第97話 幻獣というか

 様々な制限の中で生きてきた現代日本人としては、この世界へやってきてからの漠然とした大きな目標の達成を目指して一歩一歩ちびちびとやっていると、時には中弛みのようになってサボってしまおうとか他に楽しい事が、などと横道に逸れるような事になる日も偶に出てきてしまう。


 今回の目的には時間の猶予がない。だがしかし、そう追い込まれると今度は現実逃避のようになってまた横道に逸れやすくなる。そう、私こそはダメ人間。


 つい隣で一生懸命にスコップを振っている女性の豊かな胸元へ目が行ってしまい、笑顔で頷いていると糸で吊るされて辱めを受けたり、細くひんやりとした指に首筋を掴まれて持ち上げられたり、監視者達の仕事を増やす一方だったかもしれない。


 その後優しく注意されるのもご褒美なんですが……。


 僅かな期間しかないが、各々の頑張りで用意したい物は形になった。そして気掛かりだった森でのモンスター討伐、こちらが大変だったようで。


 その第一の被害にあったのはケンタウロスの男性、数匹のモンスターを討伐しているところを背後からトロルに強襲され、組伏せられた後、汚される! と思ったところへペイトンが駆けつけて助けたようだ。

 その男性が大泣きをしながらべとべとな状態で拠点へ帰還した際に、リザードマン達数人掛かりで放水、洗浄。


 泣きっ面に蜂という扱いを受けた後に改めて全身を細かく石鹸で洗い、牛乳風呂を実験投入してみたところ人型部位はツルツル、馬体は艶々、尾の毛もふわっふわ。甘い香りを漂わせる男性を生み出す素晴らしい結果となった。


「凄いね、組み伏せられただけでああなるって……。ペイトンは大丈夫だったの?」

「ええ何とか……。ただその、槍が酷い有様になりましたよ。洗っても臭いが取れなくて、そのまま家に持ち帰ったらぺ、ぺッ、ペトラにっ……『お父さん、臭い!』って言われて……!」


 悲し気に俯いているペイトン、ダメだ笑ってしまってはいけない。友人が悲しんでいるのだ、ここは堪えねばならない。


 このような被害が他にも数件、まだ大事には至ってはいないが大なり小なり心の傷を負う結果になってしまっている。

 恐ろしいな、トロル……。


 笑いを堪えながら彼を慰めて、今度ペイトンの槍を作るからねと約束したら肩を強く掴まれて号泣しながら何度も頼み込まれた。


 どうやら他にも俺に武器を作ってもらいたい人は多いようで、ペイトンがその話をした際に横で聞いていた者達が何を勘違いしたのか、全く別の情報の広げ方をされてしまい、俺がそれを知ったのは後日、洞穴前での事だった。


「ホリ様! お聞きしたい事が!」

「うん、どうしたの?」


 ポッドの馴染みの幻獣に会いに行く際、お土産の一つでも持って行こうとあれこれと作っているとやってきた数人のオーガ、ウタノハの侍女達がやってきた。


「今度のトロル討伐、愛用の武器が壊れたらホリ様が手ずから作って頂けるとお聞きしたのですが!!」

「うん? ペイトンが槍をずっと欲しがってたから、トロルからケンタウロスを助けた時に使えなくなった槍の代わりに作ってあげるよとは言ったけど……?」

「やっぱり、愛用の武器が壊れるくらい頑張ったら頂けるんですね!!?」


 どうしよう、少し興奮気味なのか顔が近い上に話を聞いてもらえない。二本の角がこちらへ向かって刺さりそうな距離を保っているのが恐ろしい。間近で見るとやっぱり美人しかいないなぁ魔族……。


「いやほら、俺の作る武器は見た目も悪いよ? あとどうしても一人一人の意見に合わせて作るから使い勝手を考えたらフォニアの作る武器の方がいいと思うんだけど……?」

「関係ありません! オラトリ様の使われているジッテも、アナスタシア様の愛用している槍も、この拠点で羨望の的になる逸品ですよ! 私も欲しいです!」

「そうです!! あの輝きを手に姫様を守る、我らの本懐を成し遂げる為にあの輝きを是非! この手に!」


 興奮している彼女達、こちらもあれこれ準備を進めてしまいたいのでその興奮は仕方がないから他の物で誤魔化すとしよう。


「はいあーん」

「? あーん」


 条件反射で口を開けてくれるウタノハの侍女達。真面目なのか、言われた事はしっかりとこなしてくれる彼女達の口にグスタールで購入してきた豆を使ったお菓子を入れてみた。

 少し大き目に揚げたおからのドーナッツを手放す事なく黙々と食べているハムスターオーガ達。やっと静かになったと思ったところへ今度はミノタウロスの女性が数人やってきた。

 その中にはレイやティエリもいるのだが、彼女達も先を争うようにして俺に詰めかけてきた。


「ホリさん聞いたわよ! 今度のトロル討伐で頑張ったら武器を作ってもらえるのよね! 私、モォ居ても立っても居られなくて聞きに来ちゃった!」


 弾む胸と血相を変えて新たにやってきたレイがそう口にすると、ティエリや他の二名のミノタウロスが鼻息を荒くして頷いてレイの意見に同調している。


「いや、この子達にも言ったけどあれはペイトンが仲間を助ける為に槍をダメにしちゃってしょげていたから、それなら俺が作るよとは言ったけど……。それに俺の作る武器は見た目が悪いからね、フォニアの作る剣とかの方がかっこいいよ? 洗練されているし使いやすいと思うんだけど」

「関係ないわ! み、み、未来の私の……、その……、……とにかく! 私は貴方の作った武器で戦いたいの!」


 大きく叫んだ時に地面を一度強く踏みしめた衝撃で少し体が揺れる。素晴らしい力をしているなぁ彼女は。今度の作戦の一番の肝を握る一人だしなぁ……。それに、こうしてミノタウロスの女性達に囲まれているとぷるんぷるんがぷるんしていてやばい。


「ほ、ホリ! 私も、私もホリの作る武器欲しい! こう、ぐわぁー! としてる、かっこいいの!!」

 熱く説明を、戦慄くように手を広げながらそれはもう熱く説明をするティエリ始めとする彼女達。


「うーん、全くわからん。熱意は伝わったんだけどね? はいティエリ、あーん」

「? あーん」

 彼女の口の中に、試しに作ったきな粉とおからを使ったスコーンを入れると静かに黙々と味わうハムスターが一人増えた。他のミノタウロスには大き目に作ったおからのクッキーを試してみたところ、更に増産されたハムスター状態の者達。


「レイ、これ食べてみてよ。はいあーん」

「うう、誤魔化されている気がするけどいい匂い……。あーん」


 少し大き目のスティック状のケーキ、魔王達に貰ったフルーツをドライフルーツとして加工した物を使っているので、とても楽しい味わいになった物を入れ最後の一人もハムスターとなり、黙々と食べている。


 うんうん、甘い物は平和をもたらすんだな。

 新たに手に入るようになった牛乳のおかげで出来る事が更に増えた結果、俺とスライム君、そして何故か甘い物ご意見番としてオレグが勝手に味見という協力を申し出て作り上げた物は彼女達にも受け入れられたよう。


 こちらの準備が整い、ウタノハとオラトリが呼びに来るという事だったがこのまま先にポッドの元へと向かってしまおう。


 洞窟の外、椅子に座って並んでお菓子を頬張っている彼女達にスライム君がお茶を出している。平和な光景だな。


 拠点の前の坂の道中で合流したウタノハ達、彼女達とポッドの元へ向かうと今回、幻獣のいる場所へ行くメンバーが集まっている。目的地に向かうのは俺、アナスタシア、ラヴィーニア、ウタノハ、オラトリ、ト・ルース、オレグ、イェルム、エンツォ、プルネスという十人で行く事になった。


 選考基準がアナスタシアとオレグは機動力、ラヴィーニアとウタノハの探知能力、オラトリはウタノハの専属護衛として。そしてト・ルースとイェルムはポッドの知り合いと面識がある事、更にイェルムはエンツォと空からの警戒も行えるし、プルネスはあの辺りの森で探索をずっとしていた土地勘や、オークの特性の鼻の良さも頼りにされている。ペイトンが最初は行きたがっていたが麦の事もあり、それならばと土地勘があるプルネスが代理として名乗りを上げてくれた。


 このメンバーを選んだ際、ゴブリン達が猛抗議をして自分達も連れて行けと言ってきたのだが、大人数で行って向こうを刺激するのも良くないと説得をしたが、それがまた一苦労。


 俺達が来たのを確認して、アナスタシアが一度頷いた。

「来たな、それでは行くとしよう。これから向かう周辺は一応昨日の内にある程度敵を殲滅はしておいたが、それでも十分に注意をしておいてくれ」

「わかった、皆の足を引っ張らないように気を付けるよ。よろしくね」


 勢揃いした面々に頭を下げて、出発といきたいところではあるが見送ろうと来てくれたアリヤ達がポッドの根元でまだ少し納得がいかないとばかりに拗ねて根を弄っているので、最後に彼等の元へと歩み寄り口の中へ甘い物を入れておいた。


「みんな、お留守番頼むね? 俺達がいない間、三人がリーダーになって何かあったら対処してもらいたいからさ。頼らせて貰ってもいいかな?」

「モゴッ」

「モゴゴッ」

「ホリ、お前さん達から攻撃する事が無ければ相手から攻撃してくる事はない。頼んだぞ」


 気を取り直して力強く頷いてくれるアリヤ達を最後に一撫でさせてもらい、ポッドへ軽く頷いて返事を返して俺達は出発となった。

 道中、最初は荷車で行くかという話をしていたのだがラヴィーニアの体格上、それに合った大きい荷車を使うのはむしろ大変なので徒歩で向かう事に。ト・ルースとウタノハはオラトリ、オレグ、プルネス、俺と言ったメンバーが代わる代わるおぶさる事に。


 距離的には昼頃に到着予定だが、急いでおいて損はないと全員の歩みが速まる結果、当初の目的地に着いたのは想定よりもかなり早い時間帯。


 一度ここでイェルムとエンツォの二人に周囲の警戒をしてもらい、その間にこちらは食事の支度を済ませようとしたところ、食事の準備が出来るのは俺だけ。スライム君のお弁当があるからスープを作るくらいなのだが……。


「野菜を入れて欲しいなぁ……」

「いんやぁ、ここは魚を入れた方がええでしょ」

「どっちも入れちゃえばァ?」


 既に注文が多い。

 鍋を覗き込みながらあれやこれやと言ってくる要望を聞いていると収拾がつかなくなるのは明白なので、朝方に完成した物を使ったスープを用意した。作りすぎてしまったので、今日はこれを使った料理をスライム君と考えようかな?


「これは……、牛の乳か? ホリ、私はあまりこれが得意ではないのだが……」

「アナスタシア、それ牛乳じゃないんだ。まぁ牛乳もちょっぴり使っているけど、豆を使った豆乳っていう物だから飲んでみてダメそうなら戻してくれていいよ。出来れば好き嫌いしないで食べて欲しいな? 健康に良い上に美味しいから」

「あらァ? ホントこれ美味しいわァ。アナスタシア貴方ねェ、好き嫌い多いとホリに嫌われるわよォ。フフフ」


 眉の間に一際寄る皴、そして鋭い眼光で睨みつけてくる彼女の視線から逃れるようにそっぽを向いてスープを味わうラヴィーニアの対応に、大きく舌打ちをしたアナスタシアが気を取り直すように、ごくりと唾を飲み込んでカップの中を覗き見ている。


 暫しの沈黙の後、決心したように一つ頷いて少しだけスプーンで掬った野菜とスープを口へ放り込むと、たちまち眉間に寄っていた皴が無くなり首を傾げている。

 首を傾げたまま、もう一度同じ動作を繰り返す彼女。今度はこんもりと野菜を掬い、そのまま大きく頬張って味を確かめるとこちらへ向き直り視線を強めた。


「うまいな、これは! まろやかな味に野菜の風味と塩気が良い!」

「でしょ? 一応臭みを取るためにアレコレいれてあるけど、これで鍋とかするとまた違う風味が楽しめるから。今度作るね、豆は山ほど買ってあるし」

「ホリ様や、これは魚には使えるんですかねえ? 野菜以外でも楽しめるのなら、味わいたいところですよあたしは」


 それならいっその事色々な鍋を楽しめるように、また宴会をしてもいいな……。魔王達も呼んで色々やってみたら楽しそうだ。

「今度それで一杯やろうか? 夜は冷えるけど、鍋を食べて体を温めてお酒を飲める。よく眠れそうだし、今回のトロル討伐が終わったら慰労の意味も兼ねてさ」

「おお、それはいいですな。このスープも良い味わいで、期待が持てます!」


 オレグが楽し気に話をしながらスープの具材を頬張っていたところへ、イェルム達も戻ってきたので本格的に食事を始めた。ハーピー達にも豆乳は問題無く受け入れられたので、今度は色々な味付けを試して味見をしてもらおうかな。


 静かな森の中でわいわいとやって食事を楽しんでいる時、俺には聞こえなかったが数名が突如として武器を手に取り立ち上がった。俺と、正面に座っていたト・ルース、イェルム、エンツォ以外の全員が臨戦態勢に入り、周囲を警戒するようにあちこちへと視線を移している。


「どうしたの?」

「聞こえなかったか? 何か異様な唸り声と……、敵意を感じた。何かに見つかっているようだぞ、我々は」

「一つではありませんね、複数の方向から殺気を感じます。姫様、ホリ様、ご注意を」


 腰の剣に手を添えているアナスタシアや、武器の柄に手を当てているオラトリ、他の者達も武器を抜いて構えて見せたりと周りが警戒心を露わにしているその中で正面のリザードマンが顎を爪で掻き始めた。


「ああ、大丈夫じゃよ。嬢ちゃん達が勘付いたのはこれから会いにいく幻獣の習性じゃ。あと二回くらい同じような事をしてくるじゃろうて、放っておけばあちらから会いに来てくれるでしょうよ」

「どういう事? 俺には何も聞こえなかったけど……」


 ト・ルースの説明に首を傾げている他の面々や俺、立ち上がっていた者達は座り直して水を飲んで喉を潤しているリザードマンの話を聞こうとしているところで、今度はイェルムが口を開いた。


「これから会いに行く相手は襲撃の前に数回相手を威嚇するんですよ、小さな唸り声を響かせて。不思議ですよね。ただそれを放っておくと最悪戦闘になってしまうかもしれません、先程空から巣の目処は立てておきましたから食事が済んだら早々に向かいましょう?」

「まぁ、面識がある二人が大丈夫って言っているからいいけど……。この辺にモンスターはいないみたいだし、それじゃあデザートは無しで片付けを始めようか」

「えっ!?」


 オレグが一人悲しい瞳を俺に向けてくる中で、そそくさと鞄に食器や鍋など使った道具をしまいながら森の中をぐるりと見回してみても、俺には何も感じられない。それでも数名は何かの気配を察して特定の方向へ視線を向けていたり、気配を探るようにしていたりと緊迫感が増してきた。

 ちょっと挨拶に行くだけなのになぁ。


 ウタノハが周囲の確認の為に片付けをしている最中に瞳の力で周りを警戒してみたが、トロルなどの敵らしき姿は見当たらなかったようだ。そしてイェルムの言っていた方向に大岩が多数あり、その中の一際大きな岩に穴が開いていて恐らくポッドの知り合いもそこにいるのだろうとの事。


 それからの道中は食事前の時と違い、周りは緊張の糸が張りつめていてあまり喋るような空気にはならず、森を吹き抜ける風の音や鳥や虫などの動物の鳴き声が静かに響き続けていて、警戒をしてくれている周りの人達に申し訳ないのだが少し森の情緒が溢れる空間を楽しんでしまった。


 腰に着けてちりちりと小さく鳴る虫除けの魔道具のおかげか、襲い掛かってくるGや変な虫もいないしな……。これもっと購入しておこうかな、というか拠点でこれが作れたらいいのに!


 他愛もない事を考えている内に目的地にも到着して、ウタノハが言っていた穴の開いた大岩に到着すると途端に空気が変わる。俺でも感じられる獣臭やあちこちに落ちている何かの骨、血が滲んでいるのかはわからないが一箇所だけ色の違う岩場に落ちている動物の毛……。ここで間違いなさそうだなぁ。


「つきましたね、あの方はいるかしら?」

「ヒッヒ、久しぶりだからねえ。案外おっんでるかもしれんよ」


 プルネスに背負われていたト・ルースがその背から降りてイェルムと共に中を覗き込みながらあれこれと話をしていると、岩場のすぐ傍にある茂みからがさりと大きな物が動く音。そしてその茂みの奥から、先程アナスタシア達が聞いたのであろう地を這うような唸り声が。


 鞘から剣を抜く音が響くと共に、その剣を抜いたアナスタシアの背に俺を抱え上げて乗せたラヴィーニアも茂みとは別の方向を見て睨みを利かせている。彼女が見ている先は穴の開いた岩とは別の大きな岩の上。

 そしてオラトリもそれとは別の方向にある木の樹冠、枝葉が密集している中を注視するように武器を構え、ウタノハは目を覆う布を外し弓を手に取った。


「お前達お止め、私の知り合いだよ。ふぅ、随分と古臭い匂いがすると思ったら……」


 戦闘態勢に入った俺達にも届いた大岩に開いた穴の奥から響いた声、その声を聞いて俺達を囲んでいたと思われる者達がこちらへと姿を見せるようにその穴の前へと飛び出してきた。


 姿を現して俺達へと牙を剥き出してきたのは四匹の大きな犬、緑の毛並みとくるくるとした尻尾が特徴的な大きな犬達の後ろから、その犬達よりも数倍はあろうかという巨大な青い毛並みの犬が顔を出してきた。


 他の犬達よりも年齢を重ねていると一目でわかるのは大きさや毛並みの艶、そしてぼんやりと白んでいる大きな目からも察せられる。その巨大な犬がイェルムとト・ルース、並ぶようにしている緑色の毛並みをした四匹の犬の前へとやってきて座り込むと、その大きな口を開いてきた。


「ルース、イェルムのお嬢ちゃんも。久しいね、ルースはまだ死んでなかったのか。とっくに冥府の川を泳いでいるもんだと思っていたよ」

「ヒッヒ、あたしゃしぶといんだよ。それにそりゃこちらの台詞じゃメイラよ。突然来ちまって悪いねえ」

「お久しぶりねリーンメイラさん。もう、お嬢ちゃんはやめてって前にも言ったじゃないですか」


 おお……、何やら入り込んでいけない空気。というか、ト・ルースはまだ見た目で年齢を重ねてるとわかるけどイェルムは一体何歳なんだろう? ハーピーは見た目が年齢より幼く見えるのかもしれないが、直接聞くのは怖いしなぁ。意外とルゥシアも想像以上に年齢重ねてたりして……? 考えてもしょうがないか。


 呆気に取られている俺や、彼女達の醸し出す空気に当てられている他の者達。前に飛び出してきた犬達ですら、少し意外そうに一際大柄なリーンメイラと呼ばれていた青い毛並みの犬とト・ルースやイェルムを交互に見ている。


「それで? どうしてお前さん達と一緒に人間の匂いがするのか教えてくれるかな?」

「そうそう、紹介するよ。あちらに……、っていってもその様子じゃ見えてないね。今あたしら魔族の面倒を見てくれている人族のホリ様だ。牙を向けると魔王様とその血脈に死ぬよりも恐ろしい目に遭わせられるから、子供達に言っておきな」


 ト・ルースが手で促してきたので、アナスタシアの背から降りて彼女達の元へと歩み寄るが……、デカいなこの犬! 近付いて改めて見直すとデカすぎる!

 体のあちこちから年季を感じさせるその青い風体、大きな顔と体に人の背丈よりも長いであろう尾。美人さんなその顔や体をこうして近くで見ると、ぼんやりとした青い毛並みもとても美しい。抱き着いてもふもふしたら怒られるかな……? 


「どうも、ご紹介頂きましたホリです。この度は急な訪問失礼します」

「ちょっと不躾に失礼しますよ、ホリさんとやら」


 言葉と共に巨大な老犬が顔を近づけてきて、そのまま大きく深呼吸をするように匂いを嗅いでいるようだが凄い迫力だなぁ。パクリといかれたら丸呑みされてしまいそうだ。


「不思議な匂いがする人族だね? 様々な魔族の匂いや甘い匂い、他にも色々な……。ありがとう、私はリーンメイラ。森に住まう者として歓迎しますよホリさん」

 こちらへと白んだ黒い瞳を向けて、優しい声色と眼差しで語り掛けてくるが口の隙間から顔を出している鋭い牙により心臓はバクバクと鳴っている。


「ありがとうございますリーンメイラさん。今日は貴方と旧知の仲であるポッドから頼まれて、迫る大発生をお知らせに参りました」


 こちらが頭を下げてポッドからの伝言を伝えると、その内容に彼女は皴を寄せるようにして目を瞑り、ゆっくりと首を傾げて少し息を吐いた。

「私の方でもトロルの集団を殺したよ。おかげで今でも鼻があまり使い物にならないが……。そうかい、やはりこの辺りで起きるんだね。さてどうしたモノかねえ……」

「どうにかする手立てはあるのでしょうか?」


 イェルムがリーンメイラにそう問うと、その大きな頭を小さく横に振った。


「すぐには思いつかないね。その子達はまだ幼く牙も爪も短く脆い、トロルに囲まれたら汚されてオシマイさ。最近殺したトロルも、子供達にこの付近まで誘き寄せさせて私が噛み殺したからね。私はもう目もあまり遠くは見えないし、この弱った足腰じゃ移住も戦闘を続ける事も難しい。これは神の許へ召される時が来たのかね?」


 彼女の渇いた笑いに、伏せのような体勢をしていた四匹の犬達が尾を立てながら立ち上がってきたが、確かにこうして目の前の大きな犬と見比べれば子供と言われるように幼く見えない事もない、だがそれでも俺からすれば大きい。


 子供とは言え立ち上がった姿も雄々しく、首筋をはむはむされたら俺なんてイチコロだろうなぁ。立ち上がった犬達を一睨みして再度座らせるリーンメイラに、俺の横から楽し気に笑い声を漏らし、カツカツと杖を鳴らしながら丸い背中が前へ出た。


「ヒッヒッヒ、メイラ。多分お前さんも、まだまだ死ねない事になるさ。ねえホリ様?」

 何かの期待を込めた視線を俺へ向けてくるリザードマン、楽し気に笑いながらこちらへそう言ってきたという事は俺の考えを見越しての事だろうか? 


「ん? ああ、そうだね。リーンメイラさん、それなら一時的にでもうちの拠点で過ごしませんか? 住み心地が良ければ長くいてもらっても構いませんし、友人のいるところなら何かと都合が良いでしょう? その分、そちらの若い子達に色々と頑張ってもらう事があるとは思いますが」


 最初は避難勧告に来ただけだったが、この様子じゃ子供達を逃がして自分はそのまま……、とかになりかねない。それならいっその事拠点へ引っ張って行ってしまおう。

「クックッ、なるほどね。ルースやポッドに気に入られているみたいだが……、こんな老いぼれにそんな事を言うなんて随分と面白い人族のようだねルース? さて、どうしようかねぇ」


 静かに、大きな尻尾を揺らして噛み殺すように笑う老犬の対応に我慢が利かなくなってしまったようで、横で伏せていた犬達が立ち上がって口を開いた。


「母上、人族のいう事など信じてもよろしいのですか? 下等で低能な蛮族ですよ!」

「そうです。勇者を名乗る人族に父上を殺された事、お忘れですか!」

「幻惑の魔法を使って、我らを陥れようとしているのかもしれませんよ!?」

「……少し状況を考えて喋りなさいよ、バカな子達」


 三匹の犬が俺に敵意を向けてくる中で一匹だけが落ち着いておすわりの状態を維持している。その落ち着いた犬がぽつりと呟いた言葉で他の犬達がその一匹を囲むようにして唸り声を出し始めたのだが、凄まじい速度で振り下ろされたリーンメイラの尻尾で頭を叩かれた四匹は強制的に伏せのポーズを再開した。


「どうして私まで……」

 落ち着きを見せていた子は完全に被害者なのになぁ……。それでもそのリーンメイラのおかげで他の三匹が静かになってくれたのはありがたいな。威嚇されるのも怖いし。


「すまないねホリさん、この子達も悪気はないんだ」

「いえ、敵意を向けられるのは慣れていますから。すぐには答えも出ないでしょうから一度お茶にでもしましょうか。そちらも少し考える時間も必要でしょう? ト・ルースやイェルムに話を聞かれてもいいですし、こちらもここまで警戒してきてくれた仲間を休ませたいので」


 苦笑しながら俺の申し出を快く承諾してくれたリーンメイラ、後ろで何があっても対応できるようにしているアナスタシア達にも一言告げて、鞄から道具を出してお茶の準備を始める。

 リーンメイラやト・ルース、イェルムの三者はそのまま談笑をしているし、アナスタシア達も休むようにして座り込んでいる。警戒は怠っていないようだが……。


 少し離れた場所で鍋を出しながら、横目に大きな犬とその隣で待機するようにこちらを眺めている犬達を見て何を用意すればいいかと考えてみる。犬、犬かぁ……。水で薄めた牛乳と豆乳、水、どれがいいかなぁ。考えていても仕方ない、本人……、本犬達に直接聞いてみよう。


「ねえ君達、この中でどれが一番口に合う?」

「なんだ人族、噛み殺すぞ」

「あっちいけ人族!」

「毒を盛ろうったってそうはいかないんだから!」


 毛を逆立てるようにしてこちらへ牙と敵意の篭った眼光を見せ、まさに取り付く島もないとはこの事だな、と思いながら一度火にかけている鍋の元へと戻ると、先程も落ち着いた対応をしていた一匹の犬がこちらへと近付いてきた。そして、その犬が隣へ座り込んできたと同時に倣うようにしてアナスタシア達も隣へやってきて火を囲むように座り込んだ。


 隣へやってきた犬、おすわりをした状態で俺のしている事を眺めて大人しくしているし、その態度や視線に嫌な感情は感じられない。


「ごめんなさい、少し頭の弱い子達なの。気分を害されたのなら私から謝るわ。それにしても変わった匂いがするのだけど、それは何?」

「大丈夫、気にしていないよ。これは豆を使った飲み物と牛の乳を使った飲み物でね。君達はそのまま飲むと多分体に良くないから、少し薄めた物を出そうと思うんだけど味見してもらえる?」


 こくりと頷いたその子の前に、一度煮立てた豆乳と牛乳、それを魔石の水で薄めた物を底の深いスープ皿に少しずつ入れて並べてみた。


「ちょっと飲みなれない物かもしれないから、お腹の調子とか体調の変化があったり何かおかしいと思ったら吐き出してね? いや、それくらいならもう水でいいのかな?」

「大丈夫よ、たまに人里に行って牛にお乳を貰って飲んでいたりしているもの。最近は知っての通り、トロルのせいで行けないけどね」


 お座りをした状態で前に並べた皿の内、水が入った物以外の器の中身を少し尻尾を揺らしながら匂いを嗅いでいる巨大な犬。この巨大な犬が牛の近くにいたら、その牛の飼い主さんは腰抜かすだろうなぁ。


 音を立てるようにして皿の中身を嗅ぐ事数回、匂いを確かめた後にまず豆乳の方を一口、そしてその後牛乳の方を一口。顰めるように表情を変えて唸る犬が次にした行動は意外にも、皿を咥えるという物だった。


 何をするのかと見守っていると、そのまま咥えた皿の中の豆乳を牛乳の入った皿へと器用に注ぎ込み、その中身を混ぜ合わせて匂いを確かめる事もなくもう一度味わうと納得したように大きく頷いた。


「混ぜた物が一番美味しい!」


 ご満悦と言わんばかりに口周りを真っ白に染めてぱたぱたと左右に振られる長い緑の尻尾。うーん、ワンコ! 見た目は怖いけど、やっぱり巨大なワンワンだな!


 そうこうしている間にプルネスがアナスタシア達へ牛乳や豆乳を温めた物が入ったカップを回してくれいるが、彼女達の方にはグスタールで買った香りの強い蜜を入れてあるので甘味が際立っている。この蜜が定期的に手に入れば最高なのに。


 彼女達にも味は気に入って貰えたようで、どちらかと言えば人気なのは豆乳の方だった。途中から美味しそうに飲んでいる犬に釣られて、自分達も牛乳と豆乳を混ぜた物を飲んでいたりもしていたようだが……。


「それじゃあ、オレグが協力してくれた甘い物を幾つか出そうか。オレグ、一人で食べすぎないようにね?」

「うぐっ、りょ、了解しました……ッ!」


 歯を食い縛り、泣きそうな表情になっている彼の前に並べたのはクッキー類、そしてぱたぱたと尻尾を忙しなく動かしている顔の白いワンコの前に器にこれでもかっ! と入れたスコーンとジャムを少しかけた物を置くと彼女はおすわりの状態からむくりと立ち上がって匂いを確かめている。


「そういえば、自己紹介がまだだったね。ホリって呼んでね? はい、どうぞ」

「いい香り……、よろしくホリ。森に住む者として私も歓迎するわ。私の事はフロウって呼んでね」

「よろしくフロウ、ジャムに果物を使っているからこれも何かおかしいと思ったら吐き出してね」


 こくりと頷いたフロウ、その口からは豆乳とは別の液体がぼたぼたと垂れていて我慢の限界のようなので、こちらが手で食べる事を促すと同時にスコーンに噛り付いた。そして見ていて清々しく思えるほどの勢いでそれらを平らげてしまった。

 そして再度豆乳と牛乳が入った容器に顔を突っ込み、ジャムや豆乳など色々な物をつけた口元を気にすることもなく、ブンブンと尻尾を振りながらこちらへ輝く黒い瞳を向けてきた。

「おいしいっ!!」


 その楽し気な雰囲気で昔飼っていた犬を思い出してしまう。ああ、見た目は多少違えどワンコはワンコ。この感じ、癒されるなぁ。

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