第20話 瞳

 ボクたち三人は、しばらくカフェで談笑した。


 コニーは身振り手振りを交え、魔素合戦マナゲームの楽しさを鼻息荒くミナミに熱弁した。

 道具が手元にあったら今すぐにでも外に飛び出してゲームに誘っていたのに、そうできないことが悔しい、タグさえあれば……としきりにこぼしながら。

 それでもゲーム好きのミナミにはコニーの熱意は十分に伝わったようで、王国でタグを買えたら一緒に遊ぶ約束までしていた。


 ミナミはお返しにと地球のテレビゲームの話をした。

 コニーはゲーム機とコントローラーの仕組みの話に特に関心を示し、この世界におけるタグや魔道具みたいだね、と興味深げだった。


 こんなに長くお喋りしたのはいつ以来だろう。

 外が暗くなるころにはミナミとコニーはすっかり打ち解け、気心の知れた友人同士のようになった。

 ミナミはここのところずっと緊張していたけど、ようやく肩の力が抜いてリラックスできたと言ってくれた。

 

 ひとつだけ引っかかることがあるなら……ボクがフードの下に隠したツノのことを、とうとう打ち明けられなかったことくらいだ。



「いつのまにか遅い時間になっちゃったね。そろそろ宿に戻ろっか?」


「それじゃボク、お会計してくるよ。お代はロゼッタさんから貰ってるからさ」


「へへ、ゴチになりまーす! そのかわり、明日はわたしにおごらせてよね~」


「えっ? そう……だね」


 胸の奥が、ちくりと痛んだ気がした。

 バル様は数日間はこの街に滞在すると言っていたから、明日も会えるだろう。けど、そのまた次の日は?

 あくまでもボクたちの目的地は王国だし、急に出発する可能性だってある。

 

 ……やっぱり、話を先送りにはできない。



 ボクは伝票を持って、カフェのカウンターに向かった。

 他のお客さんはもうほとんど帰ったようで、店内はほとんど空席だ。

 マスターさんが食器を磨きながら、ぼうっと入り口を眺めているのが見える。


「あのう、今日はごちそうさまでした。長居させていただいてありがとうございます。精算をお願いできますか?」


「ええ、くつろいでいただけてなによりです。──おや? オ、お嬢サン……」


 カフェのマスターと目があった途端、彼は不自然な姿勢で首をグニャリと曲げ、ずいっと覗き込んできた。


「な、なんですか?」


 ──ガタン。

 さっきまでの穏やかな立ち振る舞いからは考えられない不審な動作だった。思わずたじろいで、かかとが背後の椅子にぶつかった。


「いいえ、フフ。お嬢サンが……あまりにもかわいいから、見惚みとれてしまったんです。フフフそうだ、割引してあげましょう。これはウン、良い考えだ」


「えっ、何言ってるんです?」


「フ……フフ。いいから、いいからいいから」


「そんな。わるいですって──うわっ!?」


 手に持っていた伝票を、ひったくられてしまった。

 わけがわからない。来るときに接客してくれた彼とは別人? いいや、同じ顔だ。表情はまるで違うけど、同一人物のはず。


 釈然しゃくぜんとしないまま、代金を支払う。

 返ってきたお釣りは、手持ちの金貨一枚でも十分すぎる量だ。明らかに安く計算されている……。

 言いようのない寒気を覚えたけど、これ以上何か言うのはよしておいた。


 

 数分後、ボクたちはカフェを後にした。


「またお越しください。お待ちしてますからねぇ……」


 ねっとりとしたマスターの声が聞こえたが、ボクは振り返らなかった。なるべく早足でここを去りたかったから。



 夜道に出ると、街灯が宿までの道を照らしていた。街を囲む壁の向こうには満月が顔を出している。


「……ねえミナミ、あの店主さんさあ、なんか変じゃなかった?」


「そう? 人当たりがよくて紳士的なひとだと思ってたけど。内装にもセンスが出てるしさ」


 ミナミの言葉に、コニーも同意した。


「うんうん、いごこちよかったねえ! デザートも飲み物もおいしかったー!」


「そ──そっか。じゃあボクの……気のせい?」


「わたしが前に行った時はけっこう話し込んだけどさ。特に変な気はしなかったなあ」


 なんだか、目眩がしてきた。ずっとカフェで座っていたから疲れているのかな……。

 そうだ、あのマスターさんも夜まで働いて疲れていたのかも。もしくは、ボクが知らないだけでこの世界ニームアースでは気まぐれに割り引きするのがよくあることなのかも。

 ひとまずそういうことにして、さっきのことを頭から無理やり締め出した。

 

 それより、ミナミだ。

 やっぱり改めて、二人きりで話をしないと──。


 宿までの道をコニーがスキップで駆けていった隙に、彼女にそっとささやいた。


「……ミナミ、あのさ。後でもう一度、時間をくれるかな? 話したいことがあるんだ」


 打ち明けないといけない。ボクの新しい身体は”魔人”だったということ。

 そして、ミナミが西の樹海に行くというなら、止めなければならない。


「……もちろんだよ。わたしも、あなたに話があるから」


「そ、そうなの?」


 彼女は顔を近づけボクのひとみを覗き込んだ。茶髪が小さく揺れて、月明かりに映える。


「後で、部屋にきてね」


 ……気付かれたんだろうか。

 ボクがずっとフードをかぶって、その下に秘密を隠していることを。



 * * * * * * *



 宿に戻っても、バル様とロゼッタさんはまだ帰っていないようだった。夕食の時間はすっかり過ぎてるのに。

 コニーはちょっとひるねをすると言って畳んであった布団に頭を突っ込むと、ものの数秒後に寝息を立て始めた。


 ……話し相手もいないし、バル様たちを待ちぼうけても仕方ない。ボクはミナミの部屋をたずねることにした。




 教えてもらった番号を探して、廊下を歩く。いちばん奥にミナミの部屋があった。

 コンコン、とノックすると待ち構えていたかのように彼女が顔を出した。


「待ってたよ、マコちゃん?」


 ボクは息を吸ってフードを被りなおし、部屋の奥に足を踏み入れた。


 ──バタン、ガチャリ。

  

 ミナミが扉を閉めた音だ。カーテンが締め切られているせいか、室内が薄暗くなった。


 奥に進むと、そこは一人用にしてはぜいたくな部屋だった。

 大の字で寝てもまだ余裕がありそうなキングサイズのベッドの上に、彼女の外套が脱ぎ散らされている。


「ミナミったら、こんな広い部屋に泊まってたんだ。明かりのスイッチはどこ?」


「……」

 彼女は返事をせず、じっと視線を合わせてきた。


 よくわからないまま、見つめ返す。


「……ミナミ?」


「へへへ……。本当に、待ってた」


 なぜだろうか。ミナミがこちらににじり寄り、息がかかるくらいに顔を近づけてきて……意味がわからず、ボクは一歩も動けなかった。


「あ、え──!?」


 するりと、ボクの肩に腕が回された。

 不意打ちでフードが脱げて、ツノが露わになる。


「……気付いてたよ。かわいいツノだねぇ……」


「あっ、あの。これは?」


 ミナミが指をボクの頬に這わせた。それはまるで愛撫するような手つきで──いや、そんなはずは。


「はぁ──本当に、夢みたい。ずっと、願ってたの……」


「……!?」


 爛々らんらんとした瞳──彼女のこんな目つきは見た事がない。

 面食らって後退りするも、壁が背中に触れてもう逃げ場がなかった。


「わたしね、マコト。幼馴染のあなたに、言ってなかったことがあるんだよ」


 ──猫なで声。

 その響きは、ボクを包み込んで小さく握りつぶすように、優しく、妖しい。


「な、なんなの? どうしたの、さっきから──」


「わたしたちはいつも一緒で、仲が良すぎってみんなにからかわれてた。けど、わたしは一度だってあなたに恋愛感情なんていだいたことはなかった。知ってた?」


 突然、何を言い出すんだろう。


「ねえ、ミナミ……変だよ、急に何の話?」


「知ってたでしょ?」


 彼女はボクを責め立てるのを楽しむように詰め寄ってきた。

 有無を言わさぬ圧に逆らえない──。ボクは唇の端から答えを絞り出した。


「……それは。そう言われたら、うすうすそんな気は……してたよ。ボクたちはたしかに仲が良かったけど……キミはボクのこと、男として見てないなって……思ってた」


 けど、どうして異世界に来てまでそんな話を?

 ボクは目を逸らそうとしたが、ほおを包む彼女の指がそれを許さない。

 

「そう。だって、ほんとうに残念だったもの。マコトはこんなにかわいいのに──男の子だったから」


「……何、言ってるの」


 金縛りに遭ったみたいに身動きがとれない。夢ならここで醒めるはずなのに。


「これは知ってた? わたし、本当はね。男なんて眼中にないの。女の子じゃないと──」


「──?!」

 がしりと、手首を掴まれ、声すらでなかった。


 視界が回転し、ボクは身体ごとベッドへ放られた。背中にシーツの柔らかい感触が当たり──馬乗りになった彼女の荒い吐息に首筋をくすぐられた。


「へへへ……かわいいよ、マコト。……いいえ、マコ」


 なに? なんて言ったんだ。いま耳に入ってきたばかりの言葉を、まだ飲み込めていない。


 見上げると、彼女の瞳はあやしくあかい光に支配されていた。

 瞳孔どうこうが開いて──まさか、正気を失っている──?


「待って……放して!」

 力が、強すぎる──怪力だ! ボクといくらも背が変わらない女の子の力じゃない。


 身体の上に岩が乗っているみたいだ。魔法で彼女を弾き飛ばすことも不可能ではないけど、傷つけるわけにはいかないし──


「このまま女の子になっちゃえばいいじゃん、マコ。きっと楽しいよ……ね?」


 彼女の上着がはだける。とし相応そうおう細腕ほそうでは、ボクとなんら変わりがないのに。


 ボクはもう一度視線を合わせた。

 瞳を通じて、彼女のこれまでの苦悩が流れ込んできた気がした──



「ミナミ、落ち着いて! ボクは……男だよ!」



 ──手が、止まった。


 ぽた、ぽたと……しずくが頬に当たる。

 硬く握られていた手首がするりと解かれ、小さな声が聞こえた。


「ぜんぜん……、説得力、ないよぉ……」


「ミナミ……」


 彼女は震える手で、倒れこむようにボクの肩につかまった。


「……ふっ……うぅっ……なんで……? なんで? わたし……」


「落ち着いて。さっきのは……なにか、おかしかったんだよ」


 さっきのミナミは、瞳に異常な紅い光をたたえていた。明らかに常軌じょうきいっしていたんだ。


「ごめん……ごめんなさい、マコト。……うぅ、わたし……! とんでもないことを……どうして……」


「大丈夫、大丈夫だから……ミナミ。大丈夫だよ」


「あぅぅ……ごめんね……ぐすっ……」


 ボクは彼女をそっと抱き寄せ、落ち着かせようと背中を叩いた。

 少なくともいまは女の子同士だから、ハグしてもセーフなはず。

 いや、さっきの言葉が本当なら、これもよくないのかな。まだ頭が追いついてない。


 それにしても、なぜ?

 ミナミがこんな、急に正気を失ったようになってしまうなんて。

 



 彼女はショックからか泣き疲れたのか、そのまま寝入ってしまったようだ。

 ……ボクはそろりとベッドから起き上がった。



 ふと部屋を見渡すと、かすかに紅い光が見えた気がした──視界に入ったのは、かがみだった。

 

 鏡には薄暗い部屋と、ベッドに横たわる女の子と、真珠色の髪にツノを持つ少女が映っている。

 ああ、これだ。紅い光は。


 あかく、あやしく。

 光っていたのは──ボク自身のひとみだった。


 そして、思い出した。

 いつか聞いた、夢の中の少女の声を。



『忘れたの? マコ。アナタは、夢魔サキュバスなのよ。』

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る