第62話 過去編②

 中学校の昇降口で嫌な話を聞いた次の日のことだ。


 俺は何も変わらないように見える校舎に足を踏み入れ、そして自分の中で何かが変わっていることを受け入れた。


 胸にあるのは一つの思いだけだった。

 もう二度と、むなくそ悪くなるような光景はみたくない。

 正しいはずの人間が、利己的で間違いだらけの人間に虐げられるのを見たくない。


 ただそれだけだった。

 だが、それこそ、人間関係において大事なことだと俺は信じている……らしい。


   ◇

 

 昼食の終わった昼休み。

 元気な奴らは外へ飛び出していったが、俺はもちろん一人で教室にいた。


 好きで一人でいるわけだが、他の人間も同様に一人が好きだというわけではない。

 人は群れる。当たり前のことだ。


 それは何気ない一コマだった。

 事情を知らぬ者からすれば、ただの会話でしかなかっただろう。


 女子グループの会話である。

 宣伝してんのか知らねーが、やたらと騒がしい。が、今はそれに助けられていた。

 なんの違和感もなく会話が聞こえるからだ。


 女子グループのボス猿女子が漆原の肩に手を置いた。


「ねえ、漆原さんって、ちょっと表情暗めだよねー」

「え? そ、そうかな」

「あたしたちの話つまんない?」

「え、そんなことないよ……」

「あ、そう? ならよかったー。でさ、その男なんだけど――」


 どこの学校でも同じようなもんだと思うが、クラスには序列というものが、存在しないようで、実はしっかりと存在している。

 ヒエラルキーだとか言ってもいい。


 上と下。


 それははっきりと、くっきりと、クラス内のでの力の差を示している。


 もちろん例に漏れず俺のクラスにもそういった序列に従ったグループがいくつか存在し、さらにそのグループの中でもキャラクターによる序列が形成されている。


 テニス部のバカ女。

 名を玖珠木(くすき)というかなり珍しい名前のその女子生徒は、まったく珍しくもなんともない、実にありきたりな女グループのボス猿だった。


 顔はぶさいくではない。

 しかし綺麗かと言われればノーだし、可愛いかといわれてもノーだ。

 態度が悪そうな顔をしている。

 実際、態度は悪く性格もクソだ。

 噂だと、一年の時に教育実習生の女の先生をメンタル的にぶちのめしたとかなんとか。


 まあ、そんなくだらねー武勇伝はどうでもいい。


 問題は、そいつが、自分のグループに顔が可愛い奴を入れたがる傾向が、簡単に見受けられるということだ。


 自分に自信のないブスは、遺伝子的に優れた存在を下に従えたいという、欲求なのだろうか。


 とはいえそれは実に共感できる心理でもある。


 俺だって異世界に転生して、特殊スキルで無双してえと思ったことは、しばしば。

 エルフ娘従えて、一国を片手で制圧したいわと思ったことも、たびたび。

 

 でもそんなことはできない。

 俺は転生できないし、魔法も使えないから。


 だが、クスキの望みは叶う。

 残念ながら、漆原がいれば、それは叶うのだ。


「もーやめてよ、漆原さんー!」

「え、あ、うん、ごめん……」

「なんで謝んのー! あたしが悪いみたいじゃーん」

「そ、そんなことないけど」

「ていうか、アオイってよんでいい? うちらもう、いい加減、そういう関係っぽいし?」

「う、うん? いいけど……」


 聞いてるだけでイライラする距離のつめ方だ。

 一方的に近づいて、相手に自分の要求だけ認めさせている。

 どんなことでも『相手に承認させる』ということは、支配への第一歩。

 漆原はこれから色々なことを少しずつ許可”させられて”、最後には何か、大きなことを断れなくなるのだろう。


 いじめが上手い奴の、常套手段だ。

 久々にムカつくもんを見た。


 二度と見たくないと思っていた俺の後悔。トラウマ。

 俺の腕に筋肉がついていたら、ぶんなぐっているね。


 でも、残念ながら俺は青白いヒョロヒョロのゲーマーなのだ。

 玖珠木の彼氏とうわさの不良とやらに目をつけられても大変なことになるだろう。


 俺は弱い。

 俺は弱いということを知っている。

 俺は俺が弱いということを知っているから――俺は俺らしく、守りたいものを守るしかない。


 気持ち悪いとも言われようが、俺は二度と、胸糞悪くなるようなもんを見たくない。

 それは俺が出した結論だった。


 俺は立ち上がった。

 それから漆原に近づいていくと言った。


「……なあ、漆原」

「え? あ、うん……えっと、黒木くん」


 こいつ、確実に俺の名前を忘れていたな……。


「そういや、さっき、理科室に忘れもんしてたろ」

「え?」

「筆箱、ないんじゃないか?」

「筆箱? ……あれ、……?」


 俺の言葉に、漆原の周りの女どもはうぜえ視線を投げてくる。

 気がつかないふりをして、俺は漆原だけを見た。

 彼女はあるはずのない自分の筆箱を当然見つけられずに、俺を見た。


「ほ、ほんとだ。とってくるね……」


 漆原はそう言うと、タッタと軽快に駆けて、理科室へと向かった。

 廊下を走ってはいけません、なんて注意するものはいない。

 いるのは、去っていった漆原の背中をつまらなそうに見るやつと、俺を煙たそうに見てくるやつだけ。


 だが、そんなもの、どうってことはない。

 だって俺は、親切心で筆箱のありかを教えただけだ。

 何を責められなきゃいけないんだ?


 もし俺を責めていい奴がいるとするならば、それは一人。

 

 漆原葵、その人だけだ。


 彼女なら俺に怒ってもいい。

 だって彼女が筆箱を置き忘れているのを発見しながら、俺は今まで黙っていたのだ。

 普通ならば疑問に思うはずだ。

 なぜ、筆箱を置き忘れていることを、”いまになって”話すんだろう、と。

 でもそんなことには気がつかず、彼女は筆箱が見つかったことにほっとするのだろう。

 するだけなのだろう。


 だって、漆原はそういう奴だから。

 空気が読めず、俺のいったことを心から信じて、疑わない。

 だから筆箱も理科室にあると決めつける。


 せめて筆箱を盗めばいいのに?――いや。そんなことに意味はない。

 あくまで偶然の連続で、俺は彼女が標的にならないように、しなければならない。でなければ、何かがばれてしまったとき、彼女への攻撃は逆に止まらなくなる。

 

 なんて情けない戦い方だろうか。

 わかってるさ。

 でも、これが俺の戦い方で、これが俺の守り方で――これが俺の戦争の始まりなのだった。



ーーーーーーーーーーー


なんか黒木が戦場の狼みたいなこといってて、少しほほえましい。

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