隠された島

まぶしいほど

「サトリが言うには、南五海里先に島があったらしい」

 船長室【林檎の間】

 テーブルに広げた地図を桜海おうみがつつくと、リノはその位置に星印をつけた。ソファに座り湯呑を傾けている雪愛ゆきあは、柳眉を寄せ桜海を見上げる。

「意外とあっさり見つかったね?」

 地図にない島、という言葉から濃い霧に隠され、潮の流れが激しい絶海の孤島を想像していた雪愛は、期待外れだと息をつく。アマリリスも恥じらう美貌が残念そうに歪む姿に、リノは胸を抑えた。

「ごめんね、大したことなくて」

「リノが謝ることじゃないだろう」

「そうだけど…‥」

 雪愛の端正な顔が少しでも曇る事態が起こると、どうしてか謝らずにはいられない。宝石も霞む美しさを前にすれば、人としての尊厳など取るに足らないものに成り下がる。唯一の例外である桜海は、船員揃って甘やかす副船長に肩を竦めた。

「雪愛の金鳳花きんぽうげぶりには困ったものだね」

「おれが悪いの?」

 彼が睫毛を揺らし瞬きすると、蜜を探す可憐な蝶の羽ばたきが聞こえてきそうだ。不満気に眉を顰める姿に、またしてもリノの胸は痛むが、桜海はカラカラ笑うだけ。

「あまり非道ひどいと、摘んでしまうから、ほどほどに」

 スッと細められた深海色の瞳は、雪愛の口を縫い合わせてしまう。彼は桜海の視線に、どこか満足気に微笑み、湯呑を撫でた。

「んっんーん。続けても?」

 目の前で繰り広げられた二人色の世界を、咳払いで切り裂く。気を抜くと、すぐこれだ。紺碧結成当時から恋仲である桜海と雪愛は、所構わず独特な愛情表現を贈りあう。今更そのことに何の疑問も抱かないが、まるで居ない者のように扱われるのは流石に許せない。リノは自身の髪を梳きながら、心の中で毒吐く。置いていかれるのは好きではないのだ。

「失礼。どうぞ」

 腕を組んだ桜海に促され、リノは銀色のペンを米神にあてる。

「島はその位置で間違いないんだけど、ひとつ気になることがあって」

 帰ってきた使者をあやすサトリが、眠気眼で代弁した言葉を繰り返す。

「風が吹いている。だって」

 大きな鳥のようなヨソヨモノは、島から吹く風に羽を取られ近づけなかったらしい。不思議なことにその風は、島を中心に四方へ向けて吹いているのだとか。

「へぇ。まるで、近付かせないようにしているみたいだ」

「そんな風が吹いていたら、自然と航路は変えられてしまうもの」

 ようやく朝感じた気持ち悪さの原因が分かった雪愛は、少し冷めたお茶を飲み切った。

「風の流れがふたつ、その内ひとつには魔力が込められていました」

「間違いなく、意図的に島を隠しているようだね」

 桜海はリノが書き足した星印をくるくる撫でる。そのまま指を滑らせ、口元を緩めた。

「なんのために?」

 目を閉じていれば少女とも聞き間違えてしまいそうな声を合図に、ひとつの国をつつく。島から一番近く、西の大陸【欠陥品ペア・ピース】最大の王国。

「さーね。行ってみるしか、ないんじゃないかな」

「…‥悪い顔」

「嫌いじゃないだろう」

 針路の変更を船内に響かせると、船は一気に騒がしくなる。予定外の上陸に浮足立つのも無理はない。この居場所を愛する者しかいないが、たまには羽を伸ばしたくなるものだ。それがしるし崩れだと思っていた、地図にない島なら尚更。海賊が何よりも求めているのは自由と冒険だ。

 魔術の風に対抗できるのは、同じ魔術だ。船内で一番風属性に長けている雪愛を筆頭に、リノの指示のもと目的地へと船を大きく動かしていく。

 急に荒れだす青い海賊旗を見上げ、桜海は目を細めた。太陽が、遠い。

「隠したいのは、本当に島なのかい」


****


「黄色い花を 八輪咲かせ 真っ赤な果実が 実ったなら 宿る神あり 緑に棘あり」

 籠いっぱいに真っ赤なベリーを摘んだ少年は、お気に入りの童謡を口遊くちずさむ。芽吹いたばかりの芝生を踏む足取りは軽く、彼の陽気が良いことが見るもの全てに伝わる。

 小鳥は彼の横を跳ねながらついていき、春風は彼のべったりした黒髪を壊れ物に触れるかのように優しく撫で上げ、赤いポピーが歌声に合わせて踊る。

 木陰で本を読んでいた少女は、賑やかな周りの空気に顔を上げ、少年を見て微笑んだ。

「アズ」

 片手を軽く振れば、彼女に気付いた少年がまるで飼い主を見つけた子犬のように駆け寄ってくる。彼の歌が止んだのと同時に、丘はいつもの静けさを取り戻す。少し残念だが、彼の歌声はよからぬものも引き寄せてしまうのだから、仕方が無いのだ。

「見てよ、ドール。今年のベリーは艶が違うんだ。君もそう思うよね」

「おなかに入ればみんな一緒よ」

「あーあ。君に聞いたおれが馬鹿だったよ」

 籠の中身を喜んで見せるアズの姿に、ドールの頬も緩んでしまう。本を閉じた手の上に、アズ曰く『艶が違うベリー』が転がった。シエナ色のレンズの向こうで輝く瞳が、ドールがその実を弾かせる瞬間を心待ちにしている。彼に子犬の耳と尾があったなら、ピンと立っていることだろう。

 白い手袋を外して、真っ赤なベリーをつまむ。柔らかな実は、力加減を間違えたら簡単に潰してしまいそうだ。去年とどう違うのか、やはりドールにはわからないが、アズの目には宝石と変わらないほど煌いて見えるのだと思うと、一度彼の世界を覗いてみたいと思った。シエナのレンズは邪魔だろうけど。

「どうかな」

 口の中で弾けた赤い実は、予想よりも甘みが強く、程好い酸味が絶妙なアクセントになっていて、このままでも充分お金が取れそうな美味しさだ。もうひとつ…と伸ばした手は、籠を遠ざけられたせいで空を切った。

「で、どうかな」

「美味しい。調理の必要なんてないぐらい」

「これを更に美味しく輝かせるのが、料理人の醍醐味なのだよ、ドールくん」

 楽しそうに笑ったアズは、ベリーをひとつ、ドールの口へ放り込んだ。この様子だと今年のスウィーツも、かなりドール好みになりそうだ。今から楽しみで、少し頬が痛む。

「絶対、もっと美味しくするんだ。それで、今年こそは」

春宴はるうたげに持っていくつもり?」

 こぶしを握り力強く頷いたアズ。その目は輝きを失っていない。

「ロナルドさんも、このベリーで作ったタルトを食べたら、きっと許してくれる」

「…それは、どうかな」

 アズの料理は、かなり美味しい。家庭料理は勿論、店で出てくるようなお洒落な一品もスウィーツもお手の物。素材も自ら育てて厳選していて、自然の味とアズの腕前が見事に共存した品々を簡単に生み出してしまう。これは才能だ。

まるで魔法のように料理を作っていく姿を見たことがあり、その味を知っているドールは、天が与えた才能に何度も驚かされている。

 しかし、彼の絶品作品の数々を食べたことがあるのは島では極僅か。そのうち喜んで口にするのはドールだけ。

「去年は匂い嗅いだだけで却下されたよね」

「思い出させないで…ロナルドさんはシナモンが苦手だったのさ、たぶんね」

 島中の料理人、パティシエ、主婦。とにかく料理好きな人たちが、それぞれ春の食材を取り入れた一品を持ち寄って楽しむ春宴。作った人の名前は伏せられ、島人と島に訪れていた観光客の投票によってどれが一番美味しかったかが決められる。そこで見事優勝すれば、賞金と「春の料理人」の称号を与えられるのだ。

「島一番のパン屋さんが…ね。ま、そういうことにしておきましょう」

 春宴に出品するには、まず主催のロナルドに許可をもらわなければならない。明らかにゲテモノだったり、食べられないほどキツイ味だったりしなければ、簡単に認められるはずなのだが、アズはもう三年連続でロナルド審査を落ちている。

「アズ、あのね、忘れないで欲しいのだけど。あなたの料理は頬が落ちそうなほど美味しいからね」

「ありがとう、ドール。君がそう言ってくれるから、今年も頑張れそうだよ」

 頑張っても結果は同じだろうけど。

 出かかった言葉をドールは咀嚼し、呑み込んだ。なにも追い討ちをかける必要は無いはずだ。たとえ結果がどうであれ、アズは毎年この時期を楽しみにしている。何をメインにするか。どんな盛り付けが美しいか。これを食べたとき、みんながどれほど素敵な笑顔になってくれるか。そんなことを考えながら、彼は楽しんで作っているのだ。だからドールは「美味しい」と笑うだけでいい。そう、言われている。

「もうイメージは出来てるんだ。明日ロナルドさんに食べてもらうつもりなんだけど、ドール予定あいてるかな」

「朝一か夕方なら」

「じゃあ明日の朝、俺の家まで来て」

 春宴の開催は四日後で、受付は当日までしている。ベリーが熟すのと期限を考えて、ギリギリになってしまったのだろう。当日はもっと甘くなっているかもしれない。

「今年の為に、頑張って育てたんだ」

 アズは愛おしそうに籠を両手で抱き寄せる。シエナのレンズ越しの目は、少し寂しげに揺れていた。

 今年も、この目が濡れるのを見なければいけないのか。誰よりも、近くで。心配しているような声で「大丈夫、ロナルドさんの好みじゃなかっただけ」「美味しいよ。私の中で一番」なんて、薄っぺらい言葉を並べて白いハンカチを差し出すのだ。

 ドールは翳る自分の思考を振り切るように、視界をアズから外して海を見下ろした。丁度一隻の帆船が入港してくる。全面濃い褐色の、珍しい船は、ただの旅船ではなさそうだった。ドールは首を傾げた。おかしい。今日の昼間に旅船が来る予定はなかったはず。

 まさか、

「うっそ!あれ、紺碧だ」

「…こんぺき」

 紺碧。それはアズが何よりも強く憧れる、海賊たちの呼び名。

 喜び一色に染まったアズは、よく船が見える位置まで駆け、サングラスを外して船を凝視している。

 口の中が、一気に渇くのを感じた。焦りと不安、そして小さな怒り。ドールは外していた手袋を嵌め、本を片手にゆっくりと立ち上がった。

「アズ、外しているところを見られたら、また大人たちが五月蝿いから」

「あ、うん、でもこんな機会、二度とないかもしれないし」

 ドールの目も見ずに返された言葉が、チクリと彼女の胸を刺す。今までこんなこと、なかった。

「凄い…新聞で見た人たちばっかり」

「帰ろうよ、アズ。海賊なんて荒くれ者たち、難癖付けられて絡まれたらどうするの」

「紺碧はそんなことしないよ。だって、色付きシーウルフだから」

 アズの手に軽く触れたまま、ドールは手入れの行き届いた薄紅色の唇を噛み締める。太陽よりも眩しいアズの金の瞳が、キラキラと星のように輝く。眩しい。このまま、この汚い心も焼かれてしまいそう。

 こちらを見ようともしないアズに負け、ドールも視線を港へ移した。紺碧の船員と思われる人たちが、忙しなく出入りしている。予定外の来客に港付近の住人達も驚いている。しかし相手は海賊だ。下手に追い返すことも出来ない。

 海賊の中でも一番好きだ、とアズが胸を躍らす紺碧。彼の口から様々な情報を聞かされていたはずだが、船を率いるのが女性だということしか覚えていない。まさかこんな所へやってくるだなんて、思ってもいなかったからだ。女性でありながら賊を纏め上げる度胸と手腕に、恐れを抱いた記憶だけが脳裏にへばりついている。

「わ、…船長さんだ」

 ゆったりした足取りで出てきた背の高い人物に、隣でアズが息を呑む。ここからでは女性らしさは感じられなかったが、ひとつに括られた長い黒髪とアズの反応で、噂の女船長だと知る。深い青のフロックコートを着た姿はどこか気品があり、言葉にしがたいオーラに満ちている。

 自分とは対角の世界に住んでいる、そう感じた。己で道を切り開き、進んでいく。誰もが焦がれる「強さ」を持っているのだろう。

 強く本を握り締め、歪む視界の中で、くだんの女船長がこちらを見上げた。

「え、」

 ほんの一瞬。もしかしたら気のせいかもしれないような、短い時間だった。彼女は誰かに呼ばれたのか、すぐに視線を戻し小走りで視界から消えていった。

 気付いていたのだろうか。自分たちの視線に。そうだとしたら。

「ね、ね!今船長さん、こっち見たよね!俺目が合ったよ!」

「あ…」

 ドールの全身から血の気が引く。レンズを取り払った金の瞳の中で、星が輝いている。

「か、帰りましょう、アズ」

 喉に張り付く言葉を無理矢理吐き出したせいか、口の中が鉄臭い、気がした。

 ああ、どうか神様。輝く星を、今日も明日も、隠してください。

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