ヒロの生徒

「わたし、大学三年の時から主任の事、知っていました」


 そう言いながら梨木は、缶コーヒーを差し出してきた。

 俺は黙って受け取り、プルトップを引いた。

 微糖だがかなり甘い。しかも妙に微温ぬるい。

 

 ・・・どんだけ握り締めてたんだ?


「どこかで会ってたか?」


 甘い液体を口に入れたら、少し落ち着いて来たか。


「いえ、三年の時、恩師の先生に〝警察官を目指します〟って言ったら、主任の事を教えてくれました」


「剣道の恩師?」


 ・・・そんな知り合いはいない


「杉村先生です」


 ・・・ヒロ?


「梨木、南大だった?」


「そうですよ。主任の後輩です」


 ・・・知らなかった


「杉村の生徒だったのか?」


「いくつか講義も受けました。でも先生のおかげで剣道にも強くなれました」


「あいつ、剣道なんて素人だろ」


「動体視力と三半規管の鍛え方を教えていただきました」


 ・・・なるほど、ヒロらしい


「それだけで、強くなる方もすごいがな」


「ぼくが最も信頼している刑事が、南洋署にいるって言っていました」


「まあ、社交辞令だな。高校、大学で一緒だったから」


「日本で一番、誤魔化す事の出来ない刑事とも言っていました」


「・・・褒め言葉か?」


「日本一、誤魔化しを受け入れない刑事とも言っていました」


「・・・そうでもないさ」


「班長も、稲石主任も、白石君も・・・副署長だって・・・みんな誤魔化しばかりです」


 声が震えていた。

 やっぱりその事で怒っているのか。

 信用していた人間に裏切られた気分なのだろう。

 誤魔化しを受け入れないのは、きっと梨木の方が上だ。


「さっき、稲石主任から昔の事、教えていただきました」


「・・・むかし?」


「本庁の狂犬刑事でか


「・・・ああ、それか」


「主任はひとりでずっと誤魔化しと闘っていたんですね」


 ・・・ずいぶんとピュアなんだな


「そんな大層なものじゃない・・・」


 また睨まれた。

 恐ろしく落ち着かない気分。


 俺を睨んでも、仕方ないと思うが・・・まあ、これはこれで悪い気分ではないが・・・。

 

 俺はその気分を誤魔化すように、笑いながら梨木の鼻をつまもうと手を伸ばした。

 しかし、瞬時にその手を掴まれていた。


 「さすがの反射神・・・」


 その手を引かれた。


 


 ・・・




 柔らかい唇が俺の言葉をふさいだ。

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