第57話 覚醒

 封魔ふうまの髪留めは、壊れてバラバラになった。

 ひび割れが頭蓋骨まで達したかのように、頭がみしみしと破滅的な音を立てる。


 それは音というより、断末魔だんまつま──いや、これはボクの口から出た叫び──。


 あんなに大きかったはずの歓声は、もう聞こえない。

 割れるような痛みで、もう立っていられない。


 地面が、どんどん遠ざかっていく──。


 どうしてだろう。

 力が抜けて倒れると思ったのに、身体は不思議と軽くなった。

 宙に浮いているみたいだ。客席が、さっきまでよりよく見渡せる。


「……お嬢──!?」


 下のほうから、狼狽うろたえるアイゼンの声が聞こえた。


 ああ、そうだ……。

 ボクはと、魔素合戦マナゲームの対戦中だったんだ。

 

 彼のタグはまだ二枚あるのに対し、ボクのタグは残り一枚だ。

 もう悠長にしていられない。


 ……?

 ボクって、こんなに攻撃的な考えをするほうだったっけ。



  ……まあ──

 

    ──いいか……。


 

 ──ゴゴォッッ!!


「ぐわ……ッ!? ああッ!」


 腕を振ると、激しい風の渦が舞台上の障害物ごとアイゼンを空中に巻き上げた。

 今までで一番、魔素マナをうまく扱えたような……手応えのある一撃だった。


 ──パキィン!


 タグが割れる、がした。

 いとも簡単に、あと一枚だ。


「──お嬢! 何があったか、オレにはわからねえ! ……が、どう見ても今のお前はおかしい! 試合を続けていいんだな? 攻撃して、いいんだなッ!?」


「……何のことです? 魔素合戦マナゲームにタンマはないですよ」


「それはこっちのセリフだ!」


 アイゼンは地面に着地すると、再び赤い刃の魔法を放った──。


 しかし、その動作はとてもゆっくりで……。

 ボクの目には、時間が引き伸ばされたかのように映っている。これなら、難なく対応できそうだ。


 そもそも。彼の魔法の属性は炎で、ボクの扱う属性は風。これでは相性がよくない。

 なら、水の属性を使って相手をすればいいじゃないか……リリニアさんみたいに。

 どうしてそう思ったかはわからないけど──思考がそう繋がるまでは、一瞬だった。


 ──ガキィン!

 手元に氷の盾が出現し、アイゼンの魔法を受け止めた。

 ほら……うまく、できた。


「なん、だと……!?」


「──フフフ、アハハ……」

 

 なぜだろう、気分が高揚こうようしてくる。

 口から、自分じゃないみたいな笑みがこぼれる。

 いつのまにか、あんなに痛かった頭は嘘みたいに軽くなっている。


 ああ。

 ボクにも……リリニアさんのように魔法が使えるんだ。んだ。

 

 地面に着地する勢いで、白い舞台を力強く踏みしめた。


 ──バギギィンッッ!!


 無数のつららと氷の柱が地面をつらぬいて出現し、いつかの水晶宮殿すいしょうきゅうでんでの戦いのように、あたりを白銀に染める。

 アイゼンの魔法によって熱がこもっていた舞台は急激に冷やされ、薄いきりがたちこめた。


「──なんて、奴だ──お前は!」


 彼はかろうじてボクの攻撃を避け、体勢を崩しながら舞台を転がった。

 しぶといな……


『……旋風刃エアレイド

『──灼剛壁フレア・ウォールッ!』


 ──ビュゥウッ! ──ガガゴンッ!!


 アイゼンが叫ぶと燃えたぎる壁が出現し、ボクの魔法の起動がれた。

 彼は息もえで、覇気をくしつつある。


「オレにも、意地があるんでな……! お前に勝って──勝ち取らなければ、オレの人生は始まらねえんだ!」


「種族の違いって、そんなに大事なことですか? すみませんが、ボクにだって……ボクの事情があるんです」


「ああ、大事さ……! オレは、と並んで歩くために……魔人にならなければならないんだよオッ!」


 ──ギュウンッ!

 またも、ボクの風魔法をかき消すように赤い刃が飛んできた。

 出力は違えど、やはりいつも通りの魔法では相性面で不利だ。


 風の魔法が、ふせがれてしまうなら……また、リリニアさんの力を借りよう。

 ボクは彼女から魔素マナを分けて貰ったのだから、も使えるはずだ。

 すぅ……と息を吸うと、腕に冷気が集まってきた──。


『……虚ろなる鉤爪ホロウインヴェイジョン


 ──ギ・ギ・ギィィ──……!

 なまりで鉄を引っいたような異音が響く。不可視ふかしの斬撃が、虚空こくうを舞う。

 炎の壁は豆腐のように切り刻まれて、ドスンと地面に転がった。それでも刃の嵐の勢いはおとろえず、アイゼンにまで襲いかかる──。

 

「がっ! があーッ!!?」


 ──パキィン!


 最後のタグが光を失い、彼は大の字に倒れ込んだ。


「オレは、魔人には……なれないのか……。すまねえ──ソニア……」


 アイゼンは小さくつぶやくと、天をあおいだまま放心したように動かなくなった。




 ……闘技場コロッセオは、水を打ったように静かだ。

 試合終了のアナウンスすら流れてこない。



 ──ヒソ、ヒソ、ザワ、ザワ……!?


「……まさか……」

「どういうこと、あの姿は……」

「……魔人……?」


 波が寄せるように、どよめきが聞こえてくる。


 どうしたって言うんだろう。

 いつもは使わない属性の魔法まで使って、少しやりすぎてしまった気はするけど……。

 ボクはばっちり、猫耳と猫尻尾をつけて変装できていたはず。


 ──ふと足元を見ると、細長いふわふわした毛のかたまりが落ちている。

 フウメイさんが貸してくれた、猫ふうしっぽカバーだ。


 あ……あれ……?


 ──視界の端に、先ほど魔法で出現させた氷の柱が見えた。

 見事に透き通った氷柱が、鏡のようにボクの姿を映す。

 

 そこに見えたのは──、


 さらりとした銀髪に、ツノが以前より少しねじれて伸びた夢魔サキュバスの少女。

 瞳孔どうこうは縦に開き、紅く光る瞳があやしく光っている。夢の中で鏡の向こうに見た瞳と同じだ。

 そして、衣服の背中側が破けて……そこからコウモリのような翼が飛び出していた。


「ツノが……伸びてる……? それに……翼……!?」


 猫のニセ耳も、サイズが合わなくなったからかすでに行方不明だ。

 しっぽカバーも取れていて、先端が矢印状になった悪魔的なしっぽが外気に触れている。



 ──急速に、血のが引いていった。


 いま、自分が試合のなかでしたことが、信じられない。

 どうして、こんなことを……?


 だらだらと、冷や汗がでてくる。


 つまり。

 ボクは大舞台のド真ん中で、夢魔サキュバスとしての姿をあらわにしてしまったんだ──!



『──会場内の皆様……! 落ち着いて、係員の避難ひなん指示しじに従ってください。ただいまの試合結果については、審議しんぎ中……審議中です……』


 緊張した様子の、拡声魔法のアナウンスが聞こえた。

 ……避難ひなん? いま、避難って言った?



 ──ピシャァン!!


 目の前で、ひとすじの雷鳴がとどろいた。

 まばゆい稲光いなびかりが晴れると、まるで最初からそこに居たかのように、杖をついた老人が静かにたたずんでいた。


 たしか、彼は……開会式の時に宮廷きゅうてい魔術師まじゅつし筆頭ひっとうとして紹介されていた、老練ろうれんの魔術師だ。


白昼堂々はくちゅうどうどうとは、まさにのこと。……いい度胸どきょうだな、魔人のお嬢さんよ?」


 老魔術師のするどい視線が、刺すようにボクをすくめる──。


 ──ッ!!

 巨大な気配だ。そこにいるのは小さな老人のはずなのに、まるで天をく大樹がそびえているかのようだ。


 ……年季ねんきが違う。

 すぐに、魔法で勝負しても勝ち目が薄いことをさとった。

 いくら相手が人間で、ボクが魔人でも、歴然とした経験の差がある──!


 そもそも──戦う理由がないはずだ。


 しかし老魔術師は、今すぐにでもこちらに魔法を撃ってきそうな威圧感を放っている。


 タグを使っていないのに……!

 魔素合戦マナゲームの試合ではなく、素の状態で魔法を撃ち合ったら……確実に怪我なんかでは済まない。



「マコォーーッ!!」


 ──ドゴォ……ン!

 今度は観客席前方の高台席から、叫び声と火柱があがった。


「うわッ!」

「今度はなんだ!?」

「れっ、煉獄れんごく魔王まおう!?」


 舞台を横切り、炎のおびが流れ星のように飛んで──バル様が、ボクの目の前に着地した。

 老魔術師との間に割って入るように、大きな背中が立ちはだかる。


「……マコ。色々と言うことはあるが……こうなった以上、仕方あるまいなァ……」


「バル様……!? 待ってください、ボクは……」



 ちらりとこちらを振り向いた彼の瞳には、見たこともないような仄暗ほのぐらい色が宿っていた。


 たった今、世界を滅ぼすことを決意したかのような──深い深い、影の色だった。

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