パフェを食べるという未来

「時間がないと言ったのは、今も現在進行形で現世の私たちは湯に浸かっている。なんと意識を失った状態でだぜ」

「やばいじゃないか」と、小室。

「そう。やばいんだ」と、アマネ。

 よし、戻ろう! そうね、戻りましょう。と、皆口々に戻ることを提案する。

 アマネはきょとんとした顔で、鳴神財閥御一行を見回す。

「過去に戻りたくはないのか?」

 雪恵がやれやれと両手の平を持ち上げる。

「我が鳴神家の家訓は『徹頭徹尾』。今の現実から目を逸らさず、全力で立ち向かうことこそ父の教えです」

 言い終えて、要をちらりと見やる雪恵。要もそれに気づいて、胸に手を置く。

「生まれながらにして、鳴神家の執事として仕える僕も、雪恵お嬢様と同じ信条を胸に刻んでいます」

 次は小室がかぶりを振る。

「ウイルスの抗原検査ってやったことあるか? 新型ワクチンの作成は? 何百、何千通りもの可能性を正確無比の求められる現場で、突き詰める作業がどれほどの苦行か知ってるか? 夢の中でフラスコが話しかけてきたことは? ――俺の人生には、あの地獄のような下積み時代しか魂に刻まれた思い出はねえ。あいにく俺は秋義のようにドMではないんでな。喜んで現代に戻る選択をするぜ」

 次に秋義がアズサの肩に腕を置いて叫ぶ。

「ファーストな体験記録を更新中なんで!」

 秋義の言葉にアズサが口を両手で覆って伏し目がちになった。一同は心の内で舌を打つ。雪恵に至っては、笑顔を貫きつつもおでこの辺りに血管を浮かせていた。

「お金の力で戸籍を消してあげようかしら」

「お嬢。それはいけません。歴代の鳴神家騒動の中でも、戸籍を消すことは様々な問題を引き起こしてきた禁忌。日常生活に少しずつ影響が出るように、じわじわと追い詰めることこそ真の鳴神流です」

「言ってみただけよ。それはもう耳にタコが出来るほど聞いた」

 うわあ、と言いたげな顔の野沢を尻目に、雪恵はひとつ結びの髪を左右に振った。

 今度はミカンがデストロイヤーを肩に乗せて、両手を腰に手を当てた。

「十九時からプリティキュートガールズが始まるんで!」

「小室の研究所で臨床実験された時は、ガラスに頭ぶつけて死んでやろうと思ったもんだが。今はなかなかに居心地が良くてな。過去に戻る理由はない」

 と、ミカンの肩の上で前足を舐めるデストロイヤー。そんなデストロイヤーに小室が異を唱えた。

「なぁに言ってんだ。最高級猫缶くれなきゃ死んでやるとか言って、ヒステリーを起こした挙句、缶詰を平らげたら毎回グースカ寝てたクセに」

「傷心してたし、ミカンがいなくて心細かったのだからしょうがないだろう」

 デストロイヤーはぷいとそっぽを向いた。

「えー、デっちゃん。あたしのことそんなに好きだったのー? 帰ったら『猫コロリ』あげるね!」

「いいのかミカン!」

 しゅばっと、顔をミカンへと向ける。その目はキラキラと輝いている。

「いいよー」

 ミカンがデストロイヤーの頭をなでなでする。ちなみに『猫コロリ』とは最高級猫缶の金字塔とも言える、猫たちの間では知らない者はいない御褒美缶である。

「こいつ、口を開けばミカンのことばかり話してたんだぜ。ミカンは元気か、ミカンはちゃんと寝坊しないで学校に行ってるのか、アニメを見逃していないか。お母さんみたいだろ」

「うるさい。心配なものは心配だろう」

 言いながら、再びそっぽを向いてしまう。

 臨床実験の日々を通して、小室とデストロイヤーの間では厚い信頼関係が生まれていた。小室からデストロイヤーへの感情は『溺愛』と形容しても過言ではなく、デストロイヤー専用の通信機器から衣服まで幅広く提供している。週に一回は長電話をする仲である。


 野沢がアマネに顔を向けた。

「アマネ。こいつらには未来があるんだ。なんら過去へのこだわりがないんだろうよ」

 そんなことを言う野沢を、アマネはちらりと見やる。少し間をおいて、ぼそりと呟いた。

「お前はどうなんだ」

 どこか寂しげな印象を受ける声調だった。

「俺は――」

 複数の感情を含んだような笑みを浮かべて彼は言った。

「そうだな。戻りたいかもしれねえ」

 途端、アマネは目を見開いた。妖気が働いているのか、文字通り全身の毛を逆立たせ、

「はっ! そうかよ! 勝手にしろ!」

 と言い捨てると、秋義達に付いてこいと声を掛けて身を翻した。

 呆然と立ち尽くして、アマネの背を見つめる野沢。彼女に付いて遠ざかっていく秋義一行が、それぞれ心配そうに顔だけ野沢へと向けている。

「なあ」

 ――と、アマネが足を止めた。顔は見せない。

「今度こそ、お前の夢が叶うと良いな」

 どう答えていいか分からず、野沢は無言を貫いた。

 くそったれ。そう吐き捨てて、アマネは再び歩みを進めた。

 彼女は唇を噛みしめ、涙をこらえた。それでも一筋の粒が零れて頬を伝う。顔を俯けて、細かく震える口元を前髪で隠す。そして誰にも悟られないような声量で呟いた。

「パフェ、一緒に食いたかったなあ」

 やがて彼女と、彼らは濃霧の彼方にまぎれ、完全に飲み込まれていった。ただ一人、野沢だけを残して。

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