22 目覚めぬ友

「真っ向からぶつかれば、やはり正当な研鑽を積んでいる魔法使いの方が、魔法の扱いは優秀だ。ただ魔女になっただけのものは、簡単に狩られてしまう。だから魔女はなるべく身を潜め、見つかっても逃げに徹するのが鉄則だよ。魔法使いの国に単身乗り込んで、お姫様を強奪してくるなんて狂気の沙汰さ」

「…………」


 ニヤニヤした笑みを向けられた氷室さんは、無言で視線を反らせた。

 そう言われると、いかに氷室さんが無謀で危険なことをしてまで私を助けてくれたのかがわかった。

 私たちが二人無事に帰って来られたのは、奇跡みたいなものなのかもしれない。


「特にこちらの魔女は、今まで魔女狩りの脅威はなかったし、戦いの経験なんてない魔女がほとんどだ。あちらには、レジスタンスのような組織があるけどね。どちらにしろ、誰にでもできることじゃない。霰ちゃんといい、透子ちゃんといい」

「と、透子ちゃんを知ってるんですか!?」


 予想しなかった名前が飛び出してきて、私は思わず叫んでしまった。

 あの夜、私を守るためにボロボロになるまで戦ってくれた透子ちゃん。あの後どうなってしまったのか。


「ああ知ってるとも。言ったじゃないか。この街の魔女は顔見知りが多いって。ちなみに、このビルにいるよ」

「本当ですか!? と、透子ちゃんは無事なんですか!?」

「うーん。あの状態を無事だというのなら、と言っておこうかな。一応生きてはいるよ」


 それは一体どいういうこと……?

 私が理解できずにいる中、夜子さんは気だるそうに立ち上がった。

 付いておいでと促されて、私と氷室さんは一つ上の階に上がった。

 さすが廃ビル。どこもボロボロで、建物として成り立っているのが不思議なくらいだった。


 けれど、その部屋だけは唯一綺麗に整っていた。

 扉からして違う。ボロボロの壁の中に収まっている綺麗な扉はとても異質に思えた。


「この中に透子ちゃんはいるよ」


 そう言うと、夜子さんは先に入っていってしまった。

 なんだか妙に怖くなってしまって、私は氷室さんの服の袖を摘んだ。

 それでも、中に入って透子ちゃんに会いたい。

 そう意を決して中に入ろうとした時、立ち止まった氷室さんに引っ張られた。


「私は、ここで待っているから」

「あ……う、うん」


 確か氷室さんは、透子ちゃんと少しだけ会っていたけど、だからといって面識があるというほどでもなかった。

 気まずいだろうし、待っていてもらったほうがいいかもしれない。

 氷室さんを放して、私は一人で部屋の中に入った。


 そこにあったのは、大きな筒状の水槽のようなもの。

 人一人が楽々収まってしまうサイズの大きな筒。

 その中には液体で満たされていて。その中には────


「透子、ちゃん────」


 静かに目を瞑る、透子ちゃんが浮かんでいた。

 綺麗な黒髪を、液体の中でふわふわと漂わせながら。まるでSF映画のように。


「夜子さん……これ、一体どういうことなんですか?」

「透子ちゃんが受けたダメージは、心体共に甚大だったみたいでね。外見は綺麗に治って見えるけれど、中身はズタボロさ。それに拷問でも受けたのか、精神的ダメージはまだ引きずっているみたいなんだ。一向に目を覚ます気配はないよ」

「そんな……!」


 私のせいだ。私なんかを守ってくれたせいで、透子ちゃんがこんな目に。


 まるで穏やかに眠っているようだった。

 けれどその中身は悲しいくらいに傷付いている。


「一応ね、私も最善を尽くしてはいるよ。同じ魔女のよしみだし、できる限り助けになれればと思う。けれど、今はこれが限界かな」

「透子ちゃんは、目を覚ますんでしょうか」

「さぁ、それは彼女次第だよ。いくら身体の傷を癒せても、心の傷だけはどうにもならない。それを乗り越えられるだけの精神力があれば、いずれは」


 私はガラスに縋って、透子ちゃんの顔の辺りに触れた。

 こんなに近くにいるのに、とても遠い。

 私を命がけで助けてくれた女の子。私に、透子ちゃんを救うことはできないの?


「透子ちゃんのことは取り敢えず私に任せなさい。さ、行こうか」


 ポンポンと肩を叩かれて、外へと促される。

 廊下では氷室さんが静かに待っていてくれて、私を見るとそっと私の手を握ってくれた。

 少しとひんやりとしたその手は、けれど今の私には温かく感じた。


 元の部屋に戻ると、夜子さんはまた同じようにどかっとソファーに腰かけた。

 ボロボロなソファーはギシギシと悲鳴を上げていたけれど、そんなことはお構いなしだった。


「私は、これからどうすればいいんでしょう」


 そう呟く私に、夜子さんは首を傾げた。

 それは本心から、何を言っているのかわからないという様子だった。


「そんなことは君が決めることだよ。他人に聞くことじゃあない」

「でも魔女になってしまって、そうじゃなくても魔法使いに狙われて。このままじゃもう、今までの生活には……」

「今まで通りでいいんじゃないの? 君がそうしたいのならさ。気に病む必要なんてないよ」

「でも、今学校に行ったりしたら、むやみに『魔女ウィルス』の感染を広げてしまうんじゃないですか?」

「あーそういうことね。それは概ね大丈夫だよ。現に、霰ちゃんは君のクラスメイトでしょ」


 確かに、言われてみればそうだった。

 氷室さんがいつから魔女なのかは知らないけれど、彼女は普通に学校に通っている。

 それはつまり、日常生活には大きな問題はないってこと?


「これはこちらの魔女の中で、凡そとしての結論ではあるんだけどね。恐らく『魔女ウィルス』は、魔法を使わなければ感染しない可能性が高いんだ。日常生活において、人前で魔法を使わなければ他人にウィルスを伝搬する可能性は低い。逆に、魔女が思いっきり魔法を使った側にいた人が、感染してしまうというケースが多々あった。これは、魔法が当たり前に存在するあちらの世界では気づけなかったことだ」

「ということは、ごく普通に、今まで通りの生活を送る分には、他人に迷惑をかけなくて済むってことですか?」

「まあ、ウィルスという観点ではそう思っていいと思うよ。もちろん確固たる証拠はないけれどね。しかしそうして、この世界では多くの魔女がごく普通の生活を送れているのだから、君も同じようにすればいい。それを望むのならね」


 私は、なんとも言えない安心感に包まれた。

 もう今までのものは全て、捨てなければいけないのかと思ってた。

 家族や友達にはもう会ってはいけないんだって。

 夜子さんのようにこうやって、ひっそりと生きていかなければいけないのかと。


「ただ、これからどうなるかだね。魔女狩りにこちらの存在が知られてしまった以上、アリスちゃんだけではなくこちらの世界の魔女全員、今までと同じ生活を送れない可能性もある。そればっかりはあちらの出方次第だ。特にアリスちゃんは、君の身柄を抑えに来る連中も退けなければならないのだからね」


 いずれにしても、争いは避けられないということなのかもしれない。

 それは私が魔女になってしまっていなくても同じこと。

 あの人たちが私のことを姫だと言って、連れ去ろうとする限り。


 未だに私がお姫様だということの意味は、さっぱりわからないけれど。

 それでもここまで執拗に言ってくるのだから、単なる勘違いってわけでもないんだろうし。

 私には私の知らない何かがあるってことなのかな。

 そんなこと、考えたこともなかった。

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