ハイジャック勃発
「何か妙だ……」
雄介さんが顎に手を当ててぽつりとこぼした。
「何がですか?」
「いや、気のせいならばいいんだが、普通は、スチュワーデスさんが色々世話をしてくれるはずだが、一向に姿を見せない」
「そうなんですか?」
「あとは、勘。としか言いようが無いんだが……妙な気配を感じる」
「確かに何かおかしいわね。なんだか空気がぴりぴりして感じるわ」
後ろにいた母さんが仕事の声で話しかけてきた。
「なにか、おかしいぞ……」
いたって静かな機内だが、これがおかしいことなのだろうか?
確かに、妙な緊張感が漂っているような、そんな感覚を感じないわけでもない。
なにせ初めて乗る航空機だから、こんなものだと思っていたが。二人の刑事としての勘が、何かを訴えているらしい。
雄介さんのにこやかだった横顔が、だんだん厳しくなっていく。
「あなた……」
「ああ、わかっている」
前後の席で小声で短く言葉を交わす母さんと雄介さん。
「なにか、あったんですか?」
「麻人クン。この航空機は、おそらく今ハイジャックされている」
「え……」
「でもだめだよ、絶対に大人しくしているんだ。絶対にだよ」
俺は生つばを飲み込むと、さらに念を押して「何が起ころうと大人しくしているんだ」と雄介さんが言ってきた。
すると、背後から怒声が聞こえて俺は驚いた。
「おらぁ! 騒ぐな! そのまま静かにしていろ!」
バンッ バンッ!
一斉に全ての人間が背後を見た。
「銃、だと?」
俺はつい声を漏らしてしまった。
どうやって持ち込んだんだ? 航空機に入る時に、チェックは受けたはずだ。なのに大声を出した何の変哲も無い男は銃を確かに持っていた。
「合成樹脂だ」
雄介さんがキッパリと言った。
「あれはおそらくエアガンに分類されるだろう。だが、素材が合成樹脂ならば、パーツ分解した状態で持ち込んで組み立て、本物の銃弾の衝撃にも十分に耐えられる強度を持つ、多分銃弾もそうだろう。だが、それでもチェックを通れないはずだが、どうやって……」
ぶつぶつと、そんな凶器を持ち込めた理由を考え出している雄介さん。
すると、また一人、ハイジャック犯が姿を現した。
そして何か、布らしきものを幾つも投げ込んできた。
それは……血の付いた制服だった。
不幸にも受け取ってしまった女性が悲鳴を上げて、さらに機内がざわつく。
「申し訳ありませんが、スチュワーデスさんには、みーんな死んでもらいました。これからは俺たちがご案内しまーす、ぎゃはははははははははッ!」
そして、銃を持った男の方は、周囲を見渡して、一人の男の頭に向かって発砲した。
即死。
おそらく恋人か妻だろう女性が大きな悲鳴を上げて「広太! 広太!」と叫んでいる。
「うるせえよ」
バンッ!
男がその女性も撃ち殺した。
「いいかお前ら、俺たちはお前たちの命は保障しない。今殺したのはただ単に俺と目が合っただけだ。いいか? もう一度言うぞ、俺たちはお前たちを皆殺しにしても全然かまわない。こんなおもちゃをわざわざ用意したのは、お前たちにしっかりと自分たちは今、命の危険に晒されていますと教えるためだ!」
合成樹脂で出来た銃を高々と持ち上げ、宣言するハイジャック犯。
そして真ん中の道を堂々と歩き、ハイジャック犯の一人が周囲を気をつけて眺める。
そして、俺たちの席で、銃を持った男が立ち止まった。
「おいお前」
「……私、ですか?」
銃を持ったハイジャック犯が雄介さんを睨みつける。
俺は、手が震えてどうしたらいいのか分からなかった。
「お前、武道か格闘技、何かをやっているな?」
「それが何か?」
バンッ!
銃弾が雄介さんの左鎖骨を打ち抜いた。これでは腕が上がらなくなってしまう。
「う、ああああ……」
「と、義父さん!」
「質問に質問で返すのはいかんよなあ? 舐めてんのか?」
「そ、そういうわけじゃ……」
バンッ!
今度は右の鎖骨も銃弾で砕いた。
「あああああああ!」
「あなた!」
「お父さん!」
「お前が何かしらの格闘技をやっているってだけで、殺しておく理由は十分だ! それくらい分からなかったのか? 間抜けめ!」
そして銃を持ったハイジャック犯は、ふと気がついたようにこちらから視線を外した。見つけられたのは……実咲だった。
「おい、グロー3.お前にうってつけの女の子ちゃんがいるぜ!」
「おおっとまじかーグロー2!」
銃を持ったほうのハイジャック犯が、下卑た声を出す仲間を呼んだ。
そして下卑た顔の男はやってきて、実咲を値踏みするように見る。
「フィリピンじゃあヤリ放題がよお、あいつら臭せえんだよな。やっぱ日本人に限るぜ、ほーん」
まさか、実咲を!
「ちょっと成長しすぎてるが、楽しいフライトになりそうだぜ」
「ちょ、いや、痛い!」
「やめて、私の娘よ!」
「うるせえババアだな!」
実咲の髪を引っ張りつつ、男はもう片方の手で、母さんの額を掴んだ。
「ヒートハンドぉ!」
じゅうううううううう――
「あああああああッ!」
肉の焼ける匂い、母の叫び声。
なんだこれは……男の手が燃えて、母の額を焼いている!
「どけっつーんだよ!」
男が力ずくで母を投げるようにどかして、実咲を引っ張り挙げた。
「お嬢ちゃん、ちょっと俺と楽しもうか? ああ」
「いや! だれか!」
「実咲に手を出すな!」
俺が立ち上がって叫んだ。
「実咲を離せ!」
俺が男につかみかかろうとして――
「ダメだ!」
雄介さんが覆いかぶさるように俺を抱きかかえた。
バンバンバン!
「がはっ!」
血。雄介さんが血を吐き出して俺を押し倒したまま苦しんでいる。
「これは、俺の大事な息子と娘だあああああ!」
ハイジャック犯も驚くほどの怒声。
数秒だけ、機内がしんと静まった。
そして、小声で、嬉しく笑いながら、雄介さんが言ってきた。
「やっと、僕を『とうさん』と呼んでくれたね……」
血を吐きながら、ふうふうと瀕死の重傷をおいながらも、雄介さんが……。
「ンだこいつ……。もういいわ」
バンバンバンバン!
「がぁはッ!」
俺に覆いかぶさったまま、雄介さん……義父さんが背中に銃弾を何発も打ち込まれ、それでも必死に俺を守る。
「とう、さん……」
「チッ、銃口が焼け付いちまったか」
「とうさあああああん!」
ふうふうと、息も絶え絶えな義父さん。それでも、力強く、俺を掴んで覆いかぶさり、決して離さない。
俺は、その姿を見て、ぷつんと何かが頭の中ではじける感覚をした。
「お前らああああああああ!」
俺は叫んだ、目一杯に叫んだ。その口を、義父さんが無理矢理手で口を押さえ込んできた。静かにしていろと、目が訴えている。
不意に、涙がこぼれる。
なんで……何でこうなった?
頭を焼かれて苦悶する母、髪をつかまれて連れ去られる実咲。自分が死ぬことよりも俺を優先する義父さん。
なんで、何でコイツラは楽しそうにしているんだ?
なんで、こんな事が平気でできるんだ?
なんで、なんで、なんで……。
こんな事があってたまるか。
せっかく、母と父と妹と、ちゃんとした家族の形が出来て、これから世人で暮らしていくはずだったのに……。
なんでこんなことになった。
なんでこんなことをするんだ?
どうして俺たちこんな目にあわないといけない?
どうして人を殺して平気でいられるんだ?
どうして人を傷つけて、痛めつけて楽しめるんだ?
理解できない。理解したくも無い。
こんな『悪』に、どうして屈しなければならない。
どうして俺たちが踏みつけられるんだ?
コイツラは俺たちを、虫を殺すように、息を吐くように、誰かを殺す。家族を痛めつける。
許せない、許せない、許せない……。
許せない許せない許せない許せない
許せない許せない許せない許せない許せない――
だけど……。
なんで俺はこんなにも、
どうしてこんなにも無力なんだ?
「おイタはその辺にしておけ……」
それは静かで、とても冷たく硬い、はっきりとした声だった。
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