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 カメラのフラッシュが瞬く撮影スタジオに彼はいた。甘ったるくてスパイシーな香りを纏うその男は茶色く染めた髪を掻き上げてレンズを睨んだ。

テンポのいいヒップホップミュージックのBGMに乗って彼は次々とポーズや表情を変えていく。


『……うん、いいよ。お疲れさん』


カメラマンの男が満足げに片手を挙げて終了の合図を示した。


『隼人くん今日もよかったよ。めちゃくちゃかっこいい』

『ありがとうございます』


 撮影終了に安堵の溜息をついた木村隼人は人懐っこい笑顔を返してカメラマンに会釈した。スタジオの隅で撮影を見守っていた小太りの男が隼人の肩を叩いた。


『隼人くんさー、正式にうちの事務所入らない? モデルやらせたら君は間違いなくトップになれるよ』

『ありがたいお話ですけど俺はまだ高校生ですから、学業優先にしたいんですよね』


隼人はスタジオに置いた荷物からペットボトルの水を出して二口飲んだ。撮影中は上から注がれるライトのせいで体が熱くなり喉が渇く。


『隼人くんは杉澤学院だったね。あそこは有名進学校だからなぁ』


 機材の手入れをしながらカメラマンは隼人を一瞥した。ペットボトルをカバンに戻した隼人はカバンの内ポケットに入る携帯電話のランプが点滅していることに気付く。


『いやいや、大学生モデルは当たり前にいるよ。事務所入るなら早いうちに入った方がキャリアもハクもつくよ。まぁ考えておいてね』

『はい。ありがとうございます』


 小太りの男に愛想笑いをして曖昧にやり過ごす。ファッション誌の読者モデルのバイトは確かに楽しいが、本格的に芸能事務所に入って芸能活動がしたいとは思わない。


 原宿の撮影スタジオを出た隼人はエレベーターを待つ間に携帯のメール画面を開いた。着信が一件、メールが四件。

着信表示と三件のメールの差出人には女の名前が並んでいる。


 2001年5月4日。世間はゴールデンウィーク真っ只中。スタジオの入るビルを出ると初夏の爽やかな風が気持ちいい。

煙草を吸いたいと思ったが、歩き煙草は自分の理に反するので止めた。それならば未成年で煙草に手を出すのを止めればいいのに、そう上手く割り切れない自分はやはりまだ子供だ。


 隼人は都内でトップレベルの偏差値を誇る名門進学校、杉澤学院の二年生。ゴールデンウィーク明けの8日が誕生日の彼はもうすぐ17歳になる。

容姿端麗、成績優秀、スポーツ万能、誰もが羨む資質を兼ね備えた完璧な男…と周囲はもてはやしているが。


原宿から渋谷に移動した隼人は雑踏をかきわけてこの街の象徴でもある渋谷109の前に佇む人物を見つけた。


真由まゆ!』

「遅いよぉ隼人ぉー」


 茶色い巻き髪の毛先を派手なネイルアートを施した爪先でいじりながら真由は口を尖らせた。隼人が真由の髪にそっと触れて慣れた手つきで彼女の頭を撫でる。


『ごめん。撮影長引いた』

「隼人待ってる間に三人にナンパされちゃったよ」

『へぇ。ナンパについて行かなかったんだ?』

「だって隼人よりもかっこいい男いないもん。ナンパシカトしたの偉いでしょ?」


機嫌を直した真由が隼人の腕に自分の腕を絡ませた。


「ね、ご褒美ちょうだい?」

『しょうがねぇなぁ』


 円山町の方向に歩き出した二人はやがてラブホテルの中に吸い込まれた。

豪奢な造りのベッドに真由を組み敷いて隼人は欲を発散させる。壁一面の鏡に映り込むもうひとりの自分の姿をわざと見ないようにした。


 普通で平凡な日常。ニュースを見れば、戦争やテロや殺人事件が世界では頻繁に起きている。

しかしこの日本、それも自分の周りだけは平和でそれなりに楽しい。でも刺激がない。

このままでいいのに何かを変えたい。

何か劇的な出来事を探し求めている。そんな若者達で今日も渋谷の街は賑わっていた。


 汗の滲む身体をベッドに沈ませて、隼人と真由はキスを交わす。真由は赤く染まる頬ととろけた瞳で隼人を見つめ、彼にすり寄った。


 家族も友達も女も揃っている。これ以上何かを望むのは間違ってると隼人もわかっていた。性欲を発散させても晴れない憂鬱の闇。何か不満で何か不安で何かが欲しい。

学校もモデルのバイトも女と遊ぶのもそれなりに楽しい。だけど時々すべてがつまらないと感じてしまう。その理由を隼人は知っている。


(今の俺には本気になれるものがないからだ)


 煙草を吸うついでにサイドテーブルに置いた携帯に手を伸ばした。新着で来ていて未読のままのメールを開く。差出人は別の学校に通う友人からだ。


〈京介の送別会、6/3になったからなー〉


“京介” その名前を今は聞きたくなかった。


 一番負けたくないもので、一番負けたくない相手に負けた悔しさが甦り、隼人は苛立ちに任せて携帯を放った。

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