無の証明 1
肉食動物が何を食べるかなんて愚問だろう。
♢♢♢
「サトミ! コースケんとこに来てっぜ!」
「判った」
「アイツはそのまま張ってらぁ!」
現在時刻は未明。
夜も未だに明けていない時間、未明とは上手い言葉だと個人的に思っている。
大男に誘導されるようにして路地を駆ける。
そいつの身体は異様に大柄であり、相応の足音が響いてしまう。さすがに余計な会話を挟んだり、無意味に瓦礫を踏みにいって音を立てるようなマネはしていないが。
『
不要な物音は、不必要に自分の存在を周りに晒すことになりかねない。
そういう意味では、特別大柄なこの『口裂け』カイトは多少のハンデを抱えていると言える。
路地から一軒の家の廃墟に浸入し、2階へと向かう。
そこには窓の端から外を覗き見ている、コートを羽織った少年がいた。
「どうだ!?」
「う、うん。そ、そ、外を歩いてこっちに来てるよ」
『杭打ち』ことコースケが前髪に隠れた口から、ボソボソと今の状況を伝えてくれる。
その窓の反対側の端からぼくも覗くと、確かに人影が見えた。
狭い通りを遠方から歩いてくるのは、1人の中年。
あまり特徴のない服装をしている彼は、ただ一点目立った所があった。
それは、錆びた手押し車で何かを運んでいたこと。
手押し車の中には、サイズも色もバラバラな袋が幾つも押し込められている。
中身がそれなりに重いのか、歩く速度は非常に緩慢だ。
「サトミ、あれかよ?」
「うん。当たりを引いたようだ」
コースケにそいつが出てきた場所を確認して、自分の持っていた地図に丸印を付けておく。
ススキから譲り受けた、この周辺の地図に。
昨日『
夜になると、大体の『集合体』の人間は基本的には外に出たがらず、室内に籠っている。深夜からおよそたっぷり2時間前後は、『磁気嵐』の時間だからだ。
浴びると頭がおかしくなるだとか、末端神経がマヒするだとか『集合体』内でまことしやかに囁かれているそれは、人々を臆病にさせるには充分な影響力があった。
特に『
逆にぼく達や、一部の『
止むにやまれない事情により『集合体』の外で夜を過ごす機会もなくはないからだ。
たとえ噂が真実であって、いつか頭が狂ってしまうとしても、未来を案じるあまり今を躊躇するのは無駄なことだと思っている。
だから、もし普通の人が外出しようと思うならば、それは磁気嵐が完全にやんだことが確認できてからのことになる。
そこまで考えてから、ぼくは昨日のうちにサガイの拠点に向かい、2階で暇そうに愚痴っていたカイトとその隣のコースケを引っ張ってきていた。
「なあアレ、マジでヤクなのか?」
「判らない。可能性は高いが」
そしてぼく達は『磁気嵐』の直前まで、この『集合体』の西側から外の区域を探索して回っていた。
探索の目的は、『集合体』西ゲート以外の通行路の存在を見つけること。
この辺りは『軍』の防衛部が制圧してしばらく経った場所で、もう目ぼしい物はほとんどないとされている。
他の『
昨日のススキと相談した当初はおよそ8箇所ほどの候補があったため、その中でも荷物の搬入がしやすそうな3つの候補に3人がそれぞれ張り込んでいた。
適当な廃屋に隠れ潜み、夜からこの早朝の時間まで。
当たりだったのは、コースケに張り込んでもらっていた地下鉄の出入り口。
理由は判らないが、どうやら『集合体』の中と駅で繋がっていたようだ。
地下鉄は『
きちんと通り道として使えるならば、広い空間を持つ地下鉄の路線は非常に有効だろう。
場所も西ゲートからは遠く、警備部隊にすぐさま見つかるリスクも低い。
問題はどのタイミングで来るか、そして現場を押さえられるかだったが、タイミングの方は上手くヒットしたようだ。
だから、後は現場に仕掛けるのみ。
「もう少し近づいたら、ここから出る」
「お、ぶっ殺すんだな!?」
「違う」
なんでそうなる。
事前に説明はしていたはずだがもう一度、極力相手を傷付けないようにとカイトに伝える。
「んだよ、殺した方がはえーだろが!」
「現時点では殺す必要がない」
とても不服そうだ。
本当は、むしろ彼の言い分の方が正しい。
正しいというより、より長生きできる。
基本的な『廃品回収』のスタンスだと、外で交戦になった場合は非殺傷や捕縛など一切考えずに相手を攻撃する。
そうでなければ『集合体』の外ではそいつ自身が真っ先に死ぬからだ。
人数が多い『廃品回収』のチームなどは故意か過失か、回収の際に縄張りを荒らした場合は仲間同士でも生き死にのやり取りが行われることもあると聞く。
その考え方には特に賛成も反対もしない。
ただ、害意のない人間まで終わらせる必要はないだろうとも個人的には思っている。
「カイトは見た目からして相手には強敵に見えるだろう。脅すだけでも問題なく話を進められる」
「マジ? コースケ、オレやっぱ強そうに見えるか?」
「……う、うん。に、兄ちゃんは、強いよ!」
「そうか、そうか!」
兄の言葉に手放しで同調しているコースケに、この位置で待機するように指示する。
手押し車がこの家の前の交差点に差し掛かった段階で、ぼくとカイトは外に飛び出た。
「おい止まれやオッサン! ブッ殺すぞ!」
2人で下にいた彼を取り囲む。
カイトは既に、自分の武器を手に持っていた。
持っているのは、1メートルほどの頑丈な鉄パイプの先に軽自動車のエンジンを突き刺した、彼が武器と呼んでいる何か。
見ようによっては大型のハンマーに見えなくもないそれは、少なくとも先端に付いたエンジンのスクラップだけで40キログラム程の重さがあるはずだ。
そんな物を持ち運ぼうとするなんて、控えめに言ってバカだと思うのだが、飛び抜けたバカであるカイトはそれを片手で振り回す。
そしてもう片手に持った自動車のドアを盾にして相手に突っ込み、殴り飛ばすのだ。
彼が言うには、どちらもただ単に手に入れやすいから使っているだけとのことだった。
中の燃料や軽いパーツを抜き取られたガワだけの車のスクラップなど、探せばそこらじゅうに転がっている。
結構な頻度で武器を壊しているが、すぐ新しいものを用意できるのはそれが理由だ。
「ひ、いひっ……」
「おっと、騒ぐなよ? 頭にブチ込むぞこら」
もはや蛮族のような姿のカイトは、並の相手では近付かれただけで声すら出なくなる。
黒い布をミイラのように顔に巻いたぼく達2人を、その男はガクガクとしながら見回した。
「どうしたオッサン、あぁ? お外が怖いところだってのは知らなかったのかよ?」
そう凄んだ黒ずくめの大男は、気安いふうに荷車の方に近付き、やつのハンマーのエンジンを男の肩に軽く載せる。
それだけで小柄な男の肩が沈んだように見えた。
「なら今日は一つ賢くなったなぁ、オイ?」
こいつは本当に『略奪者』の演技が似合うな。
というか、もう普通に『略奪者』としてやっていけるんじゃないだろうか。
演技ですらない、素のヤツの性格そのままな気がしてきた。
まあもし『略奪者』だったとしても、決して相手にしたくはないやつだが。
しかし、荷車の彼には悪いが、さらにダメ押しをさせてもらう。
彼がカイトに気を取られている隙にぼくが荷車をふちを指差す。
途端にバキン、と大きな破裂音が響く。
その場所が弾け飛び、へこみを作った。
「あ、あぁっ……!」
遂に彼は荷車から手を離し、地面にへたり込んでしまう。
上に目線が行っているから理由は恐らく、民家の2階に大型のボウガンが覗いているのを見てしまったからだろう。
相変わらずコースケは狙いが非常に精確だ。
地面に落ちた金属のボルトを見てそう思う。
手の支えから離れた荷車は、倒れて地面に転がっている。
ナイフでこぼれ落ちていた袋を一つ裂くと、なかから乾燥した葉が出てきた。
細長く、ギザギザした葉だ。
少なくとも、普通の野菜や果物ではない。
カイトに頷く。
「おら、行けよ!」
へたり込んでいた彼の臀部辺りを、カイトが小突くように軽く蹴り飛ばす。
男は声にならないような叫びを上げながら、どこかに走り去って行った。
ぼくはもう少し他のものを見せてもらうことにして、幾つかの袋を開けた。しかし粉末やら実らしきものもあるようで、状態が一定ではない。
名前の未確定なそれらを調べるためとは言え全て持ち帰る必要があると思うと、非常に憂鬱になる。
察するに、『集合体』内部に運んでいたのを、慌てて外にあるであろうプラント側に戻そうとしていたようだ。
昨日の調査を受けて、焦りが出たのだろうか。
狙い通りではあった。
護衛もなしに、たった1人で来るのまでは予想外だったが。
「でよ、コレはどーすんだ? カネにすんのか?」
「…………」
「に、睨むなって! 冗談だろーが!」
中の物を少量ずつ小分けに回収して密閉したのち、残りは荷車に戻して移動させる。
廃墟になった裏通りの適当な側溝に全て流し入れ、火を付けた。
「あー……」
「カイト、残念そうな声を出すな」
「おい、約束通り報酬は出るんだろーな?」
「最初に提示した額か、またはサガイの酒を7杯。どちらがいいか」
「酒だ!! よっしゃ、これで今日こそ女のマタにサツ束突っ込めんぜ!」
カイトは即決したが、コースケは現金を選んでいた。
実は現金の方が若干取り分が多くなる計算だ。
「一応聞くが、もしこれが本当に麻薬だったとして、カイトは試してみたいと思うか?」
「いや? カネにはなるんだろーが、オレは要らねえ」
「理由を聞かせて欲しい」
「んなモンやってたらおまえ、手ぇ震えて人を殺せなくなっちまうだろーが。『廃品回収』できなくなったらドコにも行けねーよ」
「なるほど」
「酒、女とありゃオレはもう要らねえ。タバコはそもそもねえしな」
実にカイトらしい理由だった。
いや、それならアルコールもダメだと思うのだが、彼にとっては別なのだろう。
「夜遅くから手伝ってもらって助かった。これで任務が進められる」
「なあ、それなんだがよ」
ぼくの質問に答えたカイトは、そう前置きして訊いてくる。
「これもまた、おまえが『軍』のクソ辺りから受けた任務ってやつなのか? その割りにゃ、最近『軍』のヤツはオッサンのビルに押しかけて来てなかったろ?」
「『軍』からなのは確かだ。ぼくの同居人のを肩代わりした」
「たまにおまえの話に出てくるヤツか」
おまえみてーなヤツと一緒に住むなんて変わったヤローだ、などと失礼なコメントを残すカイト。
ヤロー、では実際はないのだが、別に誤解したままで良しとする。
こいつの女好きは極まっているため、ススキはおろかソラですら不用意に会わせることはできないだろう。
この前酔ってた時に、身体が女ならたとえ顔がトカゲだったとしてもいける、なんてほざいてたやつだ。
例外はタニヤだけらしいが、その発言も問題だらけだった。
まあ、それはどうでもいいか。
ここでの作業は終わりだが、もう一つやることがあった。
「コースケ、一つ頼みがある。追加報酬は出す」
「な、何? ぼぼ、僕?」
「おいまだ出せんのかよ、オレもやれっぜ?」
「隠密行動なら、コースケが適任だろう」
ぼくは、空になった荷車を指し示した。
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