ミッション#2

庭崎加奈子

 カランカラン

「いらっしゃいませー」


 土曜日。ひなた時計でのアルバイト初出勤。

 午前中はゆっくり始まったバイトだけど、昼になるごとにお客さんが増えて、慣れない手つきで頭がグルグルになってしまった。


 だけどまかないで食べたふわとろオムライスで元気百倍!


 主に料理全般は凉平さんがやっており、カウンターとコーヒー紅茶類とレジの方は麻人さんが担当。


 これを今までたった二人でやっていたなんて。


「加奈子ちゃん、テーブルの三番さん。ホットサンド二つとメロンソーダ」

「コーヒーもできたよ」

「はーい」


 やってきたお客さんはメガネをかけたワイシャツにジーンズと綺麗な銀縁メガネをかけたお客さん、常連なのかそのままカウンターテーブルの方に着いた。


「よお、誠一郎」


 調理場からひょっこり現れた凉平さんが、やってきたお客さんに話しかける。やはり常連? 友達かな?


「ああ、いつものコーヒーを頼む」

「わかった」


 麻人さんがコーヒーを入れ始める。


 やばっ! また頭がグルグルしてきた。

 お客さんの回転が速い。加えて昼のピークで出た疲れが――


「加奈子ちゃん」

 麻人さんが私を呼んだ。


「ゆっくりでいいから。一つ一つこなしていってね」

「あ、はい!」


 麻人さんは優しくて察しが良いのか、ちょくちょく私に声をかけてフォローしてくれている。


「加奈子ちゃん、テーブルの五番あがったよ」

「はい!」


 とりあえずホットサンド二つとメロンソーダとコーヒーを三番テーブルに持っていって、「ごゆっくりと」付け足してすぐに戻る。五番五番。っと。


 凉平さんはとにかく手際がいい。たった一人でこの量のお客さんの料理をどんどん作ってる。


「凉平、あまり加奈子ちゃんを焦らせるな」

「わかってるよ」


 なんだかんだで、良いコンビの二人。早く私もこの中に入ってきっちり仕事ができるようにならないと。


 なんだかがぜん燃えてきた。


 五番テーブルに私のさっき食べた見事なオムライスを運び――


 カランカラン


 次のお客さんが着――


「うわっ!」


 思わず大声を上げてしまった。

 帽子とスーツできっちりしている大きな人。2メートルはあるのかな? 百六十四センチの私では見上げることしか出来ない。

 特に胸元にはシャツがはちきれんばかりの筋肉が盛り上がっていた。


「失礼しました! いらっしゃいませ!」

「いや、いい」


 大きな人は簡潔に言った。


「加奈子ちゃん」

 麻人さんが呼んできた。

「その人はこの店のオーナーだよ。五十嵐防人さんって言うんだ」

「え! えええ!」


 この巨人みたいな人がこの店のオーナーですかあ!


「麻人、店の清算表は?」

「事務場に置いてあります」

「うむ。わかった」


「はえー……」

 もはや見上げるしかなかった。


 そのオーナー、五十嵐防人さんがこちらを見た。

 なんだろう、体が凄く大きくて無表情だからか萎縮してしまう。まるで猛獣に見られているようだ。


「君が今日から入ったアルバイトの子か」

「は、はい! 庭崎加奈子といいます。よろしくお願いします!」

「うむ」


 そしてまるで巨漢の重さを見せないようなスッとした足取りで、麻人さんの前に立つ。


 五十嵐オーナーが持っていたのは大きな麻袋だった、それをカウンターにどさりと置く。


「新しい豆だ。これでしばらくはやってくれ」

「了解、オーナー」


 うわっ、あれ全部コーヒー豆なんだ……軽く十キロ以上はありそう……。


「加奈子ちゃん加奈子ちゃん」

 腰を低くして厨房から抜け出してきた凉平さんが私に耳打ちしてくる。

「本当はカウンターをオーナーがやりたかったらしいんだけど、あの図体だろ? 客が寄ってこなくなっちまうから麻人が今のポジについたんだ」


「あー……」


 なんだか納得してしまう。


 店に入ったらこんな厳つい体で出迎えられたら、プロレスラーでもすぐに萎縮してしまいそう。


「凉平。聞こえてるぞ」

 五十嵐オーナーの一喝。

「はーい。厨房戻りまーす」

 そそくさと凉平さんが厨房に逃げて行った。


「庭崎君」

「はい!」

「…………」


 なんだろう、オーナーさんに睨まれてる。

 と、思ったが。


「そのなんだ……こんな二人だが、仲良くやってくれ」

「あ……はい」


 励まされたのかな? こんなキッチリカッチリ堂々としているのに、真顔で表情一つ変えず言ってくるものだから、なんだか縮こまってしまう。


「別に取って食べられるわけじゃないから。安心していーよー」

 凉平さんの余計な一言。

「……凉平」

「はーい、仕事ちゃんとやりまーす」


 その様子を、視界の端で麻人さんがくすりと笑っていた。

 そんなこんなで昼が過ぎていき、夕方になった。



「ふう……」

 お客さんもほとんどいなくなって、やっと落ち着けるようになった。


 こんなに動いたのは久しぶりだ。


「加奈子ちゃん」

 凉平さんが白い箱を持ってやってきた。

「はい?」

「さっき届いたんだけど」

 凉平さんが箱を開けて中身を見せてくれた。

「わああ……」


 中には服が。フリルのついたオレンジ色のウェイトレスの洋服が入っていた。


「明日からはエプロンじゃなくてこれを着てね」

「いいんですか?」

「もちろん」


 親指を立てる凉平さん。


「胸の方もこれからの成長もを含めてあるから」

「…………」


 なんだろう、一気にうれしさが消え去ってしまった。


「余計な事を言うな」

 麻人さんが銀のトレーで凉平さんの頭をガンと叩いた。


「いてて……気を利かせたんだけどなあ」

「そんな気の利き方は無い」


 麻人さんに激しく同意だった。


「凉平さんえっちですね……」


 服はありがたいが、凉平さんに軽蔑の視線を向ける。


「……このアホめ」


 麻人さんもうんざりとため息をつく。


「まあ、いいじゃないか。今日はとてもにぎわっていた」

 あれ?

 カウンターの方から声が聞こえてきた。


 声の主は昼過ぎにやってきた、誠一郎さん? という人だった。


 ひょっとしてずっと居たのかな? 気がつかなかった。


「だろ? 誠一郎もそう思うよな? バイトの子募集して正解だったろ?」

「お前の余計な一言がなければな」

 凉平さんの言葉を誠一郎さんがばっさりと切り捨てた。

「毎回お前は、本当に一言多いよな」

 銀のトレーで凉平さんの頭をガンガン叩く麻人さん。

「いいじゃねえか別によ」

 凉平さんが開き直ってふて腐れた顔をした。


「……ふふ」


 つい、顔がほころんでしまった。

 なんだか、楽しい。

 こんなにぎわった空間にいたのは……初めてかもしれない。


「そういえば加奈子ちゃん」

 ベシベシと銀のトレーで凉平さんを叩いている麻人さんが聞いてきた。

「ご両親さんは、バイトの事大丈夫なのかな?」

「あ……」


 それを聞かれると、つい口ごもってしまう。


「たぶん、大丈夫だと思います」

「うん?」


「なんていうかその、こんな私なのに、父さんお母さんは結構な研究者なんです。家にはあまり帰ってこなくって、その……」


 父と母は同じ会社で薬剤の研究をやっている。この優秀な二人から、何で自分みたいなのが生まれたのだろうか? と、いつも不思議に思っていた。


「……なるほど。だけど、離れていても親子なんだ。あまり心配をかけないようにね」

「はい」


 髪をいじって何とか誤魔化す。


「じゃあ、そろそろかな?」


 麻人さんが時計を見た。

 もう夕方の六時になっていた。


「そろそろ上がってもいいよ。お疲れ様。明日もよろしくね」

「はい!」


 陰鬱な空気を見せないよう、びしっと返事をする。


「今日はお疲れ様でした。こんな私ですけど、よろしくお願いします」

「こちらこそ」

「明日はちゃんとその服着てねー」

 麻人さんと凉平さんがうんうんと頷く。


「はい! よろしくお願いします!」


 こんな私でも、何かとやれそうな気がしてきた。アルバイトを選んで良かった。

 優しくて、楽しくて、そしてうれしい。

 私のような人間でも認められたような気がした。

 明日はもっとがんばろう。

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