第97話 愛ゆえに

 リリニアさんと約束をしてから、今日で三日目。

 天弓てんきゅう祭壇さいだんへ、ボクたちはつどう。まもなくその時が近づいている。


 ボクはコニーと一緒にひと足早く三角大陸トライネントの中心近くまで戻り、ニアルタの街の宿に滞在していた。

 この宿に泊まったのは、この街に初めて来た時以来だ。

 

 時刻は深夜をとっくに過ぎて明け方が近づいている。

 目が冴えてしまったボクは、屋上にさらさらと降る霧雨きりさめの中にいた。


 そう、宿の屋上。

 ここはバル様と二人きりで話した、思い出の場所でもある。


 彼が寄りかかっていたあの柵には、もちろん今は誰もいないけど──。

 

「あの夜は、月がきれいだったのにな」


 晴れていれば、今晩も満月のはずだった。

 空はどんよりとした雲に覆われ、日が登る前の街中に人影はみえない。



「またひとりごと言ってるー」


 傘をさしたコニーが、後ろから声をかけてきた。

 まだ夜明け前だと言うのにボクが部屋に居ないことに気付いたのか、彼女も起きてきたみたいだ。


「この場所、懐かしいなって思ってさ」


「またバルさまのこと、かんがえてるの?」


「うん。考えていない日はないよ」


 コニーは口をムッと曲げたまま、ずずいと近づいてきた。

 不機嫌そうながら目の前に傘が突き出されたおかげで、ボクの頭上の雨はんだ。


「……ねえ、マコ。ほんとにやるの? へたしたら、しんじゃうかもしれないんだよ?」


「死んだら、バル様に会えるかな? なら、ボクは──」


「なに言ってるの! あたし怒るよお!?」


 そう宣言しつつ、コニーは既に怒っているらしい。

 ふかふかの手でつかれても、ボクとしてはむしろなごんでしまうのだけど。


「ごめん、コニー。心配してくれてありがとう」


「マコが決めたなら、あたしは応援したいけど。ミナミには相談したの?」


「うん。昨日の夜、念話で伝えた」


「ミナミは、なんて?」


「ばかじゃないのって言ってた」


「ほらあ〜!」


「……けど、こうも言ってたよ。やっちゃえって」


「ええー! もうー! 二人してへんだよー!」


「……待って、コニー。何か見える。ほら、あの高い建物の向こう……」



 ──ゴゥゥン、ゴゥウン……。

 

 北の空から、ひりひりと大気を震わす駆動音くどうおんが近づいてくる。

 うっすら見えてきた音の主は──無機質むきしつ無骨ぶこつ輪郭りんかくの、空をすべるように進む大きな影。

 いや、あれは……船だ。



「あーっ! あれ! マコ、みてあれー! あたしたちのー!」


「……星乗りの韋駄天スターライダー号だ!」


 数日間あの船と共に旅をしたからこそ、遠くからでもすぐにわかった。

 あの船は、北の王国の城壁の外側に隠していたはずだけど。


「あっちに向かってるってことは……祭壇さいだんをめざしてるみたいー? だれが乗ってるのかなあ?」


「追うよ、コニー。ボクの手をとって!」


「えっ、ちょ! まこぉ~!?」


 ──ばささっ!

 もう慣れたもので、ボクは自分の背中から素早く翼を引っ張り出すことができた。

 

 コニーが空中ブランコのようにボクの両腕に掴まったのを確認し、ぐんぐんと高度をあげる。


 宿の屋上があっという間に小さく遠ざかっていく……。

 そこには、コニーが持って来た傘だけがぽつんと取り残された。

 


 * * * * * * *


 

 祭壇へ向かう星乗りの韋駄天スターライダー号を追って、十数分が過ぎた。

 空飛ぶ船に近づくにつれ、一段と雨が激しくなっていく。


 ボクは身体の周りに風のバリアを張って、雨をはじきながら空を飛び続けた。

 魔法のおかげで傘がなくとも身体は濡れないけど……視界が悪いのはどうしようもない。


 これだけ暗い雨の中でも、いまやすぐ近くまで接近した天弓てんきゅう祭壇さいだんの影だけは、はっきりと識別できる。


 もう目と鼻の先だ。

 このままの進路で飛び続けたら、塔のように天を貫く祭壇さいだんの結界とぶつかってしまいそうだ。


「あたし、腕つかれたよぉ~」


「ごめんねコニー、もう少しだから!」


 シャルアロさんの飛び方を思い出しながら翼を動かすと、より速く滑空できる気がする。

 そうだ、ボクはもっと速く飛べる。距離が縮まっていく。もう少しだ──


 ──すたっ。


 雨風にはためく大きなを避けて、二人は船の甲板かんぱんに着地した。


「ひえー、ありがとー! マコってば、シャルアロさんの次に空飛ぶのうまかったよー!」


「それはどうも」



 警戒しつつ、素早く船上に目を走らせる──。

 

 ……誰もいない。

 あるのは、雨に濡れた薄暗い甲板と、船上に無造作に転がった縄やタルだけだ。


 少なくとも船の操舵手が居るのは間違いないはずだけど……いや、階下からこちらへどたどたと船内を駆け上る音が聞こえてきた。

 ほどなくして頭を出したのは、黒髪とツノ。ボクたちがよく知る女性だ。


「コニーちゃん、マコちゃん……っ!」


「あーっ! ロゼッター! よかっ──あわー!」


 コニーは慌てて駆け寄ろうとして、雨に足を滑らせなかば飛び込むように頭突きした。

 ロゼッタさんは慣れた様子で足を突っ張って受け止めると、少し頬を緩ませた。


「もう、コニーちゃんたら相変わらずね」


「ロゼッタさん! 無事でよかったです」


 しかし、ボクの顔を見るなりロゼッタさんはキッとけわしく表情を戻した。


「ああ……マコちゃん、どうして? どうして来たのよ……」


「ど、どうしてって」


皇子おうじから聞いたわ。巫女みこが”祝福”をするから、宝杖ほうじょうを持って祭壇へ行くって。……私、信じたくなかったわ。あなたが飛んでくるのが見えるまで、何かの間違いじゃないかと……思ってたのよ?」


「……皇子おうじ──!?」



 その人は、音もなくロゼッタさんの背後に立っていた。

 およそこの船の上には似つかわしくない人物が、護衛ごえい側近そっきんもつけずに、ただ一人で。


「──やあ、また会えて嬉しいよ、マコくん。早起きだね」

 

 前と変わらぬ白い肌で、やわらかで無害むがいそうな微笑ほほえみをたたえて。



 ボクは一瞬だけ、全身の毛が逆立さかだつ感覚を覚えた。


「ノージェさん。……三日ぶりですね」


 考えようによってはノージェさんはバル様のかたきでもある。

 事実、そう思っていた。


 けど、今は──。その顔を見ても、胸をむしるほどの怒りは湧いてこなかった。



「……三日。まだそれしか経っていないか。私にとっては永遠のようだったというのに。リリニアさんからキミがここに来ると聞いた、その時から」


「ボクにとっても、長い長い三日間でしたよ。ずいぶん遠回りしてしまいましたが……ここに来れてよかったです」


 バル様の首輪が砕けてから、三日間。

 ボクの感情は揺さぶられ、自分の心と対話し、死について、生について何度も考えた。

 

 そして、ボクがすべきことについても。


「キミもそんな風に思っていたのかい。ああ、しかし──マコくん。私はキミのことがわからない。何故あの時、命を救ってくれたんだ?」


 横からロゼッタさんが口を挟んだ。

「それは、私にも聞かせて欲しいわね」


 どうして皇子おうじを生かしたのか。とがめるような視線が向けられている。

 いまにもあの大鎌を繰り出すつもりなんじゃ……ボクはごくりと唾を飲み込んだ。


「ノージェさんは、ボクとよく似ているんです」


「似ている?」


「異なる種でも手を取り合えるよう、平和を願っていて。何かをより良い方向へ変えるためなら、自分の身だって投げ出す。……どんな手段を使っても」


「……たしかにね。だが、それだけの理由でたすけてくれたと言うのかい、この命を」


「かもしれません。……結局、自分のためなんです。ボクは、目の前で人が争うのを見たくないだけで」


 けれど、ロゼッタさんは納得していない様子だ。

「なおさらわからないわ、マコちゃん。皇子おうじが受けた傷は、自分で自分の首を締めた結果だったじゃない」


「……そうだね。”魔素マナ代償だいしょう”を受けて生きながらえた前例は無い。キミは私の傷を苦もなく塞いで見せたが、私が命を失わずに済んだのはまさに奇跡としか言いようがなかったよ」


「奇跡……ですか。なんてことありませんよ」


 ゴーレム造りの練習をし、ユグドラスさんの話を聞いた今のボクだからこそわかる。

 ”魔素マナ代償だいしょう”とは、魂を包む霊膜れいまくが破れてしまうことだったのだろう。


 大量の魔素マナを内側に取り込みすぎて、水風船が破裂するかのように中身が飛び出していってしまう。

 そうなったノージェさんを治せたのは、ボクに操魂術そうこんじゅつ素養そようがあったからだ。


「そうかい? 謙遜けんそんするね」


「これから起こることに比べれば、です」


「……ああ、そうだね。これからキミには更なる"奇跡"を起こしてもらわなければならない。これを使って、ね」


 ノージェさんは、後ろ手に持っていた”天弓てんきゅう宝杖ほうじょう”を差し出した。


 長きに渡って祭壇の周囲を護り続け、巫女みこ以外のあらゆる侵入者を拒み続けている結界。

 それを解くための、唯一ゆいいつの鍵だ。


「……ええ。持って来てくださって、ありがとうございます」


 しかし、宝杖ほうじょうを受け取る前に、ロゼッタさんがとうとう間に割って入ってきた。


「待ちなさい、マコちゃん! 陛下へいかがあんなにみ嫌っていた祭壇よ? さっきから私はもう、理解しがたいことばかりだわ。……正気しょうきなの?」


 

 その場に居る全員が、ボクへと視線を向けた。


 雨がばたばたと甲板に打ち付ける音がやけに大きく聞こえる。


 ……正気か、だって。


 ううん、違うかもしれない。

 少なくとも三日前までは考えてもいなかったことだ。

 

 だけど、思いついてしまったから。


「ロゼッタさん。ボクを信じてください。らぶなんです」


「はあ……? な、何言ってるのかしら?」


「ロゼッタ! あたしからも、おねがい! マコには、考えがあるんだって」


「コニーちゃん……」


 ロゼッタさんは、コニーにずいっと押される形で進路をあけた。


「さて、そろそろ船を停めようか。動力室でふんばってるヘイムダールと、船を操縦しているジュリアスにも見せてやりたいんだ。あの祭壇が百年ぶりに起動するところをね」


 ノージェさんは、珍しく期待に満ちた表情で天弓てんきゅう祭壇さいだんを見上げた。

 天にそびえる祭壇のシルエットは船全体を包み込むほど大きく、視界を覆っている。

 船は既に結界の側面まで到着し、そのふちを周るように旋回をはじめていた。


 到着したんだ。ついに。



「……フフフッ」


「うん? 何かおかしかったかい、マコくん」


 ボクは待ちきれず、つい笑ってしまった。


 この船が飛んでいる位置からほど近い空中に、ミナミとリリニアさんの波動を感じる。

 彼女たちも来てくれたんだ。間に合ってよかった。


 待っていたんだ、この時を。

 


「いいえ、ノージェさん。ボクはあの祭壇を……起動しません」



「……は?」

 皇子おうじは、品位を地面に取り落としたような顔をした。


「ごめんなさい、一度だけ裏切りを許してくださいね」


 そう言いながら、唖然と立ちすくむノージェさんへとにじり寄る。


「な、何を言って──」


「これで、おあいこですから」


 ──がぶっ!

 一瞬の隙をついて、ボクはノージェさんの首元くびもとに自らの牙を突き立てた。


「ぐあっ!?」


 口の中に新鮮な血液が流れ込んでくる。

 悲しい、哀しい。消えたい。ずっと抱えてきたそんな想いを、涙で煮詰めたような味がした。


「……つらかったんですね、ノージェさん。だけど、もう悲しむ必要はありません。後はボクに任せてください」


「う、ぐッ──ま、待ちたまえ……なんのつもりで……マコくんッ!?」


 ノージェさんが取り落とした天弓てんきゅう宝杖ほうじょうを素早く拾いあげ──そして、甲板かんぱんからフッと飛び降りた。


「マ、マコー! お、おちちゃったー!?」


「いいえ、違うわ! あそこに──!」



 背中から再び生やした夢魔サキュバスの翼をはためかせ、空へと舞い上がる。

 同時に、手の中でボクの波動を受けた宝杖ほうじょうが、目もくらむような輝きを放った。


 光に押し出されて、雲が晴れていく。

 三角大陸トライネントの端に見える地平線がわずかに白み始めている。

 もうすぐ夜が明けそうだ。


 

 ──天弓てんきゅう祭壇さいだん

 思えば三角大陸トライネントの人々は、みんな囚われていたんだ。

 


 バル様はいつか、祭壇さいだんを憎々しげににらみながらこう言った。


『俺はあれが気に食わん。あんなものがあるから、争いが生まれるんだ』


 そう。三角大陸トライネントのどこに居ても目に入るこの塔は、魔人と人間の対立の象徴。

 これがある限り、みんな歴史を忘れることができない。

 見るたびに苦い記憶を繰り返して、掘り起こし続けて。



 それをうれいたノージェさんは、祭壇さいだんの力を利用して手を取りあうことで、平和の象徴に変えようとした。


『けれども。納得できずとも進まねばならないこともある。それが王としての責務せきむだ』


 周りがどう言おうと、強いリーダーシップで成し遂げようとしていた。

 

 けど、ノージェさんは口では笑ってそう言いつつも、心の底では泣いていたんだ。

 使命感に追い立てられるようにして、立ち止まることもできずに突き進んでいたから。



『あれは文字通り、天に向けられた弓。何せ、発射される”矢”は……巫女みこいのち、そのものなのだから』


『それに、後悔もしている』


天弓てんきゅう巫女みこは、世界にただ一人しかいない。そして、アルカディアのたみは皆、巫女みこを待ち望んでいた』



 その命を捧げて祭壇さいだんを起動してきた、歴代の巫女みこたち。

 本来なら、そんな役目なんて負う必要なかったはずなのに。



『俺はな。あの祭壇さいだんを見るたび、昔を思い出す』


 バル様。あなただけじゃありません。

 誰もが、そうだったんですから。


 ……だから。

 全ての連鎖を終わらせるために、決めたんだ。


 もうそんな必要はなくなるように。


 ボクは、天弓てんきゅう祭壇さいだんを──



 破壊はかいする。



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