三月の子羊

新宿西口、雑踏にて

 東京、ここは新宿、私は独りだ。


 もうショートパンツも限界だ。明日からは違うものをはこう、もう無理。心に決めたのは新宿西口の、東郷青児記念美術館からの帰り道だった。『肘掛け椅子のひまわり』という絵を思い出す。失われた親友、ゴッホを想った情念が滲むような絵だった。

 二時間ほどゴーギャンの展覧会に夢中になって、久方ぶりにつけたグラスの通知欄には誰からも連絡がきていないことに落胆した。連絡がきていたら、それはそれで返信が煩わしく思われるのに、その面倒を欲しがっている自分がいることもまた確かなのだった。

 新宿西口方面の高層ビル群は、あの日の被害範囲から少し離れたところに生えていたおかげで、昔からの風景を保っている。地面を覆い尽くすトカゲの鱗みたいな色のアスファルトに、ところどころ補修の跡があったって、関係ないような顔をしてネオンは光った。足音は平等に踵を削るくせに、私のそれだけ妙に寒々しいのはどうしてだろう。

 私のせいだ。なんて誰か笑ってくれないだろうか。

 街路にライトが均等に配置されていて、私の影もまたそれにならって均等に姿を現した。私はたった一人しかいないのに、影のほうは幾重にもその数を増やしてみせる。きっと誰か一人くらいサボっているのだろうけれど、私には彼らの仕事っぷりを判別する手段がなかった。だから放置してしまう、日常に住まう憂鬱の原因を。


 先週、友達に誘われて合コン、と呼べばいいのか、とにかく大学生の男の人たちとご飯に行った。私たちは四人、むこうは三人という編成だった。渋谷の地下にあるお肉料理が美味しいお店で、二時間くらいお話をした。私ともう一人の女の子はお酒を断り、他はみんな、多かれ少なかれ飲んでいた。そういえば私はお酒をまだ飲んだことがなかったなと、ようやく気がついた。

 ゆっ子はお酒を飲んだこと、あるのだろうか。なんてすぐに思ってしまうのが、本当にどうしようもなく思えた。

 そしてその会が開かれた理由が大学生側の一人が私と知り合いたかったからだということを、私は当日になって知らされた。なんでも、彼は平和記念式典での映像を観ていたらしく、私の容姿がお気に召したそうなのだ。たまたま彼の知り合いに私のクラスメイトが居たということで、トントン拍子に会合の計画は立案となったのだ。

 そこまで聞いて、別に悪い気持ちにはならなかった。けれど、特別いい気持ちになったわけでもない。というか、彼の気持ちがよく分からなかったという疑問符だけが浮かんできた。こうして会って、話してどうするの? ただそれだけがよく分からなくて、二次会に行く六人を見送ったあとの電車の中でも、結局この一日がなんだったのか、答えはどのつり革にもぶら下がっていなかった。

 その日交換した大学生の連絡先、そこから次の日にはメッセージが届いていて、私はその日常会話に丁寧に返事を書いた。まさかゆっ子と話しているようなトーンでものを言うわけにもいかず、決して失礼のないように何度か文章を見直してから送った。そうして何通かメッセージのやりとりをしていると、すぐにむこうからの返信はなくなった。なにか悪いことをしてしまっただろうかと心配になり、彼と私を引きあわせたクラスメイトに話をすると、「別に気にしなくていいよ」と笑い飛ばしてくれた。笑う意味も、気にしなくていい意味も分からなかったけれど、まあ、別にいいかと思った。


 あの大学生がこの瞬間に連絡をくれたらどうだろう、少し嬉しいかもしれない。嫌だな自分、私ったら嫌だ。

 南口を通ると、そこはいっきに二〇年代に建てられた現代的なビルやお店が並び始めた。さっきまでの少し古くさい高層ビル群に比べて、流線やあるいは奇抜な凸凹が空を遮っている。ただ、そんな奇抜な世界を演出しておきながら、中身がただのスーパーだったりするから面白い。七年前までは商業施設がほとんどの割合を占めていたこの区域だけれど、あの日以降は実用的な側面が目立つお店が増えているらしい、もっとも、以前のデータをきちんと調べたわけではないけれど、印象として日常的な買い物は南口、遊ぶなら東口、という風になっているのは、昔と今の新宿で変わったところだろう。私は被曝前まで新宿に住んでいたわけではないから、義父の受け売りだけれど。

 もうこの街は復興を遂げたから、もう復興と謳わなくても大丈夫だとでも言いたげな表情をしている。私がなんと言ったって聞き入れもしない暴力性が、そこには名前もなく満ちている。私の傷が癒えているかどうかなんて、この街には関係もないようだ。傷を痛みとしてではなく、ただ過去の遺物として在る原爆タワーが、影だけになってそびえている。あの痛々しい骨格は今のこの街の象徴ではなく、傷跡の役割として保護されている。それは、もうこの街の傷を完治したことを意味しているみたいで、やっぱり嫌いだった。私の胸は冬になるとこうも痛むのに、どうして傷跡だなんて、血が止まったあとの話をしているんだろうか。

 おいてけぼりだ。

 私だけだ。


 まるでゆっ子の負った傷に関心を持たない学校で、私は授業を受けている。昼休みにゆっ子以外の友達とご飯を食べている、私だってそのなかの一人だ。

「ねえ、アサミンってカオリンとどういう関係だったの?」

 と聞かれたのも先週のことだった。私は質問の意味が理解できなくて、首をかしげた。聞いてきた子は、私といっしょに大学生たちとご飯に行った、そしてお酒を飲まなかった女の子だった。

「どういうことって……付き合ってたりとかするのかなって。ほら、この間の男の人に全然興味なさそうだったからさ、ちょっと気になってて」

 付き合ってなんてないよ。と笑いながら言った。内心は驚きに満ちていた。今までそういうことを考えたことがなかったからだ。あれだけ二人でいっしょにいて、私たちは思春期で、一瞬くらいそんな自分自身への疑いがよぎっても不思議じゃないはずなのに。思い返してみても、私とゆっ子の間に恋愛感情なんてものが挟まるという発想を、異常なくらい持ったことがなかった。

「じゃあさ、もしもカオリンが付き合いたいって言ってきたら、断るの?」

 断らないよ? 即答した。断る理由がどこにもなかったからだ。私と彼女が恋人関係になったからといって、なにがどう変わるのか想像もつかない。そして変える必要もないように思える。しかし、それでもゆっ子がそう望むのであればしかたがないだろう。なし崩し的にでも、きっとなんとかなるほうを選ぶはずだ。

 けれど、私は同時によく分かっていた。ゆっ子は絶対にそんなことを言いださないし、私もまた、自分からそんな提案はしないだろう。だから即答できるのかもしれない。私たちの関係は、そういう明確な名前を持たないのだから。この間の「親友」という呼称だって、今となってはしっくりこない言い回しに聞こえた。彼女はどう思うだろう。次にお見舞いに行ったら聞いてみよう。返事は帰ってこないだろうけれど。彼女はもう、一ヶ月以上目を覚ましていない。

 きっともう、数学の授業に彼女は追いつけない。

 おいてけぼりだ。

 彼女だけが。


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