日比谷大河の逡巡

『普通』ができないボクら

 あのキス以降も、ボクたちの関係は変わることはなかった。突然した本人も、今ではケロリとしている。


 「日比谷くん」

 「なに?」

 「なんにも……ふふ」


 椎名は再び本に目を落とし、文字を追った。急に気を逸らされてイラっとしながらもボクも本を読む。


 今、読んでいる本も椎名に勧められた本だ。その小説もファンタジーで、よく人が死んでいた。この前勧められた『新世界より』と同じように人を殺す話だった。


 「椎名はさ、人を殺したいの?」

 「殺したくはないけど、死んでほしい」

 「冷酷だな」 


 椎名の顔で「死んでほしい」なんて言われると、本当にゾッとしてしまう。

 キューピットのハートの矢が、急に切れ味のよい鉄製の矢に変わったみたいだった。


 「この世界なんて、私と日比谷がいれば十分だよ。本当は私たちが生きるべきなんだよ」


 椎名は投げやりにいった。

 本当に人生まで投げる勢いだった。


 「でも、ボクたちだけじゃ幸せにもなれないし、小説を書く人もいないよ? 椎名はそれでいいの?」


 少なくともボクは物語がなければ生きていけない。現実は退屈しかないから。


 「いいの、二人だったら何も怖くない」


 椎名はそう言って、本にもどった。

 ボクも本に目を落とすが、椎名の言葉に何か引っかかった。でも、すぐに止めた。

 現実は物語ほど言動には理由がないのだ。


 ボクは思案を諦めて外を見る。

 窓ガラス越しには、白い雪が、見えた。


        * * *


 翌日も、昼休み、ボクは図書館にいった。

 いつもの席にいく途中、窓外に目がつく。

 

 真っ白な、雪の絨毯があった。


 昨日から降り始めた雪はやむことを忘れたかのように降り続け、だいぶ積もっていた。


 ボクはしばらく席で雪が落ちてくるのを見ていた。椎名が珍しく図書館にいなかったから少し待つことにしたのだ。


 少ししてボクは雪から目をはなし、本を開く。しばらく文字を追って、隣を見る。


 誰もいなかった。


 ボクはまた本に集中力を傾け、短編集の一編が終わった所で、もう一度隣を見る。


 誰もいなかった。


 もう一度、短編集に目を落とし、実は主人公が犯人だったことを知る。悲しい動機だった。ボクはその本を読み切った。

 ボクは改めて、隣を見る。


 やっぱり、誰もいなかった。

 椎名はこなかったのだ。


 こんなこと、今まで一回もなかったのに。

 虚しくなる昼休みのチャイムを聞き、ボクは図書室から出た。


        * * *


 次の日も、ボクの隣は空席のままだった。

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