澄香の家(2)
母親が出ていくと、それを見計らっていたのか、誠が仏壇に向かって深々と頭を下げた。翔馬と絵美は顔を見合わせる。
「姉ちゃん、ごめんな。俺、姉ちゃんのこと信頼してやれてなかったみたい」
彼は滔々と語り出す。
「姉ちゃんがさ、あんな風に俺たちを悩ませるようなことをする訳がないもんな。なのに俺、翔(しょう)君(くん)を引っ張り込んでるなんて言っちゃって。というか、キャッチボールのときに、翔君に『姉ちゃんを忘れろ』って言ったのも俺だったよな。最低な野郎だと思うよ」
鈴の音が鳴る。誠は手を合わせる。あの雰囲気には翔馬も見覚えがある。きっと彼は、いつかの自分のように澄香に謝っている。
誠の左肩に手を置く。
「結局さ、みんな澄香への気持ちの向け方がわかってなかったのかな」
翔馬はぽつっと言った。
絵美も前に謝っていた。私が翔ちゃんを逃がしてしまった、と。きっとそれぞれに心のどこかで、澄香の死に関して、形や大きさは違ってもしこりが残っていたんだと思う。そしてそれを取り除くのには、やっぱり幼馴染が揃うことが必要条件だったのかもしれない。
「気持ちの向け方、か。すーちゃん。これで良かったのかな?」
絵美が仏壇に向けて語り掛ける。翔馬は左腕を誠の首に、右腕を絵美の首に、それぞれ回して引き寄せた。
「お前らはそれでいいんだよ。マイナスな気持ちは、今なら俺がちゃんと受け止めるから」
二人の力が抜けるのを感じる。ふふっ、と笑う声が聞こえた。
同じ視線、同じ立場にまでは戻ってこられた。だからそろそろ、特に澄香のことくらいは、俺が先頭に立ってあげたい。自分勝手に抱え込むんじゃなくて、優しく受け止める形で。もう感情豊かなこいつらを、優しすぎるこいつらを、悲しみに陥らせたくはない。
「ねえ、翔君」
誠がポケットから白い携帯を差し出した。チューくんのストラップが付いた、何世代か前の機種だ。きっと、澄香の携帯。
「これ、翔君に見てみてほしい」
誠から手渡された瞬間、それはなぜだか真っ白な野球ボールに見えた。選手交代だと言わんばかりに、彼が大事に守ってきたことを、俺に手渡してくるようだった。
「でも、パスワードかかってるんじゃないの? 昔の翔ちゃんと違って」
「いや、俺のことは言わなくていいから」
「ああ、絵美の言う通りパスワードが必要。ちなみに誕生日とかでもなかった。でも上野君ならできそうな気がする」
そう言い残して誠は充電器を取りに行ってくれた。絵美がこそっと尋ねてくる。
「ねえ、パスワードとか本当にわかる?」
翔馬は答えずに考え続けていた。
数分後、誠は充電器を手に戻ってきた。澄香の部屋は今でも定期的に掃除していて、すぐに見つかったという。埃が付いていたような形跡もない。
電源を入れ、やがてパスワードの打ち込み画面がディスプレイに表示される。
その瞬間、翔馬は迷いなく「3110」と打ち込んだ。
「え、開いた。どうして?」
ニヤッと二人を見つめる。
「ミートスパゲティーのミート。
ええっ、と二人の声が揃う。驚くのも無理もない。自分だって、なんで当てることができたのか本当はわからない。
メールボックスを開くと、案の定、未送信メールが一件あった。
その件名は、「翔ちゃんへ」。
「仲井君……じゃないや、誠、ちょっと出ようよ」
「ああ、気になるけど仕方ないな」
「後で聞けばいいじゃない。それに誠はいつだって見られるでしょ」
「内容によっては俺が削除して心にしまっておくけどな」
「ウソ、ひっでえ」
絵美が誠の背中を押すようにして、二人は部屋から出ていった。
他に誰もいない和室。澄香の母親が開けていた窓から風が吹き込み、西日を反射しながら風鈴が物寂しく歌っている。麦茶の残りを飲み干し、呼吸を整えて、翔馬はそのメールを開いた。
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