第79話 アンナとクレア
「ア、アンナ…由紀…?」
振り返ったまま固まる幹太は、なぜかダラダラと冷や汗を流していた。
『ど、どうして二人がリーズにいるんだ…?』
なぜ二人がこの魚市場にいるのかは少し時を遡って説明しなければならない。
ブリッケンリッジからレイブルストークに向かっていたアンナ達一行は、シェルブルック王国とリーズ公国の国境付近で足止めを食っていた。
「ソフィアさん…」
「…はい。なんでしょうか、アンナさん〜?」
「…どうしてこうなったと思いますか?」
「馬車がボロ…いえ…私が馬車を飛ばしすぎたせいです〜」
ソフィアはアンナにギロリと睨まれシュンとする。
ソフィアが御者を務めたアンナ達を乗せた馬車は、あまりにスピードを上げすぎたために車輪がお亡くなりになってしまっていた。
「まったくもうっ!死ぬかと思いましたよっ!」
「す、すいません〜」
「どうするアンナちゃん?
とりあえずリーズの宮殿へ助けを求めるのがいいと思うが…」
「う〜ん、どうしましょうか…?」
「では、私が〜」
「ソフィアさんは居残りですっ!」
「アンナさん、ひどいです〜!」
「当たり前です!
それと…シャノン、あなたもここに残って、野営になった場合の警護をお願いします」
こんな時の為に、馬車には野営のするための荷物が積まれている。
「はい」
「あとは…」
「そういう事なら、私も残るぞアンナちゃん」
ビクトリアはリーズの学園で騎士科に在籍していた。
なので野営の知識も豊富であるし、剣術の腕前も一流である。
「ビクトリア様が残るならば私も残ります」
そう言って、ビクトリアの後ろに立っていたクロエが手を挙げた。
「ですと…私と由紀さんでリーズに行くということですね」
「ほーい!了解♪」
「では、さっそく行きましょう。
今からならば、明るい内にレイブルストークに着きます」
アンナ達が使っている街道はリーズとシェルブルックを結ぶ一番大きな街道であり、通行量も多いため、日中であれば女性二人でもほとんど危険はない。
「そんじゃ急いで行こっか♪」
「ではお姉様、行ってきます」
「うん。気をつけてな、アンナちゃん」
そうしてアンナ達は順調に街道を進み、お昼すぎにはレイブルストークの町に到着したのだ。
「アンナはこの町に来たことあるの?」
「えぇ、何度かありますね。
最後に来たのが日本に行くちょっと前ですから、それほど変わってないと思いますよ」
「とりあえず宮殿だっけ?」
「ですね。国境の衛兵さんに助けを頼みましたから大丈夫だとは思いますが、一応マーカスにも報告しておいた方がいいと思います」
前回の旅とは違い、今回アンナはキチンと王女としての立場を証明する証を持っている。
「りょーかい!
でもここって、すっごい海が綺麗な町だね〜♪」
「そうですね。レイブルストークは突き出した半島にある町ですから。
建物の色が揃っているのも、この街が美しく見える理由でしょう。
たぶんこの辺りはブリッケンリッジと同じく計画して作った感じがしますね」
「へぇ〜、そう言われてみれば確かに雰囲気が似てるかも…」
由紀は手で日差しを遮り、辺りを見回した。
「あぁっ!アンナ!あれ、市場じゃない!?」
「…そうみたいですね。
えっと…港ですから魚市場でしょうか?」
「んんっ?あれ?何か…これって…アンナ!」
と、幼馴染の第六感で何かを感じ取った由紀が叫び、アンナに向かって頷いた。
「はいっ!寄ってみましょう!」
アンナもそんな由紀を見て頷き、二人は急遽進路を魚市場へと変更する。
幹太がこの街にいるのなら、日中のこの時間、何かしらの市場にいる可能性はかなり高い。
そんな訳で二人はこの場所にやって来たのだ。
「…ち、ちゃうねん」
「…何がですか?幹太さん…♪」
「なぁに?幹ちゃん…♪」
それまで無表情であった二人の口元がゆっくりと裂けるようにつり上がり、ニタリと恐ろしい笑顔に変化する。
『こ、怖い…』
日々それなりに厳しい警護の訓練をしているはずのゾーイも、アンナと由紀から発せられる得体の知れないプレッシャーに恐怖する。
「せ、芹沢様…」
ゾーイはそんな二人の視線から逃れるため、思わず幹太の背中に隠れた。
「ゾ、ゾーイさんっ!?」
「…幹ちゃん、その人はダ…レ…?」
「ゾーイさんですっ!」
「マタオンナノコナノ…?カンチャン」
「はい!ゾーイさんは素敵な女の子ですっ!」
追い詰められテンパった幹太は、いつものように火に油を注ぐ。
「ス・テ・キ…?だからゾーイさんと一緒にいるんですか?」
「い、いいえ!ラーメンの具を探す案内をお願いして…」
「…幹太さん、幹太さんは誘拐されたっていうのに、ゾーイさんと仲良くラーメン作っていたんですか…?」
「あ、あぁ、そうなんだよ。
これがもう少しで完成しそうでさ。
あとは具なんだけど…そうだ!二人もちょっと見てくれ…」
幹太は紙袋を開き、中に入った食材をアンナと由紀に見せようとする。
彼はこんな危機的状況にあっても、ラーメンの事となると一瞬で周りが見えなくなるのだ。
「…私達とっても心配してたんですよ、幹太さん…」
しかし、そんな空気の読めない幹太に、アンナが悲しい表情でそう伝える。
「あっ…そうか…」
確かにそうだ。
幹太はご当地ラーメン作りに夢中になるあまり、自由の身になった今でも自分からアンナ達に連絡を取るなどの努力を全くしていなかった。
そもそも最初にマーカス要求を聞かれた時点で、彼はシェルブルック側に直接連絡を取りたいと頼めたはずなのだ。
『そうか、俺…』
彼は知らず知らずのうちに、アンナ達がなんとかしてくれるだろうと心のどこかで高を括っていたのである。
「ひどいよ…幹ちゃん」
そんな幹太を前にして、由紀は涙で目を潤ませる。
「二人ともごめん。
そうだよな…俺、なんとか連絡しなきゃいけなかったんだよな…」
マーカスとムーア導師の通信によってシェルブルック側に幹太の居場所は伝わっていたものの、肝心のアンナ達は出発した後だったため、彼女達はここに来るまで幹太の無事を知らなかったのだ。
「…幹太さん、とりあえず私達はリーズの宮殿に向かわなければなりません」
「あ、あぁ…」
「それからどうするかは分かりませんけど…とにかく一度、お互いに頭を冷やすことにしましょう」
そう話すアンナの表情は、幹太が彼女に出会ってから初めて見る厳しいものであった。
「そっか、そうだな…」
「それでは幹太さん、また…」
アンナはそう言って振り返り、市場の外へと出ていこうとする。
「幹ちゃん…」
「由紀、本当にごめんな…」
「うん。でも…無事で良かった…」
由紀はそう言って、幹太の服の裾を握った。
実のところ、普段子供っぽく見えるアンナよりも、由紀の方が幹太に対する依存度は遥かに高い。
「ダメですよ、由紀さん。
私達はソフィアさん達の状況を早く宮殿に伝えに行かねばなりません…」
「う、うん。じゃあ幹ちゃん、後でね…」
由紀は名残惜しそうに手を離し、何度も振り返りながら、先に出口へ向かって歩き始めたアンナの後を付いていく。
「芹沢様…」
「…なんだかごめんな、ゾーイさん」
「いえ、悪いのは私とクレア様ですから…本当に申し訳ありません」
そう言うゾーイの顔からは血の気が引いていた。
彼女は一国の王女の婚約者を攫った責任を、いま改めて認識したのだ。
「いや、俺も悪かったんだよ。
アンナ達なら分かってくれるって勝手に思い込んでたんだから…」
その後すぐに幹太は宮殿の離れに戻ったが、結局その晩、アンナ達そこにやって来ることはなかった。
幹太が離れで悶々と頭を悩ませていた頃、ソフィア達の事情をリーズ公国側に伝えたアンナと由紀は、宮殿の客間に招かれていたのだ。
「お久しぶりですね、マーカス」
「あぁ、アンナ。まずは婚約おめでとう」
「ありがとうございます」
「…っと由紀さんだよね?君も婚約おめでとう」
「は、はい。ありがとうございます、マーカス様」
由紀はトラヴィス国王以来、久しぶりに会ったまともな王族に緊張していた。
「そうだ!シャノンさん達は、明日の朝にこちらに来れるみたいだから心配いらないよ。
それまで二人はゆっくりここで休むといい」
「ありがとうございます、マーカス」
「あ、ありがとうございます」
アンナからシャノンを含む一行の事情を聞いたマーカスは、直ちに公爵家の使用人達を現場に向かわせた。
たぶん今頃シャノン達は、とても野営とは思えない豪華な夕食を食べている頃であろう。
「それでマーカス…」
「あぁ、クレアの事だね。
…アンナ、今回の誘拐の件は本当に申し訳ない。
僕はあの子の兄、そして次期君主として、君達にどんなお詫びでもするつもりだよ」
マーカスはアンナと由紀に向かって深々と頭を下げた。
「マーカス、わたし達はあなたに怒っているのではありません」
「そうだよね…。
僕達もクレアを探しているんだけど、どこを探しても見つからないんだ」
「はぁ、全くどういう事ですか?
私達の幹太さんを誘拐しておいて、謝りにも来ないなんて…」
「重ね重ねすまない。
必ず今日中に探し出してアンナ達の前に連れてくる。
だからもう少しだけ待っていてくれないかな?」
「…仕方ないですね。
本当にもう少しだけですよ」
「ありがとう、アンナ。
僕もこれから心当たりを探して来るよ。
あぁ、幹太君はこの建物の裏にある離れにいるから、好きに行ってくれて構わないよ」
「わかりました」
「ありがとうございます、マーカス様」
「ではお二人とも、また後ほど…」
そう言って、マーカスは部屋を出ていく。
「しかし、本当にクレアはどこに居るのでしょう?」
「う、うん。そうだね…アンナ」
由紀はそう言いつつ、さっそく窓の外を眺めていた。
「由紀さん!まだダメですよっ!」
「でも…幹ちゃんが可哀想だよ…」
「もうっ!由紀さんっ!
いつもはしっかりしているのに、どうして幹太さんだけにはこんなに甘いんですかっ!?」
「だってラーメンを作ってたんだから…」
「だから反省しなくても良いと?」
「そういう訳じゃないけど…」
日本で幹太と出会って以来、初めてアンナは本気で怒っていた。
いくら治安が安定しているこの世界とはいえ、幹太がアンナと結婚して王族となれば、少なからず一般人よりも危険な目に遭う可能性は高くなる。
なんとなくアンナも感じていたが、幹太は自分がその様な立場になるという意識が薄い。
今回の件ではっきりと浮き彫りになったそれは、まったく危機感がないと言っていいレベルであった。
「由紀さん…」
「な、なに、アンナ?」
「これからもずっとそんな甘々でいくつもりなんですか?」
「う、う〜ん、もしかしたらそうかもしんない…。
そうだっ!幹ちゃんに厳しくするのはアンナかソフィアさん任せて、私は超絶甘やかして…」
「由紀さんっ!」
「ふぇっ!ご、ごめんなさい!
も〜なんだか怖いよ、アンナ」
「ふふっ♪そうね〜そんなんじゃすぐ幹太に愛想尽かされちゃうわよ♪」
「そんな事はありませんっ!幹太さんなら必ず分かってくれます…って誰ですっ!?」
と、どこからともなく聞こえた声に、アンナは自然と返事をしてしまっていた。
「私よ、アンナ♪」
そう言って客間のバスルームの方から現れたのは、誰あろうクレア本人であった。
「クレア・ローズナイトっ!あなたずっとそんな所にいたんですかっ!?」
「えぇ、ずっと♪」
「この人がクレア様…」
由紀は涼しげな顔で目の前に現れた少女をまじまじと見つめる。
『こ、この子もすっごい綺麗!
この世界のお姫様って、全員こんなに美人なのっ!?』
燃え盛る炎のような美しい赤毛に、これまた真紅のワンピースを着た少女は、猫っぽい笑顔も相待ってとても無邪気な印象である。
『あと…なんだかアンナに似てる?』
初対面の由紀から見ても、小柄で薄い体型や話し方など、なんとなくクレアはアンナと似ている気がした。
「えっと…あなた由紀よね♪」
「は、はい」
「名前からすると、あなたは幹太と同郷なのかしら?」
「えぇ、そうですけど…」
「それじゃあなたも私の国に住みなさいよ♪
王女のアンナは無理でも、あなたともう一人の婚約者は大丈夫でしょ♪」
「えぇー!そ、そんな急に…」
「何を言っているんですかっ!?クレア!」
「だって、こんな意地っ張りとずっと一緒にいるなんて幹太が可哀想じゃない♪
アンナ・バーンサイド、あなたいつまでそうやってスネているつもりなの?」
「原因を作ったあなたには言われたくありません!クレア・ローズナイト!」
「私、あなたなら喜んで幹太を手伝うと思ったけど、ちょっと買い被りすぎだったみたいね♪」
「だからっ!なんであなたにそんなことを言われなきゃならないんですかっ!」
「ほらね♪そうやって人の話を聞かない。
なんか後ろめたいことがある証拠だわ。
あのねアンナ、これは幼馴染としての忠告だけど…」
「…なんです?」
「幹太が他の女の子と仲良くするたびに怒ってたら、とてもじゃないけど四人で結婚なんてできないわよ♪」
「わ、私は幹太さんがあまりに能天気だったから…」
「それがあなたの本心?本当にそれだけなの?
まぁ気持ちは分かるわ。
幹太が攫われて焦ってリーズに来てみたら、本人は現地の美女とラーメン作りですもんね♪」
「でも、それは…」
「そうね。確かにそれは私が悪かったわ。
本当にごめんなさい、アンナ、由紀」
クレアは二人に向かい、先ほどの兄と同じように深々と頭を下げて謝った。
「「……」」
「でもね、アンナ。さっきから聞いていると、あなたってば由紀にも八つ当たりをしているんだもの。
振り返ってちょっとよく考えてごらんなさい」
「そんな事はあり…あっ、私…」
「自分が優しくできないからって、いつも通り幹太に優しくする由紀に当たるなんて、王女のすることじゃないわ」
「由紀さん、ごめんなさい。
私、ひどい事を…」
「ううん、大丈夫だよ、アンナ。
アンナの怒ってたことは、確かに私が悪かったと思うから…」
「由紀さん…」
「原因を作った私が言うことじゃないけど、これを機会にもっと自分に素直なるのね。
だいたいね、あなたはいつも先のことばっかり考えすぎなのよ」
「えっ!?」
と、クレアの言葉を聞いた由紀は驚いた。
『アンナが素直じゃない…?』
由紀からすると、アンナはいつも自分に素直で自由に生きているように見える。
そんな彼女が自分を抑えているなどと、由紀は想像もしていなかったのだ。
「ふぅ〜、それじゃ私は幹太の様子を見に離れに行ってくるわ♪じゃあね〜♪」
「あっ!クレアっ!」
バタンッ!
と、クレアは言いたい放題言って気分が良かったのか、最高の笑顔で客間を出ていった。
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