケインは口笛を吹く。
危機を感じはしなかったが、その姿勢には感心した。
しかしその余裕の態度に相手は苛立ちを隠さずに大きな舌打ちをした。
「びっくりするじゃないか
その両手に燃え上がる双剣を構えた長い赤髪の魔法使い、D8ことレオに、ケインは微笑みかけながら言った。
対するレオは容易く自分の奇襲をかわされたことに苛立ちを覚えながらも、しかし冷静にケインを睨んでいた。
「おいおいそう睨むなよ、怖いだろう? 僕と君の仲じゃないか。仲良くしようよ」
「ロード・ケイン。今、何しようとしたんスか」
ニコニコと気楽に話しかけるケインに、レオは張り詰めた顔で尋ねた。
構えは崩さない。いつでも切り込める体勢で、絶えずケインを睨む。
「何って、なんの話?」
「とぼけないでくれよ。今、アリスに何をしようとしたのかって聞いてんスよ……!」
世間話でもするように、あくまで気楽な態度を続けるケインにレオは苛立ちを隠さずに声を荒げた。
「あぁー……うんっとねぇ……」
猛る獅子の如く唸りを上げるレオに、苦い顔をしてケインは頭を掻いた。
荒事は嫌いだしピリピリしたものも嫌いなのがケインという男。
とにかくこのケインという人間は緩くのらりくらりと生きていたいのだ。
「なんて言うかさぁ。このまま事態が大きくなっても困るじゃない? 死なれても困るし敵にとられても困るし、だからといって連れて帰るのももう簡単じゃない。力を取り戻して欲しいのは山々なんだけど、こっちの預かり知らぬところでされてもそれはそれで困るしさ。だから取り敢えず、封印しとこうかなってさ」
言い切るか切らないうちに、再びレオの双剣が振るわれた。
危ないなぁとボヤきながら、けれど余裕の面持ちでそれをかわすケイン。
「待った待った。しようと思ったけどできなかったんだよ。誰かに邪魔された。それが誰かちょっと気になったんだけど……まぁいいや」
「どっちにしたって、アリスを封印しようとしたことには変わりないじゃねぇっスか。ロード・ケイン。アンタの封印は洒落になんねぇ」
「そう言われてもなぁ」
語気を荒立てるレオにケインは肩をすくめた。
ケインは空間魔法を主とし、また封印などの隔離や制限を課する魔法を得意とする魔法使いだ。
単純にその身を縛りつけることや行動を制限するような、物理的な束縛には収まらない。
彼の封印は世界からの隔離。絶対的不干渉。外界との隔絶。
一度彼の封印にかかれば、人はおろかあらゆる物質、あらゆる手段、あらゆる概念を用いても彼本人以外は干渉、認知ができなくなる。
対象が生物ならば、それはある種の死に匹敵する。世界から隔絶されるということは、この世からいなくなることとそう変わらないからだ。
「アリスの記憶と力を封じたのも、アンタじゃないかって噂もなくはないんスよ」
「おいおい勘弁してよ。あれは彼女の────フラワーちゃんの仕業じゃないの?」
「それも、結局は噂だ」
まぁね、とケインは肩をすくめるしかなかった。
姫君の力を封じ込め、そして国から拐かした者が何者なのかは誰も知らない。
少なくとも、姫君を祭り上げていた彼ら魔法使いたちは。
しかし姫君ほどの強力な力の持ち主を封じ込めたとすれば、それは相当の強力な魔法の使い手ということになる。
必然的に、
しかしそのどの噂にも根拠などない。
「アリスには、手を出させねぇ」
「直属ではないとはいえ、僕は一応君の上司なんだけどなぁ……」
轟々と炎をまとい、殺意を漲らせるレオにケインは溜息をついた。
「それに君は魔女狩りだろう。立場ってものを考えた方がいいんじゃないの? まぁ、僕には言われたくないだろうけど」
「関係ねぇよ。アリスを守るのが、俺の役目だ……!」
「あぁ……そう言えば君は、お姫様と仲が良かったもんね……」
ケインは伏し目がちにそう呟くと、今にも飛びかかってきそうなレオに弱々しく微笑んだ。
まるで同情するような、何かを憂いた目だった。
「男の相手をする趣味はないんだけどね。仕方ない。ちょっとだけ付き合ってあげよう」
ケインがそう言った瞬間、レオの視界から彼は消えていた。
そして瞬きも許さないほんの僅な間に、ケインは背後からレオの頭を人差し指でちょんと小突いた。
その瞬間レオの全身の力が抜け、だらりと下ろした手からは双剣が抜け落ち、それは炎となって消えた。
自身を支える力すらなくなったレオの体は、ケインの指先に吊らされるようにして辛うじて浮かされていた。
「まぁ若いから逸るのも仕方がないとは思うけどさ。喧嘩を売る相手を間違えちゃいけないよ、レオくん」
ケインの声色は変わらない。
相変わらずの調子の良さそうな飄々とした声だ。
「ただまぁ、その心意気は評価に値するかな。親友を守りたいというその心意気はね。だから僕一個人としてはその心意気に免じて許してあげたいとこだけど、僕にも君にも立場ってものがあるからねぇ」
レオは力の入らない体を必死で動かそうと力んだが、全く言うことを聞かなかった。
まるで体の主導権を握られたような。あるいは、体を動かすという機能に制限をかけられているように。
「まぁ安心しなよ。僕も気が変わったんだ。誰だかは知らないけれど、お姫様の側にはとんでもない輩がいるようだ。あれがいるのなら、しばらくは大変なことが起きたりはしないんじゃないかな。少なくとも、こっちの情勢を落ち着けてからでも遅くはないかもしれない。僕からの手出しはやめておくよ。今のところはね」
あの鋭い眼光に思うところでもあったのか、ケインはにこやかにそう言った。
そんなはっきりとしない物言いで簡単に思惑を変えてしまう。
とても責任のある立場の人間がとる行動とは思えなかったが、しかし彼はそういう男だ。
「ま、そういうことだから安心してよ。でもさ、一応僕も
そうケインが言った瞬間。
レオの意識が急激にぐらりと揺れた。
まるで電源を強制的に切られようとしているような、抗いようのないものだった。
意識が切れる直前、彼の名を呼ぶ女の声が聞こえたような気がした。
けれど、そんなことを気にする間も無くレオの意識はプツリと落とされた。
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