第114話 はんにんの名は

 俺の視界には今、とても奇怪な映像が映し出されている。

 その問題が起きているのはポッド達、トレントの並木道のすぐ傍。

 篝火かがりびを焚き、物々しい雰囲気が醸し出される中ではりつけにされている下半身が蛇の女達。

 彼女達は全員が気を失っているようで、ぐったりとしたまま力を感じさせずに首を垂らすようにしている。


 更に不思議に感じるのは彼女達の下半身、蛇の部分。

 腕や首、腰に何かが巻き付けられている上半身、そして彼女達の種族特有の長い下半身は何かで固定されているように渦を巻き、大人気ギャグ漫画の主人公の女の子が棒でツンツンしていたアレを彷彿とさせる。


 金色のような色合いの鱗を持っている女性の場合だとそれが尚の事酷い。あの女性達に何があったかは知らないが、土埃で薄汚れていて遠目から見るとまさにソレ。


「なんでアレとぐろ巻いているんだろう、というかどうしてあの人達あんなことになっているんだか」

「ホリ様! アレ、ウンモガガ」


 指を差してその単語を言ってしまいそうになったアリヤの口を押さえておいた。

「いいかいアリヤ? もしアリヤが誰かに指を差されて、その言葉を言われたら悲しいだろう? そういうのは思っていてもいっちゃダメだよ」


 コクコクと頷き、俺の言葉に納得したという反応を示してくれたアリヤを撫でながら視線を戻す。

 あの磔ウン〇は何故ああなっているのか、そしてそれらを囲う鬼気迫る様子の周囲の魔族達。


 よく知った彼らではあるがああして血気盛んな様子を見せられると、やはり恐怖を感じてしまう。この恐ろしさはいつまで経っても拭えない、恐らく本能から来るものだろう。


「取り敢えず、あのままだとあの蛇女共が殺されてしまいかねない。それを阻止する為にも急いであの場に行こうか」

「ハイッ!」

「急ギマショウ!」


 遠目から見ているばかりでは状況は動かないと走り出している俺達に気付く者は居らず、それどころかポッドの近くまでやってくると、遠目から見た時には気づけなかったが彼らの中心で渦巻いている感情は怒りよりも、悲哀に満ちた物だった。


「うぅぅ……、ホリ様……」

「姫様、お気を確かに……」

「そうですよぉ! 泣いてばかりではホリ様も浮かばれません! アリヤさん達も……、うぅっ、うう……」


 悲痛な面持ちで泣き崩れて何かを握り締めているウタノハに寄り添うオラトリやオーガ達。どの子も少し震えていたり、布で目元を拭っていたり……。


 その彼女達とは対照的にリザードマン達やケンタウロスは怒り心頭と武器を握り締めて磔にされている女性達へ向けて怒号を上げている。


 彼らのその表情は怒りもあるが目を赤くしていたり鼻声で叫んでいたりと、まるで悲しみを怒りで覆うように努めているようだ。


 ミノタウロス達の大概が怒りに打ち震えるように目を紅くしているし、ハーピー達も羽根をばたつかせていたり泣き崩れていたり……。

「ナンカ大変ナ事ニナッテマセンカ……?」

「コレ、ドウイウ事ナンダロ?」

「俺達、もしかして死んだと思われているんじゃない? 実際あの川で死にかけた訳だし」


 俺の発言に納得するようにあぁ、と手を叩いたアリヤ達を横目に、はてどうした物かと考えている時に背中から苦し気な呻き声が聞こえてきた事でハッとした。


 そうだ、この子の体調は待ってはくれない、時々刻々と悪くなっているだろうし急いでポッドに見せないと。


 周囲の人に気付かれてはいない、もし俺の仮設が正しければ身動きが取れなくなるような事になるかもわからない。先にポッドに預けてしまおう。


「ポッド、ポッド起きてる? ちょっと頼みを聞いてもらいたいんだけど?」

「ホリか!? お主、死んだんじゃないのか!?」


 がさがさと風もないのに揺れるトレントの木々達、どうやらやはり俺達は死んだと思われているようだ。それにしても、死体もないのにどうして死んだと思われているんだ?


「ポッド、ごめん。訳は後で話すからこの子を治療してあげてくれないかな? あちこちに酷い怪我をしてるし、意識を戻す事もないからなるべく早く治療をしてあげて欲しいんだ」


 シーの手を借り、俺と行き倒れていた少女を繋いでいた蔦をナイフで切り落とした後にポッドの前へ寝かせると、すぐに木の根が顔を出した。


「お、おう。そりゃ構わんがお前、ペトラの薬草汁を常に持っとったじゃろ? あれならそれくらいの傷、たちどころに塞がるじゃろうて」

「それが川に落ちた時に持っていた物の殆どを落としちゃってさ、後で詳細を話すけどホント大変だったんだよ。アリヤ達は文字通り死にかけたしね」


 ポッド達にアリヤの体の調子も見ておいて貰おうとした際、その姿の変わりように驚くかな? と思っていたが、そんな素振りは見せなかった。


「何じゃ、随分でかくなったのぉ。ファッファ、体の出力の違いにまだ慣れんじゃろうから暫くは大人しく……、と言おうと思ったがどうせ聞く耳持たんか。無理だけはするなよ」

「ハーイ!」

「大丈夫、任セテ!」


 アリヤ達にも数本の木の根が伸び始め、そのまま体のあちこちにある擦り傷などの治療が行われ始めたのでこれで安心だ。

 倒れている少女の方も先程までの呻き声のような物も静まり、安らいだ表情で落ち着いている。


「ホリ、お前もあちこち怪我しとる。あとで薬草汁ぶっかけとけよ」

「あいよ、それじゃあアリヤ達が治療されている今の内に彼らに声をかけるとするか……」


 泣き崩れているウタノハを中心とした輪に近づくと、あちこちから体を震わせて嗚咽を堪えるような声や泣きわめく子の姿があるが、その中へ人を掻き分けるようにしてとりあえず侍女達に寄り添われている女性の元へ辿り着いた。

「うーん……」


 ここに来るまでに誰にも気づかれないという、自分の存在感の無さが原因で少し物悲しい気持ちにさせられたが、珍しい状況に陥った事で少しの悪戯心が沸いて来てしまったのでそっと泣き崩れている女性に何かしてみよう。


 とはいえ、特に何も思いつかないので取り敢えず礼儀としてセクハラの一つでもしておくとするか……。


「ホリ様ッ!?」

「なんでやねん、第六感研ぎ澄まされすぎでしょ!」


 手を伸ばして目標まであと少し! というところで何かに勘付き、背後に近づいていた俺の方へ振り返って声を上げたウタノハの鉄壁のガードにより、俺の手は空気をにぎにぎするだけに留まってしまった。


「おわっ、と……。ただいまウタノハ」

「おかえりなさい……、おかえり……、うぅ……。」


 図らずも手を伸ばしていた事で彼女が胸元へ飛びつく様に抱き着いてきたわけだが、凄くいい匂いがします……とか考えている場合じゃないな。すぐ近くでこちらを見て面白い表情を浮かべて呆気に取られている魔族達にも声をかけないと。


「みんなもただいま。もう、勝手に人を殺さないでよね? アリヤ達も俺も皆五体満足で元気だよ、心配かけてごめんね」

「ホリ無事だったんだな! 本当に、本当に良かった!」


 イダルゴが目を紅く光らせて近寄ってくると、巨大な体も相まって怖いな。

 ただ心配させてしまったのだし、彼を始め涙を流してくれている他の人達にも謝罪をしておこう。


「ウタノハ、ほらほら泣かない泣かない。それにいつまでも上半身裸っていうのも恥ずかしいから、誰か服を持ってきてくれない? パメラに作るように頼んでおいた物があると思うんだけど」

「はいっ、少々お待ちください! 只今お持ちしますねホリ様、ご生還出来て何よりでございます! ではっ!」


 放たれた矢のように走り出したケンタウロスの男性に手を振り返していると、男泣きをしているイダルゴに失笑するように揶揄いながらレギィがやってきた。


「イダルゴ、デカい図体をしてそのように泣くんじゃない。ホリ、すまないな。川に落ちたと聞いて俺達が川を調べても見つけられず、ホリのマントや服、他にも武器が落ちていたからそれで早とちりしたゼルシュが『ホリが死んだ!』と言ってこのような事に……」

「なるほどね、まぁ仕方ない行き違いだよ。実際こっちも危なかったからね。そういえばゼルシュや他の皆は? ここにいないって事は狩猟でも行っているのかな?」

「あー……、とですね。ホリ様……」


 見回してみても、ここには二十から三十人くらいしかいない。

 残りの人達にも無事に帰ってきた事を報告したいんだけどなぁ……と考えてレギィに問いかけると、その質問にはウタノハの背中をさすって宥めていたオラトリが答えてくれた。

「ここにいない者達は、その……森狩りに行っております」

「森……、狩り?」


 深く頷くオラトリ、集まっている他の子達に視線を送るとサッと視線を逸らされるんだけど、何その不穏な響きは……。


「その……、言い難いのですがホリ様が死んだと思い込んだ我々はその報復として動き出しておりました。ウォック殿とラヴィーニア殿が中心となって森から攻め込み、ゼルシュ殿とリューシィ殿の両名を中心としたリザードマン達が川を使い攻め込む、そして捉えたラミア達から情報を聞き出し巣を発見するという手筈となっておりまして……」

「それじゃあもしかして、あそこで奇怪なオブジェとなって磔にされているのは……」


 話の内容を聞かせて貰っている内に少し眩暈が起きてしまう、報復措置が施行されるの早すぎるだろ……。

 ちらりと磔にされている女性達を見ながらオラトリに問いかけると、彼女は再度深く頷いた。

「ええ、攻め込んで捕らえた者達です。リーダー格の者はウォック殿が相当痛めつけたとの事でした、その証拠に捕らえて大分時間が経ちましたがまだ目覚めません」


 オラトリの説明に何という事でしょう、という感想しか頭に浮かんでこなかった。


 直接被害に遭ったアリヤ達も腹の虫が収まらないだろうから、何かしら復讐するだろうなとは思っていたけど、それよりも早く動き始めていたここの者達によってあの森は今この時も大変な事になっているのか。

 事態の深刻さについ大きな息を吐き出してしまった。


「俺やアリヤ達の為を思って行動してくれるのは嬉しいけど、そりゃまた……」

「ホリ様、どうか皆を責めないで下さい。今森へ行っている者達もここに残っている者達も皆、貴方が死んだと聞いて艱難かんなんの声を出しておりました。今は怒りでその悲しみを上塗りするように隠し、自身を奮い立たせているのだと思います。それでも責を問われるのでしたら、私が……」


 抱き締めてきていた力を緩め、顔を上げてきたウタノハが不安気な様子を見せてくる。まぁ、その根本の理由が理由なだけに文句は言えないよなぁ。


 彼女の言葉の途中で空中をわきわきとしていた両手を使い、目の前の女性の頬を軽く摘まんでみたがすべすべとした肌とぷにぷにの感触がとても良い、長時間触っていられる。


「うん大丈夫、責めるって事はしないよ。それなら皆お腹減らして帰ってくるかもしれないから、スライム君に頼んで美味しい物でも作って貰おうよ。いっそのこと今日は宴会にしようか」

「ふぁい、そうひまひょう」


 頬を引っ張られているのに、弾けるように笑う彼女。

 目元を隠していて、更に頬を引っ張られているのに可愛げのある表情を見せる事が出来るなんて……。


 宴会と聞いて一気に気を取り戻して色めき立つ魔族達、あちこちであれが食べたいあの酒が飲みたいという叫びが上がり始めるといそいそと準備に走り始めた者達が。


 まだ鼻先を赤くして泣いていた余韻が残っているウタノハの頬を摘まみながら、彼らに指示を出しているとポッドが大きな声を上げた。

「おぉいホリ! お前が連れてきた子、目ぇ覚ましたぞ!」

「おー! ちょっと待ってて今行くよー! それじゃあウタノハ、オラトリ、ここの指揮は任せたよ? あと、今日の風呂の香りは森の香りはやめてくれると嬉しいな」

「フフッ、わかりました。行ってらっしゃいホリ様」

「お任せ下さいホリ様」


 二人に宴会場の準備を任せてポッドの元へ戻ると、ぼんやりとした様子の少女が目を覚ましていて、木の根に助けられるように上体を起こしている。


「おはようございます、体調の程は大丈夫ですか?」

「……ゥァ、ァァ……」


 目を覚ましたのはいいんだが様子が変だな……。虚ろな目をしているし、反応も明らかにおかしい。目の前で掌をふりふりとしてみたがぼーっと一点、俺の顔を見続けてくるだけだ。


「ポッド、これって……」

「うーむ、ワシはそういった知識に明るい訳じゃないから正確な事はどうにもわからん、ルースに話を聞いてみい。奴なら何かわかるかもしれんぞ」


 拠点内の養殖場にいるという事なので、急いで迎えに行くとしよう。

 ポッドに亜人の少女を任せて走り始めると拠点内への出入口のトンネルのところにいたパメラとペトラに声をかけ、二人にも帰還の報告を済ませておいた。


「そうだペトラ、ポッドのところにいる子の様子がおかしいんだけどちょっと知恵を貸してくれない?」

「ええ、私でよければ。それじゃあお母さん、私急いで行ってくるね!」

「気をつけてね。それとホリ様、頼まれていた服です。まだ試作品ですが、着心地は良いみたいですよ。一度洗ってありますから、どうぞ」


 駆け出したペトラを見送りながら新たに出来た布の服を手渡されたが、そういえばまだ上半身裸だったな。この状態で人前を激走するとか今更ながらちょっと恥ずかしさが込み上げてきたぞ……。


「ありがたく使わせてもらうよ。……うん、いい出来だね」

「それなら良かったです。アリヤさん達の分もありますから、私もポッド様のところへ向かいますね」


 こちらに一度頭を下げてペトラの後を追うように歩き始めたパメラと別れ、そのまま養殖場に辿り着くと数名のリザードマンに指示を出しているト・ルースを発見する事が出来た。

「ホリ様、やっぱり生きてらしたようで。ヒッヒ、貴方が死んだと騒ぎ立てていたゼルシュとリューシィにはきつく説教をしてやらないといけませんねえ」

「それはまぁ、程々にね? 実際やばかったのは否定できないし……。って違うんだよ! ト・ルース、急いで来てほしいんだ! アギラール、ト・ルース借りてくぞ!」

「え、ええ……。ホリ様、お帰りなさい!」


「ただいま!」と叫びながら取り敢えずト・ルースをそのまま抱きかかえて半ば強引にお姫様抱っこの状態で連れてきてしまった。このお婆ちゃんには一番手っ取り早いだろう。


「ヒッヒ、一体何があったのかわかりませんがこりゃ楽でいいですねぇ。これからも頼みますよホリ様」

「そりゃゼルシュの役目でしょ! というか、意外とト・ルース重いな!」


 俺の胸くらいしかない背丈なのに、腕から感じる重量はかなりの物。

 俺の失礼な発言に、腕の中のリザードマンは気分を害するような様子ではなく、むしろ楽し気に笑っている。

「ヒッヒッヒ、養殖場の魚達の身が良い具合になってきておりまして。ついつい食べ過ぎてしもうたので、太りましたかねえ」


 顎先を爪で掻きながらそう分析するト・ルースが上機嫌に尻尾をふりふりと揺らしている。バランスが取りにくいのでやめて頂きたい。


「そう言えば最近リザードマン達の鱗の艶も良いよね、ト・ルースの尻尾の張りも綺麗だし!」

「ヒッヒ、イヤですよホリ様。こんな婆を揶揄っちゃあ」


 そう言って一段と強く揺れ出したト・ルースの尻尾に苦戦を強いられながらも目的の場所に到着するとペトラがポッドと話し込んでいる周囲には森狩りから戻ってきた者の姿もあり、先程よりも賑やかになっている。


 帰ってきた人達にも一通り驚かれ、心配をかけた事を謝りながら目的の人物をト・ルースに見てもらったのだが、彼女はその子の様子を見て顔を顰めた後、少女の服を少し捲り腹部を覆っている湿疹のような物を見て小さな舌打ちを響かせた。


「こりゃあされとりますねえ。全く、選りにもよって面倒な」

? それはどういう物なんだろう?」


 忌々しそうに少女と、面白い状態で磔にされている女性を交互に見た彼女はポッドに少女を寝かせるように言うとこちらに向き直った。

「こりゃ、ラミアの術の一つですわ。以前に言ったと思いますがヤツラはこういった事に長けとります。これをされると大概のモンは何も考えられない人形のようにされてしまうっちゅう外法のワザですわ。魔法で洗脳されてこの状態にされたっていうならまだ何とかできたんですがねえ……」

「この子は違うの?」


 俺の言葉に静かに、深く頷いて息を吐くト・ルース。普段あまり見せない苛立ちのような怒りを彼女から感じる程に事態は深刻なようだ。


「この腹を見てくだされ、このびっしりとした吹き出物が薬で頭の中を飛ばされたっちゅう証ですわ。薬でこの状態にされちまうと、やった当人でしか解毒が難しいんですわい」

「そこのラミア達で何とか出来ない? 同じラミアなんだし……」


 面白オブジェを指差して彼女に質問を投げてみるが、彼女はすぐさま首を横に振った。

「アレらはラミアの戦闘部隊でしょう、ラミアは薬に長けた連中と戦闘に長けた連中の二つがあります。ヤツラを仮に拷問したとしても、何も知りゃしませんよ」

「そうなると、森に行っている連中が上手い事ラミアの巣を見つけて、更に上手い事この子を洗脳したラミアを見つけてこないと状況は改善しない?」

「ええ、そうなりますねえ。ただ……」


 目を開けたまま譫言うわごとで何かを呟いている少女の体を軽く触り、低く唸ってしまったト・ルースにつられてこちらも、周りで話を聞いていた者も渋い顔をしている。


「これだけ幼い亜人、しかもメスとなりゃラミア共には用が無い。こん子は多分、生き餌にされとったんでしょう。他の大型の動物を釣る為の道具にされてどれほど放っておかれたから知る由もありゃしませんが、早くこの状態から治してやって、とっとと栄養つけんとこのまま衰弱して死んじまいますねえ」

「そうか……、それ程時間が無いって言うならどうしようか……。あっ」

「はいっ?」


 俺の視線の先には、ト・ルースの話を聞いて悲痛な面持ちをしているファンタジスタの姿が。

「ペトラ、頼みがあるんだけど」

「え、っと……何でしょうか?」


 彼女に近寄り、別に隠すつもりはないがこれからやる事を考えるとかなり後ろめたい事なのでつい小声になってしまう。

 ひそひそと話す俺とペトラの様子に、近くで見ていた者達も首を傾げて聞き耳を立てているが今はどうでもいいので放っておこう。

 俺の頼み事を聞いたペトラは疑問を浮かべるようにしながらも素直に聞いてくれて、俺から鞄を受け取った後に目的のブツを取りに拠点に戻った。


「よし! 後は……、イダルゴ! レギィ! 力を貸してくれるかな!?」


 突然声をかけられて驚いている二人に協力を仰ぎ、了解の返事を貰ったところで早速鉱石を用意した。

 準備する物は二つ、歯を閉じられないようにするマウスピース。そしてストロー、これはポッドの木の枝に鉱石を巻き付けただけなのでかなり太い物になってしまったが、用途を考えれば充分事足りる。


 その二つを作り終えたところでペトラが息を切らして戻ってきた。

「ハァッ、ハァッ……。ホリ様、言われた物を持ってきましたけど……?」

「ペトラ、俺は君の力を信じてるぞ! 何があっても責任は俺が取る、イッパツかましてやろうぜ!」


 彼女が鞄の中から取り出したのは、闘技大会を終えて熟成期間に入ろうとしていた薬草汁の入った樽。

 それを見た途端、空気が張りつめたトレントの並木道。

 その中で震えるように声を上げ、かたかたと揺れる指を差して声を出したのはイダルゴだった。


「お、おいホリ……。まさか……」

「偉い人は言いました、やらないでほにゃららよりもやって後悔うんたらかんたら。ラミアの薬学がなんぼのモンだと。知識を吹き飛ばすにはパワァーなんだよ、こっちは大精霊すら狂わせる最強ペトラ印の薬草汁だぞ! やってみる価値はありやすぜ!!」

「色々ブレブレダヨホリ様!!」


 小さく譫言を呟き続けている少女の茶色の髪を一度撫で、心ばかりのエールを贈る。

 歯を傷つけないように緩衝材として穴を開けた布で包み、出来上がったばかりのマウスピースをはめ込み準備は完了した。

「レギィ、この子の肩を押さえておいて。イダルゴ、この樽持ってホラっ!!」

「お、おう……」

「ホリ……、本当にやるのか……?」


 言われるままに手足を軽く抑えるレギィとがしりと樽を掴み、持ち上げたイダルゴからも冷や汗のような物が見える。俺も成功するとは思えないが、藁にも縋りたいこの状況ならばやるしかない。


 樽の蓋についている口の部分に思い切り鉱石で作ったストロー……、パイプを突き刺し、先の口の部分を親指でき止めた。

「おし、イダルゴ。樽ひっくり返すんだ!」

「ええい、俺はどうなっても知らんぞ!!」


 軽々と樽を扱い、くるりとソレをひっくり返すと突き刺したストローパイプの脇からぽたぽたと中身が漏れている。


「くっさっ!」


 つい叫んでしまったがこの虚ろな目をしている少女が飛び起きそうな香りを感じさせる液体をマウスピースに開けた穴から注ぎ込むと、喉に動きがあった。

 飲み込んでる……? と思っていた次の瞬間、少女の体が軽く跳ねた。


「おぉ、これ効いてるだろ! イケルイケル!!」


 勝利を確信した俺と温度差がかなりある唖然とした空気の中、笑いを噛み殺しているト・ルース。


 何も死ぬような事にはならない、と高を括っていたが喉に詰まらせないように何度も休憩を挟みながら薬草汁を流し込み、四度目の事だった。


「ウヴォォォォォオオォォォォッ!!」


 およそ少女とは思えない何かの怨念のような断末魔の叫びが轟き、つい手を止めてしまった俺とイダルゴ、そしてその声に手を放してしまったレギィ。


「お、おい、今の声を聞いたか!? やっぱりまずかったんじゃないのか!」

「この子の顔を見ろ! どう見てもやばいだろホリ!!」


 樽を地面に置いたイダルゴとレギィの二名に詰め寄られるが、内心一番焦っているのは俺である。

 やっちまったか……?! と冷や汗が全身から噴き出る。


「ヒッヒッヒ、大丈夫じゃ。デカい図体した連中が騒ぐとみっともないよ! こん子もツラは酷いが……、ホレ」

「あれ、あの赤いボツボツが無くなってる……?」

「綺麗ニナッテルネ!」


 少女の服を軽く捲り、先程まで腹部にあった湿疹のような物がなくなり白い肌とへそが露わになっている。薬草汁を飲ませる前までとはまるで別物だった。

 だがそれ以上に、彼女の大丈夫という言葉に安堵の息を漏らしたのは言うまでもない。


「あの吹き出物は薬による生き物の拒否反応みたいなモンなんですがねえ、それが無くなっている。そして何より、この思考削りに使われる薬は悪霊の類のエキスを使うと聞いた事がありますが、先程聞こえた叫びはその悪霊が消え去る時の声ですわ」

「えっ、何それコワイ。それじゃあもしかして……」


 小さな笑い声を出しているリザードマンの老婆を見ると何度も頷いた。

「ええ、ええ。恐らくですが、大丈夫でしょうよ。ちと生娘には酷な表情をさせちまいますが命が拾えるならそれでもええでしょう。ヒッヒッヒ、ペトラの嬢ちゃんの薬は万能薬だねぇ」


 先程までの怒りは消え去り、むしろ楽し気にしているト・ルースの言葉に浮かれているのは誰よりも俺。

 打ち震える体でペトラへ振り返り、俺は溢れ出る感情を叫んでしまった。


「や、やったぞ! ペトラ流石だペトラ! おい、ペトラを胴上げするぞ!!」

「ヨクヤッタペトラ! ペトラ最強!」

「ウォー! ペトラー!」

「えっ? えっ!? えっ!!?」


 俺やアリヤ達、イダルゴ達に胴上げされているペトラは最初慌てふためいていたが、何度か胴上げすると彼女の方もそれを楽しんでいたようだ。


「ヒッヒッヒ、しっかしこん子の知り合いがこの顔を見たら悲しむ事になりかねない顔を浮かべておりますねえ。同じ女として不憫ですわい」

「ハッハッハ、ト・ルース。この広い世界にそうそうそんな偶然ある訳ないでしょ! それよりも、腹を減らしてるこの子が目覚めた時に美味い物をたらふく食えるように準備しないとな! なーに食わせようか!?」

「ヤッパリ肉デスヨホリ様! 肉食ベサセマショ!」

「ココハオイシイ魚デショ! 天プラニシマショウヨ!」


 勝利に喜ぶ俺やアリヤ、ベル始め色々な者達と高らかに笑い合って冗談を交えながら話をしていると拠点の方から走り寄ってくる影が。


「ホリ様、ホリ様やっぱり生きてらしたんですね!」

「マリエン、ヒューゴー達もただいま! いやー大変な目に遭ったんだよ!」


 尻尾と耳をピンと逆立たせて走り寄ってきたマリエン、再会できた事を喜んでくれているのか涙を溜めている彼女と、その後ろには息を切らして走ってくるヒューゴー達猫人の姿が。

 とりあえずマリエンの猫っ毛を楽しむ為に撫でさせてもらう。


「おかえりなさいませホリ様、お疲れでしょう、丁度今しがたお風呂の準備が終えられました。ゆっくりと疲れを癒してください」

「ありがとうヒューゴー、丁度こっちも一段落ついたしお言葉に」


 息を落ち着かせ、朗らかに笑いそう伝えてきたお爺ちゃん猫に軽く頭を下げてお礼を言っている時に、場を凍り付かせるような悲鳴のような物が木霊した。


「コーヌちゃん!?」


 その声の主はマリエン、彼女は赤い顔をして撫でられていたのだがポッドの前に横たわっている少女を見つけると一転、顔を真っ青に変えて大きく叫びながら駆け寄り、その少女の体に手を置いて揺するようにしている。


「コーヌちゃん! どうしたのコーヌちゃん!! 酷い、どうしてこんな事になってるの、一体誰が!? 返事をしてよコーヌちゃぁん!!」


 勝利ムードが一転、あまりにも重苦しい物に様変わりした瞬間である。


 世の中、狭いなぁー。

 日も暮れ始めた赤い空、星が煌めき始める上空を見上げて悲しい事実を忘れるように大きく息を吸い込んだ。

 そして現実を見る為に、横たわる少女に縋り泣いているマリエンを視界に収めて地面にくっついてしまったのではと錯覚してしまいそうな程に重い足を運ぶ。


 マリエンの近くまでやってきた時に、涙で上擦ったような声が微かにだが、しっかりと俺の耳に届いた。

「許せない……、コーヌちゃんをこんな目に遭わせたヤツなんて、絶対許せない……!!」


 その言葉を聞いてつい、再度空を見上げてしまった俺はそれ以上彼女達に歩み寄る事が出来ず、泣きじゃくるマリエンと白目を剥き鬼のような形相で眠っているコーヌと呼ばれる少女に聞こえる声で独り言を放っておいた。


「いやぁ、あの小さな亜人の少女をあんな目に遭わせたラミア、許せないなぁ!!」


 俺の叫びは虚しく拠点に響き渡った。

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