笑顔



 ☆★☆★☆




 絵美は両手をぎゅっと握り、十和子に向かって祈るような仕草をする。


「ごめん、十和子。午前中の授業のノート、コピーさせて!」


 恐る恐る目を開けると、十和子はオムライスを食べながらクスクス笑っていた。


「思い詰めた感じだったから、何かと思ったら。それくらい大丈夫だよ」


「ホント? 助かったあ」


 絵美は肩から力が抜けるのを感じる。箸を動かして、ぱくっと唐揚げを頬張る。そう言えば、翔ちゃんはこの前、巨大唐揚げを食べたと言っていた。これは衣が口の中でさくさくと音を立てるけれど、あの唐揚げは衣にさくさくするほどの余裕はあるんだろうか。


 翔ちゃんが口に運ぶ唐揚げ。翔ちゃんの口。柔らかくはなくて、彼らしい誠実な唇。雨の音、今朝の温もり――。


「で、どうしたの。昨日はお楽しみだったの?」


 思い切り舌を噛んでしまい、んー、と悶絶しながら唐揚げを飲み込む。冷たいお茶を口に含んでも、舌先のひりひりで泣きそうな顔になる。


「本当にわかりやすいね。まあ、だから絵美といるの楽しいんだけど」


「はあ、もういいよ、好きに言って」


 やけ気味に言って絵美は食事を続ける。その視界の隅に何冊ものノートが現れて、ぱっと顔を上げる。


「はい、ノート。全部持っていっていいよ」


「え、今日のだけでいいのに」


「彼氏さんとケンカしてたとき、全然とってなかったんじゃないの? コピーしていいよ」


 その気遣いに、グッとくる。好感度、急上昇。


「十和子、出会えて良かった」


「そんなオーバーな。その代わりまた勉強教えてね」


 十和子はウインクして、オムライスをスプーンに取る。ふわふわ、とろとろのオムライスはスプーンの上でぷるぷると震えて、彼女の口に運び込まれる。それにしても本当に美味しい物を美味しそうに食べてくれる。見ていて気持ちがいい。


 その後ろ、窓の外に、絵美は目を疑うようなものを見た。


 竹田さんと、文代先輩が、手を、繋いでいる。


 二人はこちらに気付いた。竹田さんはいつもの感じで手を振り、文代先輩は顔を赤らめて小さく手を振る。普段の落ち着いた様子とのギャップが、凄まじい。私は、ギャップ萌えでノックアウトしてしまう。


 二人が去ってから、十和子は口を開く。


「あれ、サークルの先輩?」


「うん。付き合ってるなんて知らなかった」


 知らなかったけれど、納得はしている。既定路線、決定事項。いつもの夫婦漫才を思い出す。もし私たちのバンドのおかげで距離が縮まったのなら、あるいは翔ちゃんと私が上手くいったのに感化されたのなら、付き合うきっかけの一つは私なのかもしれない。そうだったら嬉しいな。


 窓の向こう、芝生広場には昼休みを謳歌する学生たちが見える。雨は朝のうちに止んでしまっていて、木陰で談笑する男子学生たちや、アイスを食べながら暑そうに歩いていくカップルや、なぜかラジオ体操をしている集団や、思い思いの平穏な時間が流れている。やっぱり、ガラスは笑顔を作る。今は私の、笑顔を作ってくれる。


「ねえ、ずっと思ってたんだけど、最近絵美のファッション良いよね。さっきの、軽音の先輩の影響?」


「え? 本当?」


 今日の絵美が身に着けているのは、サンダルにボーダーシャツ、青いフレアスカート。誠に値段を言うと、バイト何回分だ、と呆れられそうなマリンコーデ。文代先輩の影響、あるかな。いや、それよりも、そろそろ一歩前に踏み出したくて、自分なりに考えて。


「うん、本当。可愛いよ」


「ありがとう。十和子に言われたら、かなり自信がつくよ」


 私たちは大学生だ。勉強や、サークルや、オシャレや、バイトや、恋愛や、上手くやり繰りして、色んな事をこなしていかないといけない。


 私は、そのそれぞれについて、周りのみんなに助けてもらっている。竹田さんや文代先輩みたいな新しい縁。翔ちゃんや誠、そして十和子みたいな、昔からの縁やその繋がり。


 そして、いつでも見守ってくれている、すーちゃん。疑ったり、嫉妬したり、謝らないといけないことばっかりなのに。……本当に、いつもありがとうね、すーちゃん。


 私の笑顔がみんなの笑顔を生んで、みんなの笑顔が私の笑顔を生む。まるで磨きたての鏡みたいに、ピカピカに映し合う。


 私は、これからもこんな素敵な人たちと、笑顔を分かち合っていたい。



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