ミッション#1

ひなた時計

『喫茶 ひなた時計/アルバイト募集

 土日祝日、平日夕方以降でも働ける方で女性のみ。初心者大歓迎!

 仕事内容、主に接客、店内掃除等』


「早く金を出せやぁっ!」


 店内の隅々まで響く怒声。私、庭崎加奈子はそれをすぐ耳元で聞いていた。


「聞こえねえのか! あぁ!」


 怒鳴り散らす男の片方の手で持ったナイフ、その切っ先が私の頬の前で留まっている。男のもう片方の腕は自分の首に巻きついていた。


 男の汗臭いにおい。興奮して荒くなっている呼吸がすぐ耳元で聞こえてきて、気持ち悪くてたまらない。私は確かに、学校の帰りにバイトを探してここの喫茶店に入ったはずだ。  


 一人で。……なのに、カウベルを鳴らし、入って行くと。

 温和な雰囲気を持った店員が、その穏やかな笑みと共に――。

「いらっしゃいませ、三名様ですね」

 そう言われて反射的に後ろを振り向くと――。


『…………………』


 体が硬直した。向かって右、赤いプロレスラーの覆面。向かって左、紺のニット帽とサングラスに白いマスク……。私はそれが何なのか気づく間もなく――。

サングラスの男はナイフを出しながら私の首に腕を回し、覆面の男もナイフを出しながら店員へ大股で歩み寄り、その切っ先を店員の目の前に突き出して。


『ニイチャン、ケガしたく無かったら金を出しな』


 だった。


 店内を見回すと、店員らしき人は正面のレジにいる青年ただ一人。そこから右へ、カウンターとスツールが並び、隅に近い席に初老のスーツ姿の男性が一人、無言で険しい顔をしながらこちらを凝視している。左方向はソファーとテーブルが何組かあったが、こちらにはお客は居ないようだ。

 喫茶店というより、小さめのファミレス。そんな感じの広さで、多くの観賞用の植物と木材をふんだんに使った内装。温かみのある空間だった。ここまで自分が冷静なのは、やっぱり人質になっているという実感が無いためだろうか?


「……」

 あれ? 人質?

「…………あのぅ」


 自信の無い生徒のように顔の高さまで手を持ち上げて挙手をしながら、呟くように声を出す。すると、その場にいる全員の視線が集まり、静まり返った。


「はい?」


 別に誰かに話しかけたつもりではなかったが、店員の青年が返事をした。


「私が人質になる意味あるの?」


 沈黙。


 少しばかり、空気が冷たくなった気がした。それでもかまわず続ける。


「だって……二対一でナイフ持ってるし。すぐにお金を奪ってすぐに逃げれば……その……いいんじゃないかなーって……ははは……は」


最後は苦笑だった。


 冷たい沈黙が目に見えて広がっていく。


 ……………。

 ……………。


「さっさと出せやクォラァア!」

「えぇ! 無視なの!」

 つい強盗と同じくらい声を張り上げる。


「うるせえ、だまってろ!」

「嫌よ!」


 首に巻きついていた腕を掴み、無理矢理引き剥がそうとする。


「暴れるな! 刺すぞ! おとなしくしろ!」

「うるさい! 離せって! このっ!」


「まあまあ、そう躍起にならないでくださいよ。お金は出しますから」


 亜麻色で長い髪の青年……店員さんはレジの箱を開けてお金を取り出して見せた。


「しかしまあ、喫茶店に強盗なんて、大変ですねえ。最近じゃあ郵便局でもこんな事通用しませんからねえ……」


 髪の長い店員さんはレジに入っていたお札を全部突き出した。


「そうだよ黙って渡せばいいんだよ!」


 強盗の一人が店員から奪い取るようにお札の束を取り上げた。


 カランカラン


「あっ……」

 カウベルの音がして、入ってきた人物を見ると、店員さんが声を漏らした。


 ズダン!


 その場に突っ伏すように倒れたのは、赤い覆面の強盗――。


「あっちゃー……」


 髪の長い店員さんは額に手を当ててうなだれた。

 視線を移し背後を見る。


「その子を離せ」

 凛とした声で、私を抱いていた強盗の腕がひねられて持ち上げられる。

「い、いたたたたたた!」


 よほど強くねじったのか、私を解放して腕の痛みに耐える強盗。

 そして――


 ダンッ!


 一瞬。


 まさにまばたき一回分の早さだった。


 強盗がどうしてこうなったのか分からないが、腕をねじられたまま、床に頭を叩きつけられて、そのまま動かなくなった。


「ふうぅ――ッ」


 歯の隙間から息が流れる音がして、男性がゆっくりと立ち上がる。

 相手は気絶したのだろうピクリとも動かない。かわりに鼻を強打したらしく顔のあたりからどろりと血が出てきた。


「大丈夫ですか?」


 『ひなた時計』という文字の入ったエプロンを着た、爽やかそうな青年。が強盗達から視線を外して話しかけてきた。

「は、はい」

 店員は、すらりとした体格の、まだ若い青年だった。見た感じではまだ二十代半ばにもなっていない。


 呆れ顔をしている長髪の店員さんと同じぐらいの年だろうか?


「おい麻人」

 長髪の店員さんが、麻人と呼ぶ青年に呆れ声を投げた。

「こういう時は金を渡して追い返す。警察に連絡して防犯カメラを渡すのがセオリーだろうに……」

「その程度じゃ生ぬるい。凉平、コイツら野放しにすればまた他の所で犯罪を犯すかもしれないだろう」

「はいはい、正義感正義感。ご立派ですねえこの石頭め」


 麻人、さん……はこちらに向いて顔を緩めた。

 とくん……


 なんだろう。この麻人という青年に見られていると、なんだか顔が熱くなってくる。


「大丈夫だった?」

「あ、はい。ありがとうございます」


 ああ、なんだかやばい。何がやばいのかよく分からないけどやばい。この人に見つめられると……。


「警察呼ばないと」

 こほんと咳払いをして、長髪の店員、凉平さんが仕切りなおした。

「気絶しているうちにしょっ引いてもらおうぜ」

「私が警察を呼びます!」

 はっと気付いて、ポケットから携帯電話を取り出す。

「ああ、それならそこに……日向さん」


 ヒュウガサン?


 麻人さんがそう言って、カウンターにいた初老の男性を呼ぶ。

 髪に少し白髪が混じり、ほりの深い顔つきをしたその男性はちょうど携帯電話を切って胸のポケットに入れたところだった。


「今、連絡を入れたところだ。もうすぐ来るだろう」


 麻人さんの言うヒュウガサンが、間近にまで歩み寄ってくる。店員よりも背が高く、肩幅も広い。何か武道をやっているような、そんな空気を持っていた。


「け、刑事さん?」

 日向さんはこくりとうなずく。

「今日は非番だったんだがね」

「こちらは日向警部、ウチの常連さん」

 麻人さんが付け加えた。


「……久しぶりに腕前を見せてもらったよ。まったく鈍ってないようだね」

「いえ、自分なんかまだまだですよ」


 麻人さんが遠慮がちに照れている。視界の隅では大きくため息をする凉平さんがいた。どうやらこの二人はよほど親しいらしい。ただの常連客だけでなく昔からの知り合い同士なのだろうか?


 強盗はパトカーが来るまで、日向さんが二人まとめて縛り。気を失わせたまま適当に隅へと転がしておいた。


 麻人さんが覆面の男を倒したときの出血はやはり鼻血だったので、気分が悪いと店員がモップできれいに拭き取って掃除をする。ひと段落すると麻人さんが申し訳なさそうな顔をして話しかけてきた。


「すいません、こんな状態なので、今日はもう……」


 私をお客と間違えていたようだ。バイトの募集を見て来たのだが、実際は切り出す余裕すらなかったので無理もない。


「あ、私はお客で来たんじゃなくて。その、ここでバイトの募集をしているのを知って。それで……」


 うまく言葉が出ない。なんか変だ。この人と正面から向き合えない。


「こんなんじゃ今日面接とかはもうだめですよね、また出直します……」


 麻人さんと日向さんに背を向けて鞄を拾う。そのまま外に出ようとするが。


「少し待ってくれないかな?」

 呼び止めたのは日向さんだった。


「もし、時間があるのならご協力をお願をしたい。少なくとも君は被害に会っているのだから」


「あ、そっか。……一応人質になってたんだし……ね」


 声のトーンが下がって無意識に俯いてしまった。その仕草を二人は強盗の被害にあって怖くなったものと思わせてしまったかもしれない。俯いてしまったのはただ、日向さんの隣に麻人さんが立ってこちらを見ていたからだ。


「まあ、私もこの場にいた人間だ。状況説明は私がしておこう。そう時間は取らせないつもりだから、バイトの話はその後からでも十分……それで良いかね?麻人君」


「そうですね、今日はもう閉めたほうがいいかもしれませんし。いいだろう? 凉平」


 凉平さんが肩をすくめた。


「……君、えっと名前は?」

「あ、あたしは庭崎加奈子(にわさきかなこ)って言います」

「俺は洸真麻人(こうまあさと)よろしく」


自己紹介に穏やかな笑みがついてくる。接客スマイルではなく、元々こういった性格なのだろう。


「はっ、はいっ」 


 麻人の顔が正面よりやや上にあった。顔の辺りが熱くなってきて、不意に麻人の視線から目を逸らしてしまう。


「よろしくお願いします。洸真さん……」

「僕は麻人でいいよ。加奈子ちゃん」

 穏やかな笑みから、次はからかい気味の口調で、無邪気そうなニッとした笑みを浮かべる。おそらく彼なりに元気付けようとしているのだろう。


「はい、わかりました♪」


――――――――――

夕暮れ。

 駅の周辺は、多くの人々でごった返していた。

 帰宅途中、またはこれから飲みに出る会社員たち、学生たち、これから夜の遊びをする若者たち、買い物帰りの主婦たち。空が赤くなるほど、太陽が落ちていくほど、その量は増えていく。そんな街中で信号は赤いランプを灯して、車両の行列を作っていた。


 先頭は黒光りする眩しいばかりの最高級リムジン。人と車とビルの密集する中でも、その風格は浮き出るほどに気高い雰囲気を持っていた。

 信号が赤いランプから青へと変わり、リムジンが発進する。


 が、即座にタイヤが路面とこすれる悲鳴を上げてリムジンが止まった。加速するリ

ムジンの前に人が飛び出し、慌てた運転手が急ブレーキを踏んだのだ。

 リムジンの前に飛び出した人物は両腕を大きく広げ、車の目の前で大の字を作っている。


薄く汚れた淡い緑の作業着、痩せ細った体つき、疲れと焦りの混じる必死の顔をした中年男性だった。足元には作業着と同じ、淡い緑の帽子が転がっている。


 その男がリムジンへ駆け寄り、車に手をついて身を乗り出すと、運転手に今にも泣き出しそうな声で。


「こ、この車! 柳坂さんの車ですよね、お願いします! 柳坂さんに合わせてください!」


 運転手が困ったように作業着の男から目を逸らす、その時後ろのドアから開く音と閉まる音がした。

 出てきたのは二人、二人とも黒いスーツを着た若い男だ。その男達が作業着の男に近寄ると、作業着の男の方も黒スーツの男の一人へ向く。


「柳坂さんは、あの――」


 言葉の途中で向かい合っていた黒スーツの男の方が突然、無言で作業着の男の顔面を拳で殴り倒した。

 作業着の男は不意の攻撃をまともにくらい、アスファルトに倒れる。


「汚ぇ手で触ってんじゃねぇよ…あーあ、汚れちまったじゃねえかよぉ!」


 だくだくと血の流れる鼻を両手で押さえて、アスファルトで蹲って倒れている作業着の男の腹を革靴のつま先で無造作に蹴り上げた。「ぐはっ!」っと吐息を吐き出してさらに体を丸くする。苦痛に耐える作業着の男に、さらにもう一方の黒スーツの男が近寄り、作業着の男の顔を覗き込むようにしゃがむと、髪をつかんで無理やりに顔を持ち上げる。顔を殴った方の男は自分のハンカチでリムジンを拭いていた。


「で、てめえ何の用よ?」

「お金は……必ず返します……ですから…娘を…娘を返がえじでぐだざいぃ……」


 血で鼻が詰まっている、それでも懸命に絞り出した声。その答えに黒スーツの男は、顔を歪め白い歯をむき出して作業着の男を睨み付ける。


「金がネェなら…用意してこいやぁっ!」

 そういうと、顔をもう一段高く持ち上げ、アスファルトへと叩きつける。


「ケッ、クズが」

 立ち上がって辺りを見回す。

「何見てんだ! あぁ! 見せモンじゃねえぞ!」


 それは歩道から見ていた野次馬達への怒声だった。

 彼等が居るのは白いラインの横断歩道の上。おそらくこの騒ぎで渡ろうとしても渡れなかった人々も含まれているだろう。その他の人々はあまり関わらないように、こちらをチラチラ見るだけで歩道を普通に歩いていた。 


 それはリムジンの後ろについていた車の行列も例外ではなかった。リムジンを避けるように、後ろの車両たちが両脇からすり抜けていくのだ。こんな光景を目の当たりにして、後ろからクラクションを鳴らすものはいない。

 野次馬と、横断歩道を渡ろうと待っていた人々の塊は、怒声と睨みで散々に消えていく。


 さも当然かのように、この作業着の男を助けるものなど誰もいなかった……。


 またもリムジンの後方のドアから開閉音がする。

 今度もまた二人の男が出てきた、一人は無駄に高級そうな派手なスーツと、金のアクセサリーで着飾った背の低い小太りの男、社長の柳坂十蔵。


 もう一人は柳坂の後ろにいた。二メートルは超える巨漢の男、オールバックの黒髪にサングラス。左の頬には斜めに線状に入った三つの大きな傷がある。立っているだけで迫力のある大男だった。体が大きすぎてリムジンが窮屈だったらしく、太い首をマッサージしている。


「どうした?」


 柳坂が黒スーツの男二人に聞く。


 その質問に、作業着の男をはじめに殴り倒した方が答えた。


「社長、車を出そうとしたところ、この男が急に飛び出してきて……」

「あん?」


 面倒くさそうに呻く返事をして、地面でうずくまる作業着の男を見下ろす柳坂。


「柳坂さん……」

 顔だけを動かして、声を絞り出す。

「お金は……必ず返しますから……たった一人の娘なんです…あの子には美容師になる夢があるんです…ですから……」


「言いてえ事があるなら金持ってこいやぁ!」

 もう一人の黒スーツの男がまたも蹴りを入れようとして――。

「やめろ」


 止めたのは柳坂だった。

 そして汚い物でも見るような視線で作業着の男を見下ろしたまま。

「靴が汚れる」


 その言葉に、蹴ろうとした足を戻して柳坂に道を明けるように脇へどいた。柳坂が作業着の男のすぐ側まで歩み寄る。


「フン……こんなものはな、こうすればいいんだよ…黒鬼(くろぎ)」


 巨漢の男を呼ぶ。黒鬼は柳坂の言いたい事が分かっているかのように作業着の男へと歩み寄り、彼の胸倉を大木にも思わせる片腕で己の顔の高さまで掴み上げた。


「こいつは?」


 柳坂の問いに黒スーツの男の片方が答える


「つい最近借金のカタに娘を取り上げた岡島という奴です」


「そうか。岡島さん……次に会うときはお金もちゃぁんと持ってきてくださいよォ…私は忙しい身でね、あなたと違って……次に会うときは期待していますよ」

 最後の言葉の後、黒鬼は無言で持ち上げた岡島をそのまま道路の隅へと投げ飛ばした。


 衝撃音と共にガードレールに叩きつけられ、地面に落ちると、岡島はそのままぐったりと動かなくなる。


「行くぞ」


 柳坂の一言で、二人の黒スーツの男と、黒鬼が柳坂の後に続いてリムジンの中へと戻っていく。


 そうしてリムジンはようやく発進した。

 後に残ったもの……


 何も無かったように通行する車と、岡島の悲痛な泣き声――。


 ――――――――――

「どーぞ」


 ボックス席。私の目の前にコースターと透明なガラスコップと、紙の袋に入ったストローが置かれる。コップの中には氷とオレンジジュース。ストローをさすとからんと涼しい音がした。


 あの後、警察車両がやってきて、私はある程度話をしただけだった。

 結果的に、被害も最小で壊れた物も無く、その場に居合わせたのは私と麻人さん凉平さんと日向さん。事情聴取が早く終わった理由はやっぱり日向さんのおかげだろう。


 その日向さんは、強盗と一緒に警察車両に乗って署に戻っていった。


 ジュースを手に取りストローをすすると、程よい甘さと酸っぱさが自分の好みだった。


 外はもう薄暗くなっていて、景色が見える窓には全てブラインドがかかっていた。

 車が前を通るたびに、ブラインドの隙間からヘッドライトの光が漏れてくる。


 凉平さんの隣で麻人さんは私が用意していた履歴書に目を通している。

 そして二人の向かいの席に私は緊張気味に座っていた。


「何でかねえ……」


 二度目のつぶやき。


「何がだ?」


 凉平のぼやきに返事をしながら、麻人はテーブルに置いてある自分で淹れたコーヒーに手を伸ばす。


「フツーなあ、不意打ちとはいえ、女の子が危険にさらされてたんだぞ」

「結果的に傷一つ無く助かった」

「おまえなぁ……」

 すまし顔で答える麻人に、さらに半眼になって呆れる。

「それでどうするんだ」

「あん? 何がだ」

「……バイトだ」


 そう言って凉平へ私の履歴書を渡す。私は緊張した面持ちで黙って待っていた。


「お前がバイトの募集をしたんだろ。しっかり面接の相手をしろ」

「ん、ああ――」

 親指と人差し指で丸を作って、OKサインを私に見せる。

「おっけ、合格」

「……」

 しばらく間が開いた後、カチャリと音がした。見れば麻人がホットコーヒーのカップを掴んだ音だ。取っ手に指を通したのではなく、カップを掴んだ音。


「あの、私はまだ何もしてないんですけど……」

「凉平……」

「わかったわかった! 真面目にやるから!」


 今にもホットコーヒーをぶっかけようとする麻人を懸命に制して、今やっと私の履歴書に初めて目を通す。


「えーっと、庭崎加奈子ちゃん。十五歳。んで、私立の……へえ、城泉学園高等部か……一年生で……バイトの動機は?」


「えっと、私、特に部活とか興味なくて、でもせめて何かやりたいなーって思って、それならお金も稼げるバイトでもしようかな……とか、そんな理由じゃあダメですよね?」


「いいや、全然オッケーだよ。社会勉強っていうやつだね」

「まあ、そうなります。ね……」

「だとすると出れるのは夕方だけか……」

「ダメでしょうか? 休日もちゃんと出ます」

「まあ、いいんじゃないかな? 麻人はどーよ?」

「俺はかまわないよ」

「じゃあ、採用。ってことで」


 内心でほっとする。


「ちなみに彼氏とかは?」

「いません」

「了解」


 答えてからふと気づく。


「今何か余計なこと聞きませんでした?」

「いーや、別にー」

 凉平さんは麻人さんに半眼になってジトーッと睨まれ、履歴書で顔を隠す。


「…………」

「…………」


 微妙な沈黙に、麻人さんが口を開いた。


「じゃあ、一応研修ってことで、今度の土日は空いてる?」

「はいっ! 大丈夫です」

気合の入った声と一緒に、胸元でグッと拳を握る。


「じゃあ次の土日から来てもらおうかな」

「はい」


 仕事の内容と研修の予定を話し終わり、一通りの面接が終了して一同が立ち上がる。


「夜になったし、送ろうか?」

 学校の鞄を手に取って、出ようとした私を凉平さんが引き止める。

「なんなら俺が乗っけてってやるよ」

 ズボンのポケットから自分のバイクのキーを取り出した。


「大丈夫です、一人で帰れますから」 

「そう、じゃあお疲れさま」

「はい、お疲れさまでーす」


 ――――――――――


「なかなか可愛い子だったな」

「ああ」


 麻人が店の出入り口に鍵をかける。

 店内は二人。流れていた穏やかな曲も止まり、天井の三枚羽の換気扇も羽を休めていた。


 しんと静まり返り、どんな小さな物音でも聞こえてしまいそうだった。


 店内の表情が一変したといってもいい。


 今まで三人が座っていたテーブル。その上のコーヒーカップや、加奈子の飲んだオレンジジュースの食器を麻人が片付け始める。凉平はカウンターのスツールの上で気だるそうに座っていた。


「やっとバイトが入って、仕事も少しは楽になるな」

「俺は別にどうでもよかった……」

 そう言って、麻人が大きくため息をつく。


「……別にこの仕事は大変だとは思っちゃいない」


 その麻人の態度を毎回見ていると、凉平はいつもあきれ気味にため息が出る。


「この件はブレイクに報告しておくからな」


「別にいいじゃねえか。こっちの業務は俺たちに任せるって言ったんだからさ。たいした問題じゃあねえよ」


「問題だ」


 声に力を込めて麻人が反論する。


「バレたらどうするか? だろ? 言いたいことは」


 先回りされた言葉に麻人が口をつむいだ。


「俺たちがボロを出さなきゃバレねぇよ。それになるべく自然な空間にしておいたほうがいいだろうが」


 自然な空間。喫茶店の仕事――。


「男二人のサ店より、女の子のウェイトレスのいるサ店のほうが自然だろ? それともこんな下らん理由で本部から一人貰うってか?」


「…………」


 未だに腑に落ちない表情で、麻人が黙々とテーブルの拭き掃除をしている。

 積み重なった食器を持ち上げると、裏方の調理場へと向かった。


「……責任はお前が取れよ」

「あいよ、それとナ……」


 言葉を付け足して麻人を呼び止める。


「今夜。〇ニ〇〇時、だ。ブレイクが待っている」

「……了解」

 そう言って、麻人が調理室へと入っていった。

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