野球筋肉バカ
「龍平はいいバランスをしとるぞ」
息を飲んで三塁を見つめる俺に、深町監督が愉快そうに言った。
「何者っスか ? あれ」
「四国の山奥で、うちのスカウトが見つけて来た健康優良児。部員十三人の無名校で慎ましやかに野球をしとったらしい」
無名だったのか・・・そのスカウトって凄いな
「・・・俺はバランス悪いですか ?」
「ああ、驚くほど悪い」
・・・くっ、容赦ねーな
「・・・どのへんが」
俺は結構、切実だった。
力丸を見て、さらに動揺もしていた。
「全身の筋肉量、関節の可動域、速筋遅筋の分布なんかが、前後左右バラバラなところ」
・・・カラダ全部じゃねーか
「ここなんか・・・」
いきなり左肩甲骨の内側に手が入れられた。
「な、何してんスか」
「おおっ、手首まで入った」
「いっ・・・・てええぇぇぇぇぇぇぇぇ」
「おっやっぱり痛いか」
「うぅぅぅ・・・・なんなんです ?」
「いや、右肩甲骨はカチンコチンコなのに、左はユルユルなんだわ。奇跡のアンバランスさ」
・・・クソッ、人のカラダで遊びやがって・・・腎臓つかみ出されるかと思った
「・・・で、俺はどうすれば」
仰向けになって聞いた途端、監督の顔がマジになった。
「学生がやるスポーツは、青少年を健全に成長させる事に目的がある」
「はぁ ?」
・・・何言ってんだ ? このおやじ
「適度に楽しんで、スカっとする。そして適度に休む。
・・・なんだ ? 哲学か
「そこを抑えたら、次は何を ?」
監督はマジ顔のまま俺をガン見してきた。
「前にも言ったが、背泳ぎを每日ゆっくり1000泳ぐ、君の練習メニューはそれだけでいい。あとは每日、俺のマッサージを受ける事。それ以外のトレーニングは禁止」
・・・またか
マッサージが終わって、しばらくグランドを眺めていた 。
少しして、力丸が打ち始めた。
振りが鋭かった。
どちらかと言えばコンパクトなスイングで
、叩きつけるバッティング。
打球が速かった。
・・・いいバッターだ
・・・俺は、力丸に
・・・長打力は俺の方が上か
・・・ミートはあっちか
・・・足はたぶん負けている
・・・守備力も負けている
・・・現時点、総合力で明らかに
クロールならかなり速く泳げるし、千メートルくらいならそれほど疲れない。
バタフライも三百メートルくらいまでなら、そこそこいける。
最も水の抵抗を受ける平泳ぎは、パワーで押し切れるので、疲れるが嫌いではない。
しかし背泳ぎなんて真剣に泳いだことがなかった。
やってみて、何故やらなかったのかがよくわかった。
つまらないからだ。
何せパワーが生かせない。
動きが地味でストレスがたまる。(もちろん下手だから地味に感じるのだが・・・)
深町監督が、あえて背泳ぎを千メートルと言った意味もわかった。
バランスが難しい。
百や二百なら何とかなる。
しかし三百を過ぎると姿勢が維持出来なくなる。
体が右へ右へと行きたがり、戻そうと余計な力が入って蛇行し 、ローリングし始める。水の抵抗がどんどん大きくなる。
ゆっくりのんびりと言われても、とても千も泳げない。
右半身の力が強すぎるのがよく分かる。
そして、意外と背筋が弱い。
筋力が弱いのではなく、背筋の左右バランスが悪いらしい。
背泳ぎは、俺のアンバランス加減を嫌と言うほど教えてくれた。
“ 典型的な野球筋肉 ”
深町監督はこの言葉を、否定的な意味合いで使う。
野球ほど非対称のスポーツも珍しいと言う。
何しろ右利きなら、投げるのも打つのも、右から左へ身体をひねり続け、その逆の動きはない。
ベースも反時計回りで、その逆はない。
自然、上半身は右の筋肉、下半身は左の筋肉に負担がかかり続ける。
小学生のころから、野球以外のスポーツには目もくれず、硬球を投げ続け、バットを振り続けた俺の体は、まさに野球筋肉バカ。
「肉体改造なんて大袈裟に考えずに、のんびりと水泳を楽しめばいい。有酸素運動には有酸素運動の、無酸素運動には無酸素運動の楽しさがある。気合を入れ過ぎず、ゆっくりじっくり取り組めばいい」
監督はそう言ったが、背泳ぎでゆっくりじっくり千メートルは、楽しんで泳げる距離ではなかった。
水泳は息継ぎを繰り返す事でリズムを作る。
有酸素運動なのだから、呼吸はとても重要だ。
分かってはいるが、いつでも呼吸が出来る背泳ぎはリズムに乗れなかった。
俺はまずリズミカルに呼吸をする事に集中した。
ストロークに合わせて、口で吸って鼻で吐く。
・・・のんびり
・・・ゆっくり
・・・じっくり
投手で復活するのではない。
野手として、打者として生まれるんだ。
急ぐ必要はない。
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