第18話 夜風と星空

 ロゼッタさんは机の上のミートパイを押しやり、三角大陸トライネントの地図を広げた。

 同席したミナミのリクエストもあってか、いまさら聞きにくかったことも改めて質問することができた。


 まず、北に位置するのが”王国”だ。

 正式には『アルカディア王国おうこく』というそうで、大陸の人口の大半を占める人間たちが住んでいる。

 王政を敷いて国土を治め、有事の際も対応できるよう戦士や魔術師が日々研鑽しているという。


 東にある”火山”の奥には、おなじみ『魔王城まおうじょう』が建っている。ボクがこの世界ニームアースで目覚めた場所だ。

 後から知ったことだけど、火山は幾多のモンスターの巣窟が連なる危険地帯であり、天然の要塞とも言える厳しい環境らしい。

 人間たちの間では、最奥地・魔王城に潜む『煉獄れんごく魔王まおう』の手によって、名を上げようと乗り込んだ勇士たちは一人残らず消し炭にされた……だなんて噂されているそうだ。 


 そして、大陸の西側にあるのが”樹海じゅかい”。

 樹海に住む者は主に獣人だ。数は多くないもののいくつか集落が点在しており、停戦協定が結ばれてからは王国との貿易も盛んになりつつあるという。

 最奥地には『水晶宮殿すいしょうきゅうでん』なる美しい建造物があり、その主である『冥眼めいがん魔王まおう』の瞳に魅入られた者は命を吸い取られると恐れられているらしい。



「──というわけで、東の火山にある魔王城と、西の樹海にある水晶宮殿は、三角大陸トライネント二大にだい伏魔殿ふくまでん、なんていわれてるのよ~」


 ロゼッタさんの講釈が終わるころには、すっかり食事が片付いた。

 

「そんなに恐ろしい噂になっているんですか……?」


「どこで尾びれがついたのか、あくまでそう伝聞でんぶんされているだけよ。私の知る限り、消し炭になったお客様なんていないもの。陛下は、恐れられていたほうが都合が良いなんて仰るけどもねぇ」


「……はい! わたしも質問していいですか、ロゼッタ先生!」


「ふふ。どうぞ~、ミナミちゃん」


 ミナミは机に残ったフォークを掴んで、全員に見えるように差し出した。


「ずっと不思議だったんだよね。マコもそう思わなかった? この食器とか道具とか。建物だってそう。何から何まで、わたしたちが元いた地球と似たものばかり。いくら異世界とはいえ、ここまで文化って似るものですかね?」


 ミナミはまだ、この世界がよくできたつくりものかと疑ってかかっているみたいだ。

 言われてみれば、ココアや漫画本や魔王城の浴場など、首を傾げる品物はたくさんあったけど。


「う~ん、あなたが居たっていう地球? 異界とも言うわね。そこの文化は私は知らないのだけど。きっと”転移魔術師てんいまじゅつし”さんのおかげじゃないかしら」


転移てんい魔術師まじゅつし?」

 聞き慣れない単語だけど、たしかバル様に漫画本の入手先をたずねた時もその名前が出ていたような。


「異界の物質をこの世界に引っ張りこむ、特別な魔法を使える人たちがそう呼ばれているのよ。この世界ニームアースに流通している品物のほとんどは、転移されてきたオリジナルを元に模倣コピーされたものなの」

 

「そんな魔法が、あるんですね」


「……ええ。けど、その魔法を使えるのはごく限られた人だけよ。それに”転移魔法”にはものすごく大量の魔素マナを消費するし、滅多なことでは使われないわ」


「大量の魔素マナ、ですか……」


 どうやら、転移なんて気軽にできるものじゃないらしい。

 それに物質を転送するならまだしも、生き物の転送を安全にできるのだろうか? もしそうであれば、今ごろ地球と異世界は盛んに交流があったはずだ。


 しかし、この世界ニームアースにある様々な文化や品物は、元を辿れば地球にルーツがあることは確かみたいだった。


「……ごめんなさいねぇ。私は専門家じゃないからあまり詳しくないの。……だけど、もし興味があるなら、北の王国に行けば転移魔術師さん本人からお話を聞けると思うわ」


「ほ、ほんとですかっ!? ぜひそうしましょう! ボク……とても興味あります!」


「あはっ、あらあら。目を輝かせちゃって~。けっこう魔法フェチよねぇマコちゃんって」


「えっ。そうですかね?」 


「ふふ、好きこそものの上手なれって言うじゃない? 興味があるのはとてもいい事だと思うわよ」


 ……ロゼッタさんの言う通りかもしれない。

 この世界で、魔法や魔素マナの力を試したり遊んだりするのは、確かに楽しいと思う。


 もし元の世界地球に戻れても、魔法が使えなくなってしまうのは、いやだな。せっかく覚えたのに。


 けど、魔素マナがないと魔法が使えないなら……そもそも魔素マナって、なんなのだろうか──?



 * * * * * * *



 食事を終えたボクたちはミナミと別れ、上階にある客室へ向かった。

 部屋割りはロゼッタさんが手配してくれた。ロゼッタさんとコニーとボクの同室で、三人部屋だ。


 ──そう、バル様とは別の部屋。

 当然といえば当然の話だ。だって、性別で分けるとそうなるのだから。


 男性の立場で考えれば、女の人と同じ部屋で夜を明かすなんて──。それは、恋人とかじゃない限りは避けるべきことだけど……いまのボクは、女の子だ。


 ……仮に。

 ……絶対に言わないけど。

 ボクは男の子だから、男部屋がいいです! ──って申し出たら?


 そしたら、バル様と同室にされちゃったりするんだろうか。同じ部屋で寝ることになるんだろうか。

 それは、きっと、なにか……とてもマズい、気がする。


 だってボクは──ええと。バル様いわく、”カワイイ"……らしいから。

 いまは少なくとも、身体の性はバル様と違うわけだし。……だめだよね。


 ……うん。

 部屋割りはこれで正解なんだ。考えるのはやめよう。やめなきゃ、ああ──なぜだか顔が熱くなってくる。


 ボクは部屋の隅に荷物を投げ、頭を冷やそうと宿の屋上おくじょうを目指した。

 静かな星空を見れば、きっと心が落ち着くはずだ。

 


 廊下をそそくさと抜け、階段を駆け上がり、扉を開ける……。


 ──。


 夜風が、さあっとほおでた。

 

 屋上の入り口をくぐると、宿泊客たちの話し声や物音はすべて、背後の階段の下に置き去りになった。


 ああ……この静寂だ。ボクがいま欲しかったのは。


 さすが高級宿。この建物は周囲より一段高く建っており、夜空を広く見渡せる。

 眼下にぽつぽつまばらに灯った街灯たちも、たいして星明かりの邪魔にはならないだろう。


 さて、だんだん暗闇に目が慣れてきた。

 屋上の端まで歩いてみようか──と、ボクはそこでようやく気がついた。


 誰かがすでに、そこにいる。柵に寄りかかり夜景を眺める、一人分の大きな背中が。

 ……よく見覚えのあるシルエットだ。



「──おお、マコか」


 ボクは足がもつれて、つまずきそうになった。


「こ、こんばんは。バル様」



 彼と二人きりになるのは、いつぶりだろう。

 たしか魔王城の図書室で壁に穴を開けちゃって以来だ。あの時と比べると、今はいくらか打ち解けられたように思う。距離感をなんとなく掴めてきたような。


「月が綺麗だなァ、マコ」


「あっ……そ、そうですね」


 屋上の先客がバル様だったことに驚くあまり、月を見上げるどころではなかった。

 とはいえ、彼もボクと同じように夜空を見上げて物思いにふけることがあるなら、なんだか親近感がく。


「どうした、俺に用事でもあったか?」


「い、いえ。ボク、星や月を見るのが好きで。ここなら落ち着いてみれるかなって」


「星か。それも良いなァ」


 彼にしてはずいぶんと穏やかで、リラックスした声だ。

 

「……」


 きしりと音をたて、ボクも柵に寄りかかる。

 バル様は黙って天を仰ぎながら、ときおり白い息を吐いた。


 不思議と居心地はわるくない。

 むしろ、ほのかに暖かみを感じる。彼の燃える髪の近くに寄れば、夜風で身体が冷えることはなさそうだ。


「……マコ。超新星爆発スーパーノヴァを知っているか」


「はい?」


 だしぬけに話しかけてきた彼の声は、いつもより無邪気で上機嫌だ。


「夜空に浮かぶ星々の輝きとは比べ物にならないほどの、膨大なエネルギーの発露はつろ。そんな力を秘めた星が、ごくまれに存在するという」


「むかし、本か何かで読んだような気がします」


 彼は視線をこちらに向けた。宝物を見つけた子供のように爛々らんらんと光る瞳に、ボクの顔が映っている。


「それなんだ、マコ」


「な、なにがですか」


「オマエは、超新星爆発スーパーノヴァを起こせる!」


「……ちょっと意味がわからないですけど」


 バル様は悪戯いたずらっぽく口の端を吊り上げて、再び天を仰いだ。


「今日、オマエに言われてそう思ったんだ。ククク」


「ボク? 何か言いましたっけ」


 そう聞くと彼はまたクククと息を吐いた。笑っているというより、安堵したような表情で。


「俺はいま、心底不思議なのだ。このように今夜ここで、なにごともなく空を眺める夜を迎えていることがな」


「他の可能性があったんですか」


「……いや。ここは昔と違い、わるくない街になった。人間と獣人が少なくとも表面上は、互いを害さず共存している。……こうしていられるのも、俺が正体を表さないうちだけだろうがな」


 どこか疎外感を受けているような言い方だ。

 ボクにはまだ実感がない。彼が人々に恐れられ、疎まれているなんて。


「えっと……。ボクはこの世界の昔のことはわかりませんし、種族のこともよくわからないですけど。見た目がちょっとばかり違っても、人付き合いの障害にはならないんだなって思いますよ」


「マコォ~……!」


「な、なんでしょう」


 バル様は大きな手のひらをあげ、ボクの頭に触れようとした。

 またいつかのように撫でてくれるのかな。自然に、目を閉じる──


「……俺は、オマエの事が……もっと知りたくなったぞ」


 低くまっすぐで、耳に残る声。

 それだけ言うと彼は腰をあげ、その場をすっと離れていった。


「えっ?」


 振り返ると、バル様の背中が階段を降りていくのが見えた。

 ボクはその場に取り残されて、しばらくぼうっとしてから──ようやく、夜空が曇っていて星も月もあまり見えていないことに気がついた。

 

 ああ、星を見るために屋上に来たのにな。でも……今日は、もういいや。



 そのままぼんやりと、彼との会話を思い返す。

 そういえばバル様はいま、ボクの事を"カワイイ"って言わなかったな。いつもみたいに。


 ……どうして、言ってくれなかったのかな。

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