第141話 つい、ノリで
カニを食べる時、人は静かになってしまう。
それはカニの身を取り出す事に集中して、その面倒な作業をさっさと終わらせようと無意識の内に手を動かしていたり、殻から少しでも綺麗に身を抜き出したいという気持ちから来るものかもしれない。
しかし今は俺が包まれている静寂はそういったのとはまた違う、別の類の物だろう。
この空気を生み出している住人達が強く見つめる先、俺の右手にある大きなカニのハサミ、そしてそこから下にはぶるんと伸びるカニの真っ白な身。拠点の住人達は俺やスライム君、ムスメが拵えたカニの身を前に困惑している。
流石にカニの見た目は平気だった者達も、いざそれを食うとなると話は別と多少の抵抗を感じているようだ。
「ちゃんと味見はしたから大丈夫だよ? それでも不安なら誰かに代表して食べてみて貰おうかな? 絶対満足するから」
俺の言葉に反応をする者はいない。
こういう時に頼りになりそうなムスメは調理中のスライム君と共に魔法を駆使してまだまだカニを茹で続けていてこちらには手を貸して貰えそうにないし、風呂上りでホカホカしている住人達の説得は難航していた。
そしてどうした物かと考えつつ、カニ料理の下拵えを終えいよいよ宴会を始める頃合いとなった訳だが……、肝心の彼等がこれではなぁ。
「よし、こうなったら……ゼルシュ! フォニア! それと……、コーヌさん! ここまで来る! はい、急いで!」
「ハッ!?」
「えぇぇ~っ!?」
「は、はい!」
俺の叫び声に三つの方向からそれぞれ反応する声が聞こえ、視線を集める中渋々と出てきたリザードマンとオーガ、そして亜人の少女。
俺の傍までやってきた三名の中から、大体何をさせられるのか察しているフォニアが渋い顔をして口を開いた。
「ホリさぁん……、私、そんなワチャワチャしたの食べたくないんだけど……」
「フォニア、こういう時君みたいな子がいると本当に助かるぞ! 大丈夫、味見はしてるから! 安心してくれていい!」
「やっぱり生贄かぁ……」
がっくりと落ち込むフォニア、そしてその隣で尻尾をピンと張り緊張した面持ちのリザードマンにカニのハサミを持たせて気合を入れる為に肩を軽く叩いておいた。
「ゼルシュ、大丈夫だよ。信じてくれていいから」
「お、おう……、しかし流石にまだ抵抗があるのでな。ちょっと、ちょっとだけでいい。落ち着く時間をくれ」
彼はそういって目を瞑り呼吸を整えている。
やはり新しい食材を開拓するとなると多少の緊張や恐怖はついてまわるし、彼のペースに任せるとして、怯えているのか伏せられた耳の間に手を置いて不安気な少女にも頑張ってもらうとしよう。
「コーヌさん、私ね、貴方を助けた時に一つ、ここの住人達と軽い約束をしたんです」
「はい……?」
彼女は意味がわからないと首を傾げ、隣にいるフォニアも俺が何を言っているのかと同じように怪訝な表情でこちらを見ている。
「薬の影響から助かった貴方を皆で囲んでいる時に、色々と辛い思いをした貴方にはこういう美味しい物を食べてもらおうって話していましてね。スライム君の料理でその約束は充分果たせていると思いますが、貴方に不味い物を食べさせる事は絶対しませんよ。大丈夫」
フォニアとコーヌの目前に、香ばしく香り立つ焼きガニを持っていく。
味を知っている側としてはこのまま思い切り頬張って味わいたい程に美味そうな焼きガニだが目の前の二人の女性はそうは見えておらず、やはり多少の抵抗があるように身動ぎ一つせずに見つめている。
「ホリ様、……私、食べます! ただその代わりに……」
「はい?」
一通り上から下へ、下から上へと焼きガニを眺めたコーヌは意を決して俺に強い視線をぶつけてきた。ただカニを食ってもらいたいだけなのに何でこんなに重苦しい空気になっているんだ……。
「これを食べたら、私もマリエンちゃんみたいに、『コーヌ』って呼んでください。他の皆さん達みたいに、もっと親し気に話しかけてください」
「おー、良い事言うねコーヌちゃん! そうだそうだ! 敬語やめろー!」
野次がうるさい。
そう声を出してきたフォニアの方へ視線を移すと、彼女はぷいと顔を逸らしてしまいどこ吹く風といった様子で口笛を吹いている。口笛が上手いのがまた腹の立つところではあるが、コーヌへと視線を戻し彼女の話に頷いた。
「わかりました、じゃあそうさせてもらいますよ。さぁ、どうぞ。フォニアもゼルシュも、こんな小さな子が食うんだからもう逃げられないぞ?」
「わかっている、もう腹は括った!」
「だぁー! くそう、女は度胸だやってやる!」
三者はほぼ同時に食い応えたっぷりのカニを思い切り頬張った。
それと同時に少し距離を取っていた拠点の住人達や、調理を手伝っていたムスメなども近くにやってきて、三名の行方を固唾を飲んで見守っている。
何で狐人の人達、手を合わせて祈ってるんだろう……。神頼みしないといけない程怖いのか? カニの見た目。
コーヌとフォニアはカニの身を半分程、ゼルシュは一際大きな剥き出しの身を全て口の中へと頬張って三者共同じ様に目を瞑り咀嚼し続けている。
まず異変が生まれたのはゼルシュとコーヌだった。
緊張した様子でピンと張っていたゼルシュの尻尾は今、凄まじい勢いで地面を叩き、コーヌの尻尾は円を描くようにぶわぶわと踊っている。
そうした僅かな変化が彼らに生まれ、次に動きを見せたのは俺の左手の焼きガニの先、フォニアだった。
彼女は無言で残り半分のカニの身を頬張り、真っ白な身を全て口で包み込んだのでそのまま引っ張ってみると、つつつと音を出すようにしてカニの腱だけが彼女の口から伸びてきた。
それが終わると次はコーヌ、彼女も同じようにして焼きガニの身を頬張りきったところでカニの殻を引っ張り、口から腱が伸びてくる。
ゼルシュも本能的にこの部分は食えないと判断したのか、既に同じようにしている。
三者とも目を瞑ってもごもごと口を動かし続けている。
流石にこれだけ無言が続いていると様子が変だ、と住人達が騒ぎ始めたその矢先、ごくりとカニを飲み込んだオーガとリザードマンがほぼ同時に夜空に向かって大きく叫んだ。
「うまぁぁぁぁぁあああああ!」
「うっまぁぁああああああ!!」
一つ遅れたタイミングでカニを飲み込んだコーヌも、大きく息を吐き出してカニの味にご満悦という良い表情を浮かべ俺を見つめている。
「三人共、美味しかったでしょ?」
「はい!」
「コレ、こんな美味しいの?!」
「美味すぎるぞこれは!!」
興奮している三名、彼らの叫びに信じられないとどよめく住人達。
そしてその混乱の中、一つの料理を調理し終えたスライム君が頭の上に皿を乗せた状態で俺達の傍までやってきた。
「うぉ、流石だねえスライム君。特に教えた訳じゃないのにもうソレを完璧な物として完成させているとは……」
彼の頭の上の皿にある料理は、調理をされたカニのハサミがでん! と置かれていて目を引くが純白の身は金色に包まれて見えない。わざわざハサミの部分に衣をつけないという、ニクイ演出をしてくれたスライム君が俺の横までやってきてその料理を俺の前にいる三名に見せた。
「テンプラ……? だと……!?」
「コレ、一体どうなっちゃうんだろう!?」
ゼルシュとフォニアがスライム君の頭の上にある皿からハサミの部分を摘まむようにして天ぷらを受け取り、天ぷら初体験のコーヌはその二人の見様見真似で同じようにハサミを摘まんで持ち上げた。
「熱いから気を付けてねコーヌ、ゆっくり味わってね?」
「はい!」
元気な返事をしてくれたコーヌ、またも殆ど同時に三者が天ぷらに噛り付くと今度はサクッという、最高の効果音が聞こえてきた。
どうやら天ぷらにすると弾力が多少は抑えられるようで、今度は半分程を口の中へ放り込んだゼルシュを始め、彼らの持っているカニの天ぷらにはくっきりと歯型が残っている。
この天ぷらの味付けはどうやら塩のみ、それでもこのカニが生み出す旨味にはそれだけで十分なのだろうが、スライム君が居た場所にはいつものようにまたもタレが用意されている。
飽きが来ない配慮、職人の魂と心意気を感じる。
先程よりも激しく地面を叩いている尻尾と右へ左へと凄まじい勢いで揺れる尻尾を見て安心していると、まず口を開いたのはコーヌだった。
「美味しい……、美味しいっ!」
「ああ、何たる美味なのだこれは……!」
「たまんないね……」
彼らはうっとりとした様子でそう呟き終わるとまた天ぷらを口の中へと運んでしまった。
この様子を見て住人達はどう思うかな? と視線を横にずらしてみると、先程まで安全な距離に居たアナスタシアやレイを筆頭に、かなり近い位置までやってきてゼルシュ達を観察している。
「三人共、まだまだあるんだよ食べて貰いたい物が。ほら、スライム君がもう準備してる」
「えっ?」
「あっ、ホントだ……。なにこれスープ?」
俺のすぐ横では魔道具コンロに鍋が乗っており、その鍋の中では何とも美味そうな匂いを生み出している野菜がふんだんに使われたスープが煮え、湯気が立ち昇っている。
そして鍋の前でゼルシュ達を待ち構えるようにしているスライム君はまた先程とは別の皿を頭の上に乗せ、そこにはカニの身が丁度食べやすいように丁寧に剥き出しにされていて……。
今回はカニの身が四つ、つまり俺も食べて良いという事だろう。
「コーヌ、これはちょっと一風変わった食い方だから一緒に食べようか」
「はい!」
「ほ、ホリ! 俺も、俺も食うぞ!!」「私も食うよ!」
「オマエラ、コレ食うなら覚悟しとけ、とんでもなくウマイゾ!」
一足先に全てのカニ料理を味わい、これにハマったムスメの叫びに力強く大きな声で応えた三名、俺も既に期待が振り切れていてヤバイ。
だが一人で先に味わうというのもつまらないので、やり方を三名に見せながら準備を済ませる。
「こう……、カニの身をこのスープの中で泳がせるようにね……?」
「こう、ですか……?」
「ちょっと、ドキドキするね?」
「ああ……」
たっぷりとスープの中で泳がせたカニの身、スライム君の隠し包丁によって花開き食べ頃となったところでこのカニのカニしゃぶを初体験させて貰った。
流石にもう抵抗が無くなった三名も俺とほぼ同時にその大きな身へと齧り付き、四人で鍋を囲むようにしながら静かに味わい続ける。
美味い。
頭の中はそれしか思い浮かばない状態にまでこのカニしゃぶにやられてしまった。
それはどうやら俺以外もそうだったようで、ハッと我に返って近くにいた三名を見てみたが三名共に何ともまぁ幸せそうな顔。
俺も恐らく同じような顔をしていたのだろう、更にその内二名はもう尻尾が大変な事になっている。
「こんなに美味しいなんて、あんなワチャワチャが……」
「クッ、アイツラ根こそぎ獲ってくればよかったな。これは……」
ゼルシュの人情味溢れる呟きに大きく頷いて同意しているフォニア、無言で黙々と食べ続けているコーヌはまだ戻ってくるまで時間が掛かるようだが、その尻尾の縦横無尽な動きが何よりもカニしゃぶへの評価を物語っている。
「コーヌ?」
「ふぁ、はい!」
彼女がカニの身を飲み込んだタイミングで話しかけてみたが、やはり問題は無さそうだ。既に次の一切れに手を伸ばそうとしているリザードマンとオーガはスライム君に任せて、彼女に一つ頼み事をしておこう。
「君には一つ仕事をして貰おう」
「仕事……ですか?」
きょとんとした表情でこちらを見つめている彼女の頭にある、先程まで怯えて伏せられていた耳はもう普通の状態に戻っている。カニへの恐怖が無くなり、もう美味い物という認識に置き換わったのであろう彼女の体を、くるりと拠点の住人の方へと向ける。
「君は今から、あそこにいる食べる決心がつかない者達に食べた物の味の感想を伝えて、そしてカニしゃぶの食べ方を教えてくるんだ。いいね?」
「は、はい! 頑張ります!」
彼女の背中を軽く叩くように押してやると、凄まじい勢いで住人達の前へ駆け出し声高に美味しさを伝えるコーヌ。
彼女が体を使って全力で味の感想を伝えていくと決意を固めたペイトン一家始めとしてオークがまず前に、それと同時に前へ出てきたのはアナスタシアとラヴィーニア。
意を決し、カニを頬張った人達が大きな声で味の感想を叫び、そこからはまたいつも通りの宴会となった。
今日はまだそれほど酒が進んでいない。それは何故かと言われれば間違いなくカニの影響。
用意してある山のようなカニは恐怖が無くなったハラペコ達によって次々と消費され、その度にあちこちからご満悦という声が聞こえる。
俺はカニに夢中になっている住人達を横目に、ある実験を試していた。
何度か試行錯誤を繰り返し、ようやく形になった時、調理の手伝いを終えアリヤ達と共にカニ料理を堪能していたムスメが大きな声を上げた。
「あ、パパ! ママ!」
「ムスメちゃん、一人にしちゃってごめんなさいね。お仕事終わったわよ」
「ホリ殿、お久しぶり! ですかな? また随分と住人が増えておりますな!」
何て絶好のタイミングで来るんだろうか、この二人は……。
突然現れてムスメを抱きしめたツマや、魔族最高権力者の姿に事情を深く知らないラミアや狐人の人達は呆気に取られて俺と魔王を交互に見ている。
「お久しぶりです、お二人共。良いタイミングで来ますね、どうですか? ご一緒に」
「フフフ、何やら新食材を手に入れた様で……。勿論頂きますぞ!」
「その為に全力で仕事を終わらせてきましたわ!」
どうやって情報を仕入れたのかは不明だが魔王達は既にカニの事を知っていて、更にその二人にムスメが焼きガニを提供し、特に抵抗も無いまま相当腹が減っていた御様子の魔王とツマは焼きガニを大きく頬張った。
「んんんんっ! これは堪らん!!」
「仕事の疲れが吹き飛びますわッ!!」
「お二人共、そのカニを食べきったら早速実験台になってもらいますよ? 丁度今、試みている物が形になったので」
「オー? おいホリ、コレナニしてんだ?」
興味を示した彼女の足元ではぱちぱちと音を立てて燃える炎、そして鉱石で用意した台と網、その網の上にでん、と構えているカニの甲羅。
その甲羅の中からは頃合というように香ばしさを感じさせる匂いと共にじわじわと音を立てている物が準備を終えている。
甲羅ごとカニ味噌を焼いてみたが、好きな人には堪らないであろう音と香りが素晴らしい。
「ナンカ面白いニオイがするな?」
「ここはカニ味噌と言われる部位なんですが……。この部分はかなり好みが分かれるところなので、まずこのカニ味噌を食べてみてダメそうならそこから先は止めておいた方が良いですね」
「ふむ、それでは早速。この部分を食べれば良いのですね?」
「私もいただいてみようかしら……」
三者がすぐ横に置いてあったスプーンを使い、橙と黒のコントラストが映える焦げたカニ味噌を掬い上げた。
「んむ? んんん……、んん?」
「ふむ、これは……」
彼等が手をつけた内、二つの甲羅に残っているカニ味噌をスプーンで全て掬い、すぐ側にいたゼルシュとラルバの口の中へと放り込み次の準備に移っていると三者はそれぞれの反応をしている。
ピンと尻尾を張って味に感動を示している隣のリザードマンには堪らないようだが……。ラルバも中々、と良い反応、楽しんでいそうだ。
顔を顰めているムスメ、彼女にはちょっと合わなかったようだが魔王とツマは悪くないと頷いている。
「うーん、ワタシはこれニガテだな……。かにしゃぶのがンマイ」
「いや、これはこれで悪くないぞ。なぁツマよ?」
「そうね、独特の味と風味がちょっぴりクセになりそうな……」
味について議論をしている魔王達、そうしている内に次の準備も出来上がったので隣でカニ味噌に感動しているゼルシュに一つ確かめておこう。
「ねえゼルシュ、今日の風呂の時にサウナ入った?」
「ん? ああ、今日もたっぷりと入ってきたが……、それがどうかしたか?」
「んや、それならいいんだ。なら一杯だけ飲めるね」
ゼルシュが首を傾げて俺の手元を覗き込んでくる中、良い感じに焦げたカニの甲羅に、そのカニの甲羅の横で少しだけ温めておいた魔王から貰った酒を入れかき混ぜる。
いくつかお酒を試してみたが、その中でも一番マッチした辛口のお酒と味噌が混ざり合い、独特な色味になったお酒を沸騰させないように少しだけぐつぐつとやったところでムスメ以外の三名に声をかけようと思ったのだが。
魔王達も、そして隣にいたラルバやゼルシュも何をしているのか興味があったらしく、更に拠点の住人達も俺の手元へと視線を集めていたので声をかける必要はなかった。
「それじゃあムスメさんはまた別のカニ料理を味わってもらうとして、魔王様と王妃様、あと……先にゼルシュに品評してもらおうかな。どうぞ、カニ味噌を使った甲羅酒だよ。熱いから気をつけて。ラルバのも今準備するね」
「はい、ありがとうございますホリ様」
良い塩梅のところで甲羅を火から離し、皿に移した甲羅酒を魔王とツマ、そしてゼルシュに渡してみると彼らは見た目のインパクトや香りなど、カニでしか味わえない衝撃を既に味わっている。
「これはまた珍妙な……、早速頂くとしますよ」
「ちょっとドキドキしますわ……。ではっ」
「……」
ゼルシュは隣の両名を見守りつつ、少しだけ距離を取った。
もし倒れた時に魔王達に迷惑をかけないように、という彼なりの配慮だろう。それなら俺は彼の横に立ち、倒れても受け止める準備をしておくとしよう。
まず魔王が、次いでツマ、そして最後にゼルシュの順で甲羅を傾けてお酒を呷った。
先程味見をした時は我ながら絶品と思えた出来、それでも好みが分かれるところではあるのでどういった感想が出てくるかと緊張していると思いがけない事が起きた。
「うぅっ……」
「ぜ、ゼルシュ? どうしたの?」
目元を押さえ少し呻き声を出したゼルシュ。
いつものようにお酒の影響で倒れるでもなく、頭を抱えるようにして小さく震えている彼の顔を覗き込んでみればぽろぽろと涙を流している。
「すまん……。だがコレからは何故だか懐かしい味がして、ついな……」
「お、おぉ……。マズイって事じゃ……ないよね?」
「無論、コレは……最高だ」
初めてゼルシュ達と会った時にスライム君の味付けした蕎麦食べて泣いてたっけ、そういえば。懐かしい味という事なら、少なくともこの独特な風味もリザードマン達には受け入れて貰えそうだな。
ゼルシュの事は少しそっとしておくとして、魔王達にも感想を聞いてみるとしよう。
「魔王様、王妃様もどうですか? お口に合いましたか?」
「ええ。今日の疲れも忘れてしまいそうですな、これは……」
「ホリさん、その……」
空っぽになった甲羅を差し出してきたツマ、ちらちらと別の甲羅を見ている彼女はどうやら次を要求しているようなので、次の甲羅を火にかけて準備を始めようとしたところで、数名の料理班とスライム君がカニの甲羅の一部を持って行ってしまった。
どうやらスライム君達も試すのだろう。
甲羅は大量に余っている、ワクワクが止まらない様子のツマやラルバの為にも急いで次を準備するとしよう。
「ちょっと待っていて下さいね。これ、少し焦がさないと美味しくないので。あと、辛口のお酒があれば……」
「おお! それならば丁度……」
魔王が右手を光らせ、取り出したのはいつもと違う少し小振りな樽。それが幾つも姿を現し、どうやら中身はお酒らしいそれを俺の目の前に一つ置いてきた魔王がニヤリと不敵に笑った。
久々な感じがするが、やはり怖い。近いと尚、怖い。
「これは今日の仕事で貰った景品でしてな? 結構クる酒です。これを使ってみてもらえますかな?」
「おお、いいですね。それじゃあ早速使わせて貰いますよ」
そうして魔王の持ってきた酒はカニ味噌との相性が良く、一層美味しくなった甲羅酒を楽しんだが、それはかなり酒精の強い辛い酒だったようで気付けば泥酔者が続出した。
更にスライム君が振る舞い始めたありとあらゆるカニ料理もあってお酒はどんどん進んでいき、強い酒の影響などと合わせてばたばたと眠りについていく住人達。
カニ三昧となった今回の宴会、何故か号泣するリザードマンが続出していたがポッドの根元で休んでいるゼルシュを始め、酔い潰れたリザードマン達は皆いつもより満足気ないい表情で眠っていた。
更にまだ生き残っている者達も相当の酔いっぷりを見せていて、俺自身も久しぶりにくらくらとしていて少し眠気も襲ってきている。
「そうだ、魔王様達に新しい住人を紹介しないと……」
いきなりやってきた魔王達という訪問者に先程までガチガチに緊張していたシャミエ、そしてそれはラミア達全員が同じ気持ちだったようで、こういった飲みの場でそういった極限の緊張状態になった際、対処方法は人も魔族も変わらないという事を彼女達が教えてくれた。
その対処法とはやけくそとばかりにとにかく飲んで酔う。
更に魔王の持ってきた酒を浴びるように飲んだ結果、泥酔者の中でもラミアは特に酷かった。
明日に残らなければ良いけど……。
全員を紹介するのも難しい状況だし、魔王側も困るだろうから代表としてシャミエを連れていくか……。あとは狐人の代表者としてリンセルに声をかけておこう。
「シャミエ……、シャミエさん? 魔王様に今更ながらに紹介しようと思うんだけど今大丈夫……?」
「あぅぃ、私は大丈夫でっ、あります!」
「うん、ごめんね。ダメだね」
文字通り泥酔して横になっている彼女。
同じテーブルにパメラがいる時点で危ないと思ってはいたが、今日は珍しくト・ルースすらご陽気になってしまっていて、その上ラヴィーニア、アナスタシアやウタノハ達と仲良くなった結果、お酒も尚の事進んでしまったのだろう揃ってごろ寝しているので、気休めかもしれないが毛布をかけておくとしよう。
彼女達はそれぞれ部下やシスコンが面倒を見てくれるから放っておいても大丈夫だし、仕方がないから今回はリンセルとコーヌを紹介しておくとしよう。
「リンセル、コーヌ、お楽しみのところごめんね。一応魔王様に紹介だけしておこうと思うんだけど、今いいかな?」
「ええ、私は構いません。しかしコーヌは……」
「だ、大丈夫、大丈夫です! やります!」
あ、そういえばリンセルがコーヌの事を『大人しい子』と言っていたな。こういった事は苦手だったのだろうか?
先程までカニを頬張りながらアリヤやムスメ、マリエンなどと楽し気に話していた時と違いどう見ても緊張しているし可哀想な事をしてしまった……。
まぁ仕方ないか、相手の片方は目が合うだけでも肝が冷えるどころか魂ごと凍らされるような顔面力しているし……。何とか頑張って貰おう。
「魔王様、王妃様、新しくここに住む方達です。ラミア達は殆どが別世界に旅立ったので、また今度ご紹介しますね。狐人族のリンセルと、コーヌです」
「これからお世話になります、魔王様、王妃様。ご息女のムスメ様にも、早速コーヌがお世話になっていたようで……」
「よ、よろしくお願いします!!」
魔王達の前に一緒に並び立ち挨拶を済ませると、今はカニの天ぷらで先程のきつめの酒を味わっている魔王とツマの二人はこちらへと視線を移して、手にしていたカップをテーブルに置いた。
「むっ? おお、これはこれは。よろしく頼むよ狐人君達!」
「ふふ、よろしくお願いしますね。それにしても貴方……、凄くいい毛並みをしてらっしゃるのね。素晴らしいわ、この尻尾の触り心地」
「はわっ……!」
以前にも見せられたツマの撫でテクは亜人にも通用するようで、ガチガチに緊張していたコーヌも一瞬でやられてしまい、そしてその魔手はリンセルの尻尾にも伸び、彼女はその感触を両手で楽しんでいる。
「しかしアレですなぁ、ホリ殿……」
「はい?」
顎に手をやり、ツマやコーヌ達、そしてムスメや拠点の住人達を見回して何かを思案している魔王。
「人が増えたという事で懇親の意味合いで、また何か催しのような物をやりたくなりませんかな? 以前の闘技大会や遊戯大会のようなヤツを。実は私もツマも、最近は執務や行事参加が多くてムスメとの時間が足りないので、如何ですかな?! そういう物を一つ!」
煌めくように笑いこちらへ期待の視線を向けてくる怖い顔、その言葉に少し考えてみたが案外悪くない提案かもしれないな。とは言え、親睦を深めるなら闘技大会はダメだよなぁ。
「うーん……」
「難しいですかな? こうして頼んでいるのです、出来る事なら私も協力は惜しみませんぞ!」
サムズアップをしてくる怖い顔、良い笑顔ではあるが……。
「そうですねえ……。魔王様チームと王妃様チーム、ムスメさんチームで別れて運動で競い合いでもしますか? 種族も性別も能力的に均等になるように人員をばらけさせた上で競技も色々と考えれば……」
「おぉ? 言ってみる物ですな! それじゃあ、細かい事は全部お任せするので今日はもう飲みますか!」
まるで他人事、と楽し気にカップを差し出してきた魔王からそれを受け取ったが……。
俺や魔王の会話を聞いているのはツマや亜人の人など最初は僅かな人数でしかなかったが、そこから波紋が広がるように泥酔していない住人達の間に話が伝わっていってしまい、何やら引くに引けない状況になってしまっている。
先程よりも勢い良くカップを傾け、どんどんどんどん御機嫌になっていく魔王とどういった内容にするかという話をしている時に、ある事を思いついた。
「あー……、そうだ魔王様。最近痛い目を見た事で考えていた物が一つあるんですが。出来れば魔王様と王妃様に手伝って貰いたいなと思っていまして……」
「ほーう? なんでしょうかな?」
「私にもですか? なんでしょう?」
優秀な人材が多い拠点の住人。そんな彼らにも弱点はある、というよりあった、というべきだろうか? それを遊びながらでもいいから少し克服させたいという考えを魔王に伝え、それに必要な物をツマに伝えると彼らは視線を交わしにやりと笑って頷いた。
夫婦揃って不敵な笑みを浮かべ、その笑顔に気圧されてしまいそうになりながら酒を片手に話は続く。
あぁ、覚えがあるなぁ……。飲み会で上がったテンションのまま数名とふざけた企画を立てて、後日エライ人にそのふざけて書いた企画書の草案が見つかって泣きを見た時を思い出す。
今回は注意すべきエライ人が率先してふざけようとしている上に、唯一それを止められそうな人も乗り気でふざけようとしているが……。おいしいお酒を味わっている内に、細かい事がどうでもよくなってしまった。
お酒って怖い。いや、怖いのはお酒に呑まれる事だろうか?
魔王と二人、爆笑をしながら立てた企画の数々がどうなるか、おいしいお酒と肴の前にそれすら忘れてしまった。
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