第64話

気温が上がり、湿気は早早とやって来た、街は禁止される、すると店で飲食を覚える前の自酒とベンチだけでなく、カフェでの盗み飲みがいともたやすく甦ってくる、温度は心身を丈夫にさせて、高い太陽は昼を長引かせてくれる、再び時期がやって来たと、酔いの回った川辺で突っ立つ。


五月の梅雨は休止中だ、昨日の水たまりもじょじょにではあるが引いていき、曇空は濃く深く垂れ込む、川面は朧を浮かばせていて、遠くの釣り人は中国の靄に立っている、栴檀もハリエンジュも花を咲かして落とし、湿気は水気と共に香りを立てて、いつまでも夕方の乳白色のただ中にいさせる。


背骨がひいた川辺に突き刺さっている、牛骨のような太さは熱帯の植物かもしれない、くもり空は灰色だけを世界に染める最中で、紙面とボーダーシャツだけが白を放っている、あとは靄に取り込まれている、馬のような足跡は砂に残り、川波はあまりに静かだ。


菱形と丸形の石に並べられた川岸で、水面の靄にとりつかれている、まず気温が腰を落ち着かせ、次に酔いが目を開かせる、それから夕刻がゆとりを持たせ、そして音楽が強い叙情を抱かせる、いつまでも休みだ、意識のある内は日常でさえも、どこまでも休みとして今は思える。


五分に何を使うか、その選択が人生にチリを積もらせると、考えることなどしない、余分な労力を減らすことが、長い間でアクを取り除くのだ、それもないだろう、読むでも寝るでも好き勝手に、午後の始業のわずかの隙間は、緊密だからこそかけがえなく、やたら大切に時間に振り回される。


小賢しいと口にした発言を悔いていたら、その形容に適った言質に苛立たされる、素直に言葉を選べば良いものを、なぜわざわざ責任をなすりつける意味を作るのか、そのわけはそんな頭の働きが常態化しているからだろう、小賢しい、声に出すのはとどめても、頭の中では何度でも発せられる。


朝の涼しさはぬめりを持っていて、晴れない曇天に女は大きな声で喋っている、昨夕の食事にわめいた本人となんら変わるところがあるだろうか、ただ異なるのは場面であって、公私の違いだろうか、ならばこうして文を書いていた時間は、はたしてどちらに転がるだろうか。


空いた時間に目が垂れて下がり、リズムを変えようとする、あまりに単純で硬質な文体にとどまり、かわり映えしない流れが退屈にさせるばかりでなく、活力の衰微に思える、効果と残響はわずかとはいえ広がっており、やり方を肯定することもできないことはないが、まずくなっている。


悪辣悪罵愚痴に不満と、負の内容を口に出すことはデトックスだから、なんて考えれば許せてしまうか、それも表立たず陰で言うならば、溜め込み消化できない人は他者に背負ってもらう要がある、とはいえそれらは、嫌な発汗や排泄のように、臭く忌避されるのも事実だ。


初夏の風が心地よい今日は、横断歩道も白線に従ってステップされる、これが毎年の当たり前として、季節こそ心だと喜んでいられるのに、週間予報ばかり傘はさされる、気持ちはやはり晴れの空に素直になる、そう思って道を行く空気を吸い込み眺める。


たくさん雨が降っている、湿気に惑わされて冷房装置はつめたい風を吐いている、まだ五月なのに、からっとさわやか日和は去ってしまい、悪い予感さえ覚える雨足だ、瞭然とした天気の下なら纏うものも迷うことなく、気分は一点に集中されるのに。


おまじないは筆記体にあり、われもの注意のゴシック体よりも、ガラス注意の筆字の方が配送事故は少ないらしい、どことなく昭和の力が筆跡にあるようで、任侠らしい恫喝と礼儀が、たよりないダンボールを守ってくれる護符になるそうだ。


身近いビフォーアフターでぬか漬けなろうと思えば、ピックアップされた体験談に恐れ縮こまる、いまさらに、まさか自分に来るとは、それは幸も不幸も同じとして突如飛来する、気を引き締める時なのだと感じつつ、きっかけをくれた人からの本にも同様を思う。


ターンテーブルに回る雑談をすれば、まるで飲み屋のように興が高じてしまう、ここ数年なかった会話が生まれるなどと想像だにしなかった、ところが悪魔の去った埋め合わせは、あまりある人物だった、昔を思い出しながら言葉を交わし、次第に今から先へ話題は移っていくだろう。


晴れた公園の石段に休憩する、棒付き飴を舐めながら鳩を蹴飛ばそうとする女の子、平静な顔で必死に避ける小鳥、風が吹けば陰は葉叢を揺らして一斉に騒ぎ出す、青空はいつぶりだ、それほど日数は経っていない、けれど貴重に思わせる晴れ日和だ。


卵の体に金髪は海藻のように帽子からはみでている、奇怪な風貌はどうやら子供を引きつけるらしく、紙や芝居がなくてもそれだけで物語となり、おかしをばらまけば大人になっても生きる思い出となるだろう、そんな人物から少し目を離すと、いつの間に消えて、カップメンを食べる子供だけが残っている。


人のうるささがない、むしろ自然がさわいでしかたがない、そんな環境ならば頭脳は考え事に集中して、克明な想像を浮かばせるだろうか、数時間続いても気づけない集中と体力があるならば、周囲を気にすることなく成果を寄せるだろうに、雨のない今日は光が強く、歩く人人があまりに輝かしい。


今の季節で良かった、増えた数にようやく怯えるようになり、中と空気に恐れを持つ、なるべく外と流れが伝わった場所か、外気そのものの中のテラス席が好ましい、室内の死んだ温度に体は惑わされないように、冷血動物のように変化しやすい我が身は、一定の温度を超えたら自然のままが合う。


することが尽きた夕方に、酒を前に膨らませようとふらつく、麺がいい、うどんかラーメンか、汁のないものでもよい、夜もまだまだの時間帯はそれほど空いているわけでもない、糖分も足りないから判断に迷う、そんな時はふらっと、昔を恋忍んで蕎麦屋に入る。


夕刻は心身の流れを止める凪が訪れる、多くない予定は一通り済んで、何もしなくても良いという余裕が動きを停滞させる、本当はさらに進めることがあっても、定めていないノルマを達成した気分で妥協している、ただ判断は遅く、優柔に時間と人人に流される。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る