誰のため


 旧新宿御苑は、式典後の平和記念公園への改修準備のため入園禁止になっていた。せっかく千駄ヶ谷門までやってきたというのに、無駄骨になってしまった。ため息も出なかった。重い頭を抱えるようにして、私はその場をあとにした。

 私になにができるのだろう。それを考えても、なんの策も出てこなかった。しょせん私は子供でしかなくて、一人の女の子を助けることすらできない案山子なのだ。

 陽の長さが異常に思えるくらい短くなっていて、私は涙を堪えていた。原爆タワーは周囲に補強工事のための足場をはべらせている。それに比べて私といえば、大切な友人との関係に大きな亀裂ができたばかりだ。お互い似たような境遇のくせして、どうしてこうも私たちの有り様は違うのだろう。

 ゆっ子と私の違いとはなんだろう。考えはすぐにそうやってスライドしていく。私が抱えているものは世界からはどう見えて、彼女が直面している困難と見えかたがどういう風に違うのだろう。彼女は私のどこ見て、誰かに認められていると感じたのだろう。そして、彼女が自分は認められているんだと、どうして私は思わせることができなかったのだろうか。納得いかなかった。私はゆっ子が生きていることを絶対に否定しないし、彼女が好きに生きられないということを耐えるだけの忍耐もない。この感情は彼女を承認したことにならないのだろうか。それともゆっ子が求めている承認は、私以外の誰かからによるものなのだろうか。

 尽きない考え。

 おぼろが浮かぶ空。


 千駄ヶ谷から公園沿いを半周、私の家が見えてくる。煮えるような頭を新宿の雑踏は冷やすことなく、マンションのエントランスに私の足音だけが響いた。

「青桐様、ですか?」

 どこかで聞いたことのある声だった。郵便受けを確認していた私に、今しがたエレベーターホールから外に出てきた男が話しかけてきたのだった。

「へ? ええ……あっ」

 顔を見た瞬間に思いだした。あの日、私がスピーチをすることを決意したきっかけをくれた、都庁からやって来た黒服集団の一人、長身の男の人だった。

「……なにかご用だったんですか?」

「はい、先ほど野口様と式典に関する打ち合わせのため、お邪魔させていただいていました。青桐様のお気を煩わせることのない時間を選んだつもりでしたが、少し遅くなってしまい申し訳ありません」

 丁寧に頭なんて下げるものだから、私は慌てた。見た目だけなら二〇は年上の人に、そんなことをさせて気分がいいわけもないのだ。

「いえいえ、むしろきちんとお出迎えもできなかったと思うので、こちらこそもうしわけないです。この間も……いきなり逃げちゃったりしてすみませんでした。もう、大丈夫なので……」

「いえ、登壇に関してもご快諾いただき、こちらこそお礼申し上げます。青桐様がお話しいただけるのなら、きっと式典も素晴らしいものになるでしょう」

 それでは。と言い残し、彼はエントランスをあとにしようとした。私も会釈を返して自動ドアのロックを外した。

「あっ、ちょ、ちょっと待ってください!」

「はい?」

 エントランスから出た長身を、思わず私は呼び止めた。理由は単純だった。一つ、聞いておきたいことがあったのだ。

「私をスピーチの場に登壇させたいというのは、その姿を誰かに認めてもらえるってそちらが考えたからなんですよね?」

「……はい、もちろんです」

 思いがけない質問だったのか、彼は少し考え込むような仕草をした。礼儀も知らずに私は、そんな長身に続けて言葉を投げかける。

「それは誰を想定しているんですか? 他の被曝者の方? それともまた別の誰かを想定してのことなんですか?」

 長身は私のこの疑問に眉を寄せている。ここですぐ答えてくれないということは、きっと私のスピーチがどう世間に受け取られるか想定しないで計画を進めてきたか、または私に直接言うべきではない理由で進んできたのか、その二択でおそらく後者が正しい理解なのだろう。

 長考をとりつくろうように笑った彼は、さっきまでの表情が嘘みたいに思える笑顔で言った。

「あらゆる平和を願う人々に、ですかね。ご心配なさらずに、青桐様は思いの丈を話していただければ、それでいいんです」

 そう言われてからしばらくの間、私はエントランスで立ち尽くしていた。

 長身の言いぐさは、まるで私が私としてステージに上がることの意味がないみたいに聞こえた。分かっていたことだけれど、彼らが欲しいのは私の「爆心地からもっとも近くで生き残った」という称号だけなのだ。それ以外の私の人生なんて関係はないんだと、このとき私は思いしったのだ。

 ゆっ子が羨んでいる私も、そんな風に見えているのだろうか。

 だとしたら私の今までは、いったいなんだったのだろう。


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