狂。

 

 筋肉細胞を刺激する特殊な薬。

 それを打ち込んだ事で、スピードは先程とは段違い。


 地面を蹴り一気に加速したセルジョは、瞬きする間に目前に迫る。

 チェルソは一歩脚を引き、体勢を僅かに低くして来るであろう攻撃に防御に出ようとした──


 しかし目前に来た瞬間、その場でセルジョは高く飛び上がりチェルソの真上を通過。

 地面に脚が着くと同時に方向転換し、背後からナイフを突き刺す。


 一瞬の出来事であった。だがそのナイフは背には刺さらず、同じく方向転換したチェルソの腕により阻止されてしまう。


 ナイフを突き出した左腕を掴まれてしまい、セルジョの身体がふわりと持ち上がったかと思えば、宙を回転させながら地面に背から叩き付ける。



「があ……っ」



 叩き付けられた事で、背中と腰に激しい痛みが走る──が、それでも直ぐに立ち直す。

 薬のせいで脳筋までバカになったか、痛みは瞬時に和らぎの錯覚を促す。


 よって、セルジョは痛みなどなかったかのように再び身体を動かし──

 立ち上がりと同時に両手のナイフの先端が、チェルソの顔面に向け勢いで突く。


 頭を倒した事でそれを寸前の距離でかわせば、チェルソの靴先がセルジョの顎下を突き上げる。



「……ッ!?」



 唾液を撒き散らし、セルジョは再び背から地面に倒れてしまう。

 脳味噌すら揺らしたであろうその蹴りの一撃は、セルジョを数秒間だけ白目を剥き出して停止させた。


 ──が、数秒後には復活。

 ピクリと指先が動き、白目は一変鋭い眼孔が開き、両足は反動を付けジャンプしてむくりと起き上がる。

 蹴りの攻撃で唇を切ったようで、セルジョは口内に流れ込む血を地面に唾と共に吐き出した。



「くはっ!ははははっ全く刃が届かねぇよ! こんなの初めてだよ」



 無傷なチェルソに対し、セルジョは身体中傷だらけの状態。

 それでもセルジョは笑う。一方的にやられていながらも何がそんなに可笑しいのか、何がそんなに面白いのか、正常者ならばこの光景は不気味に思うだろう。


 セルジョは決して強者と言える分類ではない。

 それでも小さなギャングの集まりがあれば、それなりに腕は上の方だろう。

 現にこのセルジョ率いるギャング集団の中では、セルジョより強い者は居なかった。


 飛び抜けた強さは無いも、弱すぎる訳でもない。

 とはいえ、その大半の力の発揮所は薬によるもの。

 特に先程打ち込んだ薬の効果は、果たしたどれ程持つか──



 セルジョは虚空を仰ぎ深呼吸する。

 そして懲りずにチェルソに向かって突っ込む。


 ナイフを構える腕を真横から振るえば、チェルソの身体は後ろに引き。

 左右僅かな時間差でナイフを正面に突き出せば、その度に左にかわされ右にかわされ。


 背後に回って不意を突こうとすれば、逆に不意を突かれてしまい攻撃を食らう。

 どう攻撃をしようが刃先がチェルソの肌を切ることが無い。


 そんな状態が5分程続いたところで、攻撃の当たらない苛立ちと動きっぱなしが続く事で、セルジョの薬の効果も薄れ始める。



「くそっ……」



 息は切らしているが、それでもセルジョの身体はまだ悲鳴を上げない。

 正確に言えば、悲鳴信号は出ていようがもはやそれを無視している状態で動いた、ひたすらに。



 だがここで、チェルソの淡々とした声が掛かる。



「ん……もう時間だ。俺の部下は片付けが終わった」


「あ?……あっ」



 チェルソの視線の先を見れば、そこには仲間の大量死体。

 エルモも少女を逃がし終え、フェルモと共にギャング連中を破壊したようだ。


 そこにはもう、チェルソの部下以外は立っていない。

 つまりセルジョ一人だけが、この場の部外者側になってしまった。



 どっと溢れる汗。

 セルジョはナイフを構える手が震え、身体全体が震え──


 視線を戻した先には楽しげに笑う、チェルソ・プロベンツァーノの姿。



「さて。俺の楽しみの時間といこうか」


「……っ」



 ニィ……と笑うチェルソ。


 しかしその瞬間、セルジョに背を向け走り出す。



「何っ!?」



 攻撃に備えて体勢を構えようとしたが、セルジョとは反対方向に向かうため一瞬戸惑いを見せた。

 ──が、直ぐに相手の意図に気付く。


 だが、気付いたところでもう遅い。


 チェルソは地面に転がしていた銃を両手に取り──振り返ると同時に弾丸を飛ばす。


 ドドドドッ──



「ぐあああ──っ!?」



 銃身を走り抜けた弾はセルジョに命中。

 両の耳と両手をそれぞれに一発ずつ、撃ち込んだ。


 手からナイフが落ちる。


 チェルソはゆっくりとした動作でギャングのリーダー、セルジョに歩みを進めた。地獄を連れて。


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