色の逡巡

第61話

 朝になって、僕らは起きる。

 僕は陽菜乃のベッドで寝たまま、掛け時計を見て、今が七時だということを認識する。

 部屋のカーテンからは、太陽の光が漏れていた。


 「おはようございます」


 陽菜乃はそう言って、ベッドから立ち上がった。少しふらつきながらも、仁王立ちで僕を見下ろす。


 「雅人さん、起きてください?」


 僕は陽菜乃のベッドで掛け布団をかけたまま、半眼を向ける。まだ眠かった。


 「雅人さん、起きてよ」

 「起きてるよ」


 そう言いながらも、僕は体を起こさない。

 眠かった。昨日が、まさに眠れない夜だった。


 「雅人さん、起きて!」


 陽菜乃は僕の布団を強引に引っ剥がして、カーテンを全開にした。


 「ああ、ごめん。起きるから……」


 僕は言って身体を起こす。

 寝不足な頭が少し、揺れた気がする。


 「こんな早く起きる意味あるのか?」

 

 寝たりない僕は訊いた。

 僕は無職で、陽菜乃はイラストレーター。

 早く起きる要素が一つもない。


 陽菜乃は言う。


 「雅人さん、デート行こうよ」


 パジャマ姿で話すことじゃないだろ、と思いつつ僕は首を縦に振る。

 すると陽菜乃は嬉しそうな顔をした。


 ──こんな世界、狂ってるよ。


 陽菜乃は昨日、そう言った。

 でもそんな昨日のことは、最初からなかったかのように陽菜乃はケロリとしていた。

 いつもの陽菜乃に戻っていた。


 「それで、どこいくの?」


 僕はベッドの腰掛けて、陽菜乃に聞く。

 すると、陽菜乃は笑みを浮かべた。

 なぜだか、僕は悪い予感がした。


 「決まってるでしょ。日本だよ」


 悪い予感はやっぱり、当たっていた。


        * * *


    「日本を一周しよう!」


 そんな素っ頓狂な提案をしたのは、もちろん陽菜乃だ。やけに張り切っていた。


 「どうやって?」

 「自転車で。風を感じて」

 「無理だよ。北海道にいる頃には僕、死んでるよ」


 自転車で日本一周なんて、大体一年はかかる。いくら頑張っても半年は無理だ。


 「そっか……じゃあ無理だね………」


 陽菜乃は急にげんなりとした。

 今にも死にそうだった。

 僕が悪いみたいになった。


 「うん……でも日本半周ぐらいならできると思うよ」

 

 僕が仕方なく言うと、陽菜乃が目を輝かせた。子供のようだと、僕は思う。


 「本当? じゃあそうしよう」


 陽菜乃はそう言って、急いでパジャマを着替えていた。

 今にも家を飛び出しそうな勢いだった。


 僕も仕方なく、服を着替える。

 

 日本半周の旅。

 これがきっと、僕の最後だ。


        * * *


 僕と陽菜乃は自転車をこいだ。

 本当に気がおかしくなるほど、こいだ。日本半周もなかなかきつい。死にそうだった。


 それでも、僕は楽しかった。


 隣に陽菜乃がいて、色んな所を巡って。

 陽菜乃と笑いあって、ふざけて。

 金閣寺を見て、大仏を見て、海に入って。

 美しい景色を眺めて、陽菜乃が絵を描いて………本当に楽しかった。


 だから、あっという間だった。


 旅の終着点、僕たちの町。

 十二月の寒い日に僕の自転車は着いた。

 着いてしまった。


 「あー楽しかった」

  

 見慣れた住宅街、僕らは自転車を押し、家に向かう。

 二人とも足はふらふらしていた。

 

 「僕も楽しかったよ」


 陽菜乃との、この半年間は楽しかった。

 毎日、本当に楽しかった。

 でも、もう終わってしまった。


 「雅人さん、また行きたいね」

 「もう、行けないよ?」

 「知ってるよ」


 僕はあと一カ月で死ぬ。

 僕は、それがどうしようもなく怖くなっていた。


 死が怖かった。

 死にたくなかった。


 『死にたくなければ殺せ』


 そんな言葉が、僕の頭にちらついた。

 

 『これからも一緒にいてくれる?』

 

 僕は隣の陽菜乃を見て、泣いた。

 止めようとしても、涙が零れた。

 自分が、情けなかった。

 陽菜乃と約束したはずなのに。

 一瞬考えてしまった。

 そんな自分が嫌で、苦しかった。 

 

 そんな僕を見てか、陽菜乃は驚いた顔をして、そして笑った。


 「大丈夫だよ」


 そういって陽菜乃は僕にキスをした。

 なにひとつ、大丈夫じゃなかった。



ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー

説明書 No.61


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