第22話 いくらでも

「まずい、東風ヶ丘さん」

 東風ヶ丘は圧されていた。

 そして彼が蔓を相手取っていないことに、宝は気がつくことができた。

 彼が狙っているのは、無数の顔に彩られた――おそらくそこが本体なのだろう。そこに向けてこぶしを振るっている。

 じりじりと蔓は勢いを増し、東風ヶ丘は後退している。だがそれでも東風ヶ丘は、それがおもてに出ていかないよう、霊力をぶつけ留めようとしている。

「東風ヶ丘さん、あなたひとりでは無理です!」

 必死な声が出ていた。

 だが、これが出ていったら楽しいだろう、と同時に宝は思う。

 病院では、蔓は一般人にも見えていた。

 実害は出ていたものの、宝たちが病院を出た後、とくに速報がタクシー内のラジオで流れることはなかった。霊安室にいた白い魂うまく動いたのかもしれない――無事に収束したのかもしれない。もしかするとあのころはまだ混乱のさなかで、病院からの通報や速報などに手がまわっていなかったのかもしれない。

 わからない場所であれこれ考えても、疲弊するだけだった。

『救援が到着するまででも、なんとか……!』

 叫び、東風ヶ丘は霊力を放つ。

 当たれば霊体やそれに属するものたちはさぞや痛いだろう――思わず目をほそめた宝だったが、吹き出す源泉を前に、あれでは児戯に等しいかもしれない、と思い直した。

 現に東風ヶ丘の霊力は、蔓を退け破壊することはできても、本体に当たると何事もなかったかのように消えてしまっている。

 宝は瞠目していた。

『なんとかせんと……吸収されているのかもしれんな』

 東風ヶ丘の声は弱い。

 その通りだった。

 霊力の当たった顔が嬉しそうな表情をする――表情が明確になっている。

「まさか」

『成長しているのかもしれん』

「じゃあどうするんですか」

『総代の気配がしたが、救援はまだか!? 俺はともかく、これが出ていく前に』

「無理です。あてになりませんよ」

『なにを』

 鞭みたいにしなった蔓が、東風ヶ丘を打ち据えようとした。反応が遅れた東風ヶ丘に代わり、宝がそれを打ち消す。

「東風ヶ丘さんも、今回使われたんです。俺たちを贄にして、こいつを閉じこめるつもりだったんですよ――桜子さんみたいに」

『なんてことを……!』

「まあ、俺は贄にしないで、ババアが憑依して成りすますつもりみたいですけど」

『ま、まさかそんな』

「ああ、これを知った以上、東風ヶ丘さんもババアに追われますからね」

 この場で巻き添えを増やしても無益だが、宝は往生際悪く総代の悪行をひとに知らしめたくなっていた。生きて帰れたら、絶対にいいふらしてやりたい。

 蔓との応戦で忙しく、なにをどうすれば、という妙案が浮かばない。じりじり本体は宝たちを圧し、おもてに出ようと明確な意思を感じさせる勢いを持ちはじめている。

 東風ヶ丘の魂、その姿が揺らいでいる。

 消耗が激しいのだ。

「とにかく引いたほうが賢明です!」

 そうでなければ呑まれる。

『駄目だ……!』

「強情になってる場合じゃない!」

『引けば引いただけ、これは出ていく――ここよりも広い場所に出られたら、蔓の動きに追いつけなくなるぞ。隙をつかれて、あっという間に取りこまれる!』

 じゃあどうすれば。

 その言葉は飲みこんだ。

 この場所に入った時点で勝敗は決している。

 ちらりと最悪のことを考えた。

 あちらであざみたちはもう贄にされていて、速水に憑依した総代が邪気ごと宝たちを封印する――宝は首を振った。考えたくない上に、あり得ない話ではなかった。

「でも、とにかくあっちがわに……ババアのいるところまで引きましょう、俺たちだけじゃ、どうしようもないです!」

『馬鹿なこというな! こいつの勢いを見ろ!』

 見なくてもわかる。

 そしてこれは出してはいけないものだ。

 東風ヶ丘の姿が薄れ、また元に戻る。

 ――あざみたちが身を置いた結界は、まだ無事だろうか。

 気合一閃、東風ヶ丘の刀印が刃になってほとばしった。

 大量の蔓を切り裂くが、本体に届くとそれは吸いこまれるようにして消えてしまった。

 ノイズが走るように、東風ヶ丘の姿が乱れた。

 今度はノイズは去らない。

 東風ヶ丘の魂は、致命的な損傷を負おうとしている。

 宝は戦慄していた。

 このままでは東風ヶ丘は、魂も残らないかもしれないのだ――東風ヶ丘は自分の身体を見下ろしていた。ざりざりと音がしないのが不思議な姿だ。動揺に捕らわれることなく、彼はまた霊力を刀印にこめはじめる。

 宝も彼にならう。

 蔓を裂き消滅させるが、無尽蔵に湧き出す穂先に冷や汗が流れる。

 本体にある顔のうちいくつかが、開眼し眼球持ちはじめていた。宝と目があった顔のひとつが、口を開けて嗤う。歯がある。そのうち舌を持ってなにか話しはじめるのではないか。

 東風ヶ丘の刀印に、なかなか霊力が乗らない。だが彼は続ける。一際大きなノイズが奔り、目にした宝の口は動いていた。

「なんでそこまでするんですか!?」

 東風ヶ丘の放たれた霊力は蔓を裂くが、本体に届かなかった。

「そこまでしても、もう――」

 無理だ。

 これを止められるわけがない。

 止められるような生易しいものなら、近江の家が封印などとまだるっこしいことをするわけがない。

『糞餓鬼が!』

 東風ヶ丘の声は分家の男のものではなく、現場を知る先達のものだった。

『俺たちはいま目の前にいるんだぞ! 対処できる方法を学んでいるはずだ、なにかやれるはずだ! そういう家に生まれ、そうやって生きてきたんだ、俺たちがやらない理由なんてないだろう!?』

 ノイズを身にまとい、さらに霊力を放つべく東風ヶ丘は身構える。

 こんな家に生まれたくなかった。

 こんな力欲しくなかった。

 こんな生き方はしたくなかった。

 こんなことはしたくなかった。

 とめどなくあふれる否定の言葉の波にもまれる宝を尻目に、東風ヶ丘は自らを消耗させて戦っている。

 声を出そうとしたが、宝ののどはなにも押し出さなかった。

 ――俺にできることはあるだろうか。

 宝は近江の家を望んで生まれたわけではない。

 だがそれは誰もがそうだ。

 東風ヶ丘も、あざみも灯も速水も、望んで生まれてきたのではなかっただろう。それでもみんな自分の立ち位置を確保している。

 ――守られ、隠され、そしられていたものの、安穏と暮らしていた自分。

 手を見た。

 宝は東風ヶ丘の気合いの雄叫びを耳に、刀印に力をこめる。あふれんばかりの霊力は、宝の刀印からするどい霊力の刃となって飛び出していく。

 やはり蔓を切り裂くことはできても、本体には吸収されるばかりで役に立たない。

『止めるな! おまえは近江だろう!?』

 宝はもう一度刀印に力をこめる。

 ――潤沢な力。

 ――力が強すぎて、生まれたとき産院のまわりの気脈が乱れた。無防備にそこにいるだけで、気脈を乱す赤子だった。

 宝は本体の中央、見返してくる顔を見た。

「……こいつは、なにがしたいんでしょうか」

『は!?』

 宝は刀印を解いた。

 遅かれはやかれ、現状では宝と東風ヶ丘は消滅するか取りこまれる。こいつは壁の向こうにいき、まだ無事なら――あざみたちをも飲みこむ。

 総代も飲みこまれてしまうなら愉快だが、あの老獪な女のことだ、なにか手段を講じてあるかもしれない。逃げおおせてしまうかもしれない。

 総代が逃げていれば、こいつは外界に放たれる。

 あれのおこないは、明るい場所でさらされることになるだろうか。

 ――できることは。

『おい、しっかりしろ!』

 宝は顔と向き合った。

 女にも男にも見え、若くも老いても見える。

 閉じこめられていたことを怒り、解放されることを喜んでいる。

 大きく開かれたおとがい、ちらほらと白い歯が見え隠れする。

 宝は意を決した。

「東風ヶ丘さんは避難してください。俺がやります」

『なにをする』

「わかるでしょう? もう東風ヶ丘さんにできることはない。無駄死にです」

 東風ヶ丘は顔をしかめた。

「……いってください」

 先ほど聞いた、桜子の悲痛な叫びが宝の耳の奥によみがえる。

 ――あたしを無駄死に扱いするな!

 生命を奪われ、それが無駄になればつらい。自ら選んだとしても、つらいことに代わりはないはずだ。

 いわんや、強制されたものだったら。

『おまえこそ、死ぬなよ』

「たぶん」

 東風ヶ丘の気配が遠ざかるなか、宝は刀印にこめた霊力で迫りくる蔓を排除する。

 排除し、本体に近づいた。

 顔がある。

 きれいな歯並びになっていた。

 上下の歯の間、ひらひらと肉片が踊っている。舌が生えている様子に、宝はちいさく声を出して笑った。ふと、そいつの笑う声を聞いて見たくなっていた。

「残念だけど、話を聞く時間はなさそうなんだ」

 宝は手を広げた。

 ――できること。

 ――体内を駆け巡る潤沢な霊力。

 ――いくらでも、いくらでも。

 ――もしかしたら、ここが自分の最期かもしれない。

「最期になるなら」

 宝は目を閉じ、それに身体を預けた。

 これまでに感じたことのない感覚に襲われる。

 全身の神経を、感覚を持っていかれる。痛みではない。衝撃ではない。ただ自分という個を持っていかれる感覚だ。

 とめどない喪失感。

 絶望によく似ている。

 ――それならば。

「最期くらい、思い切り使ってみてもいいよな」

 持っていこうというのなら、それならば――与えよう。

 ――これがおまえたちの最期になるなら、満腹になってもいいはずだ。

 閉じたまぶた、うまそうにお菓子を頬張る桜子の顔がよぎっていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます