第128話 なりきん

「……さん、今回もいい商品をありがとうございました。代金は受付にこの紙を渡して下さいね。私はこのまま浴場で汗を流してきますので」

「……はいっ?! ああ、ありがとうございました! それでは失礼しましゅ!」


 しまった。


 美しい貴婦人、それも普段なら絶対に拝めないであろう状態に見惚れ続けていた結果話を全く聞く事無く商談が成立してしまった。

 でも何故だろう、全く後悔の念が湧いてこないのは。そう、大事なのはお金ではない。


 彼女の今日のお召し物が黒いという事が何よりの財産となり、今日を生き抜く糧となってくれる筈だ。悔いは無い!


 部屋から退散し、がちゃりとドアを閉めてこの商談中計六回程、彼女が目の前で組んだ足の隙間やふとした隙にチラ見えした物を思い出しつつ、最後に大きな感謝を込めて頭を下げておいた。


「そういえば、全く話を聞いてなかったけどいくらになったんだろ……? 割と多めに渡しておいたから、これで少しは鉱石の競合みたいなのが収まればいいけど」


 店の出口に向けて歩きつつ、ちらと見た店内は早朝という事もありまだ俺以外にまともな客はいない。


 見えるのは長蛇の列の先頭の人が手にした紙を出して受付とあれこれと話をしている姿のみ。一人一人対応しているのか。そりゃ並ぶ事にもなるか……。


「お疲れ様です、ホリ様。……如何されました?」

「ああ、いえ何でもないです。それとこれ、ゾフィーアさんに渡してくれって言われた物です」

 先程対応してくれたイケメンさんが戻ってきた俺の姿を見て笑顔で話かけてきたが、その眩しい笑顔が先程までの自分の浅ましさを自覚させてくれるようで、何だか悲しい気持ちになってしまった。


「……っ!?」

 俺が渡した紙を見て、いつかのように緊張した面持ちに変わったイケメン。

 少し慌てた様子の彼に待合の席まで誘導されてそのまま血相を変えるようにして彼は行ってしまったが……。


 彼と入れ違うように目の前にかちゃりと小さな音を立てて置かれた紅茶。それを置いてきた手の主へと視線を移すと、先程姿の見えなかったセバスが。


「ホリ様、どうぞ」

「セバスさん、どうも頂きます。商談の際にお姿が見えませんでしたが、どうかされたんですか?」


 彼が持ってきてくれたカップの中から香る匂いに誘われるままお茶を味わっていると彼は小さく微笑みつつ頭を下げてきた。


「ええ、少々大きな金額を扱う事になってしまい、私が責任を持って管理しておりました。誠に申し訳ございません、お茶の一つも出せませんで」


 長蛇の列を生み出している商人の中から良い話でもあったのだろうか? こちらはここの当主のおかげで今から貰える金額に不安を感じているというのに……。


「いえいえ。しかし、それはまた羨ましいお話ですね。順調そうで何よりですよ」

「ええ、ありがとうございます。しかし、これでまた暫く貴方と会えなくなってしまう、というのは寂しいですが此度の商談もその御様子なら良好といったところでしょうか? フフ、ホリ様? 今の内にそのお茶で心を静めておいて下さいませ」


 楽し気にしているセバスと昨夜の食事会について話をしていると、彼はどうやら魚の燻製を大層気に入った様子。


 確かにうちの拠点でも種族関係無く人気のある魚の燻製だが、その中でも特に年齢を重ねたト・ルースやラルバなどに絶大な支持を得ているからなぁ。

 同じように、年齢を重ねていると言っていいであろうセバスもどうやら心を射貫かれてしまったようだ。


「それならセバスさん、次回来た時にアレを個人的に、少し多めにお渡ししますね。ゾフィーアさんと楽しんでもいいですし、セバスさん一人で楽しむのもいいですし、ご自由になさって下さい」


 世話になっているのだし、次に来るのは何時になるかもわからない。

 軽い口約束にしか過ぎないが、彼にとっては衝撃的だったのだろうか? 少し驚きを露わにしている。


「その御心遣いだけでも天にも昇る気持ちですが……。よろしいので? 周囲に大きな川が無く、海からもそれなりに距離のあるこの街では魚はどうしても貴重な物。この辺に流れてくる魚を使った商品も保存の利かせた物が多いので、あのような趣向の品ならそれこそ商売にもなり得ますが」


 驚いた表情でそう言ってきた彼の言葉、ありがたい情報だな。

 この街は海から遠いのか、いつかやろうと思っていた計画の一つの参考になるな。出来ればもう少しその話を聞いてみたいが、それは拠点に戻ってウタノハに協力を仰ぐとしよう。


「ええ。あれでお金儲けをしようとは思っていませんから、少なくとも今は。こちらとしてはお世話になっている貴方に少しでも報いれればという気持ちと、美味しいワインをご馳走になったお礼、という事で」

「フフフ、それでは次に貴方に会う時が今から待ち遠しく感じてしまいますね。さてホリ様、この度の商談も誠にありがとうございました」


 彼がチラと向けた視線の先、何かオルゴールのような小箱を持ったイケメンが緊張した面持ちで戻ってきた。


 彼は俺とセバスに一度大きく頭を下げると、紅茶の容器が置かれているテーブルにその小箱を静かに置き、また頭を下げて戻っていった。


「これは……?」

「取引の代金でございます。少し金額が多くなってしまったので、こういった形にさせて頂きましたが、私が先程まで管理しておきましたので間違いはないかと」


 彼の手に促されるままに、綺麗な装飾が施された小箱を持ってみる。

 重い、重いぞこれなんだこれ!! こんなに小さいのにどういう事だ!?


「額は今回の取引分だけで無く、当商会当主の命により前回の取引で扱った商品で出た利益も割合としてそれなりに含まれています。ご満足頂けると思いますよ」

「は、はぁ……」


 俺が箱を開けようとすると、音も無く横にやってきたセバス。

 どうやら他の人間に見えないように壁になってくれているようだが……。


 その行動の意図するものに、若干の緊張による心と脇に汗を掻きつつ、冷静になるように一度深呼吸をしてから箱を開くと、箱の中に広がっていたのは眩い銀世界だった。


「……」

「……」


 箱を一度閉めてからセバスへゆっくりと視線を移すと彼も目尻に皺を作り、ゆっくりと頷いた。

 夢か幻か、それを見定めるために箱を見下ろし、もう一度蓋を開けてみる。


 おかしい、おかしいぞこの。あまりの迫力と眩さに震える手で何度も蓋を開け閉めしていると、少し楽し気になったセバスが一枚の紙を取り出した。


「こちらの内訳でございます。占めて白金貨六十枚。ご満足頂けましたか?」


 何度も頷いて彼の問い掛けに応えると、セバスも満足そうに微笑んでいる。

 小箱の中にはぎっしりと白金貨が規則正しく列を成して並べられていて、それは漫談のように蓋を何度開閉しても居なくならない。


 これだけでこの街で一生、豪遊出来ちゃうんじゃないのかな……? やばい、考えたらまた手が震えてきた。


「そうそう、我が主から一つお願いが」

「お、お願い?」


 声が震えてしまっているが、今は気にしている場合でもない。

「はい。こちらとしては心苦しいのですが、『このお金は出来る限りこの街で使って頂きたい』との事です」

「あぁ、そういう……。大丈夫です、わかってますよ」


 このお金、ゾフィーア延いてはこの商会に集まりすぎているお金を街に還元して欲しいという事だろう。この金を使って俺が物を仕入れれば街が潤う、更に街が潤えばこの商会も潤う、循環の役目を任された訳か。今日のお召し物は黒の彼女ゾフィーアに。


 セバスの言葉に首肯すると彼の表情が一転して、目を見開き意外だと言わんばかりの物へと変わった。それはすぐさま元に戻り、今度は俺を見据えるように強い瞳を向けてくる。


「やはり我が主の言った通りでした」

「? どういう事でしょう」


 彼は少し前屈みになり、テーブルの上にある紙を指差した。


「昨日もそうでしたが、貴方は字が読めない。この紙に一切興味も示さず、看板に書かれた文字にも首を傾げていらっしゃった。なのに、我が主の言葉の意味を即座に理解し、本来なら『これは自分の金、どう使おうと自分の好きに』と思うところをそうはなっていない御様子。この金額の意味も理解されているのでしょう?」


 セバスは空になったカップを手に取り、紅茶を新しく注ぎ直しながらそう口にしていく。『金額の意味』というか、金の流れの意味といったところだろうか。


「『田舎者』と自称しながらそうとは思えない程に様々な見識を持ち合わせ、立ち居振る舞いや商会員である我々にすらも礼節を踏まえているのにも関わらず、時折常識の無さを垣間見せてくる。不思議な方だ」

「いやぁ、そんな……」


 かちゃりと置かれたカップ。

 淹れ直された紅茶を頂きつつ、誤魔化すように笑っていると彼も表情を崩し、笑顔に戻った。

「我が主は独身でございます」

「はっ?」


 笑顔の彼が放った言葉の意味がわからず、つい息が漏れてしまった。そんな俺の無礼をセバスは気にせず、笑顔のまま強い眼差しで俺を見据えている。


「確かに貴方より歳の頃は大分上ではございますが、従者であり部下である私の眼から見ても、我が主程の女性はそうはいません」

「はぁ……」


 いきなりなんだ? こんな美人の下で働いている自分を自慢しているのか? いや、正直羨ましいが。彼の立場なら先程の彼女の様相を日常的に拝めるのだろうし。


「ホリ様、我が主と添い遂げてみる気はございませんか?」

「はっ?」


 あまりにも荒唐無稽な彼の言葉にまたも口から息が漏れてしまったが、彼はそれを気にする素振りを一切見せる事なく、俺の手を取り力強く握り締めてきた。


「あの歳になるまで好き放題やりたい放題やってきた結果、ゾフィーア様を知る男性からは敬遠され、まともな恋人を作れずにいる我が主。そうなってしまった一番の要因はその性分にあります」

「は、はあ……」


 がしりと掴まれた手、そこからは彼の熱意が力になって込められている。

 正直、痛い。


「貴方ならば、あの方を楽しませ続けられる、筈です! どうですか!? 是非我が主

 と添い遂げ、この商会で手腕を振るわれませんか!!」

「いやいや、いやいやいや……」


 『楽しませて続けられる』と断言しないところに彼の真面目さが伺えるし、その熱意に裏付けされた彼の苦労がひしひしと手から伝わってくるが……。


「あのですね、セバスさん。自分で言うのも悲しいんですが私、あまりぱっとしない顔だと思うんですよ。ゾフィーアさんも嫌がると思いません? そういうのは本人の好きに……、私ではあの方に釣り合いませんよ」

「関係ありません。もしそうなれば表舞台には我が主が、そして貴方が裏で暗躍する様が私には手に取るようにわかります! どうか、御一考下さい!」


 押し問答を繰り返すように、あれこれとこちらが言っても彼は考えてくれと言ってくるが……。魔族だとラルバがそうだし、必死になっているセバスもそうだがこちらの世界ではさっさと身を固めろ的な事を良く言われるな。現代日本じゃあまりない機会だったが、どうすればいいか対応に困る……。


「セバス、どうやら貴方にも久々に教育を施さねばならないようね?」

「うごぉっ!? ぞ、ゾフィーア様!? どうしてこちらに、浴場へ向かわれた筈では!?」


 普段目にする事は決してないであろう、セバスという男性の慌てふためく姿。

 拠点で見たアナスタシアとオレグの姿とどこか被る二人に笑いを噛み殺していると、彼は悲痛な面持ちでこちらへ助けを求めるような視線を向けてきている。


「ゾフィーアさん、セバスさんは大金を手にして我を忘れていた私を落ち着かせる為に冗談を言ってくれたんですよ。フフ、おかげで気も落ち着きましたし、今回の取引に免じて許してあげて下さい」

「そうなのセバス……?」


 ゾフィーアにがしりと首を両手で締め上げられ、声を出せない彼は射貫くような視線を向けられている中で何度も勢い良く首を縦に振っている。

 その必死の回答に彼女も納得はしていない様子ではあるが、腕の力を弱めセバスを解放した。


「そう……。ならまぁ、いいわ。ごめんなさいね、ホリさん。みっともないところを見せてしまいましたわ」

「いえ。普段と違うゾフィーアさんとセバスさんが見れて得をした気分ですよ。それでは私はそろそろ行かせてもらいますね」


 解放され自由になったセバスをソファーに座らせ慰労の意味を込めて背中を撫でておいたが、目の前で大きく息を吐いている彼も苦労が絶えないんだろうなぁ。


 うちの拠点のオレグやイダルゴ、魔王の元で働いているヒツジィなどの中間管理職連中と気が合いそうだ。


 この二人なら、うちの拠点の連中ともうまくやれそうなんだけどなぁ……。


「? どうかされました?」

「いえ、それではお二人共、今回もありがとうございました。次回また寄らせて貰いますね」


 二人に最後に一礼して、そのまま商会を後に……。と一度周りを見て驚いた。

 大分目立ってしまったようだ、視線が物凄い事になっている。店内や店の出入口、窓のところから今のやりとりを見られていたようだが、変な事にならないように気を配るとしよう。


 鞄の中には大金もある。

 これは拠点皆のお金……、でもこれだけあれば……。


「今日はちょっとムフフな……、あそこにいけるっ!!」



 ゴダール商会の店前でやる気スイッチが入った音が脳内に響き渡り、逸る気持ちをそのままに視線を振り切るように走り出した俺はそのまま魔石店へとやってきた。


 両開きのドアを開けて中へ入ると一粒の魔石を磨いている片眼鏡をかけた初老の男性も店に入ってきた俺に気付いて手を上げてきたので、頭を軽く下げておいた。

「兄さん、久しぶりだね」

「お久しぶりです。今回は魔石を買わせて頂きたいんですが……。大量に」


 魔石の需要は拠点の中でかなり高い。

 灯りにも火種にも、緊急時の水分補給にも、他にもありとあらゆる場面で魔石があれば便利だが拠点にはそれ程数は無い。


 普段節制している事もあってまだ無くなるという事はないが、それでも備えておいた方がいいアイテムの一つだろう。

 料理班からも狩猟班からも、光の魔石はあればあるだけ欲しいという要望もあった事だし、ここは思い切った買い物をさせてもらうとしよう。


「あいよ。大量に、か……。どれだけ欲しい?」

「あるだけ全部」

「はっ?」

「店にある商品全部で幾らになります?」


 言っている意味がわからないのだろうか。それとも余程の馬鹿だと思われているのだろうか?

 きっと後者だろうな。


 店主はぽかんとした表情でこちらを見て、時間が止まってしまったように動きを止めた。そんな彼を案じて、カウンターの向こうでこの店のもう一人の店員が声をかけた。

「じいちゃん、じいちゃんどうしたの?」

「はっ?!」


 服の袖を掴み、くいくいと引いて声をかけた金の髪を横で束ねているリリと呼ばれる少女。彼女に声をかけられた事で、お爺さんは再起動をしてくれた。


「兄さん、年寄りを揶揄っちゃいけないよ。この店の魔石全部って……、金貨百や二百くらい……」

「ええ大丈夫ですよ、全て下さい。あっ、土の魔石と闇の魔石はいりません。それ以外にある魔石を全て、頂きます」

「おっさん、かねはあるのか!」


 カウンターの向こうからぴょんと跳ねて顔だけ覗かせる彼女。

 リリの言葉に言われるまま鞄から小箱を出してカウンターの上に乗せ、店主の男性にだけ見えるように箱を開いて中を検めてもらった。


「これで足りますよね?」

「はぁっ……!? へぁっ……!?」


 この街の住人にとってこの箱の中身の価値は骨身に染みているだろう。それが大量に、この数あるという事の異常性は俺ですら理解できる。


 長年この街で商売をやってきた彼にも当然……。

「みえないー! なになにー!?」

「り、リリや……。かぁさんを、母さんを呼んできてくれ」

「? はーい!」


 ぴょんぴょんと跳ねてカウンターの上を覗こうとしていた彼女だが、既に箱は閉めてある。年端もいかない子供に見せてはいけないと何となく思ったからだ。


「それじゃあ、少し待たせてもらいますね。これで少しは恩を返せたならいいんですが」

「恩……? ワシはそんな物売った覚えはないが……。まぁいい、こりゃこの店始まって以来の一大事だ。それなら気合を入れてしっかりとやらせてもらうとするよ」


 このお爺さんと、いつも宿泊している看板娘の二人のおかげでゴダール商会のゾフィーアとセバスに会えた訳だし、これくらいしてもバチは当たらないだろう。


 店内にある椅子に座って少し待てと言われたので、そこから店内を眺めていると店の奥からお茶を持ったリリとお歳を召した女性が姿を見せ、男性と女性が何かを話し合っている中でリリが危なげなくお茶をこちらへ持ってきた。


「はい! お茶!」

「ありがとう、頂きます。そうだリリちゃん、おじさんのところで作ったお菓子があるけど食べてみない? 昨日同じ物を色々な人に振舞ったんだけど、評判良かったんだ」


 言っていて思った。これではまるっきり警察案件だ、と。

 しかし彼女は即座に首を縦に振り、期待の篭った視線をぶつけてきたのでほっと一息つきつつ鞄から昨日の食事会で出さなかった分のお菓子を出した。


「はい、どうぞ」

「おー! おいしそー!」


 体を弾ませるようにしながら、頭を左右に振って何やら楽し気にしている彼女はそのままクッキーを一つ摘まみ噛り付くと、これ以上無いという程の笑顔を浮かべてきた。

「おいしー! おいしーよこれ!」

「そう? 良かった。どんどん食べてね」


 摘まんだクッキーを僅かな時間で食べ切った彼女が持ってきたお茶とクッキーの相性の良さを味わっていると、不意に服を引っ張られた。

「なー、おっさん! これ爺ちゃん達にもあげてもいい!?」

「うん、どうぞ。いい子だね君は」


 大きな声で感謝の言葉を叫び、クッキーを数個握り締めて跳ねるように走り出した彼女はあれこれとせわしなく店内の魔石をかき集めている夫妻の元へと行き、それを差し出した。


 リリの元気な声が店内に響き、様子を見守っているとそれを摘まんで口に放り込んだ夫妻。どうやら味の方も大丈夫だったようで、店主は手を上げ奥さんの方は頭を下げてお礼を伝えてきた。


「美味しかったって! ありがとうって!」

「うんうん、どういたしまして」


 そこから、リリと並んで店内を忙しなく動く老齢夫婦二人を眺めて暫くしていると額に汗を滲ませた店主とその奥さんが二人して目の前にやってきた。


「待たせたね、久方振りに引っ張り出した物もあるから、結構手間取ってね」

「いえ、こちらも無理を言っている自覚はあるので。それじゃあ、取引に移りましょうか?」

「面倒見てもらってすみません。さぁリリ、こっちへおいで。ここから先は邪魔しちゃいけないよ」

「はーい! おっさん、お菓子ありがとな!」


 ぶんぶんと手を大きく振ってそう言ってきたリリに手を振り返し、店主の奥さんと手を繋いで店の奥へと行ったタイミングでふぅと一息ついた店主。

「悪いね、いつも。さて兄さん、今回の商品は全部でこれだけある」


 彼が指差した先には魔石がぎちりと詰められた木箱が並べられている。

「わかりやすいように全部種類別に分けてあるが、火の魔石の扱いにだけは注意を払ってくれよ。もし今日この街で火事が起きたらまず兄さんを疑うくらいの量だからな」

「ええ、大丈夫ですよ。ご配慮感謝します。それで、金額はいくらになりますか?」


 結構な量になってしまった。木箱一杯の火の魔石は恐ろしいけど、これで拠点の皆も少しは余裕を持って魔石を使えるし、緊急時にも備えられる。

 灯りや水も生活に必要な物だし、ありすぎて困るという事もないだろう。


「ええ、と金貨三百と……、七十枚だ。内訳の紙はいるかい?」

「いえ、字が読めないので結構です。それじゃあ白金貨四枚で」


 少し意外そうな表情でこちらを見てきた店主は俺が差し出した白金貨を大事に受け取り、カウンターの奥へしまい込みお釣りの金貨を出してきた。

「兄さん、字が読めないのかい?」

「ええ、お恥ずかしながら……」


 やっぱり常識として覚えておいた方が良いのかなぁ……。

 商売人の息子として当然なのかもしれないが、アレック君も読み書きができるらしいし、看板娘も出来るみたいだし、大人としてちょっと恥ずかしいもんなあ……。


「そういやぁ、田舎から来たって言ってたもんな。どうだい? リリと一緒に勉強していくかい? あの子もうちのヤツが読み書きを教えている最中なんだよ」

「流石にそれは……。大人として悔しいので、いざという時はリリちゃんに隠れて頼みますよ」


 俺の言葉が面白かったのか、口元を隠すように笑う店主。

 彼の出した金貨と、横に並ぶ木箱を全て鞄に詰め終えると彼は深々と頭を下げてきた。


「ありがとうよ、この通り大繁盛したから当分はリリの相手が出来る。この金でウチのとリリに新しい服でも仕立ててやるとするよ」

「いえいえ、こちらは軽いお礼のつもりでしたから。それでは今回もありがとうございました」


 彼に頭を下げて次の店は……。

 セバートの店には夕方頃に行けばいいそうだし、バーニーも昼を食べた位に行けばいいだろう。それなら、あのおじさんの所しかない。


「いい物入ってないかなー。今回は絶対手に入れたい物があるし」


 ぷらぷらと歩きながら目指した場所、その目印の弓と矢の看板がある店の扉を開き、中へと入ると茶色の髪と髭を蓄えたおじさんがこちらを見て手を上げてきた。


「おぉー、久しぶりだね。どうだい? 矢、撃ってる?」

「いや、俺は弓も弩も、っていうか戦闘がそれほど出来ない臆病者なので……。仲間はお陰様でじゃんじゃん撃ってますよ」


 微笑んで頷いているおじさんの手には、真新しい弓が握られている。

 どうやら武器のお手入れ中だったようだが、彼はその弓をこちらへ差し出すように前へ出してきた。


「お兄さん、臆病者だからこそ弓は覚えておいた方がいいと思うよ。気配さえ殺せれば、これ程の武器はないからね」

「うん、それはわかってるんだけどね。うーん……今度、弓を扱える人に教えて貰うとするかなぁ……」


 目を瞑って教えてくれそうな相手を想像してみる。

 弓と聞いて一番に思い浮かぶのはウタノハ……、だけど眼を使わせないといけないかもしれないな。ウタノハの侍女達やリザードマン達に猫人のシュレンも長弓を使っていたっけ。

 他にも、手解きしてくれそうな人が頭の中に出てくるし、いい機会だから覚えておいて損はない、かな? 物騒なこの世界、飛び道具の一つでも身につけた方が良いだろう。


 一通り考えを纏めて目を開くと、にっこりと微笑むおじさん。

 彼は今の今まで手入れをしていた弓をこちらに差し出し、俺へと渡してきたが……。


「ほい。これ、初心者にはオススメだよ。知り合いの職人が作った物なんだけどね、金貨三枚でどう?」

「そう来るのかぁ……。いいよ、頂くとするよ」


 うまいことしてやられた感じがするけど、どうせ大人買いをする気満々だしな。

 その弓を挟む形でおじさんに色々と注意点などを聞いて、改めて弓の難しさの片鱗を垣間見てしまったが……。本当に出来るのだろうか? と不安を感じていると、それを払拭させるようにおじさんが笑う。


「ほっほ。大丈夫だよ、最初はみんなへたっぴだからね。ちゃんとした構えを覚えて、それを体に染みつけさせれば的に当たるよ」

「無類の不器用だからなぁ俺……。頑張ってみるけど、期待はしないでね?」


 いつもしてやられた感じがしているなぁ、この商店のおじさんには……。

 ほのぼのとした空気や口調なのに、気付けば買う気にさせられているところとか、それとなく弓を売りつけられているのに嫌な気にならないところとか、やはりこの街で商いをしている人は皆プロだな。


「それで、今日はどういった物を探してるんだい?」

「おじさんの店にある弓と弩、矢も含めて全部頂戴」

「はっ?」

「全部頂戴」


 そんなプロ達に気の抜けた表情をさせるのがクセになってしまいそうだ。ありがとう、ゴダール商会。ありがとう、黒いお召し物。

 今日も僕は頑張れそうです。




※更新遅くなってしまい、すみませんでした※

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