任意事情聴取 1



 人々が泣きわめいても税は減らないが、笑顔になると税は増える。


 笑顔にすると言って増えることもある。



 ♢♢♢



「痛いところは他にないっすか? センパイ」


 ぼくにとって交友のある人間というのは、そう多くはない。


 そして、『磁気嵐』が起きる前からの知り合いで、なおかつ今も生存している人と限定すると、ススキですら除外されるためにその数はほとんど0に近くなる。

 両親を含め大体の人が音信不通か、あるいは行方不明扱いか、もしくはもう死んだかだ。


 『集合体コミュニティ』の場所が地元という人間でもない限り、いや、そういう場合でも、多くの人はぼくと同じような状況だろう。

 『磁気嵐』の直後から1年弱の期間は、間違いなく人々を取り巻くあらゆる要素を破壊していた。それは人間関係も例外ではない。


 しかし実際は、ほとんど0とは言ったものの、ごくごく僅かな例外が存在する。

 その例外とは、『磁気嵐』前の世界における学校の先輩後輩の関係だった。


「不肖このサクラ、消毒終わったんで、鼻のトコは目立たないテープ貼っときますねっ!」

「助かる」

「た、助かるなんてそんなっ! 身内、いや不本意ながら身内と呼ぶしかないバカたれ達がやらかしたことっすから!」


 ぼくは先輩で、そいつは後輩。

 思い返せば当時は学年も違えば部活動なども違ったため、特に大した接点は無かったが、『磁気嵐』後に再開してからは同郷ということもあって接点が多くなった。


 特に『廃品回収スカベンジャー』や『フォース』がそれぞれ確立する前の『集合体』形成過渡期とも呼べる期間には、共に行動していたこともあった。


 しかし現在ぼくは見ての通りで、そいつは『軍』に所属している。


 それが唯一の『磁気嵐』前からの知人である、サクラという人物についてぼくが知っている幾つかのことだった。


「どちらにしろ助かった。ナイフを向けられていたあの状態では、サクラが来なければさらに傷を負っていた可能性が高かった」

「なぁっ!? あいつ、らぁっ……!!」


 レディーススーツの映える長身痩躯の彼女は、判りやすく顔を怒りの色に染める。

 持ってきた小箱から取り出した保護テープの残りカスを握りつぶし、吠えた。


「あいつら、次会ったときにでも事故にカモフラージュして外で"転がして"おきますから! だいじょーぶ、絶対にバレないようにヤる自信がありますっ!!」

「そこまでする必要はない」

「で、でもっ」

「ぼくのせいでそっちの立場を悪くする必要はないと思う」


 うー、と唸って今度は涙目になった。

 最初に部屋にやって来た時のような威厳はどこにもなく、情動がそのまま表情に出てしまっている。


「うぁー、じゃあこのやり場のない怒りはドコに向ければいいんすかぁ……」

「なぜサクラが怒るんだ」

「だってだって、センパイ、こんなケガさせられて、どうせただのイヤがらせで受けたんですよね?」

「『廃品回収』は『軍』に嫌われている」

「それでも、イヤなもんはイヤなんです! あ、こっちのほっぺたも腫れてるじゃないですかぁ……」


 最初に叩かれた頰が若干腫れていたのだろう、日焼けした褐色の顔が近付き、その患部を軽く手で押さえてくる。


「湿布……とかあれば良かったんすけど、持ってきた薬箱の中になさそうなんですよねぇ」

「特に残る傷でもない」

「あ、私の手とか今どうっすか?」

「どうとは」

「湿布の代わり、とか?」

「頰は炎症を起こしているから、確かに手は冷たく感じる」


 後ろ手に縛られたぼくの膝に、なぜかサクラが座ってきた。

 手は当てられたまま、痛みを与えないようにか緩やかに撫でさすられる。


 さすがに気になったため、横座りのそいつに訊いた。


「なぜ乗るんだ」

「い、いや、えへ、なんと言いますか。どーしたら許してもらえるかっていう、私の気持ちの表れとか、そんな感じっすかね……?」

「許すもなにも、別に先のやつらとサクラは関係ないだろう」


 やっている本人がぼくに理由を聞くのはどうなんだろうか。


「あ、ジャマでしたか!? やっぱり重かったっすか!?」

「重くはない。身長の割にはかなり軽い方だと思う」

「そ、そーですかね? う、うぇへへ……」


 ごく近い距離に見えるサクラの顔が、ふわりと頰を緩められた。


「ん? でももしかしてソレ、ただ私の胸が無いから軽いってだけなんじゃ!?」

「胸なんて大したことないだろう」

「た、たた、確かにそうっすけど!! でもそこまでズバッと言われるととても傷つくというかっ、そうかもしれないけど結構気にはしてるんですっ!!」

「いや、胸はどれだけあっても普通は1、2キロ程だ。大した重量の加算にはならない」

「あ、あー! 重さが大したことないって意味っすね!? ……でも、なんでセンパイが胸の重さとか知ってるんです?」


 ススキに披露されたムダ知識だ、などと正直には言えない。

 大体の見当を付けただけだと誤魔化しておく。


「それより、縛られた腕をほどいて欲しい。イスの背の方にロープで結ばれている」

「そういえばそうでしたっ!」

「手が自由になれば、自分の頰くらい自分で冷やせる」


 さらに言えば、別に冷却の必要性も大して感じない。擦過傷や刺突傷ならまだしも、多少の腫れに大げさにどうこうする必要もないだろう。


 サクラの動きが固まっていた。

 この距離だ、聞こえていないということはないはずだが。


 目の前のそいつは上を見て、ぼくを見て、身を乗り出して腕を縛っているロープを覗き込んで、もう一度ぼくを見た。

 その行動の理由は判らない。


「……腕、苦しかったりします?」

「縛られていて動かない」

「痛かったりは?」

「痛みはないな」


 思案顔のサクラは言った。


「それなら申し訳ないっすけど、腕はそのままの状態でいてもらうってのはダメですか?」

「1日ずっととなると難しいが、短時間なら問題ない。体面的に尋問の姿勢を維持するということか」

「そ、そう! それですっ!」


 警備部の3人がいたところへサクラがやって来たように、この時間もまた別の、次は防衛部の他の人間がやって来る可能性も低くはない。

 その時に妙な勘ぐりを受けるよりは、ぼくと彼女は被疑者と尋問官の関係に見せかけておくのが良いだろう。


「今日はここで定例報告をするということか」

「はいっ! こうして会えたんですから、ついでっすよ、ついで! この部屋、意外と防音されてますし! 誰にも邪魔させませんよっ!」


 鍵を取り出してジャラリと鳴らしている。


 特別留置所の外部に音は漏れず、ロックされたドアは不用意に外から人が入ることを防ぐ。

 なるほど、悪くないアイデアかもしれない。


「ふへへ、出だし最悪でしたけど、こーして密室でくっ付いて話し合うってのは、なかなかどうして……」

「…………」

「さーて、今週の事情聴取の時間っすね! なんでもガンガン聞いてください、私もいろいろ聞きたいことあるんでっ!」


 そこまで考えたが、ぼくの服に頭を擦り付けている目の前のやつを見ていると微妙に疑念のようなものが湧いてくる。

 なんと伝えればいいのか判らないが、ここまで過剰に密着する必要はないように思う。


 しかし、どう引き離せば良いのかも判らない上、手は縛られたままだ。


「……こちらの服はわざと汚しているし、先程の件で血も付いた。スーツが汚れるぞ」

「なら、こうして上着だけ脱ぎますっ! これで問題なしです!」


 やはりなんと言えば良いのか判らないが、ぼくから離れれば済むだけの話ではないだろうか。

 だが、ぐしぐしと押し付けられるそいつの頭に対して上手い反論ができそうにもなかった。


 『軍』の中では厳格な人物として知られる幹部階級で、普段はぼくのような『廃品回収』に対しても冷酷に接する。

 いや、こちらから頼んで、冷酷に接する演技をしてもらっている。

 だが実際にはかなり感情豊かであり、たまにススキとは違うベクトルで対応に困る時がある人物。


 それが、ぼくがサクラという人物について知っていることの全てだった。

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