第21話 猶予はない

 音がなにもない場所だった。

 しかし蔓がこちらに向かってくるときに発散している、獰猛で醜怪な気配は肌で感じ取ることができた。

 黒い蔓を総代は邪気と呼んだ。

 邪気が集まった、と。

 よこしまというより、宝にはそれは野性的なものに思われた。

 ――敵か味方か。

 ――取りこむか排除するか。

 ――食うか食われるか。

 生存本能の根幹をのぞいてみれば、こんなものに充ち満ちているのではないだろうか。そうとなれば、これはどこにでもあるものだろう。

 差はあれ、町中などひとの暮らす場所にもいるのかもしれない。これがあるていど集まり力をつけると、黒い蔓となり暴れはじめるのだろう。

 宝は自分の身体に霊力の膜が張られるよう、イメージしながら歩いていていた。

 蔓は宝にふれた瞬間蒸発して消えた。

 霊力の膜にふれた蔓は消える。

 身を守れるようだ、と喜んだのもつかの間だった。

 それを攻撃と判断したのか――向かってくる黒い蔓の数が増え、勢いが増え、強硬さが増えた。

「どうしようかな」

 宝は歩く。

 速水の身体に憑依しているとはいえ、総代への憎しみは変わらない。

 総代の目的は、宝への憑依と支配だ。戻れば遂行され、事態はもっとも宝たちの望まないかたちで収束する可能性がある。

 戻るわけにはいかない。

 状況を変えられない限り、戻れば総代の思うがままだ。

 みんなの身の安全を思うと、急がなくてはならないこともわかっていた――ぐずぐずしている間に、三人の生命が危険にさらされる可能性は高い。あの総代は他人の生命を奪うときに、おそらく躊躇などしないだろう。

 ――面倒なことになっている。

 進退窮まった、というのだろうか。

 こんな事態は人生設計になかった。

 宝は封印された状態を維持しておいて、あとはかたちだけ近江を継ぎ、どこか一般企業にでも就職するつもりだった。

 ほかの――近江と関係のないひとたちみたいに、見えないものを見えないままでいたかった。聞こえないものは聞こえない。死んだものがとなりにいない生活だ。

 そういった日常を、無能だとそしられない暮らし。

 近江にいれば、そういったものから遠ざかることができない。

「封印なんてしてもらわないで、修行でもしてたほうがよかったのかな」

 近江の家が決めたことだったが、もう少しやりようがあったかもしれない。

 宝はあまりにも、力と家に無頓着だった。

 後悔先に立たず。役にも立たない。

「……一回くらい、ためしてみてもよかったかな」

 総代が連れてきた女性は、毎回タイプが違っていた。みないうなりになっていて気味が悪かったが、宝の好みの女性もいた。終わりを意識してみると、一度くらいは、と妙なことを考えてしまう。

 あちらの思うがままにならない、という選択自体なら、宝が男性器を切り落とすでもなんでもやりようがあるのだが、どうにも気乗りしない。

「まいったな、どうしようか」

 前に進み続けた宝は、視界に白っぽいものを認めた。

「あれ」

 東風ヶ丘がそこにいた。

 漂いくる黒い蔓をかわし、はじいている。剥き身の魂の彼は全裸で、ここに灯がいなくてよかった。

「なんで逃げないんだ、あのひと」

 蔓にがんじがらめになっているわけではないのだ。どうにも東風ヶ丘は、必死の形相で戦っているふうである。

 外見の強面さから、東風ヶ丘は本家分家の区別なく、荒事の気配があるときに連れ出されることがある。彼が車の運転手をしているだけで、荒事に発展することを抑制できるとまでいわれていた。

 しかし一族で育った宝としては、東風ヶ丘が子供や小動物の好きな、どちらかといわずとも温和はタイプだと知っている。面倒見がよく、ただそれも見た目や声の大きさのせいで誤解されやすい。

 鍛え上げ筋肉隆々な身体を維持しているのも、そのほうが役に立ちそうだから、とけなげにジム通いを若いころから続けているからだと聞いている。

 ひとの――一族の役に立とうとしてのことだろうが、その東風ヶ丘に総代の目論みを伝えたらどんな顔をするだろうか。

 総代と向き合ってうんざりした心持ちになっていた宝だが、東風ヶ丘を――おとなの姿を見て、少し気が緩んだ。それを見透かしたのか、黒い蔓の襲いかかってくる数が増えた。

「なにしてるんですかー?」

 蔓を凌いだ宝が声をかけると、東風ヶ丘は飛び上がらん勢いで驚いた。しかし現れた宝の姿に、笑顔の見本になりそうな顔をした。いい笑顔だが、これが最期に目の当たりにするものならば、あまりうれしくなかった。

『手伝え!』

「なにをですか」

 さらに東風ヶ丘に近づくと、あたりの蔓の数の多さに辟易させられた。

 目を凝らしてみると、東風ヶ丘が向かい合っているのは蔓ではなかった。

 無数の蔓が蠢く土台には、平坦な壁があるように見えた。

「……それ」

 蠢く無数の蔓の隙間、よくよく目をこらせばそこにあるのが壁ではないとわかる。

 そこには無数の凹凸があった――さらに近づいた宝は、その凹凸が人間の顔だと知った。ただ黒く忌まわしく、それぞれがにじみ融合し、分裂しては顔を歪めているのだ。

『こいつを出してはいかん!』

 全裸の東風ヶ丘の腕や背中の筋肉が、機敏に動いている。休むことなく彼は戦い続けていた。

「東風ヶ丘さん、もう蔓はおもてに出ていってます! 病院近辺だと、ふつうのひとたちにも見えていたようです。東風ヶ丘さん、身体に戻ってください! 体勢を立て直して――」

『これを出してはいかんのだ!』

 一喝。

 宝は口をつぐんだ。

『猶予はない!』

 背中を向けたまま叫んだ東風ヶ丘の目線を探った。

 蠢く無数の蔓。

 嗤うように、耐えるように表情を歪める、無数の顔。

 宝は眉を寄せてそれをにらみつけていた。

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