第29話 ストラットンの夜

『そういえば、夜ってこんな感じでしたね…』


アンナは日本で幹太の店を手伝っていた頃を思い出していた。

この場所で開店した姫屋の客足は、混雑というほどではないが、お客が途切れずにやって来ると言ったところだ。

ラーメン屋の夜の営業はお昼の営業と違い、お客が大量に押し寄せるようなピークはなかなか無い。

それは日本でも、この世界でも変わらないようだ。


「お会計は八シルバになります。

イチ、ニイ…はい、確かに。ありがとうございました〜♪」


そのため今日が初仕事のソフィアも、それなりに余裕を持って働けているようだった。


「いいペースだ。これなら赤字の心配はなさそうだぞ」


幹太も久しぶりの夜営業を楽しみながらやっている。


「幹太さん、この新しい具はどうしたんですか?」


アンナは出来上がったラーメンに、いつもと違う色のネギを載せていた。


「ごま油で炒めたネギだよ。ちょっと作ってみたんだ」


幹太は前回のフットの町で作ったラーメンに、更なる改良を加えていた。


「焦がしネギって言うんだけど、ごま油で少し焦げるまで炒めて香ばしさを出したものなんだ」


前回フットでは、姫屋のチャーシュー麺のお客の評判はなかなかに好評だったのだが、幹太はチャーシュー以外の具に物足りなさを感じていた。


「前に一度うちのラーメンでもやってみたんだけど、焦がしたネギの風味ってかなり強力だから、スッキリ系のウチのラーメンにはあんまり合わなかったんだよなぁ〜」


焦がしネギは少しでも焦がし過ぎたり、入れ過ぎたりするとそれだけでラーメンが美味しくなくなってしまう。


「でも、このボリュームがあるチャーシューとなら抜群に合うって思ってね。

開店前に試食したらバッチリだったよ」


幹太の狙いは見事に当たった。

ジューシーなチャーシューと、少し大きめに切った焦がしネギの相性は抜群であった。


「本当はメンマがあれば良かったんだけど、まだタケノコすら見たことないんだよなぁ〜」


とそこへ、空いた器をいくつか重ねて持ったソフィアが戻ってきた。


「あら、ありますよタケノコ。

私の村ではアクを抜いて焼いて食べたりしますね〜」


ソフィアはあっさりとタケノコの存在を幹太に教えてくれた。


「おぉ!そっか、じゃあソフィアさんの村まで行ったらメンマが作れるんだな。

塩漬けにすれば保存もきくから、他にも色々と使えるかもしれない」


とそこへ、また新しいお客さんがやってきた。


「この姫屋のチャーシュー麺って言うのをお願いしたいんだが」


「「はーい!いらっしゃいませ!」」


「いらっしゃいませ〜♪」


三人は揃って返事をして、それぞれの持ち場に戻っていく。


姫屋のチャーシュー麺は、開店早々けっこうな評判であった。

日本の物流を支えるトラックの運転手達と同様に、こちらの荷馬車の御者達も手早く、美味しく、ボリュームがある食べ物を好んで食べる。

ひときわ大きい豚串の店が、この街で店を出すのも同じ理由からだ。

姫屋のラーメンはそんな人々の要求を高い次元で満たしていた。


「美味い♪この焼豚を食べなが黒いネギの浮いたスープを飲むと最高だ♪」


「ごちそうさま、美味しかったよ!よーし!今日は夜のうちに山越えだ!」


「次の配達でも、この店があったらまた寄らせてもらうよ」


そう言って、ほとんどのお客さんは姫屋のラーメンを食べて元気に次の町に向かって行く。


『この町にはよく来ているのに…、こんなにたくさんの人が楽しくご飯を食べている姿を見るのは初めてですね…』


ソフィアは村から野菜をラークスに卸すため、月に一度はこの町を通っていた。

しかし、夜はいつも休養と安全のために、宿の夕食を食べて部屋で寝るだけだったのだ。


「ソフィアさん?大丈夫か?

まだ慣れてないんだから、無理しないで休んでくれな」


と、どんぶりを持って立ち止まるソフィアを心配して、幹太がそう声をかける。

しかし、幹太の方にパッと振り返ったソフィアはニコニコと笑顔であった。


「いいえ、大丈夫です。

すいません幹太さん、私、なんだか楽しくてボーっとしちゃいました〜♪」


「そっか、ならいいんだ。そんじゃああと少し頼むよ」


「はい〜」


ソフィアはそのまま笑顔でお会計に向かう。


「ご、ごちそうさま。美味しかったです…」


「ありがとうござます♪八シルバになります〜♪」


とびきり色っぽい美人が笑顔で働くことによって、姫屋には更にお客が集まっていった。

それから程なくして、残りのスープか少なくなり、客足が途切れたところで幹太はそろそろ閉店する頃合いだと感じていた。


「ふぅ、そろそろ今日は終わりだ。アンナ、暖簾下ろしてー!」


「はーい、了解です!」


厨房にいたアンナは表にまわり、暖簾を下ろしてワゴンの中にしまった。


「おー!今日は大繁盛だわ」


「やりましたね♪幹太さん♪」


予想をはるかに超える売り上げをあげて、姫屋のストラットンでの営業は終了した。


「ほんじゃ、とりあえず一休みしますか?」


幹太がアンナとソフィアにそう聞くと、ソフィアがモジモジしながら幹太の肩をクイクイと摘んだ。


「あ、あの幹太さん、私ラーメンを食べてみたいです〜」


ソフィアはあまり自分から要求をするタイプの人間ではないのだが、今回ばかりはラーメンに対する好奇心を抑えることが出来なかった。


「あぁそっか!ごめん、ソフィアさん!二人の分は今すぐ作るよ!」


幹太は大事な店員さんに、賄いを作るのをすっかり忘れていた。

麺はちょうど二玉、スープもギリギリ二人分取れる量が残っている。


「そーですよ!幹太さん!

私だって、今まで我慢しているのがとっても辛かったんですから!」


アンナも腹ペコ状態でずっと働いていた。

彼女は先ほどまで、目の前のラーメンを食べてしまいそうになるのを必死で我慢していたのだ。


「は〜い、おまたせ。姫屋のチャーシュー麺です」


「待ってました!では早速いただきます!」


「では私も初めてのラーメン、いただきます〜♪」


ソフィアはフゥフゥと麺を冷ましながら食べ始める。


「あぁ…美味しいです〜♪」


彼女はホゥっと息を吐き、恍惚とした表情で初のラーメンを味わった。


「ハフ、ハフッ!」


そんなソフィアの隣では、アンナがすでに二枚目のチャーシューにかぶりついている。


「幹太さん!やっぱりチャーシューは厚切りに限りますっ!

噛むたびに染み出す肉汁がたまりません!」


空腹によって、お姫様はただの肉食獣になっていた。


「ははっ♪お粗末さま。

そいじゃ、二人ともゆっくり味わって食べてくれよ」


「はーい♪」


「はい〜♪」


その後も二人は夢中でラーメンを食べ続け、あっという間に食べ終えてしまった。


「おーい、そろそろ始めるぞ〜」


「は、はい。ウップッ、た、食べすぎました…」


「了解です〜」


夜も遅くなり、広場の人通りも少なくなってきた頃、三人は屋台の片付けを始める。


「いやぁ〜売り切っちゃうと片付けも楽でいいな♪」


そう言って、幹太が中華用の大きなお玉の水気を拭いていると、広場の向かいある飲み店から、ヨロヨロと千鳥足で二人の男が姫屋にやってきた。

一人は背の高い痩せた男、もう一人はかなりガタイの良い男だった。


「俺たちにもラーメンってのを食わせろー!」


「食わせろー!」


そう叫びながら、屋台に近づく二人の酔っ払いを見た幹太は、


『あぁ…なんかちょっと前にも同じようなことがあった気がする…』


と、まるで危機感のないことを考えながら、できたら穏便に済ませたいと、なるべく穏やかな口調で酔っぱらい二人に声をかける。


「おっちゃん達、もう店じまいしちまったからまた今度な」


ガンッ!!


「うるせぇ!今すぐ準備しなおせ!じゃねぇと屋台をぶっ壊すぞ!」


幹太が優しく言ったことで、彼を舐めてかかったガタイの良い方の男は、残っていた姫屋のイスを荒々しく蹴り飛ばし怒鳴った。


「あ…」


ソフィアがその怒号に驚き、思わずよろめく。


「ソフィアさんっ!」


しかし、隣に居たアンナが彼女の腕をガシッと素早く掴んで支える。


「ソフィアさん、こちらへ」


アンナそのまま、ソフィアを屋台の裏へと連れて行った。


「ここは幹太さんに任せましょう」


「で、でもあんなに大きな人が〜」


そう言うソフィアの唇は震えていた。

彼女は今まで、あんなに乱暴な男性を見た事がなかったのだ。


「大丈夫ですよ、ソフィアさん♪

幹太さん、普段は穏やかですけど、怒るとものすごく強くてカッコイイんです♪」


アンナはそんなソフィアを安心させようと、そう言ってニコッと笑いかける。

そして、二人が屋台の隙間から幹太の方を見ると、まさに今、ガタイの良い男が彼に掴み掛かる瞬間であった。


「そんなでっかい図体してっ!女の子を怖がらせるんじゃねぇよっ!!」


パンッ!


ソフィアには幹太が何をしたのか分からなかったが、幹太が怒鳴るのと同時に何か乾いた音がしてガタイの良い男が倒れた。


「はぁ〜まったくよぉ…」


幹太はそう言って、パッパッっと白衣を払った。

ソフィアを怖がらせた男に本気で怒った彼は、掴み掛かる男の顎を下からアッパーで打ち抜いたのだ。


「さぁ…あんたはどうする…?」


怒りの収まらない幹太が細い方の男に聞いた。


「てめぇ!許さねぇぞ!」


細い男は震えながらナイフを出して幹太を威嚇する。


「だいたいお前んところの女をビビらせたからってなんだってんだ!

ただの下っ端の従業員じゃねぇか!」


「彼女達は大事な人だ!酔っ払いがなに言ってやがる!」


「この野郎っ!上等だ!はぁっ!」


男は幹太にナイフを突き出す。


「おっと、そらよっ!」


幹太は持ち前の動体視力でナイフを躱し、左手に持っていたお玉で男の手首を引っ叩いた。


カランッ!


中華用のお玉は六十センチ程の鉄の棒だ。

それをまともに手首に食らった男はナイフを地面に落とした。


幹太が落ちたナイフを蹴飛ばそうとしたその時、


「幹太さんっ!危ないです〜!」


とソフィアが叫んで、屋台の裏から飛び出して来るのが見えた。


「えぇっ!ソフィアさん!?」


彼女は男がナイフを出したのを見て、自分の身を呈して幹太を守ろうとしているのだ。


「ソフィアさん、ダメですっ!」


その後ろには、焦ってソフィアを止めようとするアンナもついて来ていた。


「幹太さんっ!」


「おわっ!」


ソフィアはそのまま幹太に抱きついて、彼もろとも地面に倒れる。

二人はお互いを庇うようにゴロゴロと地面を転がっていく。

そして転がっているうちに、偶然にも唇と唇ががっつりくっついてしまっていた。


『んー!もしかしてこれ、ソフィアさんとキスしてる!』


『ふぁっ♪なんだか柔らかな感触です〜♪

あら?もしかしてこれはキスしちゃってませんか〜?』


突然の出来事に、二人は頭からは細身の男の事がすっかり飛んでしまっていた。

すでにソフィアが幹太に覆い被さる状態で回転も止まっているが、なぜかソフィアは彼の唇から自分の唇を離さない。


ガンッ!!


「っと、これでよしっ!

ちょっとー!ソフィアさんっ!私もまだ幹太さんとしてないのに!」


間近で二人のキスを見せつけられたアンナは、手首を押さえてのたうち回る細身の男に落ちていたお玉でしっかりとトドメを刺し、急いでソフィアを幹太から引っぺがす。


「まったく!幹太さんは油断し過ぎです!」


引き剥がされた幹太とソフィアは、なぜか正座して向かい合っていた。


「ソ、ソフィアさん、ごめん…」


「い、いいんです。

ファーストキスが素敵な男性で良かっ…い、いえ、こちらこそすいません〜」


俯く二人の顔は、耳まで真っ赤であった。

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