第53話 試作と邂逅

その晩、

姫屋の屋台にて、餃子の試食会が行われた。


「もうそろそろかなぁ〜」


幹太が浅い鉄鍋の中で湯気を上げながら茹でられる餃子を、菜箸でつついて火の通りを確認する。

ほとんどの焼き餃子は、最初に少なめの水で茹でてから焼きに入る。


「よし、もう大丈夫だ」


幹太はそう言って鍋を湯切りし、さっとラードをかけてから蓋を閉めてコンロの火を全開にする。


とそこへアンナが様子を見にやって来た。


「あっ、餃子ですね♪久しぶりです♪」


アンナが日本に居た時、何度か幹太と二人でラーメン屋の餃子を食べた事があった。


「うん。こっちでも売れるかなって思ってね。

ただ仕込む為の機械がないってのが大変だったよ」


「あ〜、確かに電気の物はないですからね」


今回の餃子作りで、幹太はキャベツの刻みも生姜とニンニクのすりおろしも全て手作業で行った。

本来、ニンニクとショウガの調理はスライスした物をミキサーで混ぜ合わせて、餡の材料に入れれば済む簡単な作業である。


「ははっ♪おかげで手がニンニク臭いよ。

それで、アンナは今まで何してたんだ?」


「私はお姉様に日本に行ってから今までの旅のご報告をしていました。

もうっ、お姉様は質問が多くて大変でしたよ〜」


そう言って、ふぅ〜っとため息を吐くアンナは見るからにお疲れ気味だった。


「そういや俺、まだお姉さんにご挨拶をしてないんだけど…大丈夫かな?」


「え、えぇ、大丈夫ですよ。

そ、その内ちゃんと機会を設けますから…

なので幹太さんはそれまで絶対にビクトリアお姉様に会ってはいけません!」


アンナが鬼気迫る表情で幹太に言う。


「お、おう。分かった…」


昨日のシャノンの時と同様、幹太はその迫力に押され、思わず素直に返事をしてしまった。


それから間もなくして、姫屋の餃子は完成した。


「それじゃ食べてみよう!いただきます!」


「「「「いただきまーす!」」」」


今回の試食会のメンバーはアンナ、シャノン、由紀、ソフィアの四人である。


「あぁ、懐かしい…おじさんの餃子の味だ。

やっぱり美味しいね♪」


まず最初に声を上げたのは由紀だった。


「はい♪日本で食べた時より美味しい気がします♪」


アンナも笑顔そう言って、さっそく二つ目の餃子に手をつける。


「あの…ニンニクがかなりキツいんですね。

私たちは食べる時を考えないといけないかもしれません」


護衛という仕事柄、シャノンは匂いが気になるようだ。


「私の村の料理みたいで美味しいです〜♪」


冬の間、雪に閉ざされるジャクソンケイブでは、体を温める生姜の入った料理がたくさんある。

ソフィアは地元の肉詰め料理を思い出していた。


匂いという餃子特有の問題こそあれ、味の方は概ねこちらの世界でも受け入れてもらえそうである。


「んじゃ、少しニンニクとショウガの配分を変えるとして…基本はこれでいこう」


とりあえずそういう方針が決まり、姫屋のメニューに新しく焼き餃子が加わることになった。


「それで幹太さん、ラーメンの方はどうするんですか?」


アンナが餃子を頬張りながら幹太に聞いた。

ビクトリア王女が帰ってきてから、アンナは幹太と会う機会がめっきり少なくなっていた。

いつもならばラーメンの試作中は幹太の隣に立って仕込みを見ていたが、今回は屋台に来る暇がまったく無い。


「いや、まだ調査中ってとこかなぁ〜?

とりあえず明日は新しいスープでラーメンを作るつもりだけど…。

仕込むのに今日一日かかりそうだから試食はまた明日になりそうだ」


幹太は屋台の隅に山と積まれた食材を見つめた。


「そうですか…。この後、私もお手伝いできますから一緒に頑張りましょう♪」


「あぁ。よろしく頼むよ、アンナ」


こちらの世界に来てからずっとアンナお店を開いていたので、仕込み際に彼女が隣に居ないのは、幹太自身も何か物足りないと思っていた。


「幹ちゃん、私も手伝うことある?」


「えっと、どうかな…?

とりあえずアンナが居ればなんとかなるけど…。

ん〜、何か困ったらお願いするよ。」


「了解。それじゃ汗も流したいし、お先に部屋に戻ってるね♪」


由紀はそう言って席を立ち、部屋へと戻って行く。

言われてみれば、ランニング帰りで幹太の手伝いをしていた由紀はトレーニングウェアのままだった。


「おう。ありがとうな、由紀」


由紀は背中向きに手を上げて幹太の言葉に答えた。


「それでは私もビクトリア様の所へ行きます。

ソフィアさん、できればご一緒しませんか?」


お風呂で衝撃的な出会いをして以来、ビクトリアはソフィアのことをえらく気に入っていた。

どうやらゆっくりのんびりとしたソフィアの人柄は、勉学や激務で磨り減ったビクトリアの心を癒すらしい。


「はい、ご一緒します〜♪」


ソフィアの方も僅かだが慣れてきたようで、ビクトリアの前でも必要以上の緊張をしなくなっていた。


「それじゃ、俺たちは仕込みを始めよう!」


「はいっ♪」


幹太とアンナは、試食会の片付けを終えてすぐに新しいラーメンの試作を始めた。


「昨日の市場で思ったんだけど、ブリッケンリッジの人って濃い味付けが好きなのかな…?

けっこう味を濃くしてって人いたよな?」


「ですね。いつもより多かったと思います」


味の濃淡は基本的にアンナが担当する醤油タレの量で決まる。


「牛肉が好きな方も多いですから、醤油味は好まれると思いますよ」


嘘か真か、ステーキ好きのアメリカ人が初めて醤油をかけた肉を食べた時に、他のソースはもう要らないと言ったという伝説がある。

そんな噂が立つほど、牛肉と醤油の相性は良い。


「うん。だから今回はこれで行ってみる…」


幹太が調理台の上に乗せたのは、いつもよりふた回りほど大きな骨であった。


「これ、トンコツですか?なんか違うような…?」


アンナがツンツン骨をつつきながら幹太に聞いた。


「これは牛骨。豚じゃなくて牛の骨だよ。

こないだの米粉の麺を使ったお店を見て思い付いたんだ」


東南アジア諸国の米粉の麺類のスープは、鳥や魚の他に牛骨で出汁を取ったスープを使う店も多い。

幹太はそれを参考に、牛骨スープでラーメンを作ろうというのだ。

実際に日本でも牛骨ラーメンは何ヶ所のご当地ラーメンになっている。


「仕込みに手間がかかるし、関東の人には合わなそうだからやったこと無かったけど、ここならいけるかも知れないと思って…」


「えぇ…見るからに血が凄いですもんね…」


アンナは生の牛骨のグロさに引き気味だ。


「うん。まずはそれからだな」


幹太はそう言って、寸胴鍋に水を入れ始めた。


「基本的にはトンコツスープの仕込みと変わらないんだけど…ただその回数が増えるって感じかな。」


一般的なトンコツの仕込みは、まずは流水でよく洗い流して、それから一度沸かしてアクを捨てる。

そうしてやっとスープに使えるトンコツが出来上がるのだ。


「牛骨だとそれを二、三回。

あとは臭み消しの野菜も多めに入れないといけないな…」


「はぁ、それは大変そうですね…」


「だな。ではお姫様、一緒に骨を洗いに行きましょう」


「ふふっ♪いいでしょう、幹太。

私も共に参りましょう♪」


側から見ればかなり猟奇的な冗談と共に、二人は仲良く手をとって王宮のキッチンへと向かった。


そして数時間後、


「め、めっちゃ疲れました〜」


「あ、あぁ、牛骨…ヤッバいな…」



二人はヘトヘトな状態で姫屋の厨房に戻ってきた。

沸かした牛骨の鍋を持ち上げでお湯を捨て、再び水洗いをして沸かす。

そんな作業を数回行い、二人は今この場所にへたり込んでいた。


「そ、それじゃあ野菜を入れよう」


「は、はぃ〜アンナ頑張るっす…」


二人はなんとか立ち上がり、作業を再開した。


「いいですか、アンナちゃん!

今回は臭み消しがお野菜さんの主なお仕事だから!

ショウガとニンニクとネギ、あとは…これを入れます!」


「幹太先生!それはなんですかー!?」


調理台の前に立つ二人は、疲れのあまり妙なテンションだった。

たぶんそうでもしないとやっていられなかったのであろう。


「これはセロリです!」


セロリで牛骨スープの臭みをとるのは、洋食のスープでよく見られる手法だ。


「これをネギと一緒に麻紐で縛って鍋にポーイ!」


「ポーイ♪」


二人の妙なテンションまま、仕込みを進行していく。


「あとはいつも通りの玉ねぎやニンジンを麻袋に入れてぇ〜!これも鍋にぃ…」


「「ポーイ♪」」


すでにマーキュリーばりのコール・アンド・レスポンスが確立している。


「っと、冗談はここまでして。

あとは鍋の前に立ってアクを取り続けるだけだ」


「ん〜?でも幹太さん、それはいつもやってませんか?」


「うん。だけど牛骨は鳥や豚とくらべるとアクの量が多いから、いつもより時間がかかるんだよ」


「ん〜本当に牛骨って手間がかかるんですねぇ〜」


「ちょっとその辺も含めてやり方を考えないとダメかもな…」


「毎回これだけ時間をかけていたら営業に差し支えがありそうですもんねぇ…」


「そうだな…まぁとりあえず今回はこのまま仕込んで試食してみよう」


「はい♪」


幹太とアンナの仕込みがそんな地獄の単純作業に移った頃、


ビクトリア、シャノン、ソフィアの三人はビクトリアの私室でゆっくりとお茶の時間を楽しんでいた。


「ふははっ♪そうか、ソフィアは熊に襲われていたんだな♪」


「はい。危ない所をアンナ様と幹太さんに助けていただきました〜」


「小さな頃からアンナはお転婆だったが…、まさか熊と戦うとは、ハハッ♪」


と、笑顔で話すビクトリアは見るからにご機嫌だ。


「しかしその芹沢幹太という御仁、アンナとシャノンも救ったのだろう?」


「はい、ビクトリア姉様。

転移して気を失っていた私を安全な場所まで運んでいただきました。

アナの時も同じ状況だったようです…」


シャノンは内心、なんとか幹太の話題から遠ざけなければと思っていた。


「幹太さん…町で私が危ない目に遭った時も助けてくれました〜」


そんなシャノンの思いとは裏腹に、恋する乙女はポーッとした表情でそんな発言をする。


「そうか…しかしながら、私はタイミングが悪いようで幹太殿とまだ会った事がないのだ。

シャノン、今度私の部屋に彼を連れて来てくれないか?」


「はい、姉様。もちろん…いつか…」


実はビクトリアのタイミングが悪いのではなく、シャノンとアンナが必死にタイミングをズラしているだけのだが、もちろん当の本人達はその事実を知らない。


「帰って来てからアンナも女の子らしくなっているし、今回の転移は良い影響があったみたいだな♪」


今のアンナが女の子らしく見えるのは、指輪の無い手を隠す為に、いつもドレスを着て手袋をしているからである。


「そうですね♪アンナ様はとっても女の子らしいです〜♪」


と、ソフィアが勘違いした言っているのは、自分と同じく恋する乙女のアンナの事だ。


そうして三人はしばらくお茶の時間を楽しんだ後、王宮の周りを散歩していた。


「そういえば…アンナは今どこにいるんだ?

最近は私の側を離れなかったというのに…」


ビクトリアは少し拗ねた様子でシャノンに聞いた。


「ア、アナはたぶん自分の部屋にいるのでは?」


そう言いつつ、内心でシャノンは相当焦っていた。


『このままでは中庭に着いてしまいますっ!』


部屋に居ると言ったのは、ビクトリアをアンナと幹太から遠ざける為だった。


「そうか、ではアンナの部屋に…いや、そうだな…もう少しこのまま外を歩こう」


シャノンの願いも虚しく、ビクトリアは姫屋のキッチンワゴンのある中庭までやって来た。

中庭の隅にある屋台からは湯気が上がり、誰か人が居るのが分かる。


「おお!あれがラーメンという食べ物の屋台か!」


「そうですよ、ビクトリア様。

私達はあの馬車でラーメンを売って旅をしていたんです〜」


「あのあの、姉様…今日のところはとりあえずお部屋に戻っては…?」


「戻る…?いや、行ってみよう。

幹太なる御仁にもぜひご挨拶をせねば」


シャノンの最後の抵抗も空振りに終わり、ビクトリアは屋台に向かってズンズン進んで行く。


「お仕事中にすまない!幹太殿はおられるか?」


そう言って、ビクトリアはそのままの勢いで馬車の荷台に上がった。


「はい。俺が幹太ですが…?」


偶然にも屋台の中には幹太しか居なかった。


「おお、貴方が芹沢幹太殿かっ!?

私はビクトリア・バーンサイド!

アンナとシャノンの姉だ!」


ビクトリアは握手を求め、幹太に手を差し出した。


「ア、アンナとシャノンさんってどういう…?

あぁっ!申し訳ありません、ビクトリア様!

その…私が芹沢幹太です」


幹太はアンナとシャノンの姉というのが良く分からなかったが、とりあえずしっかりと差し出されたビクトリアの手を握った。


「芹沢殿、ソフィアと二人の妹を救ってくれてありがとう。

お礼は改めてまた別な形でさせてもらおう」


「は、はぁ、ありがとうございます」


幹太はビクトリアの勢いに押され気味だった。


「姉様、お仕事のお邪魔になりますからその辺りで!

で、では幹太さん!後ほど!」


シャノンがそう言って、幹太とビクトリアを引きはなす。

実は仕込み中で外していたアンナの指輪を、幹太は革紐に通して首から下げていた。


『どうかバレませんようにっ!!』


シャノンは必死でビクトリアを引っ張りながらそう祈った。


「お、おぅ、ではな幹太殿♪」


「はい、また。あっ、ビクトリア様!」


ようやく離れたビクトリアを幹太が引き留める。


『幹太さんっ!まさか指輪の事を!?』


シャノンはもう心臓が止まる思いだった。


「明日、完成したラーメンの試食会をやりますので、良かったらビクトリア様もいらっしゃって下さい」


「あぁ、ぜひ寄らせてもらおう♪

ではシャノン、ソフィア、行こうか。」


そう言ってビクトリアは振り返り、王宮に向かって歩き始めた。


『あ、危なかった…。』


とシャノンがホッとしたところで、


「幹太さーん!これどうしますかー!?」


と叫びながらアンナが屋台に戻ってきた。

その手には仕込みで余った血塗れの牛ボーンを持っている。


「ア、アンナ…?」


昨日までとは違う、ノースリーブにショートパンツという出で立ちwith血塗れボーンのアンナを見たビクトリアが言葉を失う。

さらにそのアンナの指には、必ず身につけているはずの指輪が嵌っていなかった。

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