49 少年と歌姫
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少しだけ昔のお話。
『まほうつかいの国』で一番大きな街に、その国で一番大きな舞台屋がありました。
悪しき女王が悪政を敷いていた当時、人々の生きがいは娯楽でした。
その舞台屋では常に歌や踊り、芝居が行われていて人々を楽しませていたました。悪政敷かれる国の中で数少ない憩いの場所でした。
その舞台屋のオーナーの息子として、エドワードは舞台の手伝いをする日々を過ごしていました。
エドワードは魔法使いの家の生まれではなかったのです。
舞台屋の家に生まれた、普通の子供でした。
まだ幼い少年のエドワード。日夜行われる舞台上での公演の裏で、彼はせっせと働いていました。
家族で営む舞台屋です。子供でも家業を手伝うのは当たり前のことでした。
賑わう舞台屋の仕事はとても大変でした。けれどエドワードは、ちっとも苦ではありませんでした。
何故ならば、舞台裏で働く彼は、彼女の歌をいつも身近で聞くことができたからです。
国一番のその舞台屋には、この国の歌姫と称されるとても美しい女性が、いつもその歌を披露していました。
見目麗しいその美貌。宝石のように輝くエメラルドグリーンの瞳。聴く者の心を癒す鈴の音の様な綺麗な歌声。
歌姫・クリスティーンはみんなの人気者で、エドワードもまた彼女のことが大好きでした。
エドワードは彼女の歌ももちろんとっても大好きでしたが、クリスティーンのことがとにかく好きでした。
綺麗で優しく、いつも楽しく笑いかけてくれるクリスティーンのことが大好きでした。
仕事をするエドワードに、クリスティーンはいつも楽しい話を聞かせてくれました。
舞台に上がる前には頰に優しいキスをしてくれました。
そして舞台を終えた彼女を出迎えれば、優しく抱きしめてくれるのです。
国一番の舞台屋の息子のエドワードと、国一番の呼び声高い歌姫のクリスティーン。
歳も立場も全く違ったけれど、二人はとっても仲良しでした。
仕事の合間、舞台の合間、とりとめのないお話をするのが二人の楽しみでした。
「どうやったら、クリスティーンみたいにすごい人になれるの?」
エドワードが尋ねると、クリスティーンは決まって同じことを言います。
「誰だってすごいのよ。大切なのは、勇気をもって自由な世界に飛び出せるかどうかなの」
自由がどういうものなのか、エドワードにはよくわかりませんでした。
今まで特に不自由を感じたことはありません。けれど、いつもこうして家業の手伝いをしていることが自由なのかと言われれば、違う気もしました。
それを尋ねると、クリスティーンは微笑むのです。
「あなただって飛び出せるわ。人は誰だって、自由に羽ばたける可能性を持ってるの。エドワードもいつか飛び立てる日がくるよ。鳥のように大空へね────」
そんな毎日が続きました。
舞台の仕事をこなしながらクリスティーンとお喋りする日々。彼女の歌声を聴いて、彼女とお喋りをして。
それさえできればエドワードは満足でした。例えここから外の世界へ出ることがなくても、クリスティーンがいれば十分だと思うようになりました。
けれど、とある日のこと。街の至る所で火の手が上がりました。
聞いたところによると、魔女のレジスタンスが街を襲撃してきたということでした。
その時はクリスティーンの公演の真っ最中。けれど観客は、我先にと舞台を出て散り散りに逃げて行ってしまいました。
魔女狩りと魔女の戦いに巻き込まれてはたまりません。
観客が全員舞台屋を離れて、エドワードたちも逃げようとした時でした。
舞台屋にも火の手が周り、至る所がどんどんと燃え始めました。
みんなは慌てて逃げ出します。お父さんもお母さんも他の人も。とにかく慌てて逃げ出しました。
けれどエドワードはクリスティーンを必死で探しました。
舞台の上にいた彼女は、最後の観客がいなくなるまで歌い続けていた彼女は、完全にみんなにおいていかれてしまっていました。
エドワードが舞台の上で彼女を見つけて、その手を引こうとした時でした。
一人の女の人が二人に近づいてきました。
見たことのない人です。少なくともこの街の人ではないでしょう。
ローブをまとってとんがり帽子を被ったその女の人は、クリスティーンを見つけると、とても嬉しそうに笑いました。
「歌姫様、見つけた! やっぱ噂に違わぬ美貌。そのエメラルドの瞳も最高。それに声もとても綺麗なんでしょ? いいとこ尽くめだわ」
クリスティーンは、咄嗟にエドワードを背に回しました。
その女は明らかに魔女だったからです。魔法使いではない二人もはっきりとわかるほどに、その人は魔女でした。
その邪悪な微笑みは、この街を襲った魔女の一人と見てまず間違いはなかったでしょう。
「ということで、お姉さんの綺麗なトコ、全部貰わ」
「エドワードだけは助けて……!」
魔女相手に敵うはずのないことを悟ったクリスティーンは、真っ先に懇願しました。
街を襲い、建物に火を放ってきた魔女たちです。狂気に満ちた笑みを浮かべている魔女です。
この小さい命を手にかけることに、なんの躊躇いもないであろうことは察しがつきました。
「いいわよ、別に。お姉さんが大人しく殺されてくれるならね」
ことも投げに魔女は言いました。彼女はクリスティーン以外には興味がなかったのです。
その二つ返事に一抹の不安を覚えながらも、クリスティーンは頷きました。
エドワードを助けてくれるのなら、自分はどうなってもいいと。
まだ幼かったエドワードには、それを止めることはできませんでした。
恐ろしい魔女を目の前にして、ただ恐怖に震えることしかできなかったのです。
だからクリスティーンが最後にしてくれたキスにも、涙を浮かべながらの笑顔にも、彼は応えることができませんでした。
そして魔女は約束を守りました。エドワードには目もくれませんでした。
大人しくその身を差し出したクリスティーンを、躊躇いなく殺しました。
首を切り落としてからその顔の皮を剥ぎ、目玉をくり抜いて、最後に声帯を引き抜きました。
そして宝石を手に入れたかのように、それらを恍惚の表情で見つめてから大事に鞄にしまいこんで、魔女は足取り軽く立ち去って行ったのです。
エドワードはただ、その無残な亡骸にすがって泣くことしかできませんでした。
誰よりも自由で誰よりも美しく、誰よりも優しかったクリスティーン。
その翼はたった一人の身勝手な魔女の手によって折られ、踏みにじられてしまったのです。
そうしてしばらくした頃。
街での騒ぎも落ち着いた頃に、一人の魔法使いがやってきました。
白いローブをまとった、金髪の気位の高そうな中年の男でした。
彼は自らをロード・デュークスと名乗り、エドワードを弟子に迎えたいと言いました。
魔法使いの家系でもない者で、魔法の素質がある者を探していたと、そう言ったのです。
魔法使いの家系では者にとって、それは飛んで喜ぶことでした。
『まほうつかいの国』において、魔法使いであるということはそれだけで価値があることだからです。それだけで十分な地位になるからです。
けれど、目の前で最愛なるクリスティーンを失ったエドワードは、あまり興味を抱けませんでした。
クリスティーンがいなければ、他のことなどどうでも良かったのです。
そんなエドワードを見たロード・デュークスは言いました。
「私なら、その女性をまた君に会わせることができる。君にその術を教えよう。そのために君は、魔法使いになりなさい」
エドワードは頷くしかありませんでした。それ以外の選択肢はありませんでした。
クリスティーンにもう一度会うことができるのなら、彼はなんだってすると思っていました。
そうしてエドワードは、ロード・デュークスの元で魔法使いとなりました。
クリスティーンにもう一度会うために、ロード・デュークスがエドワードに教えたのは、傀儡の魔法でした。
クリスティーンの身体を魔法で丁寧に保存して、まだ新鮮な身体を傀儡の材料としたました。
痛んだ部分は代わりのもので繋ぎ合わせ、引き剥がされた顔に精巧に再現した顔を貼り付けて、空いた眼球は作り物の瞳で代えました。
そしてまだ血の気の残る心臓に魔力を通わせて、その胸は再び鼓動を取り戻したのです。
そうしてクリスティーンは再び立ち上がりました。
足りないものを補って、止まった心臓を動かして。傀儡の魔法で、まるで生きている様に動き出しました。
けれどそれだけでした。立ち上がっても動き出しても、ただそれだけでした。
傀儡の魔法があってはじめて動いているクリスティーンは、決して生き返ったわけではありません。
そこには意思も感情もなく、ただ言われるがままに動く操り人形でしかありませんでした。
クリスティーンはもう笑いません。その瞳も空虚です。代用品の声帯では、掠れた声が僅かにこぼれるだけです。
クリスティーンは、ただそこにあるだけでした。
けれどエドワードは悲しみませんでした。
例え笑わなくても、例え話すことができなくても、そこにクリスティーンがいてくれるだけで満足でした。
それが偽りのものであったとしても、ただ傍にいてくれるだけで心が安らぎました。
傀儡の魔法は支配する魔法です。対象を屈服させる力がなければ、操ることはできません。
本来死体であっても、心のある生物を傀儡にすることは不可能に近いのです。
それに死体を扱うにしても、それは本来死霊の魔法なのです。それも、ただ朽ちていくものを動かすだけの魔法。
つまり、クリスティーンに傀儡の魔法をかけられるということは、彼女がエドワードを受け入れている証でした。
意思のないただの操り人形になってしまったクリスティーンですが、その心はまだその身体に残っていました。
それは、一重にエドワードを守るためでした。
自分のせいで悲しい思いをさせてしまった少年を守りたいという想いが、彼女の心を繋ぎとめていました。
しかしクリスティーンは今や物言わぬ人形。自らの意思では動くこともできない操り人形です。
彼女にできることといえば、常にエドワードの側に居続けることだでした。
側に居続けて、どんな時も彼を守ることが、彼女にできる唯一の愛情でした。
魔女狩りを統べる、四人の君主の内の一人であるロード・デュークスに仕えたエドワードは、やがて魔女狩りとなり、D7の名を与えられました。
自分を救い、またクリスティーンと共にいさせてくれたロードの恩に報いるために。
そしてクリスティーンを死なせた魔女を滅ぼすために、エドワードは戦い続ける道を歩みました。
どんな時も、クリスティーンは側に居ました。ずっと一緒でした。どんな時も一緒でした。
危険な戦いになればなるほど、クリスティーンはエドワードの側で彼を守り続けました。
エドワードがクリスティーンを置いて戦いに行こうとすると、その時だけクリスティーンは声にならない声を上げるのでした。
クリスティーンはエドワードを守り、そして救いたかったのです。彼を縛るものから解き放ちたかったのです。
最初は家業に縛られ、そして大恩ある師への忠義と魔女狩りの使命に縛られ、そしてクリスティーンの存在に縛られるエドワード。
常に何かに縛られて、自由が何かを知らない彼を、自らの翼で大空に羽ばたかせたかったのです。
だからクリスティーンは繰り返します。壊れた声で繰り返します。
「タスケテ」と。誰かが彼を救ってくれないかと、助けを求めます。
その時が来るまで、クリスティーンはエドワードを守り続けるのです。
ずっとずっといつまでも、その気持ちが変わることはありません。
言葉を交わすことができなくても、姿形が変わったとしても、変わらぬ愛が二人を繋いでいました。
けれどお互いを想う二人の気持ちは交差して、それをわかり合うことはできなかったのです。
ずっと一緒にいたいエドワード。あらゆるものから解き放ちたいクリスティーン。その想いだけは交わりません。
それだけは、どうしようもなくすれ違ってしまうのです。何故ならそれこそが、二人の愛だから。
楽しい時も悲しい時も、エドワードとクリスティーンはいつも一緒です。
傀儡使いと操り人形。二人はそれでも良かったのです。
どんな形で合っても、お互いを想い合うことができるのだから。
それが彼らにとっての幸せの形であり、同時にどうしようもない呪縛でした。
だから最後の願いはすれ違ってしまうけれど、今この瞬間だけは誰よりも幸せな時間だと、二人は信じるのでした。
愛する二人の気持ちだけは、誰にも引き裂くことはできないのです。
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