第94話 賢竜

 次の日の朝。

 ボクは”賢竜けんりゅう”の元へ向かうべく、シャルアロの背に乗って空を飛んでいた。


「マコはさー、バルさまのこと、ほんとーに大好きだよねー」


「えっ。な、なにさ突然」


 隣には、同行を申し出てくれたコニーが座っている。

 今日の彼女は心なしかいつもより、きりりと真面目な表情だ。


「きのういっしょに王国から飛び出したときのマコと、バルさまがまた起きてくれるかもって言ってからのマコと、ぜんぜん違うもん。なんていうか、ぴょきーん! ってかんじがするよー」


「そうなんだ」


「わかるよー。あたしも、バルさまのことがね……。……大好きだったから」


「……えっ!?」


 ボクが思わず振り向くと、コニーはニヒヒと屈託くったくのない笑顔を返した。


「バルさまは、あたしのヒーローだったの! 魔法のつかいかたを教えてくれたし、あったかいお部屋とおふとんをくれたし、あたしがさみしいときは励ましてくれた。あたしにとっては、二人めのパパみたいなひとだった」


「あっ、ああ……はは。びっくりした。そういう意味ね」


「ん、どゆこと?」


「ボクの大好きと、コニーの大好きって、ちょっと違うかもって思っただけ」


「へっ、ちがうのー!?」


「ボク、とろけそうになっちゃうんだ……。バル様の傍にいると、どうしようもなく」


 自分でそう言ってから、ボクは恥ずかしくなってつい顔をそむけてしまった。

 足元でシャルアロが背骨をゆらゆらと揺らしたのは、会話を聞いていたからだろうか。


「えっ。マコ、それって……えーっ! ……らぶなの?」


「……フフッ」


「マコぉ?」


「そうだね。らぶ、だよ」


「あたし、聞いてなかったよー!」


「ごめん、言ってなかったや」



 そのうち、地平線の端になつかしの”魔王城まおうじょう”が見えてきた。

 あっという間に東の火山の上空まで来てしまったんだ。


「うわー、なんだかひさしぶりだねー。ダイダロスさん、げんきかなぁ……」


「まだだよ、帰るのは。バル様と一緒じゃないと帰れないよ」


「あたし、ダイダロスさんの料理、またみんなでたべかったよ。……みんな、で……ぐすっ」


「また食べれるよ。バル様も一緒にね。もうちょっとの辛抱しんぼうだよ」


「……ほんとに、そうおもう?」


「うん、もちろん」


「……」



 それからまもなくして、シャルアロが旋回し始めた。


 目的地は、山の天辺てっぺん

 徒歩で来るのは到底不可能であろう断崖絶壁の上だ。

 切り立った崖が岩でできたキノコのように反り上がり、侵入者を拒んでいる。

 

 ここはかなりの高度なのだろう。

 空気は薄く乾燥して、雲の層ははるか下の方だ。

 

 シャルアロは向きを変えて、頂上の高台へとまっすぐ近づいた。

 厳しい環境のはずなのに、ここには草木と大きな樹が身を寄せ合ってしげっている。


 上空から見えたのは、ぐるりと樹に囲まれた大きな池だ。

 磨かれた鏡のように静かな水面に、くっきりと青空が反射している。

 まるで、見えない不思議な壁に守られた秘密の庭。まさに秘境なのだろう。


 それにしても、誰かが手入れしているんじゃないかと思うほど整った場所だ。

 ここが、”賢竜けんりゅう”の……?


「あ──」


 ボクは遠目から、池のほとりにぽつんと置かれた肘掛け椅子を見つけた。

 元の形が見えないほど地面から生えたつたがぎっちりと絡まって、とうの昔に朽ち果てている。


 その輪郭りんかくだけが、長い時間に埋もれて取り残されているみたいだ。



「──クルルルゥ……!」


 シャルアロがふわりと降り立ったのは、その椅子の目の前だった。


「……よっと。ありがとう、シャルアロさん」

 

 ボクとコニーは彼の背中から同時に飛び降り、地面を踏みしめた。

 足の裏から伝わってくる確かな感触が、この幻想的な場所が夢の中ではないことを教えてくれている。


 着地場所にいつもより多い荷物をどさりと置いた。

 リリニアさんと待ち合わせを約束した三日後まで野宿できるよう、寝袋を借りて来たんだ。


「みてマコー! お花がさいてるよー」


「へえ、これはスイセンかな。この世界ニームアースにもあるんだ」


 淡い紅色べにいろを白い花びらでいろどった小さな花が並んで、そよそよと揺れている。

 ここまでの眼下に広がっていた険しい山々を忘れてしまうほど、ここは静かで心地よいところだ。

 

 ボクたちの他に、動物の気配はなさそう……。


 そう思って気を抜いた瞬間。

 古い肘掛け椅子のそばにある大樹たいじゅが、大きく振動した。


 ──ふしゅううう……!


 足元を生暖かい旋風が駆け抜けていく──!

 いや、これは風というより……巨大な生き物の、呼吸?


「うわー! なになにー!?」


「ひ、ひええ──」


 あやうく、腰を抜かすところだった。

 目の前の大樹たいじゅが根を張っていたのは……見上げるほど大きな、生き物の背の上だ。


 地面がもりもり動いて、ぱらぱらと土を落としながら長い首が持ち上がる。

 その先についた岩状の頭には、樹の根のように細かく枝分かれした髭と、まぶたを覆い隠すほど長く垂れた葉っぱの眉が生えている。


 シャルアロよりも更に数倍大きな、大きな──"竜"が目を覚ました。


 やがて竜は、ぱちくりとまばたきした。

 驚くほどきらきらと澄んだ瞳で、ボクたちを見据えて……。

 目尻から伸びた無数のしわは、きっと何百年もかけて少しずつ刻まれたのだろう。


 まず、飛び上がらんばかりに竜の前に躍り出たのは、コニーだ。


「うっはあー! おっきいおじちゃん、こんにちはー!」


『──はい、こんにちは。小さなお嬢さん』


 "竜"の口から、地面全体にじんじんとひびく、低い低い声が発せられた。

 けれどもその波動はボクたちを穏やかに包み込むようで、敵意や害意と言った感情は一切感じない。


「しゃ、しゃべったあーー!!?」


『喋りますよ、そりゃあねえ』


 竜の語り口は温和で優しく、見た目から受ける印象とは全く違う。

 ボクはようやく肩に入っていた力をふっと抜くことができた。


「ええと……! はじめまして、ボクはマコといいます。あなたが”賢竜けんりゅう”さんですか?」


『くこここ……。はじめまして、マコ。……いかにも、そう呼ぶ者もおるが。名をかれたら、わしは”ユグドラス”と名乗っておるよ』


「ユグドラス、さん……! 突然押しかけて不躾ぶしつけながら、どうかお願いします。あなたのお知恵を貸して下さいませんか。大切な人のためなんです」


「あたしからも、おねがいしますー!」


 ──ふしゅるる……。

 大きな口がぐぐっと持ち上がって、空気が漏れる音がした。

 ボクの勘違いでなければ、その竜はおそらく笑ったのだと思う。


『かまわんよ。……わし、わりとヒマだからのう』


「えっ。そ、そうなんですか」


『しかし、先に言っておく。わしの言葉を聞いたとしても、最後に答えを出すのはきみ自身だよ、マコ』


「感謝します……心得ておきます」


「うはあ! やさしいおじちゃんだねえ!」


 ユグドラスと名乗った賢竜は、じっとボクたちのことを観察しているようだ。


『さて、お嬢さんがた。どんな話をお望みかのう?』


 大きな瞳には丸い鏡のようにボクの姿が映っていて、その奥は見えない。

 ボクは瞳術どうじゅつで他人の心を覗くことができたはずだけど、この時ばかりは自分自身が見透かされているような気がした。


「では、単刀直入ですが……”天弓てんきゅう祭壇さいだん”について、教えてください。あれがどういうもので、何のために存在しているのか。……というのもボクは、"巫女みこ"でして」


『ほおう。それは、それは……大変だのう。きみはまだ、若いというのに』


 賢竜はわずかに目を細めて、しゅううと息を吐いた。

 その声からは、どこか哀れむような響きを感じる。


「若いって……関係あるんですか」


『大いにのう。……あれは文字通り、天に向けられた弓。筒状の砲身から”矢”を発射する、いわば”古代兵器こだいへいき”さ』


「へ、兵器……?」


「マコ、それって危ないやつー?」


「待って、コニー。まだ……判断できないよ」


 祈るような気持ちだった。

 ここまですがって来て、もしもこの判断が間違っていたら──


『”祭壇さいだん”や”巫女みこ”と最初に呼んだ者は、よく方便ほうべんを考えたものだ。何せ、発射される”矢”は……巫女みこいのち、そのものなのだから』



「──えっ……」


 ボクは、口からその一音を絞りだすだけで精一杯だった。


 なぜ。そんなわけない。耳を疑う。

 この方は、まさかボクにいじわるを言ってるんじゃ……?


 そうであってほしいと思いつつも、直感でわかってしまった。

 賢竜は、うそをつかない。

 いつわりのない、真実のみを話している。



『そんな顔しないでおくれ。正確には巫女みこの体内にある魔素マナを使う、と言われておるよ。その場ですぐに命を失うわけではないが……急速に衰弱することになるだろうのう』


「それじゃ、巫女さんは……しんじゃうの? マコ、そんなの! だめじゃんか!」

 コニーはぷんすかと地団駄じだんだを踏み、体全体で憤慨ふんがいを表した。


『気持ちはわかるよ、お嬢さん。だが三角大陸トライネントの者たちは、長いことそうして恩恵に預かってきた。巫女の矢によって、世界をへだてる膜に風穴をけることでのう』


 コニーのおかげで、逆にボクは少し冷静になれた。


 霊水エーテルは、魔素マナや魂を通さない。

 その膜に風穴が空くということは、きっと……異界との間で次元の壁を超えた干渉が起きるということなんだろう。


「……教えてください、ユグドラスさん。あの祭壇は、悪いものなんですか?」


『物事に、良いも悪いもない。きみ自身がどう感じるかどうかだよ、マコ。きみが祭壇さいだんを使おうとするのは、大切の人のためなのだろう?』


「そうですが……!」


 ──たとえばの話。

 ボクが望んで自らの命を削り、祭壇を起動したとして。

 何もかもがうまくいって、バル様が目を覚ましてくれたら。


 彼は喜ぶだろうか?

 束の間の再会を、喜べるだろうか。

 たとえ一言でも言葉を交わせたなら、それは何事にも代えがたい。


 だけど、ミナミは?

 彼女はいなくなったボクを許さないし、バル様の事も恨むだろう。


 逆に、起動しなかったら。

 ボクの心のなかには、ずっともやもやとした気持ちが残る気がする。

 マリアさんを想い続けたバル様と同じように。


 そして、巫女である限り……空を見上げれば嫌でも視界に入ってしまう”祭壇”の影に悩まされ続けるだろう。



 口をつぐんだボクに痺れを切らしたのか、コニーが耳元で大声をあげた。


「……おかしいよーっ! マコぉ!」


「ど、どうしたの」


「マコは、へんだよ! 悩むまでもないでしょ。巫女なんて、やめちゃいなよぉ!」


「だけど……バル様が──んわっ!?」


 ふわぎゅっ、と両手で頰を包まれた。

 コニーはかつてなく真剣な表情で、ボクを真正面から見つめてきた。


「それ! その目だよ、マコ! 今のマコは、バル様とおんなじ目をしてる!」


「おんなじって──?」


「優しいけど、ほんとうは怒ってて。寂しいけど、ほんとうはつよがってるの。あたし、ちらって聞いたことあるよ。バルさまは隠してたけど、ずっと苦しかったんだって……!」


「でも、だからって……! どうすりゃいいのさ!」


「バルさま、いってたよ。”記憶は失くしても、魂の本質は不滅なのだ”って。そんなに急がなくても、おたがいにわからなくても、いつかどこかで再会できるかも……しれないじゃん。いますぐじゃなくっちゃ、だめなの?」


 コニーは、いまにも溢れそうなくらいに涙を貯めた。

 現実と向き合わなきゃと、さとすような口調で。


 そっか、コニーは……実のところ、ボクやリリニアさんよりもずっと割り切った考え方をしていたんだ。


 失ったものは帰ってこないし、振り向かずに前を向くしかない。奇跡きせき御伽話おとぎばなしにも限界はある。

 ドライと言えばそれまでだけど、コニーがこの世界で生まれ育った”獣人”だからこその価値観なのかも。


 ……けど、だからと言って、このまま何も試さない理由にはならない。



『その”バル様”とやらは、きみたちにそうとう愛されてのだなあ。大切な人を失った悲しみとは、長い時間をかけて向き合ったほうがよかろう』


「……愛してのは、いまでも、これからもです」

 

『これは失敬。……しかし、ウサギのお嬢さんの言うことも一理ある。参考になるかわからないが、魔素マナたましいの話をしようか。”輪廻りんね”について知れば、また別角度からの視点を得られるだろう』


輪廻りんね……ですか」


 とても興味を惹く言葉だった。

 バル様もリリニアさんも研究していた”転生術”との、深いつながりを感じたから。


 ボクは息を吐き、両手に魔素マナを込めて軽く指を振った。

 足元で木の根とつたがスルスルと絡まり合って、あっという間に二人ぶんの椅子が組み上がった。


『……ほおう、心して聞いてくれるかね。それにしてもきみは、魔素マナの扱いが大変お上手だ』


「ありがたいことに、良い先生とたくさん出会えましたから。今日もそう思ってますよ」


 ──ふしゅる、ふしゅる……。

 また竜の口の端から空気が漏れる音がした。

 ユグドラスさんは、やっぱり微笑ほほえんでいるようだった。

 

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