第48話 恋の学園生活
「おっはよ」
とヒーナ・オースティン先輩が声をかけてきた。
八年前の僕の家の事情で錬金術師養成課に転籍したときから、何故か僕に気に掛けてくれる。
「おはようございます。オースティン先輩」
金髪のおさげで、ほっそりして、笑うとチャーミングな先輩である。
実は、僕は密かに憧れている。
「さて、ジェームズ君。君に折り入って、頼みたいことがあるのだが、どうかな?」
わざと低い声で、聞いてきた。先輩はちょっとおちゃめなところがある。
「良いですけど、なんでしょう」
と僕はちょっと、怪訝そうな顔を敢えてしてみた。内心は嬉しくてたまらない。
「ふふふ、それは、来てのお楽しみ。じゃあ放課後に薬剤実験室に来てね、アーノルド君は駄目よ」
人指し指を立てて、左右に振りながら答えてきた。
「ああ、アーノルドは、剣の修業に出かけています。」
と僕は答えた。
「それは、好都合。では、よ・ろ・し・く・ね」
先輩が時々するイタズラっ子みたいな顔で言ってきた。そして鼻歌を歌いながらどこかに行ってしまった。
僕はなんかドキドキしてきた。青春の妄想で頭が大爆発し、その日の授業は全く耳に入らなかった。
◇ ◇ ◇
「やぁ、来てくれたんだね。じゃっ早速」
と言って、教室から顔だけだして、周囲をキョロキョロを見回し、誰もいないのを確かめて、僕を引っ張り込んだ。
ああ、もう、期待に心臓が張り裂けそう。
そして、
「じゃーん」
先輩は手に持ったガラスの瓶を見せた。中には、何やら薄青い色の液体が入っている。
「なんですか、それ」
僕は指でガラス瓶を指しながら聞いてみた。
「感〜覚〜共〜有〜剤〜」
ザーイと伸ばしながら、ドヤ顔で僕に見せてきた。
先輩は続けた。
「ちょっと、前にね、さる高名な双子の魔法使いの『あほ毛』が手に入ったのよ。ほら双子って魔法通信とかじゃなく、感覚を共有することができるじゃない。それで高名な魔法使いのなら、その薬が作れんじゃないかって」
「で?」
「作ってみたわけ。それが大成功。女性同士なら、感覚を共有できたのよ」
「で?」
「異性の場合はどうなるかなって、やっぱり錬金術師としては、結論を出しておく必要があるでしょう?」
「で?」
「で、で、で、って、ちょっと煩いわね。協力しないつもり?」
ヒーナ先輩が、腕を組んでちょっとプンプンして言った。
「いや、いや、いや、そんなことはないです。はい」
「そうでしょう。流石私が見込んだジェームズ君」
さっきまでの期待が萎んだ。
自分を指さしながら、
「人体実験をするのでしょうか? 僕を使って」
「ジェームズ君だけじゃないわ、私もよ。共有するんだもの。二人いないと、できないじゃない」
先輩は指をピースにして、二人を強調した。
「はーい」
僕は両手を上げて、観念した。
先輩は僕の髪の毛1本と、先輩の髪の毛1本を抜いて、さっきの青い液体に入れた。キラキラと光り、溶けていった。
先輩は、試験管十本に移し替えながら、
「これを、手をつないで同時に飲むと、その相手と感覚が共有されるのよ。女の子同士だと自分のほっぺたをつねると、相手にも痛みが共有されたわ。だいたい五分位で解けるわ」
試験官を一本渡され、手を繋いできた。スベスベした小さな手だった。
青春の妄想が膨らみ始めたが、
「さー飲むわよ」
と言って、先輩は一気飲みした。
妄想は萎んだ。釣られて僕も飲んだ。
「なんか、変わった?」
と先輩は聞いてきた。
僕はクビを傾げた。すると、僕のほっぺたを、いきなりつねって来た。
「痛てて、なにするんですか。先輩 痛いですよ」
「あれ、私には痛みがないわね。異性の場合は、足りないのかしら」
と言って、もう二本の試験管を僕に押し付けた。
ちょっと不安になり、
「先輩、大丈夫ですか?」
「大丈夫よ。このヒーナ様が調合した薬なのだから。つべこべ言わずに二本飲むわよ」
先輩はまた、二本一気飲みした。
僕も覚悟を決めて、飲んだ。
「どう?」
「うーん」
と僕は答えた時、視界が一瞬暗転した。
そして、視界が元に戻ったとき、さっきまでと視点が違う。
「えっ、えっ、えーっ」
と眼の前の僕が、声を上げている。
「なに? あれ」
と言いながら、僕は自分の顔を触った。最近ひげが出てきて、そのザラザラしてたけど、すべすべだ。髪の毛がおさげになっている。そして胸が、ん? 何か、弾力があるような、柔らかいような、突起物がある。
「ちょーっと、何触っているのよ。やらしい手付きで人の体触らないで」
と僕が、僕に向かって怒ってきている。
「待って。冷静になろう。深呼吸して」
と僕は、僕に言い聞かせた。
「入れ替わっちゃたわ。これは発見ね」
と眼の前の僕は興奮気味に喋っているのを見ている。
「もしもし、先輩、えーっと、これは? 」
自分は頭脳明晰と自負しているが、理解するのにチョット時間がかかった。
でも、判ってくると、また青春の妄想が膨らみ始めた。憧れの人の体に入っている。
「ちょっと、触らないでって、言ってるでしょ」
いや、十六歳の元男にそう言ってもな。気になるんだよ。
僕は平静を装って、
「五分くらいで解けるだっけ?」
と甲高い、先輩の声で言った。
「たぶん。あーもう、触らないで」
と怒られたので、椅子を向かい合わせにして、眼の前のヒーナの僕が、女の僕を監視することになった。
◇ ◇ ◇
「一時間立ったけど、変わりませんが」
と僕は平静を装って、ヒーナの僕に言った。
そのヒーナの僕は、なんかモジモジしている。
「ねぇ、トイレ行きたいだけど」
「えーっ。それって要するに、だよな」
「いいわ、これでも、薬学を志す錬金術師よ。あんなものの一つや二つ。どうってことないわ。これも経験よ」
ヒーナの僕が教室を出て、男子トイレに行くので、女の僕もついて行った。
危うく女の僕も入って行きそうなり、他の女の子が変な顔で女の僕を見てコソコソ話をしていた。
「うわー」
っと、男子トイレから叫び声が聞こえたが、暫くして、手をブラブラさせて、僕ができていた。
「ちょっと、ハンカチは何処にあるのよ」
「あぁ、持ってません。何時も服とかで」
「ったく、ハンカチぐらい持ってなさいよ」
「あのー、見ました?」
「見たわよ。見ないとできないじゃない。大した事ないわね」
‘大した事ない’は、僕としては何となくがっくりした。
そうこうしているうちに、女の僕もトイレに行きたくなった。
「僕も行きたいですけど」
「えっ、駄目よ、だめ、だめ、だめ、ぜーったいだめ」
漏れそう。と言って無意識に股間を触ると、いつもあるものがないのは寂しい。
「あー、何処触っているのよ」
と僕の右手を先輩が引っ張った。
その時、視点が変わり、
「えーーーーっ」
と思わず声を出してしまった。もとに戻った。
でも、僕は、がっかりした。嬉しくない。
戻ったことを認識した先輩は、ホットして、トイレに入っていった。
戻ってきた先輩は、
「ジェームズ、私のこと先輩じゃくなくて良いわ。ヒーナと呼んで構わないわよ」
と言ってくれた。
少し嬉しかった。
◇ ◇ ◇
僕とヒーナの体が入れ替わった事件から一週間が過ぎた。しかし青春真っ只中の二人にはあまりに衝撃的で、甘美な体験が頭から離れない。
僕は、あの弾力がある様な柔らかい様な胸の膨らみに、触ったときのその感覚、それはもう想像が爆発してしまい、勉強が手につかないし、夜も寝られない。
‘不味いな、来週試験だぞ。この試験を落とすわけには行かない’
と、外に出て深呼吸をしたり、走ったり、腕立て伏せしたり、……したり。兎に角集中力を取り戻すのに色々試した。
あー駄目だ。今日も眠れない。
とジェームズの眠れない日々は暫く続いた。
◇ ◇ ◇
一方ヒーナは、
‘あんな物、大した事ないわ。だって、献体解剖でも見たじゃないの’
と言っても、頭に浮かんでくる。
でもあれが、大きくなるのかしら、どの位? 献体は死んじゃってるから、あれもフニャっとしているし。
触った変な感覚を思い出しながら、ヒーナの頭の中もグルグル回っていた。
しかし、
‘私は、薬学専門の錬金術師になるんだから、男の体の構造だって知ってるわよ。それに解剖書にあるゴブリンのより、小さいじゃない’
とキッパリ、サッパリ、割り切った。
◇ ◇ ◇
次の朝、ヒーナは眠そうに歩いているジェームズを見つけた。
‘だめよ。ここで平然としなきゃ。私は年上だし、この間のことは私の薬のせいでもあるのだから、ここはいつもの通りにしなきゃ’
と自分に言い聞かせて、
「おっはよ、ジェームズ」
と言って、ヒーナはジェームズの背中を叩いた。
すると、ジェームズは、飛び上がって
「やっ、やぁ、ヒーナ先輩」
「あら、ヒーナで良いわよ」
「そっ、そう、なら、ヒーナ、おはよう」
と言いながら、目が胸に向いていく。
それを察したヒーナは、
「何処見てるのよ」
と左手で胸を隠して、右手で軽くパンチした。
ジェームは全く、無防備に、避けることなく、鼻にパンチを食らって、
「ごめんなさい」
と言いながら、鼻血を出していた。
パンチで出たのか、興奮して出たのかは、ジェームズ自身も判らなかった。
「きゃー、大丈夫? ごめん、ごめん、だって避けると思っただもの」
とヒーナはハンカチを出して、ジェームズの鼻に当てて、治療した。
朝の一コマが過ぎた。
◇ ◇ ◇
試験の答案が採点されて戻ってきた。こんな惨憺たる点数を取ったのは初めてだ。
それでも、及第点ギリギリを確保したが、
「おや、ダベンポート君にしては珍しい点数だな。熱でも有ったのか?」
と担当の教師に言われてしまった。
病気かもしれない。最近は、寝ても覚めても、ヒーナの笑顔が目に浮かぶ。
僕は、学園の庭を横切って自分の部屋に戻るのにトボトボと歩いていた。そこでオクタエダルに声を掛けられた。
「お主、珍しいの。お主がそんなに肩を落として居るとは。ふむ、熱でもあるのか?」
と僕の顔を覗き込んできた。
ほっそりとした顔に長い髭、今日は丸い鼻眼鏡をしていた。
そして、
「おお、春か。春じゃな」
と秋も終わろうとしているときに、この爺さんは何を言っているのだと思った。
「良いな、人生で一番煌めく日々。ふぉ、ふぉっ」
と髭を撫でながら去っていった。
一方、ヒーナは、
‘何かしら、ジェームズが大好きって、大声で叫びそう’
私、おかしくなったのかしら。
でも、知ってるわ。
これは、私、ジェームズに、また、恋しちゃったのね。
本当は、私、ジェームズが学園に来た時、恋しちゃったの。
あの頃のジェームズは、何か悲しそうで、それで目が離せなくて。見ていて切なくて。守ってあげたい、そんな恋だった。
でも、今の恋は、すきーって、叫びだしそうな感じ。
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