最終話 これから

 大量のうぐいす餅のおさまった箱を抱え、宝は東風ヶ丘が運転する車の後部座席で揺られていた。

 以前小旅行として通った道だ。

 おなじ風景を眺めても、あのときとの状況の差が妙におかしくなってくる。

 ――邪気のかたまりは破裂し消えたが、あれは終わりではない。

 あの場所は霊峰富士にはじかれたものが溜まる場所だ。この先も溜まり、いずれ巨きなものになる。蔓を持ち、他者に害を与える存在になる。そして無数の顔を持ち――その果てになにがあるんか、おそらく誰も知らない。

 それを見張るため、宝はあらためて桜子の鵺をつくった。

 富士の地下洞窟で、彼女は番人として暮らす、ということで手打ちとなっている。

 失踪したと思っていた娘がじつは殺されていた、と知った桜子の両親は半狂乱になったものの、落ち着きを取り戻すのははやかった。

 異例の事態というものによく慣れていた――桜子の両親たちは、すみやかに動いていた。

 樹海近辺に家を探し、番人のサポートをする、という名目で暮らしはじめたのである。もちろん費用は近江が出した。手当もこの先出されることになる。

 鵺になったとしても、彼ら夫妻は娘を恐れなかった。

 当事者に近しいものには事態は知らされ、そして箝口令が敷かれた。今回関わらなかったものたちは、地下洞窟のことも桜子のことも知らされない。そして富士の地下洞窟を出た桜子が、両親とおなじ家で暮らしていても誰も知らない――知らせなくていい。地下洞窟での異変さえ監視できれば、それでいいのだから。

 樹海に潜んでいた魔物が退治されたことだけが、後世に残ることになった。

 魔物は――総代が生命を賭して退治したことになっていた。

 だから総代は樹海にほど近い場所で絶命した。

 だから手伝いに連れていった子供たちが怪我をして発見された。

 だから樹海近隣で黒い蔓が目撃された。

 だから、だから、だから。

 ――すべて総代の意思の元解決した。

 ――これ以上問うてはならない。

 新しい総代となった宝の父は、気質として統治に向いていない。家業が縮小し、おとなしいものになってくれればいいのだが。

 宝はギプスが取れたばかりの腕をさすった。

 今日は桜子とその両親への挨拶で、樹海方面へと車は向かっている。

「腕、痛いかぁ?」

 助手席にいるあざみが声をかけてきた。

「平気です」

「ギプスつけると筋肉落ちるってまじ?」

 宝は手をにぎり、力をこめてみる。

「ためしに殴られてみますか?」

「ありえん。筋肉落ちる前に殴られてねぇのに、比べらんねぇだろ」

「……おまえらが仲良くなるとは思いもしなかったなぁ」

 運転中の東風ヶ丘がいう。

 あれだけ魂が摩耗した彼は、肉体に戻ると能力が弱まっていた。見た目には少し顔色が悪いくらいなのだが、もう彼は実務には戻れない。

 この先は近江家近辺の雑用をするとの建前で、宝の修行を手伝うそうだ。ついでにあざみの面倒もみてやると豪語し、あざみの両親は本家嫡男と息子が親しくなる好機、とやけに乗り気だ――そして、あざみもまた拒絶を見せない。

 苦い顔をしているのは宝だけだ。

 すべてが総代の手柄となって、きれいに片づけられた。

 あの老婆のしでかしたことを吹聴したくてたまらないのに、一切がかなわないのだ。

 ただひとつ亡き総代の鼻を明かせることがある。

 来年には、宝に弟妹が増えるのだ。

 まだどちらなのかわからないが、義母に宿った生命が生まれ出るのが楽しみでならない。弟妹の玩具を買うために、宝はアルバイトを増やすつもりでいる。この際あざみの働くクラブで世話になることも考えるか、迷っている最中だった。

「仲良くっつうかさ、おばけとか見えるんなら、話はべつじゃんよ。俺と同類なら、阿呆でもかまってやるわ」

「倉部さんみたいに、あざみくんのことカスクズゴミっていってもいいですか?」

「ありえん。しめんぞタコ」

 東風ヶ丘の車は、真新しい表札のついた古い日本家屋の前で止まった。

 玄関先では杖をついた速水が手を振っている。

「ひさしぶりー」

 秋の色が濃くなった外気のなか、速水は半袖短パンという軽装だ。

「足はどうですか?」

「うーん、なんとか。たかちゃんの腕に先越されちゃったね」

 総代に憑依され、杖もなしに酷使された速水は、足をひどく傷める結果となっていた。

 うつむいた速水が、なにかいいたそうにくちびるを噛んでいる。

 宝は速水の前でしゃがみ、少女を見上げるようにした。

「大丈夫? 具合悪いなら……」

「そ、そうじゃないの」

 杖をにぎって手に力がこもっている。見上げた彼女の瞳に涙が粒になって浮き、宝は驚いて目を見開いた。

「い、痛み止めは? 持ってきてる?」

「違うの、だって……め、迷惑かけて……」

 ぼたりと落ちてきた涙を、宝はほおで受け止めていた。

「違うのは、速水さんのほうですよ。ひどい目に遭ったのは速水さんだし、いまだって怪我したまんまでしょ」

「でも……私が、ひどいことを」

 ぼたぼたと涙は雨のようになり、くしゃりと顔が歪んだと思うと、彼女は宝にしがみついてきた。

「わ、私がちゃんと……憑依されないように……なってたら、そしたら……」

 カランと杖の転がる音がし、宝は速水を抱き止めたまま地面に尻をついた。

「泣かすとか、宝……おめー何様だよ……」

 あざみの声よりも、速水の嗚咽が耳に近い。宝は少女の背を撫で、やはり苦い顔になっていた――これもすべて、先の総代のせいだ。あの老婆がよけいなことをしでかさなければ、速水がこんな責任を感じて泣くことなどなかったのだ。

「ごめ、なさ……っ」

 しゃくり上げる速水を抱き上げられたら格好がつくのだが、ギプスを外したばかりの宝にそれは土台無理な希望だった。

 速水が泣き止むより先に、東風ヶ丘がやってきて手を貸してくれる。

「いい子だなぁ。歌門はほんとうに、いい子だ」

 頭を撫でてくる東風ヶ丘に首を振り、まだ速水は泣いていた。

 その涙が乾くためには、速水自身があれは自分の責ではない、と突っぱねられるようにならなければならない。

 ――まだ中学生の彼女には無理かもしれない。

 宝は杖を拾い、速水に手渡した。

「うぐいす餅、たくさん買ってきたから。みんなで食べよう」

 涙をぬぐいながら、速水がうなずく。

「そうしようぜ、さくちゃんに食われる前に、みんな自分のは確保な!」

 カラリと開いた民家の引き戸の向こう、三和土で灯がパンプスに爪先をつっこんでいる。

「着いたなら先に挨拶しなさいよ、子供じゃあるまいし」

「仕方ないだろ、所詮全員子供だ」

「ちょっと! なにはーちゃん泣かせてるの!? あっちゃんなにしたの!」

「なんで俺すか! 俺めっちゃ親切っすよ!」

「いいからおまえら手伝え!」

 東風ヶ丘は車から降ろした荷物を運びはじめた。

 長期間の旅行に出るような、大荷物での移動だ。

 宝たちが手を貸していると、灯に続いて桜子が家から駆け出してきた。

「お菓子持ってきたぁ!?」

 それはすらりと背の高い女性――幼い少女の姿ではない。

 どこから見ても人間だが、一度解体し、宝が再構成した鵺の桜子だった。頭部もあっての鵺の生成は、彼女に生前の姿を取り戻させていた。

 鵺になったからやけに甘味を取りたがるのではなく、生前からそうだった、と彼女の両親は話していた。甘味に目がなく、あればあるだけ平らげる性分だったという。なのにあんなに痩せてるの? と憎々しげにいったのは灯である。

「なあさくちゃん、お菓子の前になんか挨拶しろよ」

「こんにちはこんにちはー」

 間延びした声もまた、生前からのものらしい。

「桜子さん、うぐいす餅です」

 箱を抱えていた速水の手から、桜子はすばやく取り上げる。

「やったぁ! いいにおい!」

 鼻先を箱につけ、桜子はにおいを思い切り吸いこんでいる。それを見て速水が笑った。

 箱を取り返すべく、宝は桜子に近づこうとしたがするりと逃げられていた。

「……ひとりで全部食べちゃ駄目ですよ、みんなで食べるんですからね」

 宝をまじまじと見つめる桜子は、信じられない、といった顔をしている。

「それじゃ足りないじゃん……」

「桜子さんが遠慮して食べたらいいんですよ」

「やーだ!」

 うぐいす餅の入った箱を頭上に掲げ、踊りながら桜子が家に戻っていく。早々に誰かが箱を取り戻さなければ、食べ尽くされるのは目に見えていた。

 桜子の家を拠点に当面週末ごとに宿泊し、地下洞窟で修行に取りかかる予定となっていた。

 他愛ない会話を楽しむ宝たちの背後、東風ヶ丘だけが陰気な笑みを浮かべている――彼だけが、これから宝たちに起こる修行の苦しさを知っているのだった。




                                     (了)

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啼かない鵺はいつ吠える 日野裕太郎(さつき) @hino_modoki

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