ステージ22 サキュバスの復活
「兄貴はすげえな」
総司はいい年をしてえらく興奮していた。あの事件の事を差し引いても、決して新次郎は活発な人間ではなかった。どちらかと言うとおとなしく、ケンカなど口ゲンカさえもしないような人間。たまに争う事になると間っ子らしく兄と弟の言い分をきっちり聞いて治めてしまう。そういう人間だった。
元々が優しい上にそういう気配りもできるのだから、新次郎は人気があった。冤罪事件の後も学校に通い続けられたのはそのおかげであり、その人気の土壌がなくなった彼が生きる気力を取り戻すのに一年かかった。
「にしてもあの不破龍二って奴、どうしてまたこっちに来たのかな」
「最後の切り札、まさか」
「俺は龍二を信じる。それがわからないのならばあいつはとっくに負けている」
泰次郎の自分たちを人質にと言う危惧を跳ね除けるかのように、雄太は再び声を上げる。直に戦っても勝てないと明言し、そして数多の魔物を差し向けてもダメ。この状況で一体どういう勝ち目があると言うのか。敵である存在の親族である自分たちを人質に取り降伏を迫る、切羽詰まった状況であればそれもやむなしかもしれない。
「にしてもよ、兄貴に貢がせて捨てた女にあのクソ教師とその取り巻き連中、話によればその親のモンペども。さらにブラックバイトやらせてたあの店長。世の中には外道が多いもんだよな」
「お前は当たった事がないのか?」
「ねえよ、幸いにも。怒鳴られるのは芝居の事だけだし、役者殺すにゃ刃物は要らぬものの三度も褒めりゃいいって本当だな」
「お前もそういう奴だったら龍二に殺されていたかもな」
「やめてくれよ、世の中に過ちを犯した事のねえ奴がどこにいるんだ」
どうしてこうも、新次郎の傍にはそんな人間が集まるのだろうか。あの蔵野とか言う男もどうやら新次郎を意図的に会社から追い出して恥じないような人間だったらしい。そういう人間だからこそ魔王にしてみれば好都合であり、強い魔物が作れる。詰まる所真っ当に生きていれば問題ないはずだ。
「にしてもよ、どうして兄貴は生前俺たちに相談してくれなかったんだろうな」
「私だってできる範囲で答えていたのに」
「大学時代も友達もいなくてつまらなかったらしいぞ、学問だけやってりゃいいんだって」
「今から思うとその時だったな、止めるべきだったのは。そこで俺たちが声をかけてやればよかったのかもしれない」
「でもさ、兄貴の高校ん時のダチってさそれっきり全然……」
何もかも抱え込んでそのまま沈み込んでしまった新次郎の人生、手助けできなかった人生を兄弟義姉は悔やんでいた。現在の勇ましい姿からは絶対に想像できないそれ。もし自分たちが少しは背負えていたらと言う思い、それをしないまま彼が水の底に身を投げてしまった事に対する無念。アフシールJr.の接近に気付く事もなく三人が言葉を交わしていると、総司が急によろめいた。あわてて泰次郎が細くなった腕で総司の腰を支えたが、総司の体は重たく沈み込もうとしていた。
「総司!」
「………………不破龍二は本当に真面目な男だよな」
「どういう事だ」
「あいつは嘘なんか何にも吐いてねえ、全てはそういうことだ。でも俺は兄貴を助けたい」
「もう手遅れだ」
アフシールJr.が事故と言う言葉を散々連呼してきた理由、そしてそれが嘘でないと実感できた理由。そして自らしゃべっていたこれまでの行いと、現在進行形で行われている戦い。その全てが今総司の頭の中で一つになった。だからこそ今ここでそのきっかけを断ち切れば兄の勝利は確定する。そう考えた総司は動こうとするが、体が重たい。雄太は深くため息を吐きながら、総司の右手を掴んでソファーに座らせた。
「……便所」
「ああ、それがいい」
総司は何かをあきらめたような表情でトイレへと向かい、祐樹と入れ替わりで入って放尿し、全力でうなだれながらトイレを出た。
(そうだよな、基本的にはそういうもんだよな。今さら考えを変えられるわきゃねえし。ああ、本当に手遅れだぜ)
兄が勝てるのか否かはわからない、でももし負けたらその時は――総司は役者らしく仮面をかぶり続ける事を心に決めながら台所で水道をひねり、コップに入れた水を喉に流し込んだ。
「アフシールJr.!やはりあなたは所詮魔物、約束を守るほど殊勝ではなかったのですね!」
そうしてリビングへ戻った総司の耳に、甲高い声が入る。この数分の間に聞き覚えた妖精、コーファンの声だった。その前方には、アフシールJr.もいる。
「インキュバス!」
「約束を反故にされた勇者様や兄上たちの怒りや悲しみを何だと!」
伊佐家の目前でのコーファンの剣幕に全く耳を貸す事なく、アフシールJr.は両手を天に向ける。そして平田洋子に殺させた死刑囚の魂の入ったガーゴイルをコーファンに差し向け、自らは伊佐家の玄関の方へと飛んだ。
「さあ……もはやこれ以上無駄にできる時間はない! この一撃で決める!」
「させますか!」
頼みのジャンとハーウィンは、また別の魔物の軍勢に挟撃され突破できずにいた。このままアフシールJr.に勇者の家族を殺させるわけには行かないとばかりにガーゴイルの攻撃を無理矢理振り払ったコーファンが後ろから斬りかかるが、アフシールJr.はまったく気にする様子も見せないで気を全身に込める。
これまでのどの時よりも分かりやすく、そして先ほどよりもずっと大きな力。アフシールJr.は今、全力を振り絞って最後の賭けに挑んでいた。
(ジャンは強い、本当に強い。それを倒せる手段はもはや一つしかない)
勇者ジャンとそのしもべたち。自分では敵わない事がわかっていたからこそ、凶悪な魂を集めて来たつもりだった。でもその魔物たちはかすり傷さえも負わせられないまま倒れて行く。一番大きな打撃と言えるのは、あの予想外の悪夢を見せたインキュバスだった。さすが側近などと吠えてもどうにもならない、おそらくは大量の魔物に対する勝利の連続によりその心理的打撃も癒えているだろう。
生半な相手では勝てるはずがない。ならば最高の素材を、最高のやり方で。やり方が正しいかどうかはともかく、普通にやっていては高が知れている。知れていないレベルのやり方で行使してこそ勝ち目も生まれる。漫画での勝率0.1%は生存フラグと言う事など知る由もないが、それでもいけると言う確信はあった。
(余計な魂は一つもない……先生に約束したからな。でも先生、僕はあくまでも魔王なんですよ)
心の中で伊佐雄太・半月の間自分のことを真摯に見てくれた恩師に頭を下げながら、アフシールJr.は伊佐家の玄関に向けてその魔力を放出した。
「ああっ!」
ガーゴイルたちに邪魔をされていたコーファン、ハーウィンの救援によりようやく自由になったコーファンは、アフシールJr.の魔力の行き先を目の当たりにして悲痛な叫び声を上げた。そして顔を青く染めてしまい、動きを止めてしまった。
目的は達成したとばかりに肩で息をしながら飛び上がるアフシールJr.の足元には、一人の女性が倒れていた。
妖精たち以外の女性など、伊佐家の人間しかいない世界。窓の傍には諦めに満ちた表情をした伊佐雄太と伊佐総司、その後ろには深くため息を吐く伊佐久美と伊佐由美がいる。泰次郎は行き場をなくした両手をぶらつかせながら、伊佐祐樹に抱きつかれている。
――――そう。
「インキュバス!」
「はい!」
アフシールJr.は妖精たちが絶望に沈んでいる隙に高く飛び上がり、先ほど自分たちをこの世界に連れ込んだのと同じ柱――――しかし今度はかなり短いが――――へと突っ込んだ。そこには勝ち誇った表情のインキュバスが、柱の中から落ちて来る何かを受け止めていた。
「さあ!」
「やあああああ……ああああ!!」
「ああハーウィン……!」
ハーウィンとジャンの突撃は、ギリギリの所で間に合わなかった。魔物たちとの戦いで更に時間を喰ったジャンとハーウィンは、改めて最高速で最短距離を飛んで来たつもりだった。
だがジャンが突き出した剣はアフシールJr.の脇腹をえぐるのがやっとであり、アフシールJr.の目的を阻止する事はできなかった。
「てめえ……! 逃げたと思いきや!」
「もうこれしか勝つ方法はない。最高の魂を使って」
「最高のやり方で仕上げた、魔物だ……」
今のジャンの一撃で服が破れ出血が発生したアフシールJr.であったが、その顔は紛れもない勝者のそれだった。
「……心臓は止まっていない」
「まさか生きたまま……」
生きた人間から魂を無理矢理に採取する、交換する事すらなく魂を奪い取る。これは父親すら試した事のない最後の手段であり、余分な魂をひとつも残さなかった自分に少し不甲斐なさを覚えもした。しかし手に入れたての活力のある魂を、もっとも強い肉体に突っ込んだらどうなるか。魂と言うのは、肉体を離れたと同時にその活力が落ち始める。
「インキュバス、よくやってくれたよ!」
「弱い女性を救うのは私の役目ですから」
――――救う、確かにその通りかもしれない。だがその女性の肉体から魂が抜けても心臓が止まっていない事を知ったコーファンとハーウィンは、あまりにも自分勝手なアフシールJr.とインキュバスの救い方に怒りを抱いた。そして伊佐家の人間の絶望に満ちた表情に打ちのめされるかのように、抜け殻となった伊佐玖子の肉体から手を離した。
そして伊佐玖子の魂は、魔物の肉体へと突っ込まれた。そう、サキュバスの遺体へと。
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