陸攻乙女のギンバイ戦記(試し読み用)

矢舷陸宏

第1話 我、海軍ノ支援ヲ受ク。戦果大ナリ

 晴れ晴れとした南洋の青空。

 海よ干上がれといわんばかりに燦々と降り注ぐお天道様の光が明るく……というよりも眩しく海面を照らし出していた。

 雲は一つも見当たらず、風も微風。

 地球が丸くなければ赤道より遥か南の大空からでも、遠く離れた祖国が見えるのではないか、と錯覚するほどの快晴である。

 そんな清々しい空を一機の大きな軍用機が飛んでいた。

 双発の陸上攻撃機(以下、陸攻)である。葉巻型と大きなエンジンが特徴的な機体で、轟々と元気よくプロペラを回転させている。

 数を頼りに運用される陸攻が単機で攻撃に行く事は基本的に考えられない。つまりいま単機で飛んでいるこの機体は爆撃以外の目的で飛行をしているという事だ。事実、陸攻の爆弾倉には小さな爆弾が二発しかブラ下がっていなかった。

 その陸攻の機内で、同機の機長兼偵察員である黄里きざと糖子とうこ海軍兵曹は熱糧食を噛みながら航路図チャートと睨めっこをしていた。

 全く海軍の搭乗員には見えない風体の少女である。飛行服に身を包み、飛行帽を被っているとはいえ、彼女が海軍の軍人だと言って信じる者は少ないだろう。そんな若いというよりも幼い容姿の少女であった。

 しかしそんな風体の話しなど知らぬとばかりに糖子は真剣な顔で航路図を睨みつけている。

 無論、単に睨んでいるだけではない。

 風向、風速などを観測し、航法計算盤などを用いて現在位置を割り出す「航法」を行っているのだ。何も目標ない洋上を飛ぶ際には、常に計算を続けて現在位置を把握しなければ目的地には辿り着けないのである。

 これほど天気が良くて視界明朗であるならば、何も偵察机にしがみ付いて航法などしなくても迷わないのではないかなどと錯覚してしまうが、水平線の彼方まで見えるという事は周囲に何もないという事の裏返しであり、そんな中を闇雲に飛んだら迷うに決まっている。錯覚は、やはり錯覚なのだ。

「左に五度修正、ヨーソロー」

 手短に指示を出すと「ヨーソロー」という短い返答。即座に機首は指示された方向に向けられる。

 基地を飛び立ってから早一時間。順調過ぎる飛行である。

「そろそろ昼ご飯にしようか」

 時計を確認した糖子が他の搭乗員に提案をする。

 時刻は十二時半。そろそろお腹もペコさんになってきた頃合いだ。

「そうしますか」

 操縦員であり友人である青狭間あおざま琴音ことねが同意したので、糖子は「やった」と小さく言ってから伝声管で機内全員に昼食である事を伝える。

 直ぐに食糧担当の搭乗整備員(以下、搭整)が弁当箱と魔法瓶を持って来たので受け取り、糖子は嬉しそうに蓋を開けた。常に同じ事が続く軍隊生活では食事だけが楽しみなのである。

 今日の弁当は海苔巻であり、魔法瓶には味噌汁が入っていた。

 保温材に包まれていたので地上と同じ温かさであり、味噌汁も湯気を立てている。晴れた日の機上で食べる食事は別格であり、軍隊の荒削りな料理でもご馳走になってしまう。

 だが美味しくいただいていると直ぐに海苔巻は無くなってしまい、味噌汁も干してしまったので、あっという間に楽しい食事の時間は終わってしまった。楽しいひと時はいつも短い。

 腹が一杯になったら昼寝でも……といきたいところであるが、しかし飛行中であり、即ち任務中であるので昼寝などしていられない。

 満腹で眠くなってきた目を擦りながら、糖子は航法を再開した。

 今日の任務は哨戒パトロールである。

 大型の陸攻は燃料の搭載量も多く、必然的に長時間飛行を続ける事が出来るので、こうした哨戒任務に駆り出される事も少なくない。じじつ糖子の所属している部隊も陸攻を装備していながら主任務は哨戒であった。

 もっとも今日の哨戒はいつもの「飛び回っているだけ」の哨戒とは一味違う。

 腹に爆弾をブラ下げている事から解るとおり、本日はこの爆弾を使った任務を帯びているのだ。

 さりとて爆撃というほど立派な物でもない。

「残骸の破壊なんて、飛行機屋わたしたちはいつから工兵になったんでしょうね」

 不満たらたらで琴音が愚痴を言う。

 彼女の言う通り、今回爆弾を落とす目標は「残骸」なのだ。当の昔に座礁して乗り棄てられた輸送船のソレである。

 今朝早く陸軍の部隊から「通行の邪魔だから爆弾で吹き飛ばして欲しい」という要望が入り、協議の末に哨戒のついでに爆弾を落として来いという話しに相成った。そのため糖子たちはいつもの飛行ルートから少し外れ、目標に爆弾を落とさねばならない。面倒くさい話である。

 さりとて最近は哨戒飛行しかなかったので、気分転換になるのも事実だ。

 そろそろ見える頃だろうと双眼鏡を覗いていると、予想通り目標の島が見えてきた。あの島の岩礁に輸送船の残骸が乗り上げてある筈である。

 爆弾を落とすには当然ながら照準をする必要があるので、糖子は操縦席の下を潜って機首の爆撃席に出た。後方を除いた全面ガラス張りの区画であり、爆撃をする糖子だけの特等席である。

 糖子は爆撃席に座ると爆撃照準器の調整を行い、投下管制器を操作して直ぐに爆弾を投下出来るように準備した。その間に機は高度を下げ、目標である残骸を捜索する。

「後方より飛行物体接近」

 双眼鏡を覗いて目標を捜索をしていると、不意に尾部の銃座から報告が入った。

 すわ敵機か、と思ったがこの空域は友軍の制空権内である。となると友軍機だろう。念のため確認を取らせると、やはり友軍の水上機であるようだった。

 おそらくデカい飛行機が飛んできたから確認か、それとも挨拶にでも来たのだろうと考えながら捜索を続行していると、不意にカンカンカンッという聞き慣れない音。なんだろう、などと考える間もなく「撃って来た!」という悲鳴のような報告が入った。

 慌てて機首の窓から外を見ると、なるほど、通り過ぎた水上機は明らかに空戦態勢に入っている。

「敵とて許せん!」

 搭乗員が機銃を構えたが、糖子は即座に「撃っちゃ駄目!」と制止した。

「同士討ちになっちゃう」

 とにかく今は味方である事を知らせる必要がある。

 翼を上下に振る「バンク」や、銃座から身を乗り出して手を振ったりと色々と試してみたが、微塵も効果はなく、水上機はまたもや銃撃を加えてきた。

「お莫迦!」

 大声で罵倒するも相手に聞こえる筈もなし。

 これはもうさっさと爆弾を落としてトンズラするしかないと判断し、糖子は搭乗員全員に目標を捜索させる。

 幸いにして目標である残骸は直ぐに発見した。

「高度もっと下げて」

 二度目の照準をする余裕はない。低空で飛び、確実に爆弾を命中させてサッサと逃げなければ撃墜されてしまう。

 逸る気持ちを抑え、糖子は爆撃照準器を覗いて照準を付け始めた。

 爆撃を行うには糖子が照準を付けて指示を出し、操縦員である琴音に指示通り飛んでもらう必要がある。

「ヨーソロー……ヨーソロー……ちょいミギー」

 こんな急いで照準をつけた経験は今までないので、どうしても照準が上手くつけられない。指示を出す声も掠れがちになる。

「ヨーソロー……ちょいヒダーリ」

 照準をしている間にも水上機は攻撃してきているらしく、時おり外殻を銃弾が叩くような音が耳に届く。幸いにして機に損害はないようだが、それでも気持ちが良い物ではない。

「ヨーソロー……ヨーソロー……」

 焦っているせいか何度も修正を繰り返してしまう。

 それでも何とか指示通りに飛んでもらい、一分も経たない間に「ヨーイ!」と号令を掛けた。

「テーッ!」

 二発の爆弾が機体から離れる。

 もはや用はなし、と糖子は機体を増速させて逃亡を図った。命中など気にしている余裕はない。ボヤボヤしていると撃墜されてしまう。

 一呼吸置いてからボンッという爆発音が耳に届いた。命中したかは定かでないが、それでも爆弾は無事に爆発したらしい。

 水上機もこちらが味方と気付いたのか、それとも爆弾を落として戦闘力を失った爆撃機に用はないと思ったのか、どちらか定かではないが離れて行った。

「助かった……」

 誰ともなく安堵の声が漏れ、とにかく助かったから乾杯しようと積んであったサイダーを取り出した。

 そこでようやく咽喉がカラカラに乾いているのに気付き、糖子は空の冷気で冷たくなったサイダーを一気に飲み干す。炭酸の刺激が乾いた咽喉に染み入るかのようであった。

 爆撃を終えたので基地に「爆撃終了」の報告を行い、続けて基地に帰投する旨を伝える。

「あ、陸から電報あったって」

 言いながら電信員がメモを持ってくる。

 陸軍から基地経由でお礼の言葉が来たらしい。文言は「我、海軍ノ支援ヲ受ク。戦果大ナリ」という勇ましいものであった。

「……戦果大なりって。残骸吹き飛ばしただけなのに」

 何となく恥ずかしくて糖子は後頭部を掻いた。

 良い気分になり、そのまま基地に帰投する。銃撃を食らったという報告をしていたからか、飛行場には救急車や消防車まで待機をしていた。

 首尾よく着陸し、指揮所に報告に行く。

「三○八号、任務を終了して帰投しました」

 自信満々で敬礼する糖子に、しかし司令と飛行長は曖昧な表情を向ける。

「ご苦労、と言いたいのだが……」

 首を傾げながら飛行長は一枚のメモを見る。どうやら電報の写しか何かであるようだった。

「水上機母艦『綾瀬丸』から発信されたものだ」

 そう前置きをしてから飛行長は続ける。

「我、船舶の残骸に爆弾投下。これを破壊せり」

 読み上げてから飛行長は糖子たち搭乗員の顔を怪訝な顔で見る。

「お前ら、いったい何を爆撃してきたんだ?」

 そう言われても確かに爆弾を落とした先は船舶の残骸であった上に爆発もしていた。陸軍からも「戦果大なり」という報告が入っているのだから、当然爆撃は成功したと思っていたので糖子たちも困惑するばかりである。

 結局、この爆撃は「戦果大なり」から「戦果なし」に変わり、糖子たちはお褒めの言葉ではなく折檻を頂く事になってしまった。誤射もされた上に散々である。

 てっきり陸軍からも何か言われるだろうと覚悟していたが、しかし陸軍から「戦果」に関する話は全く来ず、飛行長や糖子たちも「あの戦果大なりは一体なんだったのか」と首を傾げる事しきりであった。


 ――――後日知った事であるが。

 糖子たちの落とした爆弾は大きく外れた場所に落着、爆発しており、陸軍の言う「戦果」というのはその爆発で気絶して浮かび上がった魚の事だったという話である。

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