第67話

 そばのように、細く長く生きれますように──年越しそばには、そんな願が込められている。果たして、そんな『願い』が僕に、陽菜乃に、叶うのだろうか。



        * * *     



 陽菜乃が泣きやむのを、僕は静かに待った。タワーから見える夜景は、ゆっくりと光を灯していた。

 もう、正真正銘、夜だった。


 「ごめん、雅人さん」


 いつの間にか、陽菜乃は僕の手を握っていた。僕の青色に、陽菜乃の緑色が重なっている。陽菜乃の手には少し、汗があった。


 「いいよ、大丈夫だよ」


 僕は握られた手を握り返す。

 「大丈夫」僕は言う。

 自分の手は震えてないだろうか?

 声は震えてないだろうか?

 そんなことが急に怖くなった。


 「ねぇ!」

 「……え、なに?」

 「お腹、空かないか」


 僕はそんな気持ちを吹っ切るように、そう言って陽菜乃の手に力を込める。そして、力ずくで陽菜乃を立たせ、きょとんとした陽菜乃の手を引いた。もう、手は震えてない。

 

 その勢いのまま、いつかみたいに、階段を使って地上に降りた。冬なのに汗が出る。僕は陽菜乃の手を離さなかった。


 「え? どこ行くの?」


 僕はもう決めている。

 迷わず、店に入った。


 「いらっしゃい」


 店主らしき老人の声。

 僕は陽菜乃と手を繋いだまま、カウンターに座った。僕はメニューを見ずに、言った。


 「そば、ください」


 陽菜乃が驚いたようにこっちを見てすぐ、納得したように厨房を向き、丁寧に言った。


 「私もそばをください」


 店主は少しの微笑みをたたえ、了承した。

 そして、すぐそば茹で始める。そこには長年、そば屋の店主をやっている手際の良さが見て取れた。


 「年越しそば、ですか?」


 僕を見て、陽菜乃は言う。


 「いや、違うよ。ただ食べたかったんだ」


 僕は陽菜乃の方を見ずに、言った。

 後は厨房の音だけが、耳についた。

 十分後には、そばが前に置かれた。


 「いただきます」僕と陽菜乃は同時に言って、大人しく麺をすすった。コシの効いた麺がおいしかった。


 「雅人さん」


 そばを食べ終えて、お茶を飲んでいる時、陽菜乃は言った。落ち着いた声だった。


 「私を殺してください」


 そんな素っ頓狂な言葉に、店主がビクッとしていた。意外と、耳が良かった。


 「なに言ってるの?」

 

 僕は何事もないように、湯飲みを傾ける。

 

 「私は雅人さんに生きてほしいよ」

 

 湯飲みから、湯気が立って天に向かっていた。それがなんか、虚しく感じる。


 「僕は、いいんだ」


 吐き捨てるように、僕は言った。

 でも正直、内心は揺れていた。

 そんな自分に、僕はうんざりした。

 かわりに僕は想像した。

 僕と、陽菜乃だけが生きている世界を。

 


 

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