19 魔女はじめました
気がついた時、そこは冷たくて埃っぽい床の上だった。私はそこにうつ伏せに倒れている。
どれくらいの間ここで気を失っていたのか、体の節々が硬くなっていて痛かった。
物凄く疲れていて、少し動くのにも気だるさが付いて回る。
起き上がるのも億劫で、私はとりあえず、その場で寝がえりを打って仰向けになった。
天井は剥き出しの配管などが張り巡っていて、飾り気のない蛍光灯が乱雑に取り付けられてる。
まるで廃墟のように寂れた場所だった。
少なくとも、人が住むような場所ではないように思えた。
ここはどこなんだろう。
あの城からなんとか逃げ出して、真っ黒な影のような猫にパックリと飲み込まれて。
その先のことはわからない。どうやってここへ来たのかも。
「物思いに耽っているところ悪いが、とりあえずはおはよう、と言っておこうか」
「うわぁっ!」
突然頭上に現れた女の人の顔に、私は思わず叫び声をあげて飛び上がった。
女の人はひょいと頭を引くと、ニヤニヤと微笑んだ。
私は慌てて力の入らない身体を踏ん張って立ち上がって、その女の人から少し距離をとった。
とても奇妙な人だった。
見た感じは三十歳前後の女の人。けれどその顔はどこか幼さがあるように見えて、一概には判断できない。
肩よりも少し長いくらいのふわふわな茶髪で、メンズサイズなのかだぼだぼのTシャツと、だぼだぼのパンツを着ている。
本人が小柄なせいで、輪をかけてその服は大きく見える。
「ごめんごめん。驚くかなとは思ったんだけど、驚かせるつもりはなかったんだよ。ただ目は覚めたみたいだったから、お話しとかないとと思ってね」
訝しげな視線を送る私に対して、ヘラヘラと笑顔を見せるその人に悪意は感じない。
けれど、どこか怪しさはあった。そもそも不気味すぎるんだ。
こんな廃墟みたいな場所に、女の人が一人、しかも何というか……奇抜だし。
「私は
「どうして、私の名前を……」
「もちろん知ってるとも。誰が
霰ちゃん……って、氷室のこともこの人は知っている。
この人は一体何者で、どこまで知っているというの?
「氷室さんもここにいるんですか!?」
「ああいるとも。彼女は君と違って気を失わなかったからね。今はちょっとおつかいを頼んでるのさ」
そう言うと夜子さんは、近くにあったボロボロで中身が少し飛び出しているソファーにどかっと座った。
私が少し辺りを見渡してみると、やっぱりそこは廃墟と呼んでもおかしくないほどに廃れた場所だった。
床は剥き出しのコンクリートだったし、窓には板が打ち付けられている。
机や椅子などはまばらにあったけれど、それはどう見ても長い間放置されたものだった。
「あの……ここは、一体どこなんですか?」
「どこと聞かれると些か返答に困るけれど、まぁ少なくとも君がよく知る世界だよ」
「えっと……」
「あちらの世界からこちらの世界に戻ってきたのだから、十分に帰還と言えると思うけどね。まぁ、君にとってどちらの世界を自分の世界とするのかに、よると言われればそれまでか」
「ちょっと待ってください。何の話をしてるのか、私にはさっぱり。急に世界とか言われても……」
戸惑う私を見て、夜子さんは一瞬キョトンとしてから、ああと微笑んだ。
「君はあそこが別の世界だということを、まだ知らなかったのか」
「あそこ?」
「君がさっきまでいたところだよ。まぁ、もう数時間も前の話だけれど」
「それってもしかして、あの城のこと?」
「そうだよ。あの城がある場所は、この世界とは全く違うところだ。端的に言えば異世界だね」
「異世界って……」
いきなり出てきたワードがあまりにも突拍子もなさすぎて、いまいち私には理解が追いつかなかった。
けれど思い出す。あの城の塔から飛び降りた時に見た一面の光景を。城の周りを埋め尽くす見渡す限りのお花畑。
あの光景は確かにまるでお伽話のようで、この世のものとは思い難かったけれど。でもそれだけでは決めつけられない。
「異世界は存在する。こことは全く異なる法則で成り立っている、別次元の空間だ。彼らはその世界の住人であり、世界を超えて君を迎えに来ていた」
「でも異世界の人たちだったとして、なら尚更、私なんかをどうかして……」
「それは君が大切なプリンセスだからだろうね。そのくらいの話は、彼らから聞かなかったかな?」
「それは、聞きましたけど、でも……」
「ならその通りの話だよ。君は向こうの世界にある、魔法使いの国のお姫様なのさ。それだけで、君を迎えに来た理由としてはまず十分だと思うけどね」
そもそもの話、私がお姫様と言われる意味が理解できないのだから、それが異世界だろうがそうでなかろうが同じだった。
「おっと話が逸れていたね。ここがどこかという話だった。ここは君が住む、加賀見市の外れにある廃ビルだよ。君は確か加賀見高校の生徒だろう? 家からはそう遠くないと推測するけれど」
「それは……はい」
疑問が全く解消されずにモヤモヤしながらも、自分がわかる範囲にいることにホッとした。
そしてやっぱりここは廃墟だったみたい。
「それで?」
「え?」
「他に聞きたいことがありそうじゃないか。せっかくだから、私のわかることは答えてあげよう。私は優しいお姉さんだからね」
夜子さんはソファーの上で尊大に仰け反って言った。
何故かとても偉そうだったけれど、今は夜子さんしか頼る人がいないのも事実だし、聞けることは聞いたほうがいいのかもしれない。
「それじゃあまず、夜子さんは何者なんですか?」
「なんと、大事な最初の質問で私のパーソナルな情報を聞いてくるとは、これは中々。もしかして私のファンかな?」
「…………」
「冗談だよ冗談。まぁ楽しくいこうよ。お察しの通り、かはわからないけれど、私は魔女だ。お仲間同士仲良くしようよ」
「え────」
唐突に乱雑に放たれた言葉に、私は言葉を失った。
今、夜子さんはなんて言った?
「ちょっとちょっと。もしかして予想外? 話の流れ的に、大体察しがつくと思ってたんだけどなぁ。私が魔女だってことくらいは」
「いえ、あの、私が驚いたのはそっちじゃなくて……あの、お仲間同士って……」
「え、そっち? そんなのお互いに魔女だからって意味以外の、何物でもないけど」
それを聞いた瞬間、私は全身の力が抜けてしまった。
ペタンのその場にへたり込んで、身体が震えるのがわかった。
私が、魔女に……?
「おやおや大丈夫かい? そんなに驚くことじゃないだろう。君は散々魔女と関わった。『魔女ウィルス』は誰しもが感染する可能性があるんだから。そういう感染病なのだから。そういう意味では、君には十分に感染の可能性があった」
「私は、どうなるんですか……?」
「別にどうも。強いて言うなら魔法が使えるようになるよ」
「でも、『魔女ウィルス』に感染したら、死んでしまうんですよね!?」
「まぁいずれはね。でも今すぐの話じゃない。そんなに気にする必要ないよ」
「そんなこと言ったって……」
透子ちゃんや氷室さんが魔女で、それがどういうものかは頭でわかっているつもりだった。
でもそれが実際に自分の身に降りかかった時、一気にその先に見える死の恐怖が私を襲った。
『魔女ウィルス』は死のウィルス。魔女は死の病気。
それを今まさに身をもって実感した私は、身動きが取れなくなってしまった。
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