26 笑ってくれない

 カタカタ、カタカタ。

 軽いものがひしめき合う音が部屋中に響いていた。

 木と木がぶつかり合う軽い音。


 血走った目で高笑いを上げる正くんの声と、無機質な木の音だけが図書室を満たす。


「花園。花園、花園! 俺はすごい力を手に入れたんだ。もうお前なんかが逆らえるなんて思うなよ!」


 正くんはそう言うと、腕を掴んだまま私を強引に椅子から引き摺り下ろした。

 床に崩れる私に木偶人形が群がってきて、その固い腕が私を羽交い締めにした。


「た、正くん! これは一体……!」


 この木偶人形は、昨日の夜見たものと同じだった。

 能面で無機質な、木を組み立てだけの人形。普通の原理では、到底動いて行動するようなものじゃない。

 これは紛れもなく魔法による産物なのに。どうして、正くんと一緒に。これじゃあまるで……。


「すげぇだろ花園。俺さぁ、魔法が使えるんだ。このガラクタどもはさ、俺が魔法で動かしてるんだ!」

「…………っ!」


 正くんが、魔法!? そんな、どうして。

 こっちの世界の住人である正くんが魔法使いのはずはないし、それは善子さんの存在があるから確実。

 その正くんが魔法なんて……。


「いい顔するじゃん花園。そうだよ、それでいいんだよ。俺ってすごいだろ? 敵わないだろ? ほら、もっと怖がれよ。俺に媚びろよ」


 私の驚愕の顔を見て、心底愉快そうに正くんは笑った。

 木偶人形に羽交い締めにされている私に近づいて、頰を撫でてくる。

 気持ち悪い、鳥肌が立つような触り方だった。


「俺には力がある。もう誰も俺には逆らえない。楽になれよ花園。俺の言うこと聞いてれば、楽しいぜ」


 私は正くんの目をまっすぐに見た。深く黒く濁ったその目を。

 正くんへの恐怖はもうなかった。

 彼のあの過剰な自信がこの魔法によるものだとしたら、そこに恐れを抱く必要はない。


 確かに今、私は絶対絶命。

 何体いるかもわからない、おびただしい数の木偶人形に囲まれて、羽交い締めにされて。

 この状況を一人で切り抜けるのは難しいかもしれない。

 けれど、未知の出来事じゃない。先日の異世界でのことを考えれば、まだ優しいから。


 彼がもっと実際的な実力行使に出ていた方が、まだ恐ろしかった。

 こんな力をひけらかすようなやり方は、全くもって怖くない。


「なんだよ、その目は。なんでお前は、この状況でそんな憎たらしい目ができるんだよ。怖がれよ! 畏れおののけよ! 俺に媚びろ! 許してくださいって泣き叫べよ!!!」


 正くんは力に任せて近くの木偶人形を殴りつけた。

 けれど密集した群集はそれくらいのことでは揺らがない。


「どうしてだ。ここまで力を見せつけても、どうしてお前は俺のことをそんな目で見るんだ。俺に敵わないだろ! どう考えたって、お前は俺に媚びへつらう場面だ!」

「正くん……」


 血走った目を見開いて正くんは絶叫する。

 自分は正しいと。自分こそが絶対だと。


「私は、正くんなんて怖くない」

「このっ……!」


 力任せに頰を打たれた。男の人の本気の平手打ちだった。

 頰がジンジンするし、口の中が切れた気がした。

 それでも、決して恐怖はなかった。


「正くん。あなたがどんなに力をひけらかしたって、私は絶対にあなたに従ったりなんかしないよ」

「なんだと!」


 正くんは吠える。その姿はなんだかとっても惨めだった。


「この魔法は、なんなの……?」

「うるさい! そんなことお前に関係あるかよ! これは俺の力だ! 俺の、俺だけの!」


 私を押さえつける木偶人形の力が強くなる。

 固く無機質な木に圧迫されて痛みが走る。


「俺が貰った力だ。俺だけのものだ! 俺が特別だから、アイツは俺を選んだんだ!」


 貰った力? ということはやっぱり、正くんは魔法使いじゃない……?

 どういうやり方なのかはわからないけれど、誰かから何か魔法を使える手段を貰ったということ?

 つまり、正くんはこの魔法の正統な使い手じゃないんだ。


 思えば、昨日襲ってきた木偶人形を、レイくんは稚拙だと言ってた。

 実際全部一撃で壊れてしまっていたし。

 正くんはこの木偶人形を動かすことできても、使いこなせてはいないのかもしれない。


「くそっ、くそっ、くそっ! 何でだ、どうしてだ! どうしてお前は、俺をそんな目で見るんだよ!」


 正くんの手が私の首を掴んだ。強い力が喉を締め付ける。

 私を羽交い締めにしていた木偶人形はその手を放して、私は首だけを正くんに押さえられている形になった。


「なぁ花園、どうしてだよ。どうしてお前は、俺に笑ってくれないんだよ。アイツらばっかりで、どうして俺には笑わないんだ!」

「正、くん……!」

「気にくわない。気にくわないんだよ! どうして俺がこんな気持ちにならなきゃいけないんだ! 俺はいつだって誰よりもすごくて、誰にだって求められてきたのに!」


 息が、苦しい。首の骨が痛い。

 正くんの真っ赤になった顔が、血走った目が私にまじまじと近づけられる。


「お前だけは俺に笑わない。お前を見てると胸糞悪くなるんだ! 嫌なことを思い出す。どうしてどいつもこいつも、俺の思う通りにならないんだよ!」


 どいつもこいつも……?

 正くんはなんだって思い通りにしてきたはずなのに。どうしてそんなこと。


「俺はただ、またお前が笑うところを見たかっただけなのに! それなのにお前は俺の前では笑わない!」


 正くんは何を言って……私にはわからない。

 息苦しくて、少し意識が霞んでいるような気がする。


「言え! 俺に従うって言え! 俺のものになるって言え!」


 その叫びはまるで悲鳴のようだった。

 泣き叫ぶ子供のようだった。

 その声を聞いていると、なんだかとても悲しい気分になる。


「言わ、ない、よ……」


 だから私は、振り絞って声を出した。

 この人には、はっきりと言わないといけないから。

 拒絶の言葉を。私がずっと躊躇っていた言葉を。


「私は、あなたには屈しない……」


 それを躊躇うことこそが正くんのためにならないから。


「私は、あなたのものには……ならない!」

「────なら死ねよ、お前」


 乾いた声と共に正くんは手を放し、それと入れ替わるように、沢山の木偶人形が覆いかぶさってきた。

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