第53話 続・酒のツマミには好みが出る

 ペイトンの叫びが拠点に響き渡り、度胸試しに紫のチーズを火で炙る人が続出している中、カツカツと足音が近寄ってきた。


「ホリィ、帰ってたのねェ。お疲れ様ァ」

「おうホリ、死んだと思って安心してたぞ。いいか、それ以上お姉様に近づくなよ」


 アラクネ達も起きてきた。もう日も沈んでいるしな、それにしてもいいタイミングで起きてくるな。宴会の方もどんどん酒が進んで盛り上がっているところだ。


「やぁ二人共、トレニィアは……? あそこか」

 彼女は俺の視線に気づくとはにかむようにして胸の前で小さく手を振っている。手を振り返し眺めてみると料理が並んでいるところにいる。姉二人の分も纏めて取ってこようとしているみたいだ。


「ラヴィーニア達の作った布、凄い高値で売れたよ。今回かなり物資が買えたのも殆どアレのおかげでさ。もしかしたらこれからもっと高くなるかも」

「フン! 姉様の作りあげた芸術品を人族に安値で売るなど許されん! 吹っ掛けてもっと高値で売ってこい!」

「あらァ、役立てたのならいいのよォ。正直人族に使われるのは癪だけどォ、そうも言ってられないでしょォ? レリーアも糸を頑張って出してくれたんだからァ、ホリもお礼言っておきなさァい?」


 レリーアに頭を下げていると、そこにトレニィアもやってきて話を続けた。

 彼女達のおかげで物資の不安が取り除かれたので、お土産を渡しておこう。

「そうそう、ラヴィーニア達には皆とは別にお土産を買ってきたんだよ。布の為に頑張ってくれたんだし、今回の旅が成功したお礼の意味も込めてね。パメラにはさっき渡したんだ」


 周りにも人が増えこちらを見て酒を飲んでいる。ペイトンは復活したと思ったらまた酒を飲まされて……。あれは二日酔いになる、間違いないな。パメラの様子からしてペアグラスは気に入ってくれたみたいだ。

 改めて彼女達に振り返り、鞄に手を突っ込んで出したのは赤、紫、黄色の花がそれぞれ瓶に詰められ、花から抽出されたような色の水が入った見た目にも綺麗な香水。


 花の名前はわからないし、気に入らない匂いかもしれないが……。

 俺が置いた三色の瓶の内の一つ、黄色い瓶を取り顔の前に持ってきて光にかざして中の花を覗き込んでいるトレニィア。

「……綺麗。ホリ、私はあまり布作りのお手伝いはしていないけど……、貰ってもいいの……?」

「うん、是非受け取って欲しいな? 香りが苦手とかだったら捨てちゃっていいからさ」

 首を勢いよく振り、大事そうに胸に抱える彼女は嬉しそうに微笑んでいる。気に入ってもらえた……? のかな。


「フフフ、ホリィ。いいお土産ありがとォ。この匂いどうかしらァ」

 そう言いながら抱き締められると、素晴らしい感触といつもと違う香りに包まれる。たまりません、ありがとうございます! ありがとうございます!! お土産を買ってきて正解だったな! 


 横で歯軋りをして俺を睨みつけて何かを堪えているレリーア。彼女は紫の小瓶を抱えるようにして口を開いた。

「この土産に免じて今日は許してやろう……! 姉様! もういいでしょうやりすぎです!」

「あらァいいじゃない。レリーア、意外と嬉しそうねェ。素敵な物を貰ったお礼よォ、ねェトレニィア?」

「いい香りです……、嬉しい……。ホリ、ありがとう……」


 二人の美女に抱き締められる。ああ、お土産を買おうと決めた自分ありがとう。ここが天国か!


 レリーアに頭を小突かれ、「調子にのるな!」と怒られたのでやめておいた。


 三人は新食材の塩辛のような何かと紫のチーズを食べに行ったので、少しのんびりと酒を飲める。だが、そうしていると今度はいきなり肩を握りつぶされる勢いで掴まれた。悲鳴を上げながら振り向いた先には顔を真っ赤にしたアナスタシアが。


「おいホリ! ラヴィーニアが『香水を貰った』と自慢してきたんだが!!」

 以前より感じていたが、アナスタシアはお酒を飲むといつもの冷静さが薄れ、少し直情的な行動が多くなる。普段冷静な物腰な分、タガが外れるんだろうな。しかもスライム君の料理をパクパク食べながらがぶがぶと酒を飲むので、酔うまでが早い。


 そのアナスタシアを指を差して笑っているラヴィーニア。仲良いね君達。

「そうそう、アナスタシアにもあるよ。グスタールまで運んでもらって、それ以外にも迷惑かけちゃったからね。絞り切れなくて二つ買って、どちらか選んでもらおうと思ったんだけどさ。これと、これ」


 一つはラヴィーニア達と同じ店で買った香水。白いランのような花が中に入っていて、試しに嗅いだ香りも爽やかだった。何故これだけ匂いを試したかと言うと、もう一つと悩んで店を行ったり来たりしたら店の店主がテスターのようにして匂いを嗅がしてくれたのだ。

 もう一つは、少し大きめの箱に入った白い輝きのロウソク。アナスタシアは訝しげにそれを手に持ち、睨みつけるように調べている。

「これは……、香水とロウソク? 香水は先程見せられた奴と似ているがこのロウソクは……?」


 上から下から、全部で四つ入っている箱の中からその内の一つを手に取り様々な角度から眺めている。

「これはね、アロマキャンドルだよ。火をつけるといい香りがするっていう物。アナスタシアの部屋はシンプルだから、こういう物の方がいいかなぁと。どっちがいい?」

「両方」

「へっ?」「両方」

 こうなってしまったらもう誰も彼女の意見を変えられない。魔王じゃないと無理だ。強い眼差しでそう言い切る彼女に少し笑いを堪えて、両方手渡す。


「今回頑張ってくれたもんね。それくらいの役得がないと、かな? あんまり自慢しちゃダメだよ?」

「ああ! 勿論だ!」

 普段あまり見る事のない笑顔を見せてもらえたし、まぁいいとしよう。ラヴィーニアのところに二つのお土産を抱きしめて自慢しに行った彼女、それを聞いて不満げに睨んでくるアラクネ長女の視線を酒の入ったカップを傾けて誤魔化し、その眼から逃げられる位置に移る。


「ウタノハさん、ちょっといいかな?」

 皆が騒いでいる近くで、喧噪を楽しむようにして微笑んでいる彼女。あまりお酒も飲まないらしいから、退屈かもしれないな。すぐ隣にはオラトリと呼ばれるボディーガードが俺を見据えている。薬草汁の誤解はまだ解けていないのだろうか。


「ホリ様? ええ、大丈夫ですよ。人里からのご帰還お疲れ様でございます。無事に戻られたようで何よりです」

 彼女はそう言いながら頭を下げてくる。

「実は、お土産が幾つかあるんですよ。魔石を貰ったお礼にと思って。是非受け取ってもらえませんか?」

「お気になさらずともよかったのに……、ありがとうございます。フフ、でも私はこの通り目が使えませんので、あまりお土産の渡し甲斐がないかもですね」

 目を覆う布に指を当ててそう言いながら笑う彼女。

「大丈夫です、見えなくても楽しめる物を中心に選んでみました。まずはこれです。他の人にもあげたんですが、香水です」


 彼女の手に少し吹きかけて、青い花が入った瓶を握らせる。彼女はその匂いを確かめるようにしているが……、気に入ってもらえるだろうか。


「なんていい香りなんでしょう、こんな物を頂けるなんて……。ありがとうございます。大事にしますね。オラトリ、どう?」

 彼女はオラトリに手を差し伸べ匂いを確かめさせている。

「良い香りです。よかったですね、姫様」

 オラトリもにっこりと笑っている、良い感触のようだ。

「それはまだ序の口なんです。次はこちらになります」


 彼女に手渡したのは青を基調とした小さな箱、ウタノハはそれを首を傾げながら触り確かめるようにして、その隣ではオラトリも首を捻っている。


 彼女がその箱を開いた時に温かみのある優し気な旋律が聞こえてきた。ウタノハは暫く音色に耳を傾けた後に俺の方に顔を向けて質問を投げかけてくる。

「これは……?」

「オルゴールですね。一目見た時に気に入っちゃって衝動的に買ってしまいましたよ。曲も癒される感じでいいでしょう?」

「ええ、初めて聞いた曲ですが、とても落ち着く音色がします。こんな物を頂いてしまっていいのかしら……」

「気にしないで下さい。どれなら楽しめるかな? と探す事が楽しくなってきましたしね。喜んで頂けたなら幸いです」


 彼女はその箱と瓶を抱え込むようにして笑顔を浮かべている。

「ええ、大事にします。こんな素敵な物を頂いてしまって、あの首飾りに感謝をしておかないといけませんね」

「フフフ、それで終わりだと思うでしょう? まだあるんですよ。おーい、風呂好きな人集まれー!」

 俺がそう叫ぶと、ガヤガヤと騒がしく人が集まってきた。

 そして人が集まったのを頃合いに、俺が鞄から出したのは入浴剤が詰められている箱。その数大体百個。よく考えたら一つの箱に入浴剤が四つずつ入っていて、その箱がこれだけあると、一日一個じゃ一年以上使っても無くならないのか。買いすぎたな……。


「これ、ウタノハさんへのお土産に買ってきた様々な香りの入浴剤! 彼女には猫人族と一緒にお湯係に任命をしたので、彼女の気分で様々な香りがこれから楽しめるようになります!」


 ぴたりと空気が止まり、女性陣の顔というか目つきが鋭くなったような……? そして一人のケンタウロスの女性が手を上げて発言をしてきた。


「どんな香りがあるんですかー?」

「色々あるみたいよ、花から香木、香草。その時々のウタノハさんの気分で変わるから、風呂好きな人は楽しみにしててね。『この匂いはダメだな!』っていう時は無理せず蒸気風呂で我慢してもいいし、ただのお湯よりも楽しそうでしょ?」


 俺がそう言って質問してきた女性に箱を渡すと、彼女は箱の中の入浴剤の匂いを嗅いでいる。彼女はその匂いを確認して弾けるような笑顔で声をあげた。

「わ、これ本当にお花の香りがする!」

 ドタドタと様々な種族の女性達がその箱の匂いを確かめようと詰め寄る。俺達は風呂の使用率が100%だからな、スライム君ですら利用するし、他人事ではない。

 そして、目元は隠れていてわからないが口をぽかんと開けているウタノハに詰め寄る女性陣が自分が気に入った香りを今日入れてくれと詰めかけている。

「ウタノハさん! これ! 今日はこの花の香りがいいと思うわ!!」

「いやこっちの草原の香りがする方がいいわよ!」

「私としてはこの香木の香りが落ち着くのですが……」

「俺はこの草の香りがたまらん、これにしようウタノハ!!」


 女性陣に混ざり、オレグとお酒の影響から復活したゼルシュが交渉を持ちかけている。騒ぎを聞きつけ、人が人を呼び、彼女の周りには自分が気に入った匂いの箱のプレゼンが始まり出した。

 収集がつかなくなりそうだから、この辺でやめさせよう。

「おいおい皆いいのかな? 言っただろうウタノハさんの気分次第だって。機嫌を損ねちゃうと、折角の入浴剤を使わずにただのお湯をぶっ通しでされちゃうぞ?」

「それは困るな! おいウタノハ! 大人しくしておくからこの草の香りをその内頼むぞ!」

 ポンと彼女の肩を叩いて酒を飲みに戻るゼルシュ。弱いのに好きなんだよなぁ、お酒。


 彼の行動をキッカケにプレゼンを控えていた者達が一言だけ頼み込みながら酒の席に戻る。そうして、彼女の周りにはまた俺とオラトリだけになった。

「フフフ、前に言ったでしょう。『追われるように働かなくてはならない』って。これでウタノハさんも、みんなの期待に応える為に考えて入浴剤を選ぶ事になりそうですね?」

 彼女は右手で口元を隠しているが、笑いを堪えきれないようで左手でお腹を押さえている。

「フフ、ホリ様は意地悪な人だったのですね。これは毎日頭を悩まされる事になりそうです。最高のお土産、ありがとうございます」


 オラトリはずっと黙って俺とウタノハのやり取りを眺めていたが、一歩踏み出して勢いよく頭を下げてきた。薬草汁の事で殴られると多少警戒していたが、どうしたのだろうか。


「ホリ様、姫様へのご配慮誠に感謝申し上げます。僭越ながら申し上げますが、このまま姫様と添い遂げ、子を成してみる気は御座いませんか」

 真面目な顔でぶっこんでくるなぁこの子は。横で慌てている姫様の様子を見てごらんなさいよ。手が千手観音像のように見えて面白い。

「お、オラトリ!? 何を言ってるのもう!! 失礼でしょ!!」

「ですが姫様、兼ねてより言っていたではありませんか。『乱暴者だからオーガは嫌』と。ホリ様でしたら人族、しかもお心遣いまでしてくれる方です」


 ギャーギャーと姦しく話が始まり、姫巫女の一族の侍女達が集い始めてきたので退散した。女性達の話に混じるのは大変だし。


 酒の席としてあちこちから騒がしい声が聞こえてきてとても賑々しい。

「あ、そうだ。ねえラヴィーニア、これに糸、めっちゃくちゃ強い弦って張れないかな?」

 俺が出したのは竜の素材を使った複合弓、あの超高級品だ。

「何これェ弓ィ? うーん……、ホリィ、ちょっと鉱石の粉頂戴?」

「? わかった。……これでいいかな?」

 ラヴィーニアは少し弓を調べるようにして、そう言ってきたので鞄から出した鉱石を砕き粉にしたものを手渡すと、彼女の指先の闇の中から煌めく光の糸が見えてくる。


 そして彼女が指を軽く鳴らすと、それが弦となり弓に巻き付けられた。俺はその現実離れした光景に目を離す事が出来ず茫然としていた。


「出来たわよォ。これはトレニィアの糸でェ、粉を混ぜると伸縮性が凄い事になるのよォ。あらァ? フフ、私に見惚れちゃったァ?」

 彼女は説明をしながら弓を渡してきたが、俺が呆けた表情を浮かべているのを見て笑っていた。

「うん、幻想的で綺麗だったよ。ありがとう」


 俺がそう言うと笑顔を溢しながら手を振り、アナスタシアの元へ戻って酒を飲む事を再開したラヴィーニア。

 この弓も使える奴を探さないと。というかまず引けるのかこれ? 張られた弦を指で弾いてみるが、甲高い音を出すがびくともしない。


 布を当て弦で指を切らないようにして思い切り力を入れてみるが、少しも揺らぐことのない強さを感じるだけで引ける気配はしなかった。

「ベル、この弓ちょっと引いてみてくれる? 離す時はゆっくり戻してね」

「? ハーイ、……!? ンググググ!」

 想像以上に硬かったのか、ベルの全力では歯が立たない。顔を真っ赤にして引っ張っているが少し動いた程度で力尽きた。

「ホリ様! アリヤモ、アリヤモヤリタイ!」

 シーも挑戦したいようだ、キラキラとした目を向けている。

「うん、ちょっと試してみてよ。これある意味今回の目玉商品だよ?」

「カタイ、ナニコレ!! ホリ様! コレ硬イヨ!?」

「アリヤ、頑張ッテ!!」

 アリヤはベルより少しだけ引けているようだが五十歩百歩というところ、俺達が騒いでいたらケンタウロス達が集まってきた。


 普段は真面目なのに、お酒を飲むと脱ぎだしてしまう男性が既に上半身裸で筋肉を披露している。彼は興味有り気に弓を指差してきた。

「ホリ様、それは何ですか? 弓? でしょうか」

「うん、今回買ってきた中で一番の高級品、ドラゴン素材を使った弓なんだってさ。試しに引いてみる?」

「やってみます!」と鼻息を荒くして力を込めていくが、結果はアリヤとそう変わらない。とてもじゃないが矢を撃つなんてできそうにないな。

「引けた人には是非使ってもらいたいんだけど。誰でもいいよ、挑戦者求む!」

 力自慢達が挑んでいき、倒れていく中で引けた者が現れた! ……のだが。最初に弓を引く事が出来た女性は俺の言葉に真っ向から否定の意見を述べた。

「いや私は弓は好かん。それにラヴィーニアの弦など使いたくないぞ」

「ならなんで挑戦したんだよアナスタシア……。酒飲みすぎてテンションおかしい事になってない?」

 何故か悔しそうにしているラヴィーニアと高笑いで勝ち誇っているアナスタシア。あの二人は放っておこう、多分ラヴィーニアが煽ってアナスタシアが受けた勝負の延長のような物だろう。今は塩辛をどちらが多く食べれるか競おうとしている。

 食べ物で遊ぼうとした為か、スライム君に怒られているが……。

 それからも成功する者は現れるが普段槍を使っていたり、剣を使っているからと断られる。まず手が爪だから矢が撃てないとも言われた。

「あれ……? これもしかして無駄になっちゃうんじゃ、嘘だろ!」

 俺は挑戦者が粗方いなくなり、誰も使う事がなくなった弓を握りしめ悲しみに暮れていた。ああ、金貨三十五枚……!


「フフフ、ホリ様? どうかされましたか?」

「姫様、少々お酒を飲みすぎです。お気を付け下さい」

 お土産のオルゴールの音楽を楽しみながらお酒をちょびちょび飲んでいた彼女は、俺の声を聞いてやってきた時には既にかなり御機嫌になっていた。多少足元が覚束ない様子や赤い肌が更に紅潮するように赤みを増している事からも、お酒が大分回っている事が分かる。

「いや、凄い弓を買ってきたんだけど引けなかったり他の武器を使っているとかで、無駄になっちゃうかもしれないんですよ。勿体ないなぁこれ」

「私も挑戦します!」

 バッと弓を受け取ろうと明後日の方向を向いて手を差し出しているウタノハ。そちらにはトレントと酔い潰れて寝ている者しかいないんだが。

「すみませんホリ様。姫様は頂いたお土産を大層喜んでおられ、あまり飲んだことのないお酒を飲みすぎてしまったようで……」

 それでこんな面白状態になってしまっているのか、喜んでもらえたならいいのだが。彼女、トレントの根と会話してるよ? 止めなくていいのかな? ウタノハの普段との違いについ笑ってしまったが、オラトリは少し恥ずかしそうにしている。


「いいんですよ。そういえばオラトリさんの武器を買おうと思ってたんですが、丁度良さそうな物がなくてですね……。少し考えておくので、それまで買ってきた物で我慢して頂けますか?」

 彼女は俺の言葉を聞いて深々と一礼する。

「私などの為にありがとうございます。ホリ様、先程もお話させていただきましたが、是非姫様とお子を成す事一考下さい」

 苦笑いで誤魔化していると、俺達の話している声で方向を確認できたのか酔ったウタノハが俺の傍へ寄ってきた。先程の香水がふわりと香るが、それ以上に俺から弓を借りようと急いてきた。

「ホリ様! さぁホリ様! 弓を貸してください!」

「お、おう……。怪我しないようにね」

 彼女は俺から弓を受け取ると、「むふー」と満足そうに笑っている。彼女の普段との違いに近くにいた者達も笑いながら眺めている。まぁあの弓を彼女が引けるとは思えないし、好きにさせてあげよう。


「む!? 矢! 矢がありません! ホリ様! 矢を下さい急いで!!」

「は、はい!」

 急かされて焦ってしまった結果、鞄に手を突っ込んで取り出したのはあの弓店のおじさんがくれた虎の子のミスリル矢を一本。それを咄嗟に渡してしまったが、怪我をしなければいいんだけど。


 ちょっと不安なので、彼女を良く知る人物に問い質してみた。

「オラトリさん、ウタノハさんは弓とか扱えないですよね? お姫様だし」

「? いえ、姫様は『眼』を先代の巫女より受け継ぐまで弓を愛用しておりましたよ。里の中でも弓の腕前だけなら五指に入る物だったかと」

「えっ」

 その時、横から歓声が起きた。


 見ればウタノハが弓に矢をつがえて弦を引き始めようとしている。

 ゆったりとしたリズムで頭上に持ってきた弓を静かに眼前に下ろしながら、弓が一回り大きく見える錯覚を覚える程難なく弦を引いている。

 彼女の構えの美しさに歓声も止まり皆が見惚れているが、俺はそれよりも彼女が真正面に弓を構えている事が気になった。あれは危ない。

「ウタノハ! せめて空に向かって撃ってくれ!」と叫んだらそれが聞こえたのか彼女はにこりと笑い、弓を持つ手を上げて斜め上に照準を定めるように、満天の星空へ向けて矢を射った。


 空気を切り裂くような音が一瞬響いたと思ったら、空の彼方から何か動物の悲鳴が聞こえてきたんですが……!? まぁ拠点の皆はここにいるし、ハーピーじゃない。聞こえなかったフリをしよう。


 彼女の弓の扱いに、そしてあの弓の使い難さを知っている者達は歓声を再度張り上げ、彼女を称えている。だが、俺の関心はそこではない。

「あぁあぁああ……、高価なミスリルの矢が……!」


 両手で頭を抱える俺に、血の気が引くように血相を変えて謝り続けるオラトリ。そして上機嫌なお姫様が俺達の元へ喝采を浴びながら歩み寄ってきた。

「フフフ、ホリ様! 如何でした私の弓! こう見えても弓だけは自信があるんですよ! 誉めて下さい!」

「ひ、姫様、今はそれよりも矢の謝罪を……」

「い、いいんですよオラトリさん気にしないで。あの矢はああなる運命だったという事で。ウタノハさん、凄い弓の腕前なんですね。構えも綺麗で見惚れてしまいましたよ」

 俺がそう口にすると彼女は俺の声を頼りに更に距離を詰めて、そのまま抱き着いてきた。

「そうでしょう! この弓もいい物です、気に入りましたよ!」

「ひ、姫様いけません! ホリ様に失礼ですよ! 離れて下さい!」

「オラトリどうしたのそんなに騒いで? もう、元気なんだから」

 彼女は訳のわからない事を言いながらオラトリの声から逃げるように、掴んでいた布を自分の頭に被せるようにして包まれた。つまり俺の服の内部にウタノハの頭がすっぽりと入ってしまった。服が引っ張られ襟元の隙間から彼女の頭頂部が見え、少しいい匂いがする。


「ひ、姫様!」

 叫ぶオラトリを気にする事なく、ウタノハは俺の服の内部でお土産に買ってきたオルゴールの曲を口ずさんでいる。

「ウタノハさん? 弓の腕前は見事でしたので、そろそろ離れてもらえますか?」

「ホリ様! 先程のようにウタノハと呼んでください!」


 そう言いながら彼女は更に抱き着く力を強め、顔をうりうりと押し付けてくる。忘れてはならない、彼女はオーガ。額には角があるのだ。


「イダダダダダダッ!! つの、角が刺さってる! 刺さってますよウタノハさん!!」

「ホリ様! 呼んでくれるまで離れません! さぁ呼んでください!」

「ウタノハ! 離れて! ウタノハ!」と俺が叫ぶと動きがピタリと止んだ。

 隣では赤褐色の肌が白く見えてしまうのではと思うほど顔面蒼白といったオラトリを他所に、ウタノハを離そうとすると……。

「嬉しいです! これからもそう呼んでください!!」

「イダイイダイ!! ホント、刺さってるから!! そこ男性でも大事な場所だから!! 使い道ないけど!!」


 感極まって腰を砕かれるんじゃないかと思う程抱き着く力を強めた彼女。

 俺はその後、胸にある二箇所の急所を角で責められ続け、突然ぷつりと糸が切れたように眠りこけたウタノハを涙を浮かべて謝罪をしてきたオラトリに預け。


 ポッドや周囲の者達が爆笑しながらその二箇所の急所を木の根で回復されるという羞恥プレイを味わった。

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