第五章 狂犬

       【 ケツ拭き 】



「遅くまですまなかったな」


 優深を天野家まで送り届けると、祥華が外門まで迎えに出て来てくれた。

 まさに〝わざわざ出て来てくれた〟と言いたくなるほど、立派なエントランス。

 御影石のエントランスは右にカーブを描き、ここからは玄関が見通せないほどの豪邸だ。

 午後の11時ちょい前。


「試合終了時刻から逆算すれば、立派なものよ。夏休みだから、特別許してあげる」


 祥華はそう言って、口元だけで笑みを作った。

 

 ずいぶんと若々しい。

 半年ほど前から働き始めたと聞いた。友達が経営する輸入雑貨店を手伝っているらしい。

 外に出るようになると、感じが変わるものかも知れない。

 

「それじゃまた、次の時に」


 俺は何となく居心地の悪さを覚え、踵を返した。


「ありがとう」


 優深が胸の前で小さく手を振った。


「ああ、休みの都合がついたらまたメールで知らせるな」


「はい。待ってます」


 ・・・


 俺は未練を断ち切るように、フォレスターに乗り込んだ。


 二人共、笑顔で見送ってくれている。


 ・・・未練?


 そんな言葉、今まで想像すらした事なかった。



 

 豪邸から離れて、五分もしないうちナビが着信音を鳴らした。


 ・・・班長?


 日曜の夜11時。


 ・・・嫌な時間だな


 裏腹に左手が瞬時に通話ボタンを押す。

 着信には、条件反射で体が勝手に動いてしまう。


「はい、下村です」


「主任さんよー」


 ・・・機嫌が悪い


「班長、どうしました?」


「お嬢さん、どうにかして」


「・・・梨木、ですか?」


「実況見分調書、これじゃあ出せんでしょ」


 例の連続放火事件の報告書類。

 五十を超える報告書のほとんどを俺が作成したが、それほど難しくないものをいくつか新人の梨木に作らせた。


「問題ありました?」


「支離滅裂、誤字脱字、主任さん見てないでしょ。新人に丸投げはないでしょ」


「今、会社ですか?」


 電話で嫌味につきあっても、キリがない。


「新人の教育っていうは・・・」


「すぐ行きます」


 通話を切った。


 俺の直属上司、野舘警部補。

 捜査一課の係長で一班を仕切っている。


 春に一課に配属されて来た、新人の梨木風美なしきふうみを俺に押し付けて来た。

 いわゆる新人指導。

 

 ・・・女の新任刑事の教育なんて、俺に出来るわけがない

 

 野舘はふだん、俺を〝タカさん〟と呼ぶが、機嫌が悪い時に限って〝主任さん〟と呼び始め、言葉の八割に棘が混入する。

 最近は棘のほとんどが、新人の教育についてだった。


 まあ、珍しくいい休日を過ごせたんだから、新人のケツ拭きくらい何でもない。


 俺は愛車のフォレスターを、南洋署に向けた。

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