Chapter Ⅲ

第33話 でもさ

 翌日、目が覚めると、相も変わらず見慣れた天井が目に映った。これが平常時であれば、ああ今日も朝がきたんだな――なんてぼんやりと考えるものなのだが、今日にかぎっては違った。


 起きて早々に、昨夜の光景が天井に投影された。

 心の中を説明しようのない鋭い痛みが走る。それは一様に悪いというわけでもなかったが、体に良いのかと聞かれたら、毒になりうることもあるだろうと答えるしかないようなものだった。


 その正体はなにか?――俺はそれを探るように、まるで買ったばかりのゲームの取扱説明書を読むように、丁寧な手つきで記憶の頁をめくった。

 追いかけ再生されるように、一秒一秒を追っていく記憶。

 それから言葉が出た。


「ああ、夢じゃ、ないよな……」


 少し掠れているのは、色々とゲームに付き合わされて、大声を出したから。普段声を出さないと、声帯はこうも退化するものらしい。

 まさか酒の一滴も出されていないパーティで、さらに一世代前のパーティ用ビデオゲーム一つで、人間五人があそこまではしゃげるだなんて、父も母も、妹も俺も――そして藤堂だって知らなかったに違いない。


 そう――藤堂だ。

 昨夜は我が家に藤堂が来た。


 来た、ではないか。

 俺が誘ったのだから、来てくれた、という表現を使うべきか。

 

 手探りでスマホを探して、時間を見る。時刻は九時半。

 俺にしては早すぎる起床だ。なにせ今日は日曜日。それも五月の連休にさしかかった日曜日なのだから、存分に惰眠をむさぼっていていい。

 だが事実に反して、俺の意識は覚醒――いやそれも少し違うな。意識が今日と昨日の間をゆらゆらと揺れていき、起きているのに、意識は昨日にあるかのように感じられた。


「ああ……だるい……」


 天井に自然と投影される映像を遮るように、布団をかぶって目をつぶった。

 だが、こんどは映画館の投影機のように、暗い空間を一筋の光が伸びていき――別れの時の、藤堂の笑顔を映し出した。


 どこか寂しそうに?

 どこか物足りなさそうに?

 しかし、でもそれは十分すぎるほど眩しい、別れの笑顔だった。


『皆さん、突然お邪魔したのに、こんなに良くしてくださってありがとうございました――また、お礼に伺います。黒木くんも、ありがとう。とっても楽しかった。またね』


 そうして藤堂はバックを肩にかけて、リビングから消えた。


  ◇


 藤堂は昨日、夜遅くまで我が家で遊んでいたのだ。当たり前のように黒木一家と家庭用ゲーム機で多人数用ゲームをプレイしていた。

 なぜ藤堂がなんの問題もなく親父の誕生日パーティに参加できたかといえば、理由はとても単純なものである。


 ――家族の協力があったから。


 俺一人の力でできることなんて、この社会ではたかが知れているということなのかもしれないが、そんな風に斜に構える暇もないぐらい、家族には助けてもらったといっていい。

 

 時系列順に述べよう。

 

 まず俺が藤堂の件を事前に家族間チャットで伝えた後、さらにそれが妄想ではなかったと家族が認知した瞬間、彼ら彼女らは怒ることもなく、冷静に現実を受け入れた。受け入れてくれた。


 コメディ映画みたいに非現実な反応が返ってくるわけでもなく、ラブコメ漫画みたいに彼女に間違えられてイベントが起こるわけでもなく、シナリオゲームみたいに脱衣所でちょっとした事件が起こることもなく、全ては現実問題として処理された。


 いや、冷静に考えればもちろん当たり前なのだが。藤堂の母親との会話で緊張し、興奮していた俺は、何か自分が地球の中心にでも立っているような気になっていたのかもしれない。何かが起こるかもしれない、と。しかしそれは妄想であり、現実的な思考ではなかった。


 さて、藤堂がさらっと親父のプレゼントを買っている間にそういった相互理解は順次行われていったが、経緯はもちろんそれだけではない。


 次に、家族と藤堂の対面の場にうつろう。


 それは曲解すれば、ようするに息子もしくは兄が突然言い出した妄想である可能性を確認するシーンでもある。

 いくら信じてくれているとはいえ、流れとしては疑問も残ることだろう。

 息子もしくは兄がイチョウ色の髪をした、モデルまでしている美貌の、異性のゲーム仲間を、大した理由もなく父親の誕生日パーティにつれてくるという事実。それは少し……いや、多くの場合、冗談に聞こえるに違いない。


 もしかしたら家族は、藤堂が頭を下げて、上がり框に登り、靴を揃えて、再び頭を少しだけさげるそのときまで、『ああこれは黒木家、四人全員が見える類の、あらての幻覚か、もしくは特殊能力の発動かもしれない』と心のどこかでは逃げ道を作っていたのかもしれない。


 だが実際に藤堂の姿を家族が五感でもって認識したその瞬間――黒木家には、大小様々な覚醒が起こった。それはイベントとはいわないまでも、実に現実的な変化であった。俺達黒木一家は、藤堂の持つ魔力にあてられてしまったらしい。


 まず、人見知りの激しい親父が相手方の家に電話をすることを宣言した。人と触れ合いたくないから作家になったらしいのだが、肝心の作家になったあとに、個人事業主とはコミュニケーションこそ命であることを悟ってゼツボウしたような推理小説家である。


 そんな父が藤堂と――そして横にぼうっと立つ俺を玄関先で見て、何を思ったのか、『事件性がないこと証明するために、先方の家に電話をする』と宣言した。もしかしたら俺は何かを疑われていたのかもしれないが、仮に勘違いをされていたとしても、結果的にその勘違いこそもっとも重要なものだったに違いない。


 続いて母親も普段では見られない珍しい反応をした。

 ずばり――父に挑戦させたのである。


 母という存在は、もちろん夫である父の存在の持つ可能性をこれでもかというほどに知っている。知り尽くしている。嫌というほど、理解している。

 だから父が藤堂から聞きだした自宅の電話番号を、家庭用電話機に打ち込むときに若干手が震えていたのを見過ごすわけがないし、普段であれば、『ねえ、父さん。やめときなさい。私がやるから』とか言って、横から手を出すに違いないのだ。

 だが今回は、父に全てを行わせるつもりであるようだった。

 玄関口で藤堂と――やはり横でぼうっと立つ俺を見て、何を思ったのか、父の行動の全てを許した。見逃していた。


 だが残念ならがというべきか、そこには確固とした現実の壁がある。

 いかに藤堂が、現実離れした存在だったとしても、我が家がいきなり雲の上に浮き始めるわけではない。

 人生、そう簡単に結果は出ない。積み重ねた事実こそ、未来となりうるものだ。


 結局、親父の挑戦は人間相手の弱さが露呈する形となり、つまり説明の途中で口ごもることになり、急遽、後ろに控えていた母親が電話を替わることとなり、事なきを得た。


 浮かれ気分で三角の帽子と鼻つき眼鏡を着用していた父が、あれほどかわいそうに見えたことはない。まるでその三角帽子がヒエラルキーの『△』に見えてきて、それをつけている父が、その一番最下層に立たされているように見えてしまう。だが、あれは俺の父であり、つまり俺の将来の図である可能性がある。それを忘れてはならないため、俺は父に『ありがとう』と伝えた。テレパシーで。


 藤堂の母との会話は思ったよりも簡単に終わった。


 母親曰く、『先方のお母さんにはとりあえず理解してもらっているはず』ということだったので、俺は安心した。母はその場をとりつくような嘘を言わないからである。電源が復旧していた藤堂のスマホにも、似たようなメッセージが入っていたようで、はれて、藤堂はパーティメンバーになったということだった。


 藤堂はその時、俺だけに見えるように笑った。

 まるでゲームに勝った時のように笑った。


『黒木のお父さん、うけるね』


 そういうことじゃないと思ったのだが、まあ、そういうことにしておいた。


 さて。

 結果的に、黒木家と藤堂家で交わされたディベートは、恐ろしく社会的で、文明的で、理知的な合意を含むものだったと思う。

 一方的に自分の都合を並べ立てて、パーティに誘ったと豪語する息子を持つ両親の苦労が知れるものだ。……そのうち、きちんと感謝と謝罪を、両親には入れることに決めた。

 とはいえ、その時点では、未解決の問題はまだ残っていた。

 俺の中では、だ。


 そう。

 我が妹――黒木茜の存在である。


   ◇


 俺は妹の全てを知っているわけではない。いや、本来であれば知っていた気になるぐらいには同じイベントを共有していたが、互いが別の道を歩き始めてからというもの、そのシェアはおろそかにされ、いつしか別の価値観を作り出していった。


 だがまあ、兄と妹である。

 残念だが、兄と妹である。


 申し訳ないのだが、無条件で兄を溺愛するアニメみたいなことは、起こらない。

 起こらないからこそ、創作の中にそれを求めるわけだ。不老不死と同様に。

 だから、俺が妹を理解できないことも当たり前とはいえば当たり前なのだろう。

 それが正しいか正しくないかの判断は別として。


 だから俺は茜が怒り出す可能性も考慮していたし、その心配もしていた。

 だが結論からいえば、我が妹――黒木茜にしても、藤堂真白のパワーには勝つことができなかった。


 茜は当初こそ俺と藤堂の二人を見比べて口をあんぐりと開けていたのだが、俺の説明が終わり、藤堂が頭をぺこりとさげた十数分後には、エサをもらった犬のように警戒心をほどき、藤堂と画像投稿メインのSNSアプリのアカウントを教え合っていた。なんだその適応能力の高さは。新種のクリーチャーか。

 だが、そこに母親も加わっていたので、つまはじきものは、俺と親父だけだった。俺は親父の三角帽子を見て思った。俺も親父の横に立っている。それが全てだ。


 ついでにポケット・ウォーカーの話題をし始めた藤堂に、茜は親近感さえ湧き始めていたようで、それこそ放っておけば、今からでも自分の部屋に藤堂を連れ込み、キーボード操作でも教え込みそうなほどだった。なので阻止をしたわけだが、どういうことか俺が盛大な横やりを入れた形だと解釈されてしまったようで、実の妹におそろしいほど睨まれてしまった。藤堂は苦笑していたので、何を考えていたのかは不明だが。


 ということで、これが黒木家に起こった変化だ。

 とくに新しいイベントが起きたというわけではない。藤堂をパーティに誘って、藤堂がパーティに来てくれた。言葉にすると単にそれだけのことであるが、分解すればこういった細かいことが多々起こっていた。


 ここまで話せばわかると思うが、藤堂という存在ははっきりいって、異常だった。

 家族という、本来であれば他人不介入である俺の一つの聖域に、当たり前のように適応し、当然のように定着した。それこそ俺がいつも座っている椅子が、なんのためらいもなく藤堂に差し出されるくらいには異常事態だった。

 ようするにこれは、コミュニケーションというやつで、コミュニティのトップに入る奴の素質なのだろうと俺が気づいたのは、パーティが始まった後のことだった。その時にはすでに俺の椅子は奪われており、俺に用意されていたのは、じいちゃんがタバコを吸う時に使っていた小さい足かけ一つだけ。用意されているだけマシと思うべきだろう。


 それにしても、繰り返しになるが、茜が笑顔を浮かべていたのには驚かされた。

 いや、色々と考えてくれる妹ではあるから、最終的には藤堂を認めてくれるとは思っていた。だが、その速度が速すぎた。出会って数分で、笑顔である。


 茜は特に家族意識が強い。我が家で一番盛り上がらない親父の誕生日パーティとはいえ、そこに部外者である藤堂が参加することに極度の拒否感を覚えるのではないかと思っていた。


 藤堂が席を立った時、茜はここぞとばかりに口を開いた。


『やっと、にいにに感じてた違和感の正体が分かったよ。あー、すっきりした。これでよーく、眠れそう』

『悪いな、いきなり。もっと怒ると思ってたけど』

『最初はびっくりしたし、何事かとおもったけどさ……なんか、めっちゃ美人だし、そのくせ良い人だし、さらにゲーム好きみたいだし。なんか文句のつけどころがないって感じ。むしろ引き合わせてくれて感謝です』

『いや、ほんと、すまん』

『気にしなくていいって。どうせ、パパの誕生日パーティだしね』


 どうせ、とはひどい妹である。

 俺は内心で親父にテレパシーを送った。俺はそこまで思っていないからな。親父も頑張って生きているのは知っているから。俺はなにも言わないからな――そんな風に、実の父親にむけて、どんぐりの背比べ的な思考を一方的に送っている時のことだった。

 

『でもさ』と茜は最後に付け加えた。

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